春は雨、風と共にやって来る。そして桜前線のニュースが流れ、さあ~花見で一杯だと世の中が騒々しくなると、きっと満開の桜を散らす花嵐が吹き荒れる。この古の頃から変わらぬ、自然の営みを「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」と、誰かが言った。ちなみに俺は花見で一杯は大嫌い。飲んでバカ騒ぎをするのを見ていられない。“ウルセイ! 静かにしろ!”なんて不粋なことを言ってしまいそうだからだ。「桜折る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」というが、俺は桜より、ひっそりと咲く梅の花がいい。木曜日深夜から朝にかけて、「夜の外側」という映画をブルーレイで見た。いつもお世話ばかりかけている人に、アマゾンで購入してもらった。340分一話二話で約5時間半の大長篇である。映画友だちの後輩から(彼は映画館で観ている)ベストワンですと教えてもらっていた。年を取るとおシッコが近いので、映画館だと途中トイレに行って戻ってくると、ストーリーが分からなくなる。「尿意ドン」と急いで行っても、分からなくなる。その点家で見るDVDだと、リモコンで一時停止ができる。安心して見ていられる。「夜の外側」はイタリアであった。ある政党党首を誘拐して、惨殺した。実話に基づいている。5時間半を一気に見せる。モノ凄い映画だった。我が国も、どの国でも、政治の世界は人の心という闇の世界。神がニンゲン(人間)という生き物を粘土から創った時から、変わる事がない。人の心の闇の支配者は神の代理人ローマ教皇である。この代理人の手の上で、世界は動く。で、土曜日この代理人、ローマ教皇を選ぶ(ローマ教皇を選ぶことをコンクラーベ[cum clavi]という。ラテン語で「鍵がかかった」という意味)過程を描いた「教皇選挙」を、息子と共に湘南モールの中のシネコンのレイトショーで観た。この作品は約2時間、9時40分から予告篇、10時~12時迄、システィーナ礼拝堂に集まった世界各国の信者代表108人(108は偶然が人間の煩悩の数)が、死去した教皇の後を誰れにするかを選ぶ。一回、二回、三回、一日一回ずつ投票される。映画はこの礼拝堂という中でのことのみしか描かない。誰れにするか、それは総理大臣を密室で決めてきた、我が国と同じだ。それぞれの“利”は誰か、陰謀が渦巻く。コンクラーベとはまるで根比べである。決められた票を得た人が教皇が選ばれた時、白い煙が出る。そうでない時は黒い煙だ。黒白をつけるのがコンクラーベなのだ。この作品は今年度アカデミーの脚色賞を受賞した。週末お世話になった大先輩のお墓参りに娘さんと行った。目黒であった。その翌日、経堂に行って、池袋にあった、丸物百貨店がPARCOになって以来の後輩を見舞った。PARCOの広告文化はこの後輩がずっと支えつづけた。天才、奇才、狂人、如何なる才人もこの後輩を愛しつづけている。もう明日はないかも知れない後輩は、動かない手を少し動かし左手を出した。俺はその手を両手で握った。大きくて、ぶ厚い手であった。巨匠井上嗣也さんが俺に声をかけてくれた。後輩とPARCOで一緒に仕事をしていた。後輩の後輩の女性も一緒だった。目黒→経堂→「夜の外側」→「教皇選挙」生と死と、仏と禅。人の心の支配者たちの黒い闇の中を見た。週末であった。この世でいちばん恐いもの、“それは人の心”実に全くその通りである。人生は根比べ(コンクラーベ)でもある。(文中敬称略)
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