除夜の鐘を聞きながら年末に切り抜いていた新聞記事をノートに貼り終えた。
面倒な事が大嫌いな私が唯一自分の意思で行って来た事である。ある二つの数字が頭に浮かんだ。
108の人間の煩悩と102人(2010年1月5日現在)の死を待つ命。煩悩を凶行という行為で表し、死刑の判決を受け確定囚となりいつお呼びが来るか判らない死刑囚の年を越した命の数である。内閣改造があると誰が法務大臣になるか死刑囚はいち早く情報を手に入れる。
ハトかタカかで一喜一憂する。人を殺した人間程自分の命に執着するという。
12時を過ぎた。新年早々一本の映画を見る事にする。J.comで「天国の駅」を選ぶ。女死刑囚の話だ。
栃木県塩原で起きた日本閣殺人事件をモデルにした映画だ(映画の中では大和閣)。出目昌伸監督、主演吉永小百合だ。今から30年前吉永小百合が最も美しい頃であった。二度結婚して二度とも亭主を殺す。毒婦の役に挑んだ。サユリスト達は吉永小百合の自慰に耽る長回しのシーンに気を失ったという?確かこの年のナンバーワンになりあらゆる映画賞を獲ったはずだ。
この映画をプロデュースしていたのが当時吉永小百合と恋仲にあったという岡田裕介であった、愛する人の為には何としても映画をヒットさせたい。その為には全てをさらけ出し必死に体当たりする吉永小百合の凄さがこの映画にある。一人の男への愛が全てのサユリストたちを奈落の底に落とした記念すべき映画であった。
上映時、吉永小百合を襲う三浦友和、津川雅彦に対しサユリストから、友和何すんだ!津川やめろ、ナニスンダァーなんて声が飛び交ったという記録はない。
愛は名作を生む。最初の夫傷痍軍人、中村嘉葎雄、警官、三浦友和、二番面の夫大和閣主人、津川雅彦、女に恋をするボイラーマン知恵遅れ西田敏行(一緒に死刑になる)、気が狂った大和閣の女主人、白石加代子。全て絶品の演技であった。出目昌伸の演出は完璧に近いものだ。
新しき年はいよいよ官能小説に挑戦しようかと思う。
映画を見終わり時計は三時半、日の出まで庄野潤三を少し読む。クールダウンには持って来いの小説家だ。静かな文章の中に凄い一節があった。
「今、俺の隣に寝ている女、十五年前にただ偶然知り合っただけの女だ。それが昨日も今日もひょっとして明日もこうやって俺の隣で寝ているだろう」
これ程結婚というものを冷静に書いた一節はない。全ては偶然なのだ。結婚は偶然の産物なのだ。偶然と官能が掛け算し、飽きる事がなければそれは続くのだ。
日本閣殺人事件の犯人は処刑される前に刑務官にこう言ったと伝えられている。
「死刑にはしないでね」とか「私、綺麗ですか」と。
何とも官能的な言葉ではありませんか。
1970年6月11日小林カウ(61)女性で戦後初の死刑執行だった。
お正月に見た日本映画、
「陸軍」木下恵介監督、昭和9年作。陸軍省が協力した戦争賢美の作。もの凄い兵隊の量。
「叛乱」佐分利信監督。2.26事件はこの映画が決定版。
「明治天皇と日露大戦争」渡辺邦男監督。NHKの「坂の上の雲」なんかこの映画と比べたらおもちゃみたいなもの。CGも全くない時代に作った最高傑作。
「近藤勇 池田屋騒動」嵐寛寿郎の近藤勇が絶品であった。芹澤鴨の訳進藤英太郎が中々よい。
「破れ太鼓」木下恵介監督。坂東妻三郎の土方から成り上がったカミナリ親父が何ともいい風刺劇。
「柳生武芸帳」近衛十四郎の刀さばきはうまい。
「人間魚雷回天」松林宗恵監督。木村功、岡田英次、宇津井健、みんなアルカイダ、ジハードであった。戦争は馬鹿げている。
「雲ながるる果てに」特攻隊の若者の出陣前夜、木村功、鶴田浩二が散りゆく若者の苦悩を切々と演じている。
と、終戦以前の物ばかり見まくりました。
今の日本映画のヒット作品はほとんどマンガが原作。即ち小説家や脚本家がマンガ作家の発想力、展開力、何より情報力に劣っている為だ。徹底的に昔の作品を観まくる、そこにこれからの映画作りの原点がある。日活ロマンポルノが甦るという記事があった。いい事ではないか。今をときめく映画監督の多くはロマンポルノ出身なのだから。
CGを見飽きた人々は必ずアナログに帰って来る。人間ドラマに芸術作品に帰ってくる。
1 件のコメント:
最後の文章がすべてを物語っていますよね。デジタルだらけのこの時代、アナログがいかに大事か、いかに失われているかを気付かされることが何かにつけ多いです。
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