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2010年1月20日水曜日

人間市場 最弱市

2002年サッカーワールドカップ世界最強を決める試合の日に、世界最弱を決める国際連盟公認の試合が行われていた。場所はヒマラヤ山間の王国ブータンである。

試合は世界ランク202位のブータンと世界ランク203位のモントセラトである。モントセラトは英国領の火山島面積102km²、小豆島より小さく伊豆大島より大きい。人口8,995人。ブータンの首都は標高2320m

モントセラトはカリブ海の民、当然試合となると酸欠になった魚がアップアップする様になった。しかもチャンリミタン競技場は多摩川の河川敷と同じ様なもの11人の内8人が高山病となった。

前半は0-1と互角であったが後半はフラフラとなり結局0-4で敗退。予想通り地球で一番弱い国となった。悔しかった、せめてあと二週間早く着ていればとヘッドコーチが言ったとか。

こんな楽しい話を言語の機関銃、ジョークの刺し綱、言葉の吹き矢、井上ひさしさんのエッセイ『ふふふふ』で知った。

こんな試合なら何を置いても見てみたいと思った。最強もいいが最弱はもっといいものだ一方、2006年最強を争ったフランスとイタリア戦、あの有名なジダンの頭突き一発があった。ファイト一発はリポビタンDだが、この一発はイケマセンDであった。イタリア、マテラッツィがジダンをシャツの上からしつこく押さえ込んでいた、ジダンがそんなにシャツが欲しいなら後でやるよと言ったとか。

そこでマテラッツィがこう言い返した。

「テロの売春婦の息子め、くたばっちまえ」

「あるいは、おまえのシャツじゃなくて俺はお前の奥さんのシャツを脱がせたいんだ」

世界各国の読唇術の専門家が分析した。ジダンは頭に来た、だから頭を出した。

どーんと一発。世間では頭突きと言う。

結果はPK戦でイタリアの勝ち。後味の悪い試合となった。最強と最弱、フェアプレイとアンフェアプレイ。勝者には何もやるなと言ったのはヘミングウェイだ。

世の中あまりにも勝つだ負けるだばかりとなった。値下げの全力競争だ。私たちの国は大切な何かを忘れてしまったのかもしれない。自分たちの作った商品への誇り、プライド、頑固な姿勢だ。値下げで日本一、世界一になっても所詮はバーゲンセールの成功者だ。


ブータンとかモントセラトの選手、サポーターも全力を出しつくした。正々堂々戦った者だけが生む皆こぼれんばかりの笑顔であったという。

最強という言葉にあまりに支配されていた自分を反省し今後は最弱を目指す事にしたいと思った。ジダンがモントセラトのコーチになったり、マテラッツィがブータンのコーチになり子供たちに夢を与える。こんな光景を目にしたい。勝者にやるべき事はたくさんある。私は堂々たる敗者であり続けたい。

次のW杯アフリカ大会、最弱のドラマを見に行きたいと思う。

エメラルド色の海の上でサッカーをしたり、真っ青な空中でサッカーをする事だって不可能じゃない気がする。

2010年1月19日火曜日

人間市場 吉永小百合市

除夜の鐘を聞きながら年末に切り抜いていた新聞記事をノートに貼り終えた。
面倒な事が大嫌いな私が唯一自分の意思で行って来た事である。ある二つの数字が頭に浮かんだ。
108の人間の煩悩と102人(2010年1月5日現在)の死を待つ命。煩悩を凶行という行為で表し、死刑の判決を受け確定囚となりいつお呼びが来るか判らない死刑囚の年を越した命の数である。内閣改造があると誰が法務大臣になるか死刑囚はいち早く情報を手に入れる。
ハトかタカかで一喜一憂する。人を殺した人間程自分の命に執着するという。

12時を過ぎた。新年早々一本の映画を見る事にする。J.comで「天国の駅」を選ぶ。女死刑囚の話だ。
栃木県塩原で起きた日本閣殺人事件をモデルにした映画だ(映画の中では大和閣)。出目昌伸監督、主演吉永小百合だ。今から30年前吉永小百合が最も美しい頃であった。二度結婚して二度とも亭主を殺す。毒婦の役に挑んだ。サユリスト達は吉永小百合の自慰に耽る長回しのシーンに気を失ったという?確かこの年のナンバーワンになりあらゆる映画賞を獲ったはずだ。
この映画をプロデュースしていたのが当時吉永小百合と恋仲にあったという岡田裕介であった、愛する人の為には何としても映画をヒットさせたい。その為には全てをさらけ出し必死に体当たりする吉永小百合の凄さがこの映画にある。一人の男への愛が全てのサユリストたちを奈落の底に落とした記念すべき映画であった。
上映時、吉永小百合を襲う三浦友和、津川雅彦に対しサユリストから、友和何すんだ!津川やめろ、ナニスンダァーなんて声が飛び交ったという記録はない。
愛は名作を生む。最初の夫傷痍軍人、中村嘉葎雄、警官、三浦友和、二番面の夫大和閣主人、津川雅彦、女に恋をするボイラーマン知恵遅れ西田敏行(一緒に死刑になる)、気が狂った大和閣の女主人、白石加代子。全て絶品の演技であった。出目昌伸の演出は完璧に近いものだ。
新しき年はいよいよ官能小説に挑戦しようかと思う。

映画を見終わり時計は三時半、日の出まで庄野潤三を少し読む。クールダウンには持って来いの小説家だ。静かな文章の中に凄い一節があった。
「今、俺の隣に寝ている女、十五年前にただ偶然知り合っただけの女だ。それが昨日も今日もひょっとして明日もこうやって俺の隣で寝ているだろう」
これ程結婚というものを冷静に書いた一節はない。全ては偶然なのだ。結婚は偶然の産物なのだ。偶然と官能が掛け算し、飽きる事がなければそれは続くのだ。

日本閣殺人事件の犯人は処刑される前に刑務官にこう言ったと伝えられている。
「死刑にはしないでね」とか「私、綺麗ですか」と。
何とも官能的な言葉ではありませんか。
1970611日小林カウ(61)女性で戦後初の死刑執行だった。

お正月に見た日本映画、
「陸軍」木下恵介監督、昭和9年作。陸軍省が協力した戦争賢美の作。もの凄い兵隊の量。
叛乱」佐分利信監督。2.26事件はこの映画が決定版。
「明治天皇と日露大戦争」渡辺邦男監督。NHKの「坂の上の雲」なんかこの映画と比べたらおもちゃみたいなもの。CGも全くない時代に作った最高傑作。
「近藤勇 池田屋騒動」嵐寛寿郎の近藤勇が絶品であった。芹澤鴨の訳進藤英太郎が中々よい。
「破れ太鼓」木下恵介監督。坂東妻三郎の土方から成り上がったカミナリ親父が何ともいい風刺劇。
「柳生武芸帳」近衛十四郎の刀さばきはうまい。
「人間魚雷回天」松林宗恵監督。木村功、岡田英次、宇津井健、みんなアルカイダ、ジハードであった。戦争は馬鹿げている。
「雲ながるる果てに」特攻隊の若者の出陣前夜、木村功、鶴田浩二が散りゆく若者の苦悩を切々と演じている。
と、終戦以前の物ばかり見まくりました。
今の日本映画のヒット作品はほとんどマンガが原作。即ち小説家や脚本家がマンガ作家の発想力、展開力、何より情報力に劣っている為だ。徹底的に昔の作品を観まくる、そこにこれからの映画作りの原点がある。日活ロマンポルノが甦るという記事があった。いい事ではないか。今をときめく映画監督の多くはロマンポルノ出身なのだから。
CGを見飽きた人々は必ずアナログに帰って来る。人間ドラマに芸術作品に帰ってくる。

2010年1月18日月曜日

人間市場 チンケ市

人を決して信じない、人に任せない、信じられるのは金、金、金だけの人。
沢山見て来ました。ほぼ全員地獄を見ています。又、今現在地獄に向かっています。本人は目の前の預金通帳の数や持ち株や金庫に隠したお金を見ると自分がまさか地獄に堕ちるとは思わないのです。


お金はお足ともいいます、逃げ出すと足力が凄いのです。お金ばっかり追っていると家族を失い、友を失い、恩人は怒り、知人は呆れ返り離れて行きます。


ケチでチンケな奴は裏の世界では最も嫌われます。あいつは器量がない、金離れが悪い使えない奴と言われ蔑まされるのです。問題は本人が気付いていないのです。


ケチでチンケな奴ほど逆の事を言います。あれは俺が買ってやった、あそこは俺が払ってやった、あいつにはいつも小遣いをやっている、あの女には随分と注ぎ込んだぜ、えらい金がかかる女でな、なんて格好いい事言う、が実態はこうなる。女の言い分、あの人は本当ケチで金にブシイ(シブイ)のどういう家で育ったのかしら、異常に金、金、金。私には一円だって渡さない。買い物に行く時必要な額を言うとそれだけ、必ず領収書を持ってこい、お釣りを出せだもんね。その内地獄を見るわよとなる。


拝金主義者は絶えず恐怖心を持っている。疑い深くこんなにいい思いがいつまでも続く訳がない、もしお金がなくなったらどうしよう、一、二、三、何度も通帳の数を勘定し数字を確認する。淋しい人生なんです。お金がある不幸とお金が無い不幸、人の心の中は金色の闇、人間は難しい生き物だ。


私はお金は無いけど幸せ者です。少しお金が入ると映画や本や音楽や絵本や若い人材を育てる為に使ってしまいます。愚妻には知らないわよ、勝手ばかりしていてと言われます。
後は食べて飲んで旅してオケラになるのです。人はお金に付いて来てもそれだけ無くなれば直ぐ離れて行きます。(小判鮫たちです)私がしっている拝金主義者の末路の一部を紹介します。
一人は交通事故であっけなく。
一人は全身癌が転移しています。
一人は自分の息子に殺されました。
一人は内妻に突き落とされました。
一人は自ら死を選びました。
一人は愛娘がヤクザ者に連れ去られ息子が外国で麻薬の不法所持で捕まりいつ帰れるか判らない。
一人は生涯ただ一度身内の保証人になり家を取られたのです。
一人は放火にあい何もかも失いました。燃えないはずの金庫の中のお札は熱でほぼ消えていました。
一人は未だ行方不明。


えらい暗く嫌な話ですみません。
宇宙飛行士が「神」を見てしまい何人も数奇な運命を辿っています。拝金主義者はお札という「紙」を見て数奇な運命を辿るのです。その確率はほぼ90%です。ある人間が蛸の吸盤の吸い付きを見て地下足袋を思いつき大ヒットしました。
そしてゴムの加工技術で旅客機や戦闘機のタイヤを作り、戦争成金となり車社会の到来でタイヤメーカーとして発展させ莫大な利益を生み出しました。


その一族が黒い鳩となっています。あんまり凄い金満一族なので私と違って一桁二桁金銭感覚が違うのです、ただはっきり言える事は地獄への入り口に立った事です。


一度ガタが来るとガタガタになるのです。少しだけ、気持ちだけ、恥をかかない位で丁度いいのが、お・か・ね。持ち慣れないのを持つと、ああオッカネェです。
ある取材で兄鳩は弟鳩の事を、僕たちは父親が違うからあまり兄弟愛は無いかもしれないと言ってました。既に生き地獄の中に居るのかもしれません。
兄鳩のギョロ目誰かにソックリです。ご想像にお任せします。

2010年1月17日日曜日

人間市場 寿し市

先だってどこぞの国のタイヤメーカーが我が国の食べ物屋に星一つだ、二つだ、三つをつけた。
我が国の人は、外国人から評価を受けると舞い上がってしまう。


一軒位、バカヤローテメーラ、フランス料理のコテコテのソースに慣れてる奴にこちとら日本料理の味が判ってたまるか、このスットコドッコイ。顔洗って出直して来い、と突き放したという話は聞かなかった。数寄屋橋に私の名前と似た寿し屋がある。ちなみに私は三郎である。


その店のなんと馬鹿馬鹿しい事か。たかが寿しでお一人、お酒とお通しと刺身と寿しで三万円位。一杯、二杯と杯を重ねると、もう寿しの味を一気に忘れる値段が付く。一度行った。
知り合いがそれなりの人であったので、怪し気な私にも一応それなりに対応してくれた。
地下一階。


その隣りにバードランドという焼鳥屋がある。阿佐ヶ谷から進出して来た。こちらはリーズナブル、旨い。感じがいいである。一方は高い、気取っている、寿しは握りが緩い。握りは強くても駄目。台に置いたら少しほんの少し動く感じが名人芸。高いネタを仕入れてくれば誰が握っても旨いに決まっているのだ。着物をお召しになった女性と仕立てのいいスーツを着た御仁が食べていた。
このマグロ本当のマグロみたいで美味しいとか、この白身、なんて色白なのかしらとか、このコハダなんかイワシによく似てる、美味しいわ。なんてスットコな事を言っている。よっぽどひっぱたいてやろうかと思ったが、目上の人と一緒、私の行きつけじゃない。
おやじと言えば、ニヤニヤしながら一応アチコチ目配り。上がりもいいわ、ガリもサイコー辺りになると、生来一言多い私は腰を浮かしそうになる。頼みもしないのが次々出る。掟みたいに出る。外人も数人来ていて、しょう油皿にシャリをボロボロにしている。カタコトの星三つをもらったんですってね、本当オメデトウゴザイマスなんて言ってやがる。堺正章の番組じゃあるまいし。


江戸前の寿しなんざ、本当の立ち食いでさっと食べて、さっと帰る。これがルール。で、その日支払った金額は対して旨くもない(あの程度は幾らでもある)店に品定めされている様でキュークツで仕方なく、不快で仕方なく、十万円でお釣りがチョット。ナメトンノカと思い、マア、これがこの世の別れと支払って終わり。


カッパ巻きなんか、巻きが緩くて海苔が割れてやがんの。それから何日かした日、早朝築地の市場で朝ご飯を食べて居たら、何、何とあの店の若い者が二人、場内の立ち食い寿しを旨そうに食べてやがった。べらぼうめ〜と思ったが、あんまり美味しそうにしているので、放っておいた。その店は、間違いなくあの三つ星より旨いのです。特上で1600円です。十貫位食べても同じ位。


寿しの命は、コハダ、穴子、赤身、かんぴょう巻き、玉子。ちなみに中トロは昔、脂身(しみ)といわれ、縁起が悪く捨てられていたとか。いきなり中トロだ、大トロから入る人とは付き合わない。


私の寿し屋のオススメ。
赤坂「濱寿し」私の名を出せば少し安くなります。おやじはミーハーでテレビ出たがりで困り者です。私の信頼する食通、加藤雄一さんは銀座「小笹寿し」を支持。女性に人気は銀座「まる伊」ここも私の名を出せば握り一貫位サービスしてくれます。昼のちらし寿しは大行列。前日のネタの在庫一掃みたいにこれでもかとシャリの上に乗っています。


ミシュランに旨い店なし。これ、間違いありません、あるのは気取りだけ。
旨い店は自分でめっけるもんですよ。あっ、忘れてました。ホテルオークラの地下に久兵衛という店があります。先日、巻き物が満足に出来ないので気合いを入れたら、店内シーンとなりました。遠くで河野洋平さんがキョトンとしていました。私は一言多いのです。




江の島に来ましたら「寿し政」をぜひ。その昔裕次郎さんの行きつけ、今も石原慎太郎さん伸晃さんを頭に、石原軍団の集結場です。オヤジさん、息子さんサイコーです。

2010年1月16日土曜日

人間市場 検診市

○山□子さん、ファ~イ。こっち来てお洋服を脱いでこの服に着替えて下さい。
ファイ、ファイ、まず身長を測りましょうね、ここに乗って顎を引いて背中を真っ直ぐにして下さい。
アラッこの間より1.5cm縮まりましたね。アラ、そうですか何ででしょうかね。後、胸のレントゲンと血液検査をしますからね。


もうお判りですね、この日は老人検診の日。病院の待合室は65歳以上から90歳位の老人で一杯です。調子が悪い友人の為に、院長先生に大学病院への紹介を頼みに来たのです。院長室の入り口のレザー張りの長椅子に座って居ました。


おばあちゃん幾つと聞くと、アタシわ84歳ですと○山□子さんはお応えになりました。ヘェ~それでも検診するんだ、おばあちゃん幾つまで長生きしたいのと尋ねると嫌な顔もせずに死ぬまで生きていたいの、美味しいもの食べたいのよワッハハハ。おじいちゃんは七年前に死にました、コロッとね。ワッハハハ。毎年やってるの?そうですよ、あそこにいる人たちはお友達、ここで会えるのが楽しみでね。あの人は高血圧と痛風と酷い耳鳴り、あの人はリウマチとアトピー、あの人は坐骨神経痛と高血圧と高血糖、あの人はこの間大腸癌を切ったのよ、あの人は胃と腸を何しろ一人暮らし、あの人は可哀相な人でね、ハイ、レントゲン室入って下さい。ファイ、ファイと。




ここで○山□子さんはレントゲン室へ。先生の声、ハイ大きく息を吸って、ハイ吐いてぇ~、そう上手いですよ直ぐ終わりますからね。


一月一日元気であれば○山□子さんはめでたく一歳年を重ねたはずです。
病院の待合室は家庭の医学書一冊分の患者さんが来る所です。この人たちはほぼ皆お正月寒川神社に行って、無病息災、八方除、火災難除、家内安全、旅行安全、病気平癒、交通安全、孫やひ孫の受験の合格祈願等をお賽銭100円でお願いするのです。


おばあちゃん、おじいちゃんがのんびり猫を膝の上に乗せてミカンなんか食べている写真は一家の財産です。お正月はお餅を喉に詰まらせるのが多いのです。気をつけて下さい。
○山□子さんは身長が1.5センチ伸びます様になんてお願いするかもしれませんね。




昔はいいおばあちゃんやおじいちゃん役者がいました。浪花千栄子さん、北林谷栄さん、笠智衆さん、浦辺粂子さん、三益愛子さん、伊藤雄之助さん、森川信さんはフーテンの寅の初代おいちゃん、バカダネーの一言が何とも味がありました。


この頃いい老人役者がいませんね。どうしてでしょうか。あっ、ひとつ思い出しました。病院の待合室で隣のおじいちゃんに余計な事を言ってしまいました。おじいちゃん、人間金持ちも貧乏も死んだらみんな白い骨と灰。どんなにお金を持っていても金色の骨と灰にはならないからね、死は平等だからと。
おじいちゃんはゴルゴ13を読んでいました。ゴルゴみたいな怖い顔で睨み付けられました。そのおじいちゃんは近所でも有名なお金持ちです。

2010年1月15日金曜日

人間市場 アウト市

ピークアウトとトライアウト。
ニーチェ曰く「どんな強い者もいつかは疲れる」又、「どんな英雄もいつかは飽きられる」と言った哲人がいた。

ピークアウトとは盛りを過ぎたという事つまり、限界という事である。会社に定年がある様に人間の運命にも定年がある。名コラムニスト山本夏彦は「人生とは死ぬまでの暇つぶし」と言った。ピークアウトを自分の肌で感じたらクヨクヨしない方がいい。運命の先に寿命がある、その間のもう一度の人生に挑戦すればいいのだ。

一生懸命生きた結果であれば後輩に道を譲ったと思えばいい。運命は自らの手で切り拓かなければならないが、寿命や天命は向こうからやって来る。コンニチワと迎えが来ればハイ今行きますと行くまでの事なのだ。

定年を迎えた人がよく言う言葉はこれから好きな事をやって生きるよと。こう言える人は恵まれている人。未だローンやら病人やら老人を抱えているので、どんな仕事でもいい働かないと、と言う人。あるいはワーカホリックが身に染み付いて働いてないと落ち着かないとにかく働きたいという人。頭は白くなり薄くなり走ることはままならず目は遠くなり記憶は飛び新しい事は頭に入らない、でも朝決まった時間に起きて昼には定食を食べ、ドトールでコーヒーを一杯飲み、仕事が終わったら冷えたビールをグイっと飲みプハァ~と声を出し、ヤキトリを四・五本食べる。牛タン塩、レバーをタレ、皮、ぼんじりは塩、給料日には奮発して手羽先の塩を追加する。枝豆やモロキュウ又は冷奴があれば極上の時間となる。人間は本来遊ぶ為には生まれていない(遊び人もいるが)男は地を耕し稲や麦を植え野菜を作り、魚や貝を採り鹿や猪を狩猟する、これが掟。

ピークアウトは自分で決めた方がいい。人が何と言おうと自分は今が盛りだと思えばいいのだ。ニーチェなんてくそくらえなのだ。小倉遊亀、片岡球子、奥村土牛なんて百歳になってもピークだったのだから、人生に定年は無いのだ。

トライアウト。これはキツイ、切ない、悲しい、辛い。プロ野球の世界で十二月入団テストというのがある。天才、十年に一度の大物、甲子園のエース、怪物、色々に形容されてプロ野球に入団したものがプロの厳しい洗礼に遭いメッタ打ち、エラーの連続、三振凡打の山、期待を裏切り続ける。監督やコーチと折合いが付かない。

自信過剰が不幸を呼ぶ。人の成功を妬みだす。一軍に入ってもすぐに二軍に落ち、ずっと上に上がれない。更に妬み心は荒む。又、自分では未だ未だ出来ると思っていても球団からはいらない、つまりは戦力外通告を受ける。まだやりたい、どこでもやりたい、二十代から三十代の選手。野球しかやってこなかった屈強な男たちだ。トライアウトシステムは各球団がテスト生のテストをするのである。成功する機会はほんの少数でしかない。

ああ、もっとちゃんとやっていれば、ああもっとうまくやっていればと思いつつマウンドに立ち、打席に入る、コーチたちの厳しい目が光る。テストが終わり後日結果を待つ。妻や子供と、ある者は一人で、ある者は恋人と二人で。首を長くして筋肉に隠れた胸をドキドキさせて。

万に一つの希望を持って携帯が鳴るのを待つのだ。ブルルルー、携帯が鳴った。直ぐ手にする。もしもし、ハイハイ、ハイ。目からうっすら涙が流れる、果たしてその結果は。

2010年1月14日木曜日

人間市場 深刻劇市篇

新国劇の主役は、島田正吾と辰巳柳太郎と特別法律で決まっていた。可愛い子分のお前達と別れ別れになる門出だ。万年池に・・・と続く名場面は国定忠治だ。

コチラの深刻劇の主役は毛髪である。毛髪が頭皮と別れ別れの門出となるとハゲである。生ハゲである。恐いお面を被った顔で子供を泣かす、なまはげの祭りとは違う。冗談を言っている場合ではない、冗談じゃないのである。

ある女性の統計によると、お見合いで一番ゴメンナサイをするのはハゲの人であるという。ハゲにもその人の数だけ個性がある。5円パゲからツルパゲまで、このハゲのハンデを埋めるのは巨万の富とか巨額の資産しかないのに、フェラーリやマセラッティを持っていてもハゲは嫌なの、とのたまう女性がいる。

何と残酷、何と無情ではないか。金も無力なのだ。


世界中でハゲになりたくてなった人は、国連の調べでも一人もいないという(?)。毛が一本、二本と抜ける度に父を憎み、遺伝子を憎み、一族の血を憎む。朝起きる、枕に毛が。頭を洗うのが恐い、でも仕方ない。洗った頭をタオルで拭く、タオルに毛が。鏡を見る、おでこが昨日より0.1ミリ広くなった。ヤバイ、明日0.2ミリ、明後日0.3ミリ・・・やばい、やばい。せっかく、好きな女性が出来たのに。

ハゲを意識するのは小学生から、早熟の子は物心付いた時からという。お父さん、パパ、ダディの頭を見て半分毛がない。隣のオジサンフサフサ。何で、どうして、やめて。きっと僕も、俺も、私も必ずハゲる、遺伝する。その恐怖におののく。

ハゲ=モテない、単純一時方程式である。小さな時から異常によく頭を洗う。シャンプーをバチャバチャかけ、ゴシゴシ洗う。高見盛が恐怖心を取り除く為に顔をバンバン叩く様に、頭をバシバシ叩く。顔にニキビが出る青春の頃は、もうハゲ恐怖シンドロームである。野球部に入ったのに、なるべく野球の帽子を被らないで先輩に怒られる。

中学、高校、大学、入社。一年留年下ので24歳である。次兄は28歳、長兄は31歳。父の頭の毛髪はチョンマゲを切った侍の様である。長兄はやたらに育毛剤を買ってくる。通販でも買っている。毎月の投資額は15000円位。次兄も又毎月投資をし額は13000円位だ。父はもう、育毛は諦めカツラのカタログを取り寄せている。

聞くところによるとシャンプーのし過ぎ、頭皮叩きすぎはかえって悪いのだという。チクショウ、シャンプーのコマーシャルめと思った時は手遅れになっている。人間の毛髪は、正しくは伸ばし放題にしておけば腰辺りまで伸び、自然に脱毛し、自然に育毛するのだという。基本的にはハゲになる構造になっていないという。抜けたら生えるのである。しかし、抜けても生えない。

日本語の仲で、一番人を傷付ける言葉はハゲではないだろうか。チビとかバカとかマヌケは、笑ってだから何だっつうのと反撃が出来る。頭に真っ黒な髪があるからだ。髪は勝負する為の強大な力なのだ。

それにしても、テレビのコマーシャルで人の弱みにつけ込んで色々なメーカーが心くすぐる様な事をやっている。あれも駄目だった。最近、櫛を入れるのが恐い、シャンプー恐い、頭ゴシゴシ恐い、タオルでふきふき恐い、鏡見るの恐い、家出るの恐い、歩くの恐い、電車の恐い、会社に入るの恐い、エスカレーターが恐い、女性の目が恐い。これじゃ引きこもり、対人恐怖症、出社拒否。

ハゲで良いじゃない、ファッションじゃない、上等じゃない、悔しけりゃハゲてごらんよ、文句あるの?無いでしょ。お、君いいハゲ方じゃない。おや、先輩ビシッとハゲ決まってますね。何だ久し振り、順調にハゲてるじゃない。や〜来た来た、絶妙バーコードが。相変わらず仕立て上がってるじゃないですか、一本一本勘定出来ますよ。キレイだな、ビューティフルですよ。

様々なハゲが集まって来た。この集いは、第一回脱毛・育毛を誇る会。又は、脱毛・育毛真剣比較討論会。又は、脱毛・育毛世界サミット等の名称を決める会である。一応、会長は毛沢山氏である。ちなみにハゲが原因で死んだ人は統計上いません(?)

2010年1月13日水曜日

人間市場 干し柿市篇



その人の名を神崎東吉という。

幻冬舎を定年となり同士たちと無双舎という出版社を立ち上げた。近頃出会った人では出色の人である。

すこぶる柔和、すこぶる鋭い、すこぶる官能的、すこぶる気配り、なにしろすこぶるだらけの人なのです。

父君は直木賞作家。その血を色濃く受け継いでいます。一度私が書いた小説の原稿を読んでもらったら、真っ赤に直され血だらけとなりました。原型をとどめないものとなりました。私の原稿をあそこまで真っ赤にしてくれた人は後にも先にも神崎東吉さんです。あそこまで直されると何かとっても気持ちがいい気分です。ジムでたっぷり汗をかいて体に溜まった毒素が毛穴から出た後の爽快感です。

よく小説家は編集者が育てるといいます。新人の作家などは突っ返された、見る影もなくなった自分の原稿を見て自信喪失、インポ、生理不順、ヤケ酒、カラミ酒となってしまいます。この原稿ボツ、これもボツ、これもボツとなるのです。編集長がオイ、ボツボツいいの見つけろなんて怒鳴るのです。

神崎東吉さんは薄い髪で小太りです。一見優しいのですが目が魔の様に鋭いのです。今三冊の本を一緒に進めています。山梨県に縁があり先日「枯露柿」という干し柿を送ってくれました。これが何と美味しい事か、例えは悪いが豊満な女性の密かな部分の様。たっぷり肉厚、深い割れ目。決して甘過ぎず気品あふれ一口歯を入れれば粘りが強く抵抗する。元華族かなんかの家柄のいい少し年を召した女性。服の下の体はグラマラス、下腹部には少し肉が付き甘味を帯びた香りを放つ、ルノワールの裸婦の一部分が干し柿になった様なのである。高貴なる淫靡とでも表現しておく。

市田柿とは一線を画す。一度ぜひ食して欲しい逸品である。

この間久しぶりに中学時代のクラス会があってさ、二十人位集まったよ。

あいつ憶えてる?みんなで追っかけたあのクラス一番の美人、すんげえ変わっちまっていてさ驚いたよ。すっかり痩せてやつれてさ、そうまるで鄙びた干し柿みたいだったよ。人間あそこまで変わるかな、当たり前だよ。三十年も経っているんだから。そうだよな、月日は残酷だよな。

顔なんか厚化粧で白い粉が浮いていてさ、目尻なんか下がってたるんでんだよ。

判った判ったもう止めろ、酒が不味くなる。だから俺は行かないんだ、人生長くやっていれば色々あってしんどい、辛い思いが顔に出るんだ、お前だって見られたもんじゃないぜ。すっかり鄙びた干し柿みたいだぜ、ぺったり長い顔に縦皺だらけさ。よせやい、干し柿だなんて。昔読んだ古典にこんなのがあった。

絶世の美女に恋をした男がいた。その美女は不幸にも死んでしまう。男は悶々とした日々を過ごす。そしてある日美女の墓に行く。どうしてももう一度あの美しい顔を見たい、そう思い一心不乱に墓を掘るそして美女を見つける。しかし美女はすでに白骨となっている。男はその白い骨を集め箱に入れ持ち去る。

それから数年後あるお寺で修行を重ねる一人の僧侶がいた。その僧侶は骨を持ち去った男であった。自らの一生を美女の為に供養する事を決めたのだ。

美女と男は一度も言葉も交わした事のない間柄であった。

2010年1月12日火曜日

人間市場 鰆市篇

不器用な私が魚を釣って来た時、1500円を払うと三枚に、刺身に、切り身におろしてくれた魚屋さん夫婦が店を閉めた。20年余、ソーセージといえばこの店の物しか家の者は食べない肉屋さんが消えた。おでん大好き家族の支持するおでん種の店が消えた。おめでたい時に欠かせない、美味しいお赤飯を作ってくれる和菓子店が消えた。何かにつけ駆けつけて来てくれた電気屋さんが消えた。若い夫婦がやっとの思いで作ったという小さなパン屋さんがあっという間に消えた。高原野菜が絶品だった八百屋さんが消えた。メンチコロッケが抜群だったお総菜屋さんが消えた。喫茶店を改良してカレーライスだけを売って大好評だったカレー屋さんが消えた。

「長い間のご愛顧ありがとうございました。当店は○月×日に閉店させていただきます。」

この文を書いている主人、それを見ている奥さん、家族、そしてそれを貼るセロテープ、ガムテープ、画鋲も辛い。出来る事ならもう少し頑張ろう。でも、このままじゃどうしようもないじゃない。でもお父さん、借金膨らむばかりだよ、と息子。ん、でもな。時代の流れよ、しょうがないじゃない、と娘。でもな、俺に他に何が出来るんだよ。もういいじゃない、毎日毎日こんな事話してたら病気になっちゃうわ、と娘。駅前に大きなスーパー出来たし、もう駄目なんだよお父さん。後4年で年金が少しでも入るし、でもな、たかが知れてる額なんだぜ、なあ母さん。せっかくの仕入れた物、作った物捨てるのは死ぬ程辛いからね。

長い、暗い、辛い、切ない会話が続いていた筈である(想像です)。人は何が辛いかって、自分が丹精込めて使ってきた物を捨てる時程辛い事はないと思う。生涯かけて店に並べてきた物を捨てる時程辛い事はないと思う。昨今はコンビニ大手が大手メーカーに対し、こんなもん売れませんよとか、こんな品、こんな味、こんなパッケージ置けませんよとか、生々しいシーンがテレビで流れる。その昔酒屋さんだった所が一番コンビニに変わっている。24時間夫婦で経営、アルバイトの人間に売り上げを取られない様、商品を万引きされない様、売り場の裏のビデオモニターを見続ける。コンビニの本部からお姑さんみたいにあれこれ注意される。あ〜あ、もうやってられないと近所のコンビニも消えた。ブックオフという得体の知れない本屋になった。本屋で万引きされた本がここに集まるという。

消えた人達によくやって来たじゃない、消えた方がきっと幸せですよと声をかけたい。頑張って来た人には、きっと良い事がある。ほら、息子さんの就職もちゃんと決まったし、娘さんも大学に自力で入った。嫁に出した娘さんに赤ちゃんが出来た。幸せじゃないですか。私の大好きな魚に鰆がある。みんなにきっと春が来る。活きのいい春が来る。

2010年1月11日月曜日

人間市場 馬と鹿市篇

世に「犬死」はしたくないとか、あれは犬死だという言葉がある。
しかし猫死だとか、鳥死だとか、魚死だとかは聞いた事がない。
しいて挙げると豚死という言葉がある。犬死は美学が見えるが豚死は馬鹿に見える。この馬鹿にしているという言葉も、何故馬と鹿を選んだのか説明してくれた先生や博学の徒もいない。馬の後を鹿が追いかけたという説が幅を効かせている。

拙者、殿への忠心ため腹を切る。待て、早まるな。今お主が腹を切れば相手の思うつぼ、犬死に。これが、待て、早まるな。今腹を切ればお主は豚死だ、となると甚だ緊張感に欠ける。犬は忠心の証しであったのだろう。

犬千代はいても、猫千代、豚千代、鳥千代はいない。猫といえば鍋島藩の猫騒動、猫屋敷、化け猫、猫なで声。不義、不忠、裏切りの証しである。あいつは猫みたいに良い奴だとは言わない。

愛犬家というと海辺を散歩する姿は何かいい感じに見えるが、愛猫家というと少し恐い。犬は化けて出ないが猫は化けて出る。よく犬は人になつき、猫は家になつくという。人間を単純に犬科か猫科で分類すると付き合い方も上手くいく。

ああこの人は猫なで声だな、腹の中できっと舌をベロッと出してるなと判る。犬科の人は正義感が強いが、敵に吠えるその口で味方にも噛みつき困らせるのがいる。忠犬でも悪い例えで言われる事がある。曰く、あいつはまるであの人の飼い犬だ。お手もするし何でも尻尾を振って付いて行く。やだねぇああいうの、ああまでして出世したいかね。こんな風である。逆もある。あいつは偉いね、落ちぶれたけど最後まで恩人に付いて行って自分の人生を犠牲にした、忠犬物語だなとかである。一度自分の回りの人を犬科か猫科に分類してみるといいかもしれない。いや、下らんことかもしれない。


さて、馬鹿は何故馬と鹿か。いずれも悠々たる生き物である。名馬の誉れは数多い、馬は武士の魂であった。鹿といえば優美この上なく都には欠かせぬ生き物である。その角は気高く、誇りに満ちている。馬が武の象徴なら、鹿は雅の象徴である。白馬、白鹿、見事である。それが馬鹿と書かれると途端に切なくも悲しく、淋しいものになってしまう。それに怒ると馬鹿野郎である。こうなるともう、武の象徴、雅の象徴でもない。いつ、いかなる時にいかなる理由で馬鹿という言葉が生まれたか歴史の大きな謎である。博学の友に聞く事としてここは終わる。


あっ、猫が又魚を持って行った。
「コラァー」
あっ、犬が買ったばかりのソファーに又穴を開けた。
「馬鹿め、何してんだ。あ〜あ」
「猫だって犬だっってストレス溜まってんのよ、しょうがないじゃない、絶対ぶったりしないでよ」
愚妻が言った。
「猫は恐いわよ、ず〜っと恨まれるからね。犬だって昔は狼だったんだからガバッと噛むわよ」
お〜よしよし、猫なで声を出し、お〜よしよし、猫を手なづけるのであった。猫は転勤になった義姉の家に仮住まいしている時、義姉が帰ってくるまでお願いねと置いていっていたのだ。お互いに腹の擦り合いが長く続いた。馬鹿という生き物にはまだ会った事はない。何処のペットショップにも売っていない。何か一番仲良くなれそうな気がする。