ページ

2025年8月28日木曜日

400字のリング 「老人と山/カラシの山」

『しらふ(素面)の世界の方が、余程酔っ払っている』こんな一文が新聞の中にあった。そうだ、そうなのだ。世界中狂暑の中にいる。地球も人間と同じに狂っている。35度から40度近い中で連日棲息していると、酸素を失った金魚鉢の金魚のように、パクパクぷよぷよとなり、腹を上に向けて浮かんでしまう。俺もその金魚のようになっている。熱海行きの満員電車の中に、焼豚男(チャーシューマン)のような男と、やせ蛙みたいな女性が乗って来た。八月二十四日、日曜日午後四時頃の川崎駅。男は四十代前半、女性もそれに近い。俺の前の席(四人掛け)に座った。二人は缶ビールとコンビニで買って来たのだろう。“冷やし中華”を持っていた。冷やし中華は四角いプラスチックの入れ物の中に、麺がクネクネからみながら、まん中に入っている、両角の三角形のところにキクラゲが少し、紅しょうがも少し、チャーシュウの千切りが小指程の長さで七、八切れ。ナルトが気持ちばかり。キュウリの千切りが色をそえる。酢味のタレが入った長方形のビニール袋、洋がらしの入った指のツメ程の袋。そこに玉子焼きを千切りにしたものが七、八本。冷やし中華の入れ物の中は赤、緑、黄色が上手に調和されている。で、もって焼豚男がプチッと缶ビールを開けて、一気にゴクッゴクッと飲む(サッポロビール黒星缶)女性は空腹だったのか、すぐに冷やし中華のフタを取り、酢味のタレ袋をあたふたと開けて、根性が抜けたようなゆで麺に、荒々しくぶっかける。その中心に洋がらしの入った小さな袋を開けて、親指と人差し指で、グニューと黄色のカラシを出す。そんでもって一気に麺やキュウリ、チャーシュウや、紅しょうが、ナルトにキクラゲをヒスティリックに、短い割り箸でグルグルかき混ぜる。で、割り箸に麺をたっぷりからませて、口に入れ一気にズルズルとすすり飲み込んだ、酢と紅しょうがと、洋がらしが効いたのか、鼻にツーン、ウェッ、ウォッ、ゴホッ、となり大きくむせかえった。ギャホッ、ギャホンとせきこみ、ちょっとビールをと男の手から缶ビールを取って、ゴクッ、ゴクッと飲んだ。俺はウルセイ、キタネエ、ユックリ食べろと叫びたくなった。冷やし中華には、食べ方の順序が法律で決められてるんだと思った。俺が食べる菊凰の冷やし中華は、芸術品といっていい程美味しい。どこまでも一つ一つを大切にしながら混ぜてすする。カラシには十分気をつける。女性の唇に、紅しょうががくっついている。あ~嫌だ嫌だ、熱海行は苦手なのだ。旅行客で満員となるからだ。今は夏休み中だから一層混み合ってしまう。女性の目に涙がたまっていた。が、食欲は恥や外聞を捨て去り、缶ビールと麺を繰り返す。手ぶらになった男は、紙箱に入ったハンバーグサンドを食べ始めた。焼豚男(チャーシューマン)とやせ蛙女性(フロツグレディ)は、きっと熱海でゆで麺のように、からみ合うのだろう。俺はその日、辻堂→品川→大森→大田スタジアムに行き、応援している少年野球の、中学生としての最終試合を見に行った。グラウンドは新しく人工芝が美しかった。東京湾からの温風が気持ちよく、少年たちはうらやましかった。試合は劇的で最終回(七回)2対3で負けていたのだが、フォアボール、デッドボールでランナー二人、3番バッターが、硬球の放つカキーンという音と共に、左中間の真ん中に飛び三塁打となった。逆転サヨナラ4対3で勝った。少年たちは抱き合って大興奮。俺が応援している選手は二塁を守り、6番を打っていた。2回裏第一打席、初球(127km)をカキーンと見事な当たりでライト線にヒットを打った。ナイスバッティングだ。俺はヤッタ、ヤッターと泣いて喜んだ。愚妻も飛び上がって喜んだ。そんないい気分の帰り、大森→大船行→川崎(東海道線乗り換え)そこで、焼豚男とやせ蛙女性と出会ったのだ。朝八時に家を出てなんやかやで八時間位かかった。猛烈に暑かったが、一本のクリーンヒットがすべての疲れを取ってくれた。少年時代は二度と来ない。永田町の大人の世界は、頭に来ることばかりの、カラシの山だ。(文中敬称略)



 
 
 

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いいね。酷暑、お互い自愛のみ。