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2025年3月8日土曜日

400字のリング 「老人と山/くしゃみの山」

今では暴力団といわれる存在の“男”たちは、かつては“侠客”と呼ばれた。その間には“博徒”とか、“渡世人”と言われた。その名も高き大侠客といわれたのが、山口組三代目「田岡一雄」という人だった。その人がこんな侠客になりたいと、思っていたのが、歌舞伎の演目でも有名な、「幡随院長兵衛」という江戸期の侠客だったと、何かで知った。本来、道を極め、弱きを助け、強きを挫く。それが極道であり、侠客であった。幡随院長兵衛の稼業は、今日でいうところのリクルート、人入れ稼業だったらしい。ビズリーチとか、パソナとか、○╳とか△╳とか、テレビCMには人材募集の会社が次から次へと増えている。庶民の味方であった幡随院長兵衛は、旗本奴(ハタモトヤッコ)といわれてた。今でいうところの代々金持ちのボンクラたちのリーダー(水野成之)の家に言葉巧みに招かれる。幡随院長兵衛は死を覚悟している。水野成之は邸宅の中の風呂にまず入れて、スッキリしたら、一杯飲もう、てなかんじだ。つまり裸にしてしまえば、反撃できない。で予定通り風呂に入った幡随院長兵衛を、槍で刺し殺す。つまり汚い手を使ったのだ。一人に対しボンクラ息子たちは多勢だ。終りには水野成之がすまなかった許せよ、幡随院長兵衛、お前は侠の中の侠、見事であった、みたいなセリフを語る。これを現在の我が国に置きかえると、国会議員選挙は、人材募集、いわば就職活動、志も何もないが、代々議員だった人間のボンクラ息子たちが、議員バッジをつける。俺にはこの男、この女性は天下国家のためになると応援している議員もいる。意志が強く、言動がブレない根性者だ。世界は今トランプという、幡随院長兵衛を殺した、水野成之と重なる。一人物の言動に右往左往している。ディール、ディール政治は取り引きだ。そのためには、どんな汚い手を使ってもいいんだとばかり、狂犬のように吠えては脅かす。この狂犬もイギリスとか、フランスを相手にすると、歴史の違い、国の格の違いがあるので、クシュンと大人しくなる。トランプは不動産業、カジノ稼業、司会業でのし上がった。ディールとは、ヤクザ者の世界でいえば、掛け合いだ。度胸と根性がないと、脅しハッタリに敗ける。親分の器量を知るには、NO2の若頭がどれほどの者か知る必要がある。食を得るためには様々な会社にプレゼンするには、NO2を知る必要がある。トップは誰れに目をかけているか、ボンクラな副社長とか専務以外にいる場合が多い。国会議員であるならば、いちばん信頼しているのは、どの秘書か、秘書は生命線である。トランプは何かに脅えている。自分の命の先に悲劇が見えて焦っている。何よりこりゃヤバイ、こいつは使えないと、舌打ちしているのが、副大統領に選んだバカ者だ。こいつはオレの命取りになると思っているはずだ。山口組三代目が伝説の親分、侠客になったのは、NO2の若頭がきっちり動ける人間だった。人を見るには、人の脇を見ろという。どんな人間が脇を固めているかだ。石破 茂の両脇は、左に肥満体でベルトも締められない男。右にはまるで存在感のない男だ。(あえて名は伏す。少々つながりがあるので)花粉症が酷く一人のサラリーマン(会社員)に悪いことをした。この頃ノドが荒れていて、唐辛子とか、こしょうやタバスコを使うと、荒れたノドにへばりついて大きなくしゃみがでる。花粉症で鼻がどんづまりのところに、“きつねうどん”をすすっていた。トーゼン(当然)唐辛子をパラパラかけた。北風が強い昨日の昼、うどんをすすり込むのも最後半になった。残り少ない汁をすすった。うどんが少し残っていた。と、その時クシャミが出そうになった。ヤバイと口をふさいだ。残り汁と残りのうどん切れが口の中で止まっている。が、しかし、ふぁぁぁ~くしょんと大発声をしてしまった。一つのテーブルのその後の席で、そばを食べていた、二人連れのサラリーマン(会社員)に、うどんの欠片が飛びついてしまった。で、どうなったかは、ご想像を。きつねのような話となった。くしゃみの山は当分つづく。(文中敬称略) 










2025年3月1日土曜日

400字のリング 「老人と山/悪党の山」

「悪党」故新藤兼人監督の映画だ。足利尊氏の第一の側近に“高 師直(コウノモロナオ)”という男がいた。室町幕府ができた頃、武士という呼び名はなく、悪党といわれていた。高 師直は好色な男で、部下の妻に横恋慕する。ある夜その女性が入浴しているところを、デバ亀のようにノゾキ見をする。女性の夫は地位が高く、正義感が強い。塩谷判官(エンヤハンガン)というから法を守る仕事をしていた。自分の妻がしつこくつきまとわれていると知った塩谷判官は激怒して、権勢第一の悪党をこのバカスケベヤローとこらしめる。が、しかしいつの世も善人は悪人のチカラにイジメ抜かれる。塩谷判官は地方に飛ばされる。だが権勢はつづかない。やがて首が胴体とオサラバする。ずっと昔の映画なので記憶は定かでない。悪党を「小沢栄太郎」塩谷判官を「木村 功」その妻は「岸田今日子」だった。映画は実によくできた作品で、さすが新藤兼人監督であった。で、悪党だが永田町に行くと群れをなしている。悪臭を放ちながら。高等教育を受けた人間たちは、悪党になるために学問をススメていたのだろうか。辻堂↔︎東京↔︎京都↔︎奈良↔︎木津川に行って来た。ある産業を復活させるための工場見学だ。俺たちは三人、大手不動産会社の偉い方と女性一人、群馬から社長さんたち二人であった。みんな善い人ばかりであった。帰りの新幹線の中で、朝刊を読んだ。英・仏・米・露・中国という悪党大国、それに振り回されるのが核を持たない国々だ。(といっても核は大反対)気色悪い“石破 茂”、暗闇の牛のような“森山 裕”、格下げになってもしがみつく恥を知らない“麻生太郎”、深酒つづきの“岸田文雄”、嫌われ度No1の“茂木敏充”たち。不倫しておいてヘラヘラ笑っている“玉木雄一郎”、裏切り寝返り渡り鳥の“前原誠司”、永田町の泥水にたっぷり浸って、悪党だらけ、極めつけはNHKをブッ壊すのオッサン“立花孝志”だ。だが映画の主役を張れるような顔はいない。やはり小沢栄太郎は名優だ。少子化が加速して、一年間で和歌山一県分(約90万人)が減少した。胸がハチ切れるような恋をしない。愛に溺れない。まして結婚なんてという若者が増えつづけている。悪党を退治する人間はSEXをしないと生まれない。(イエス・キリストは例外)このままではこの国は確実に滅びる。野性を取り戻し、理性を生み落とせ。しかし今の世は、みんな“高 師直”のように、スマホでノゾキ見している。新幹線の中の乗客は不気味なほど無言であった。外国人はこの無言が信じられないらしい。あと、ごはん“おかわり”とか、ごはん“半分”とか、ほんの“ちょっと”とか日本語の繊細な表現が分からない。悪党たちは、おこぼれおかわりとか、おこぼれ半分とか、おこぼれほんのちょっとでもと利権を漁りまくっているのだ。俺もすっかり悪党顔になって生きている。ちっちゃな頃から 悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ……チェッカーズのこの歌が気に入っていた。もう一曲ある。北海道の伝説の悪党(ヤクザ者・荏原哲夫)の歌、ヤクザ者なら知らない者はいない。曲の名は「484のブルース」♪~ 義理や人情に あこがれた 十九 はたちが 花だった……「484」とは札幌刑務所の旧住所である。悪い事をするとここに入れてもらえる。永田町の権力者たちは、実のところ有能な官僚の手のひらの上で踊っている悪党の山なのだ。
(文中敬称略)