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2025年4月27日日曜日

400字のリング 「老人と山/休みの山」

目ん玉の中にヘルニアができた。マサカヘルニアが目の中にとは思わなかった。脂肪の塊のようなもので、医師は放っておいてもいいよと言ったけど、やけにウットウシイので取ってもらった。軽く考えていたが実際は予想以上であった。何かしらの機器で吸い取って終りと思っていたが、実際は目ん玉オッピロゲテ、メスで切開した。二日間出血をした。少し痛いよ、途中で止めてもいいよと、大阪弁で女医(評判がよくていつでも満員)が言う。どうせなら奥の中まで取るかと言うから取ってと言う。目玉がギューギュー押されて圧迫痛が強い。女医が持つメスが右目で見える。縫う糸が見える。五針(?)縫って終り、一時間位かかった。現在左目は殴り合ったボクサーのようになっている。白目は真っ赤だ。俺は外傷には慣れている。ゴールデンウィーク中に見たい映画がたくさんある。土曜日PARCO時代の後輩が旅立ってしまった。PARCOの広告文化をずっと支えていたすばらしい男だった。青森県出身、武蔵野美術大学卒、新人として入社してきて以来半世紀のつき合いだ。PARCOの名作を数多く生んだ巨匠井上嗣也さんと共に葬儀に行った。“ねぶた祭り”大好きの後輩は“ヨハネ”になっていた。カソリックの教会の信者の人々が教会内をいっぱいにしていた。俺は地獄落ちだが後輩は天国へ。きっとそこで俺たちが最大級の敬意を持っていた。PARCOの創立者である、大天才「増田通二」さんと会えるだろう。天才、奇才、狂人、超一流のクリエイターが後輩を愛しつづけていた。葬儀が終り小田急線新百合ヶ丘駅まで、巨匠と歩いて帰った。ゆっくり、ゆっくりと、つつじの花が咲いていた。400字のリングもお休み。「片思い世界」観てない人は、休み中ぜひに。大好評です。
(文中敬称略)



 
 
 
 
 
 
 

2025年4月19日土曜日

400字のリング 「老人と山/格下の山」

突然濃厚な牡丹の花がパカッと二輪咲いた。一つは濃厚な赤、もう一輪は艶やかなピンク。二輪が寄り添うように咲いた。今年は花芽が出ていたので楽しみにしていた。九州に向った日の朝は、小さなつぼみだった。桃色が恥じらうように見えた。人間でいえば少女の如くであった。咲いたら写真を撮ろうと思い、使い捨てカメラ(これがいちばん)のフィルムを五枚分(シャッター五回分)残して、仕事へと旅立った。辻堂→横浜→羽田→福岡→柳川→大牟田のコースであった。福岡の天神で俺がこよなく愛する後輩と会った。こよなくといっても女性ではない。かつて俺たちの会社にいた、清々しい男だ。いつ会っても薫風のように爽やかなのだ。3.11の大地震の時、まだ小さな子がいた。奥さんが東京は恐いからと実家のある福岡へ避難した。小さな我が子に放射能はよくないからだ。で、後輩はひとまず妻の実家へ行って来ますといって、福岡に行きそのまま帰って来なかった。今では有名なグラフィックデザイナーとして数々の賞を受賞している。特筆すべきは一昨年、福岡での世界水泳大会で使用する、金・銀・銅のメダルのデザインのコンペで一等賞になった。選手たちはそのメダルを首にかけ国歌を聞いた。俺はその事がうれしくてたまらなかった。何をつくるにしても理詰めで生み出す。しっかりといろんな背景を調べる。そして斬新なデザインを生む。いい男で、いい奴で、汚れていない。俺は嫌な男で、横柄を極め、暴力的で汚れちまっている。そんな俺の正反対の男なので憧れている。で、福岡で会った。先週末の金曜日、大変お世話になっていた会社の人が二人停年になった。一人は延長して六十五歳で、もう一人は延長せずに六十歳であった。俺とそのお二人、今もその会社にいる人二人、合計五人での“停年を祝う会”であった。むかし話は、話に尾ヒレがつきドンドン大きくなるのがいい。メダカはフナに、フナは大ナマズに、大ナマズは大マグロに成長する。俺はホラ吹きである。酒はそれを許しくれる。俺が支持している政治家以外は、どうしようもない者ばかりだ。救いようもない。プッツンの広末涼子、チンポコを丸出して迫っていたという、とんねるずの石橋貴明、不倫、不倫、季節外れのフーリンのように不倫を重ねる女子アナたち。なんでだと賢人に問えば、それは、そこに穴があるからじゃと教える(ウソです、想像ですよ)俺は何度も書くが、男と女の下半身は別人格なのだ。人間という動物の愚かな肉体は、愚かにも発情してしまう。アメリカの大統領トランプにホワイト・ハウスで交渉に挑んだ、この国の大臣は哀れを極めた。格下の、その又下の格下の私に会ってくれましたと。赤い帽子をもらってピースサインをつくってパチリと、屈辱的写真が一枚できた。どいつもこいつも格下ばかりだ。トランプは執務用のレザー貼りの立派なソファー椅子、テーブルをはさんで向うは、デッキチェアの我が国の代表。その有り様を見て、外国の政治家は、日本は実験台のモルモットとか、日本はカナリア(大事政を予告する)であった、とか。ゴルフのパター(先に打ってくれればラインが読める)などなどいろいろな表現でボンクラな日本の政治家を笑った。飛んで火に入る夏の虫ともいう。喧嘩は先に仕掛けた方が敗ける。相手がジリジリとしびれを切らすまで待たせる。例えば豊臣秀吉をトコトン待たせた、伊達政宗、佐々木小次郎をイライラの頂点まで待たせた宮本武蔵、孫子の兵法にある、謀ごとであり、術である。「肝大小心(たんだいしょうしん)」という言葉がある。肝をでかく、打つ手は細心に。石破 茂が行く時は、死装束で、手には短刀を。これは日本国に伝わる、死をかけた時の作法だといって。わかるかな、わかんねえだろうな。九州から帰って来た時は午後十一時近かった。すぐにカーテンを開けると、ウオッ、ヤッパリ、この暖かさで一気に咲いたか、牡丹ちゃん。夜間にストロボで二枚、朝起きて花の向きを直して三枚。やはり動物は植物に勝てない。梅の木にはすでに南京豆位の大きさになった緑色の梅の実がビッシリついている。昨年は一個もとれなかった。「あした地球が滅ぶとも、今日リンゴの木を植える」そんな言葉を思い出した。空港で明太子を買うかと思ったが、どえらい高くなっていた。西鉄電車のシルバーシートに二人で座って、しゃべっていたら、マスク顔で妖怪みたいなオバサンが両手に軍手をつけて近づいて来て、ウルサイ! 静かにしろ! と怒った。……スミマンでした。その夜、溜っていた朝刊を読んだ。トップの見出しに、一流ホテルがカルテルを組んで値段調整をしていたとか。許せない奴等だ。高くした宿泊費を下げないための悪巧みであった。一流ホテルの中華なんで、どこも街中華の「菊凰」に比べたら、格下の中の格下の味だ。料理の味もカルテルを組んでいるのか、どこも高くてマズイ。味は格下でバカ高い。(文中敬称略)



 
 




2025年4月15日火曜日

400字のリング 「老人と山/小津の山」

楽観論者はドーナツの円型を見る。悲観論者はドーナツの穴の中を見るという。大阪万博の巨大ドーナツは、俺には各種の握り寿司を入れた、巨大な入れ物に見える。きっと、カジノ優先で世界的な建築家を困らせたのだろう。俺は人混みが大嫌いだが、世の中には大混雑とか、大渋滞が大好きというヒトビトも多い。♪~ こんにちは こんにちは 世界の国から……。故三波春夫さんの“歌”もない。自分の中に毒を持て、ゲ、ゲ、ゲージュツは、バ、バ、バクハツだ! と言った、故岡本太郎の“太陽の塔”もない。画竜点睛を欠くというが、正にその通りだ。雨がブルブル降る中で、万博会場に来て2時間以上並んで、回転寿司の“くら寿司”を食べるヒトビトに俺は恐怖を感じる。この万博で大儲けしたのは、トーゼン(当然)土地改良をした╳╳組や╳╳会、砂利運搬をした╳╳組や╳╳会、セメントや木材を受け持った╳╳組や╳╳会。工事全般を受け持った╳╳組に╳╳会、工事をする職人さんたちの手配を受け持った╳╳組に╳╳会。国内外のガテン系の人々を手配することを受け持った、╳╳組に╳╳会。それらを動かす╳╳党の╳╳議員たち。国会議員、県会議員、市町村議会議員などに、莫大な金がバトンリレーのように渡される。マネーロンダリングされた金は、つなげれば富士山の高さ位になるはずだ。╳╳組╳╳会の金庫の中は入り切れないようになるので、海外へと隠される。╳╳議員たちの、元ボスや前ボスや、そのボスに群がる小判鮫たちに食い尽くされる。そしてこの巨大ドーナツ、巨大寿司入れは会期が終ると解体される。その後巨大カジノが生まれる。その時また同じバトンリレーが始まる(すでに始まっている)テーマソングやシンボルとなる塔を作らなかったのは、カジノには不要だからなのだろう。╳╳組╳╳会、╳╳議員、元ボス、前ボスはシコタマ闇の金が入って来るので、勝ち組は勝ち続け負け組は負け続けて消えて行く。有史以来利権の生じる事には、極悪、中悪、小悪が発生する。地球上の国々で同じ事が繰り返されて来ている。それを学問上は、“世界史、日本史”というのだ。前週の金曜日(十一日)朝八時十五分にある人と待ち合わせ、九時から大切な話をするために、ロビーで会う事にしていた。東海道線はすぐにダイヤが乱れるので、朝早い大切な打ち合わせがある時は、ビジネスホテルに前泊する。木曜日夜は小雨であった。この日予約が取れない。ビジネスホテルはどこも空室なし(?)、料金もいつもの2倍以上であった。いつも迷惑ばかりかけている人が、ここが空いている、他はカプセルホテルしかないとの事だった。いいですよどこでも、朝六時に起きて、おつかい物を買うことが前日できてなかったので、東京駅で買う予定にしていた。そのホテルは東京大学の正門(赤門ともいう)のトイメン(まんまえ)の古書店の横を入った所にあった。会社の寮であったところを改良した、そんなかんじだった。全室禁煙の貼り紙、入り口脇にテーブルテント、外国人が三人煙草を喫っていた。電動自転車が数台あって貸し出していた。中東アラブ系の外国人が俺を目で追った。俺はヨォッ、ムハンマドと声をかけると三人は笑った。人間生きて行くのは、ツラク、ミジメでウシロメタク、大道芸人の一人旅の如くである。それでも世の中にバカの存在の意味をしるしたく旅をつづける。次は九州へ、帰って来たら尾張名古屋へ。そして北へ、南へ。芸人は芸を売って生きるのだ。だがその芸も人工知能AIの進化で、人間の芸は売り物が限られて来た。昨日深夜1961年松竹製作、小津安二郎監督の名作「麦秋」を見た。もう十回近く見ている。脚本は野田高梧と小津安二郎、先日ある批評を読んだ時、小津安二郎の映画は、“能の世界”だと書いてあった。そうか、そうだな、ワンパターンのようで、実は人間の心の中の、闇を静謐にえぐり出す。血を流さずに血を刺し殺すように。小津安二郎の映画の特徴は、悪人がでて来ない。そして、畳語的なセリフが多い。そうか、いいんだ、いいんだ、いいんだよ。いや~悪かったな、いや~悪かった、すまん、すまん、ほんとにすまん、とか。戦後六年後に日本の映画界は立ち直っていた。芸術祭参加作品を募っていた。╳╳ばかり、悪人ばかりの今の世に疲れた時は、小津安二郎がいいのだ。ちなみに、世界の監督たちが選んだ映画のベストワン、第一位は小津安二郎の「東京物語」である。そろそろ帰るか、そうですね帰りましょう。そうだな、帰ろう、帰ろう。鎌倉の海を見ながら老夫婦は、そんな会話をして映画は終る。桜の季節も北へ向った。小津の山を超えるのは誰れか。(文中敬称略)



 
 
 





2025年4月5日土曜日

400字のリング 「老人と山/偶然の山」

「男の顔は履歴書。女の顔は請求書」という名言を遺したのは、確か作家の故藤本義一だったと記憶している。一人ひとりの人間にはそれぞれの顔が、基本的に一つある。美男子に生まれたばかりに、ケツの穴を掘られまくり、大痔主になった男も多い。美人に生まれたばかりに、大借金(バンスという)を抱え込み、フィリピンやタイに売られた女性も多い。飲み代のツケを払ってと請求書を送るも、相手がフケてしまい(逃げる)、飲み代を自分が背負うことになる。やがて悲しき仕打ちが襲って、体で返せとなる。美しかった顔は見る影もなく変わり果ててしまう。昨日、朝日新聞の朝刊21面、かながわ版にこんなベタ記事(小さな記事のこと)があった。事件・事故・見当たり捜査で容疑の受け子逮捕 相模原南署は2日、特殊詐欺の「受け子」をしたとして、住所不定、無職の中村義輝容疑者(33)を詐欺容疑で逮捕し、発表した。記事はつづき24行で終る。この記事を読んで、「見当たり捜査」を特集した番組を思い出した。この捜査の担当は、署内でも数少ない。事件を犯して逃げている、数多くの犯人の写真を目に焼き付けて記憶する。それは殺人犯であったり、強盗や窃盗、放火やスリ、万引き、性犯罪や暴行傷害など、六法全書に載っているだけ犯罪があり、逃げつづけている犯人がいる。犯人の数だけ“顔”を持っている。見当たり捜査は、一日中視界に入る人間の顔を見つづける。似てる、似てない。もしかして、否違う。それをずっとつづけるのだ。俺も街行く人間の顔を見るのが好きだ。面白い顔、つまんない顔、ゴッツイ顔、笑っている顔、疲れ切った顔、欲深き顔、嫌な顔だなと思ったら、ガラス戸に映った俺の顔だった。これはと出会った顔に勝手にストーリーをつける。次々と短篇映画のシナリオが浮かぶ。残念ながらそれを形にすることはできない。シナリオはダンボールの箱の中に入って終る。今回お手柄の金星を挙げた見当たり捜査官は、若手であった。防犯カメラの映像で見た顔を憶えていたのだ。かつて見た番組では、ベテラン捜査官でも、一年間に一人も見つけられない年があるという地味な仕事なのだ。銀座を歩いていると外国人ばかりになって、すこぶるつまんなくなってしまった。すれ違う人の顔を見る楽しみがなくなってしまった。シナリオを書く楽しみも激減した。今は妄想で書いている。『リトルモアの孫 家邦さん』の手掛けた映画が封切られた。『片思い世界』主役は三人の女優さん「広瀬すず」「杉咲 花」「清原果耶」、それに横浜流星。脚本「坂元裕二」監督「土井裕泰」大ヒットした。「花束みたいな恋をした」のコンビだ。“ペスト”を書いた作家カミュは、一人ひとりの人間は偶然生まれた。すべては不条理の中にいるのだと書いた。俺はなんで俺なのか、俺はなんでこんな悪人顔に生まれたんだと悔やんでも、偶然の産物だから仕方ない。この世とあの世が逆になったって全然不思議じゃない。映画は遠い思い出と会える世界をつくることができる。人は、“初恋にかえる”という。さあ、今夜眠る時、初恋の人を思い出して、片思いをしてみよう。ブルマーかなんかで走り回っているあの子。俺はトレパンだ。きっと映画館で観てほしい『片思い世界』三人の女の子は偶然の中なのか。不条理の中なのか。ファンタジーは夢の中なのか。トレパンの俺は校庭に引かれた白いラインに沿って走っている。オヨヨ、俺には顔がない。音楽室から女子生徒の合唱が聞こえてくる。あの子はどこだ。ソプラノか、テノールかな。それともピアノか。(文中敬称略)