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2010年5月19日水曜日

人間市場 嘘市

嘘はドロボーの始まりと子供の頃より厳しく言われました。
嘘ついたら針千本飲ますとも言われました。敬愛する開高健先生は友人と釣りの話をする時は物差しを持つべからずとおっしゃっています。つまり逃げた魚は大きく話すものだという事でしょうか。

先日、沖縄で九万人大会がありました。
そもそも三万人位しか入れない場所といいます。ある大手警備会社が空中撮影で細密にカウントしたところ二万人にも満たない数字が出ました。昔から主催者発表と警察発表はヒト桁くらい違うものなのです。主催者は車に乗っている人たちもきっと会場に向かっていただろうと推察してカウントしていたというのです。
お祭りに参加している人もお祭りが終わったらきっと会場に向かっただろうとカウントした結果なのです。大嘘付きのマスコミです。

今や大新聞は嘘付き会社になりました。
牛肉を焼いたらステーキになる、豚肉を焼いたらソテー又はヤキトン、焼き豚になる。
中華料理で子豚の丸焼きを見た事があるが、牛の丸焼き、豚の丸焼きそれも9万頭以上となると想像がつかない。「口蹄疫」の影響からだ。その中にエリート種牛という素晴らしい精液を出す牛が数頭いるらしい。この牛さえいれば数年後に又いい牛をつくれる。

豚が言った、トンでもねえめにあったぜと豚死。牛が言った、モーレツに熱いもう駄目だと牛死。いずれ本当の正確な数字が出る。

沖縄の代表や徳之島の代表者たちが実は何年も前から米軍基地の下打合わせをしていたという。みんなしらばっくれて嘘ばかり言い、少しでもいい条件を取り付けようとする。
全ては日本国中の問題である事を国民が理解すればきっといい方向に行く。かつて内閣官房費をたっぷり貰っていた、三宅久之や俵孝太郎や中村慶一郎たち政治評論家や大マスコミの論説委員や解説委員も同じ穴のムジナだ。
雑誌社の方があまり貰っていないだけ、正しい記事を書いている。検察も警察も大マスコミも嘘の三角形を形成している恐い国だ。いつ自分も何かの犯人にされてしまうかもしれない。

アナタこれ何んなのと携帯とか、メールをチェックされる可愛い若い女性の声。ピチピチとした若い裸体がベッドでVサインをしている。違う違う、何で人のものを勝手に見ているんだと怒る若い教師、写っているのは何人かの教え子だ。
サイテー、サイアク、エロキチ、ヘンタイ等あらん限りの罵声を浴びる。将来写真家になりたいって言うから撮影の仕方を教えていたんだよ、僕は写真部をやっているのだからなんて次から次に嘘を連発する。

若妻は校長と教頭にそれを見せると意外にも冷静。
マアマア奥さんそんなに怒らないでください。これはちょっと行き過ぎちゃったけど学科の中の一つなんですよ。それ以外のコトは何もありませんからご心配なく。冗談じゃないですよ、こんな事教師が生徒にしたら変態行為です。私は離婚します。教育委員会と警察に言いますからね。一体全体この学校は何をやっているのか判っているのですか、グワアーと泣き、恥ずかしい、もう生きて行けない、子供に何と言っていいか判らない。ご近所に顔を合わせられない、死にます絶対、ウアーと泣き崩れる。

奥さん暫く私たちに時間を下さい、責任を持って秘密を守りますから。ご主人にいつも通り学校に出てもらって下さい。何事もなかった様に、奥さん冷静に、何事もなかったんですから。ちょっとした行き過ぎだけなんですから。

その日の夜、ある住宅から火が出た。道が狭く消防車が入れない。消火作業が遅れて全焼してしまった。中から二つの焼死体が出た。その後色んな噂が飛び交った。写っていた女の子は50人とか100人とか、校長も教頭も楽しんでいたとか、警察に密告のファックスや名無しの手紙が何通も来た。しかし警察は全く無関心であった。消防署の報告書は天ぷら油からの出火であったと提出された。何もかも嘘ばかりである、事実は逃げ延びた一匹の猫が知っていた。
人間はあまりに恐いと猫は隣の家の猫に語った。

2010年5月18日火曜日

人間市場 料理市


前菜。
うるい赤貝、長芋黄味焼、稚鮎、あやめ茶巾、姫鮑、他一種。
椀。
鰻葛打ち、白梅肉、青汁仕立て、葱。
造り。
本まぐろ、かつお、針魚、甘海老、平目、うに。
煮物。
鯛の子、松前巻、筍、里芋、南瓜、菜の花。
焼き物。
和牛(松阪牛)角網焼き、特選わさび。
口替り。
南紅梅密煮、かち割氷。
揚げ物。
揚げ出し天ぷら、天出し、活海老、魚二種、旬野菜、酢物、鯉の洗い、辛し酢味噌。
御食事。
五貫握り寿司、新生姜、浅利味噌汁。
水草子。
静岡県産マスクメロン。
甘味。
かしわ餅、杏。以上。

過日山の上ホテルで行われた池波正太郎没後二十年の偲ぶ会のメニュー一覧である。
五十人だけ厳選されたという。主催者は未亡人である池波豊子さんであった。私はその五十人の中の一人から教わったのである。

池波正太郎といえば山の上ホテル
特に朝食と天ぷらはお気に入りだったそうだ。
銀座近藤、赤坂楽亭、京橋深町。天ぷらの名店は山の上ホテル出身者が多い。

文士にとって山の上ホテルは自宅の様な処なのだ。実に品のいいホテルで私の様な柄の悪いアロハな男には縁遠い。それにしても凄いメニューだ。懐石だろうからみんなちょっとずつなのだろうと思うが料理人の見事さが目に浮かぶ。
食の鬼が選んだ場所なのだから誰一人として文句はなしであったであろう。
食の鬼は十年、二十年先に何を食べるかを考えていたともいう。食は男を磨き、人間を鍛え、人生の魂だと書かれていた。男と女の色事と食が書ける様になれば物書きとして一人前だといわれた。 

食卓の乱れが家庭不和、家族の断絶とも言う人がいる。コンビニ弁当、ほっかほっか亭、冷凍食品、盛り付けに気を遣わない儚い食事、イワシ一本だってチョット気の利いたお皿に載せればイイ食事になる。コロッケ一個だって同じだ。

美意識のない食事に人は集まらない。亭主は家に帰らない。子供達は外食を好む事になる。
一度ある家に行って食事を出された。なんとお刺身も煮物も焼き魚もスーパーで買って来たそのままの状態で出て来た。パックの中の鯖の味噌煮が酷く悲しく見えた。パックの中の筑前煮が冷たかった。パックの中のマグロがルイベの様になっていた。まさかご飯はサトウのご飯ではと思ったが冷凍焼きおにぎりだった。チンして出してくれた。

ああこの二人は長く続かないなと思ったが、やはり予想通り八ヶ月で離婚してしまった。
京都の大きな質屋の娘でありノートルダム出身のお嬢様だった。

二泊の予定、次の日の夜は京都の祇園でスキ焼きをご馳走した。ウチこんな美味しい物初めて食べたと、もりもり食べていた。「とーはんえろう食べはんな」と嫌みたらしく言ったが全く通じなかった。ウチのとーさん、かーさんはえらいケチやねんと言ってお肉の追加をした。凄い高かった。

これから結婚を考えている若者に一つ教えたい。
一度思い焦がれる女性にお弁当を作ってもらうといい。お弁当にはその女性のセンスと育ちが全て現れる。どこから箸を付けていいか判らない様なお弁当であればまず問題ない。当然その場合、その前の日の夜のご飯の残り物であれば最高の女性だ。例え梅干し一個とお新香だけでもセンスが判るものだ。ハートのマークやケチャップで文字など書いてあったりしたら(?)印だ。

世の中に美男美女のカップルというのは本当に少ない。なんであんないい男に、なんであんないい女性にというのがほとんどだ。見てくれだけではずっと一緒にはいられないからだ。それにはなるべく安くてもいい店に連れて行かねばならない。目で憶えさせるのだ。あの服、あの靴、あの鞄、あのアクセサリー、あの化粧品などと言っている相手を選ぶと一生苦労する事間違いなしだ。風邪を引いて休んだ時、おかゆをどう出してくれるかでその女性の価値が判るものだ。仮病でいいから試してごらん。おかゆ、梅干し、塩、お箸、これだけをどう出すかだ。

五分に一組結婚し、五分に一組離婚する。その訳がよく判る。


2010年5月17日月曜日

人間市場 歌舞伎座周辺市



歌舞伎座が遂に終わった。
今は壊されるのをじっと待つ廃屋の親方みたいな姿である。この際にと天津甘栗の屋台の店が店閉まいした。何度も買って食べた。隣のお弁当屋さん「暫」という歌舞伎の演目の名から付けた名店のカレーライスともお別れだ。隣の文明堂でよく珈琲を飲むが何となく店内に元気がない。通り向いの「辨松」というお弁当屋は歌舞伎を観る時よく買った弁当の名品店だ。

あの店もあの店も、あの親父もあのおばちゃんも、みんなしばし元気がない事となる。
「なかむら」という美味しいとんかつ屋がある。入ると黒板があり、団十郎様50とか海老蔵様50とか菊之助様50とか白墨で書いてある。それは何かというとカツサンドの数、楽屋に届ける手筈になっている。公演中はとんでもない数のカツサンドを作っては届けるのだ。カウンターだけ15人位しか入れない店だがとにかく安くて旨い店だ。
その店でとんかつを食べて一幕物の歌舞伎を観るのが好きだ。

知らざあいって聞かせやしょうバンバババンダァーンなんて見栄を切ると、ヨオ、成田屋なんて掛け声がかかる。私はヨオ!カツサンド!なんて声を出しそうになる。

これからは新橋演舞場に移る。
入り口の左斜め前があの有名な料亭「金田中」、ここは高い。おすすめは「金田中」の左斜め前の「くーた」。先日行った時に、隣で四人の女性がお刺身を食べながら大声出して笑い合っていた。一人どこかで見た顔だなと思っていたらすっぴんの松たか子さん(?)だった。

ここは相当に旨い魚の店だ。博多から出店して来た。
旨くて値段がリーズナブルであり、店の応対が凄く気持ちよくて爽やかと、来れば口から口へ評判が広がり今や予約しないと中々入れない店になった。この店を紹介してくれた会社の社長でもちゃんと予約して行ってる。

でもなんだか嬉しい。若い料理人が志を高く持って勝負に出て来てその成果を出している。やっぱり店は評判だ。路地裏の目立たない場所、この頃は成田屋、高麗屋、中村屋などの歌舞伎役者が芝居を終え一杯飲みに寄る。弁天小僧や白浪五人男や弁慶や石川五右衛門や義経たちがジーンズにシャツ一枚でタコやらイカやらアジやら黒サバ(これが抜群)をつまみにワイワイガヤガヤだ。お魚好きの方には是非おすすめだ。

歌舞伎座改修でも一大事なのだから、築地市場を移転する等というとんでもない事は止めて欲しいと思う。市場通りの交差点の角々にあったマグロ寿司だけを食べさせくれた店が今はローソンになっている。それだけでもすっかり風景が変わってしまった。文化は宝である。築地文化は永遠の文化遺産だ。優れた建築家達なら苦もなくいい改修のアイデアを出してくれる筈だ。

「井上」という立ち食いラーメン屋さんがある。行列が出来るが一定のリズムで回転して行く。ここが又、旨い。歌舞伎座一門もここに来て立ちながらラーメンを食べる。人間国宝だって行列に並ぶのだ。チャーシュウの数もメンマの量も平等だ。

おっ、あの立ち食い寿司屋で海老様が海老を食べている、隣の美人は誰だ。そんな光景がアチコチで見られる。私は旅に行くと漁港に行くのが大好きだ。取れたての魚で一杯飲む程旨い話はない。農家に行って採れたての山菜などを食べながら一杯飲むのもいいが、何か勇ましさとか、勢いとか、気合いとかが違う。
えらっしゃいとかハイヨオーとか、チットマッテくれとか日本語が弾けてるからだろう。

そうだ、この頃この国に掛けているのは日本語の弾けだ。
ウソつき、いい訳、サギ、バックレ、シカト、クスブリばっかり。てやんでこのやろう、こうなりゃ矢でも鉄砲でも持って来いってんだ、オイ家の中に引き籠もっているアンチャン、そんなところ潜ってネエでおてんとう様の下に出て来いってんだ。ウジウジしたって始まんないってんだヨオ。

会社行くたくネエなんてゼイタク言ってんじゃネエってんの。
仕事場がありゃ上等だってんだ。会社が嫌なら一人で勝負しろってんだよ。何お客さんが減ったって、だったらどんどん営業しろってんだよ、ベラボーめ。
こんな調子で行くべしだ。

2010年5月14日金曜日

人間市場 蒲焼き市


暦の上で立夏を過ぎた。月日の経つのは早いものである。

夏となればなんと言っても大好物の鰻の季節である。
万葉集に大伴家持(おおとものやかもち)の一首として「石麻呂に我れ物申す 夏痩せに良しといふものぞ 武奈伎(むなぎ)捕り食せ」というのがある。石麻呂があまりに痩せているので、鰻でも食えやと家持が冷やかしたとのこと。この頃既に鰻は滋養強壮の素であった。
「武奈伎」とか胸が黄色いから「胸黄」とか家屋の棟木に似て丸くて細長いから「棟木」と言われたりしていたらしい。近畿地方では「マムシ」なんて恐い言い方もあるとか。

江戸の学者、平賀源内が商売が元気のない時、土用の丑の日をつくり鰻を焼き団扇でバタバタやらしたら、江戸は鰻のいい焼きの香りと煙でいっぱいとなり一大ブームとなったとか。
何とかの日というのが近頃たくさんあるがその原形であるといえる商売繁盛はアイデアだ。鰻といえば何といっても蒲焼きが一番だ。

関東は背開きをする、腹開きは切腹を連想するので止めたのだろうという説がある。
関西では腹開きにし蒸さずに焼く。地方によって様々だが鰻はやっぱり江戸の味だ。鰻に縦に串を打ち、屋台などで焼いていた形が「蒲の穂」に似ているから「蒲焼き」と名が付いたともいう。


その発祥の地が埼玉県浦和市だという。浦和駅前には「浦和うなこちゃん」の石像まであるらしい。この辺りは川や沼地が多く、沢山取れたのだ。今でも浦和周辺には30軒ほどの蒲焼き店があり、さいたま市の伝統産業に指定されている。

鰻を食べる決まりは一時間じっと待つ。お酒をチビリチビリ、お新香をコリコリ、これだけ耳で団扇のバタバタする音を聞き、目で立ち上る白い煙を楽しみ、鼻でいよいよタレが染み込んだ蒲焼きの香りを、生唾を飲み込みながらじっと待つ。間違っても遅いな早くしろなんて言ったら帰って下さいと言われる。あー腹の虫が鳴いて来た。そこまでじっと待つのが掟なのだ。

鰻と掟で一つ恐い話を思い出した。ある恐い筋の人たちの会話だ。
あの野郎山に埋めるか、東京湾に沈めるかどっちかにしようと思ったが、鰻とハマチのエサにしたやった。身体をブツ切りにしてミンチにして養殖場に投げ込むともの凄い勢いで鰻とかハマチが群がり、あっという間に食べ尽くされるらしい。
コレが絶対の処理の方法だなんて鰻重の特上を食べながら話している。キモ焼き、うざく、キモ吸いを旨そうに食べながら、やっぱこの季節は鰻だな、身体が何となく盛り上がって来る感じがするもんな、なんて話している。

一人の男、あっ痛え何だこの固まりは、オイ何だと思うこの金色の固まりは。
もう一人の男の男が言う、金歯のかけらじゃネエか。
えっまさか冗談だろ、だってヨォ鰻が人を食ってりゃ金歯のかけらが入っていたっておかしかネェだろうが。ヤメロって気持ち悪い。
オイ親父この鰻は何処の鰻だ、天然か養殖か。お客さん今頃天然物なんて2%しかありません、98%は養殖です。ウチの鰻は鹿児島県のものです。えっ、鹿児島県・・・オイまさかあの野郎、確か金歯が何本もあったな・・・。

冗談です、カバヤキにちなんだバカヤキな話です。でもひょっとして本当かも。


2010年5月13日木曜日

人間市場 ヒモ市


人間は酸素と愛が無いと生きていけない。
クルマはガソリンか電気が無いと走っていけない。
懐中電灯は乾電池が無いと灯りが点かない。
蒸気船は真水と薪がないと動かない。

幕末、ペリーの艦隊は何故日本に来たか。
それはヨーロッパの大国、英国やフランス、スペインがアジアに進出、中国を手に入れようとしていたからだ。
このままじゃマズイと思ったので艦隊の補給基地が必要となった。真水と薪が必要であったのだ。蒸気船だったから、そこで日本に目をつけ開国を迫ったのが日米関係の始まりであった。

日本は水の国であり、木の国であった。その後歴史がどう動いて日本がアメリカの舎弟分になったかは誰もが知っている。

敗戦国となり、占領政策がとられ未だに占領国扱いである。
現在日本国中134カ所に米軍基地はあり、沖縄だけでも37カ所ある。それに思いやり予算もタップリだ。
普天間基地が危ないというが他の基地は危なくないのかは全く論じない。私の家の上を厚木基地へジェット機が何機も飛来する。もの凄い騒音で話し声も聞こえない。私の家に墜落しないという決まりはない。日本中の基地は危ないのだ。

誰一人正しい普天間問題の分析をしていない中で一人だけ正確な話をしている人がいた。小泉純一郎の元秘書であった飯島勲氏のみが踏み込んだ話をしていた。
それはいわゆる安保マフィアと利権の問題が決してクリア出来ないという本質的な内容だった。野中広務元官房長官も沖縄はあらゆる利権の巣窟だと言っていた。

海兵隊の意味も判らないコメンテーターやお笑い芸人やニュースキャスターがギャーギャー騒ぐ。お前達沖縄の為に何か一つ位ためになる事をやっているのかと言いたい。ノリピーの時と同じだ。一日中ノリピーだらけであった。沢尻エリカがキモイから別れるなんて言うとエリカ一色となり高城ミジメ一色となる。湘南のイベントで高城剛氏の話を聞いたが実に頭のキレる論理的な人間であり、地球のエコに対して正しい認識を持っていた。(ただクスリを相当入れている(?))男と女は昨日までベットの中で愛を語っても、たったひと言とかちょっとした事でバラバラと音を立てて崩れる様な関係だ。

特にお金が絡むと千円、五千円でも争いの種になる。ヒモみたいな男は大嫌いとなる。金の切れ目が縁の切れ目という。(芸能人は見栄と虚飾の世界、お金がかかる人種なのだ)
気持ちイイと言った後に気持ち悪いと変化する。その潮目は突然に来る。
アメリカは日本のヒモみたいな存在である。沖縄の不幸は立地条件が戦争状態になった時に一番動きやすい場所にあるからだ。

戦争産業国アメリカが戦争をしている時は沖縄にジャブジャブ金が落ちた。
しかし観光以外ゴーヤとアグーしかない沖縄は基地の人間から金が落ちないと潮が引いた浜辺の様になってしまう。中身の無い貝殻だらけだ。海兵隊が起こしたいろんな不祥事や犯罪で外出は制限された。

沖縄は平均年収二百万弱という、日本の中でも最貧県の一つになってしまった。

戦争の犠牲になった県にキャンプシュワブという名を付ける。シュワブとは沖縄上陸戦で日本人をバタバタ殺した英雄の名なのだ。なんと無神経な事なのだ。本来ならアメリカは沖縄に対したっぷりお金を支払い続けないといけないのだ。鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をしてまるで無知な言葉を発しシラッとして意味不明な言葉を出し続ける。もうマンガを通り越している。

正直に沖縄には巨大な闇の勢力と利権の構造がアメリカを軸に複雑に深く絡みあっていて私ごとき人間にはとてもとても解決なんて出来ません。この問題は全党一致、挙国一致して取り組みたいので是非各党力を貸して下さい。
安保条約は日本全体の問題なのでと、言えばいいのだ。

沖縄の問題は日本全体の問題なのです。まず沖縄の人々の平均年収が三百万から四百万にするにはどうしたらいいかを考えねばならない。カジノ特区でもいいだろう。又、特別無税とか特別迷感代を支払うとか、何しろ沖縄の37カ所は基地なのだから。

一度ひめゆりの塔へ行ってあの洞窟の中でどんな悲劇があったのかを日本人全員が見るべきなのです。(アメリカ人も)唯一の地上戦があった戦地なのですから。(硫黄島以外)
宮里藍、諸見里しのぶ、仲間由紀恵、安室奈美恵、山田優、黒木メイサ、国仲涼子、上原多香子。次々とスターが生まれる。才能の宝庫でもあるのです。
青い海も、サンゴ、ジュゴンも守らねばならないが先ず沖縄の民を守らねばこの問題は解決する訳がない。

沖縄の人から軽くて安くて利を生まない人間と言われた総理大臣には自腹を切るしかない。先ず鳩山家の財産全てを沖縄に寄付するべしだ。
勿論、弟邦夫の分も丸裸になって誠意を見せる事だ。

巨大な闇と戦うには正しい筋道を通すしかない。

コラッ、そこの男、別れる女性にケチケチしたら駄目。全部持ってけ。それ位の器量が無ければいけません。何、財布の中身は空っぽだって?それなら体で返せ、どうやってだって、よく考える事だ相手の女性にとっての真水と薪は何かを考える事だ。

2010年5月12日水曜日

人間市場 会見市


それはまるでお通夜かお葬式の様。
又は特攻隊に行くメンバーを発表する様な記者会見だった。

サッカーのワールドカップの出場メンバーを発表する岡田監督。どうして日本人はスピーチが下手なのだろうか。それに比べて谷亮子は堂々として清々しかった。是非スポーツ省を作って欲しいものだ。

野球といえば長嶋と王、相撲といえば栃若と柏鵬、レスリングといえば力道山、ボクシングといえばファイティング原田で、サッカーといえば三浦知良だろう。

12年前、何故ワールドカップに三浦知良は行けなかったのか。何故今回全然試合に出ていない川口を代表に選んだのか判らないのが岡田監督だ。中学を出てブラジルに渡り本場のサッカーを体験して日本に帰りサッカー時代のパイオニアとなった。
四十を超えてもひたすらサッカーに身を捧げ身体をイジメ抜いている。未だにサッカー少年なのだ。

岡田監督は言った、日本は蝿の様なサッカーをして来ますと。
蝿の様にしつこく付きまとうサッカーなんだと。パパラッチの事を蝿と言うが、何て不細工なコメントなのだとガックリ来た人は多いだろう。
スポーツをただ勝てばいいと思っているのが日本のスポーツ界だ。死ぬ気でやれとか、命懸けだとか、根性だとかまるで非科学的な世界なのだ。

大リーグでは投手によって球数を決めているが日本は肩も壊れようと150球も200球近くも投げさせる。外国の監督の仕事は勝つ事よりもいかに選手の寿命を保つかにその腕前がかかっている。選手一人一人の個性を活かすのが仕事だ。あいつは好きだとか、あいつは嫌いだとか、あいつとは性が合わないとかの理由で選手を起用する事はほとんどない。

あのイチローはチームの中で浮き上がり嫌われ者のNo.1だ。自分の成績ばかり追い、どんなボールでもヒッティングする。大リーグでは一、二番は出塁率が大事だが、イチローは四球が少なくブーイングされる。他のチームもそれを知っているからトレードを申し込まない。自分だけ超高級ホテルから球場に通う。日本では上司にしたい人No.1なんて言われているのが不思議でならない。それでも外国の監督は起用し続ける。高いギャラを支払っているのだから働けという事なのだ。

で、三浦知良はなんで岡田監督に嫌われたのか、それはきっと華があり過ぎた事、オーラが凄過ぎた事による岡田監督のひがみとコンプレックスだろう。チームワークを乱すからという理由ならそれは自ら監督としての器量がないというのに等しい事だ。
人間なんだからいろんな個性がある、それを束ねるのが監督だ。この国のリーダーはあまりに保守的過ぎる。私の大好きな超出っ歯のロナウジーニョだって一度は干されたがちゃんと復活させているではないか。

もしあの記者会見でFW三浦知良と発表していたら日本中が熱狂したであろう。代表に選んだ理由は今日まで日本のサッカーを引っ張ってくれた、ラスト10分にカズの集中力に期待したい。又サッカー少年達に夢を与えたい。
チームの和は私が全て責任を持つ、こう言えば全敗だろうと日本国民はきっと納得するだろう。ラスト10分得点は00、選手交代のコールは三浦知良。どれだけ人々に元気を与えてくれるだろうか。

サッカーは真の国民的スポーツになるだろう。
三浦知良はもしかしたらと思っていたかもしれない。蝿の様なサッカーで戦って来ますなんて言うとんじゃない。岡田監督には到底無理な注文なのだろう。川口能活がキーパーに失敗したら何で起用したんだのブーイングになる。何故なら彼は日本のサッカーを引っ張って来た男ではない。ゴールを守って来た男だからだ。

スポーツは夢を追うためにある。夢を見る為にある。人が人を愛する様に人を育ててほしい。あらゆるスポーツで監督の好き嫌いで潰れていった選手は数多い。才能を踏みつけられた選手も夥しい数だ。

会社ではゴマスリばかりが出世する、困ったものだ。
上司は手柄は俺の物、失敗は部下の物にする事ばかりだから若い人材が育たない。嫌な奴だって才能があればOKだ。その才能を伸ばす事だ。人から嫌われる様になれば一人前と言う事もある。私なんか嫌われ松子の一生と同じだ。嫌いで結構、好かれちゃ困るだ。

キングカズにW杯に行ける機会はまだある。帯同メンバーの枠が45人ある。けが人の状況によっては出場の機会もあるという。五月十七日発表される。
岡田監督の勇断を待つ事にしよう。


2010年5月11日火曜日

人間市場 母の日市

五月九日、今日は母の日である。
花屋さんの中はカーネーションで一杯だ。
カーネーションを母の日に贈るのは、カーネーションはイエスキリストの死を悲しんだ母マリアの涙で咲いた花だからと伝えられている。又、カーネーションは散る事がないからだという。オーストラリアでは菊を贈るらしい。Chrysanthemumのクリサンセマムのマムから来ているらしい。

おっ母さん、母さん、母ちゃん、母上、母君、お袋、ママ、マム、マミー、いろんな母の日がある。

女は弱し、されど母は強しといわれる、我が子を守る為に母は全てを投げ打って頑張ってくれる。佐渡のトキが自分の子が育っていなかった卵をくちばしで一個ずつ落とす場面を見て涙した人は多いだろう。その一方で生後七日の子を自らの手で殺してしまう若い母親がいる。思わずバカヤローと怒鳴ってしまった。
戦後女性と靴下が強くなったと言われた時期があった。厚木のシームレスストッキングが生まれた頃からだ。それまでのストッキングは傷つきやすく、よく伝線が入っているといわれた。

私は美人よなんて気取って歩いている女性にそっと伝線が入っているよなんて言うと、相手は頬を赤らめ感謝とも軽蔑ともいえない目で睨んできた。美人でない人はすでに諦め気取っていないので声を掛けても仕方ない。美人に伝線を言ってあげるかどうかは重要な問題であった。まして自分が初めてデートした相手に入っていたとしたら心は行き場を失ってしまう。


さて女性は本当に弱く、母は本当に強いのか、答えはYESである。
やはり男女平等といってもやはり女性は女性である。男が守ってあげねばならない。それが出来なければ男が子を生む苦しみを担当しないといけない事になる。男は真の母親になる事が出来ないのだ。ならば真の父親になるために男を磨かないとならない。

その前にこの頃言われるところの草食系から脱しないといけない。
チラシを見てスーパーに行き、ポイントカードを集め家計簿をつける若者が多いというがそれはそれでいいと思う。
夢が無い、逞しさが無い、欲望が無い、無い無いづくしだが私はそれが全体像とは思いたくない。恋をし愛を知れば必ず自分の中にある野性が現れてくる。たった一間でもいい、愛する人と二人で生きて行く、そして小さな命をつくり育てる。

その昔、「名もなく貧しく美しく」という映画の名作があった。シンプルイズベスト。
この世には不幸が二つある。一つはお金のある不幸、もう一つはお金の無い不幸という。私は高度成長期の中で生きて来た。だから若い人達に向かって俺たちの頃はなんて言わない。一人一人若者と話すと実にしっかりしている。草食系も肉食系もない。現在進行形でしっかり自分を見つめている。少子化が進み昨年より10万人お母さんになった人が少ないという統計が出た。

人生という靴下に何本も伝線が入ってもいいのだ。自分の愛する人と一緒に苦労を共に出来れば大人の皆さん、側に一人でいる男女がいたら恋愛を勧めてみてください。そしていつの日か自分たちの生んだ子から一本の赤いカーネーションを貰う喜びを語ってあげて下さい。この国にこれから一番大切なのは純愛だと思う。

昔の人がいいました「一人じゃ食えなくても二人では食える」二人の方が無駄が無く合理的かつ経済的なのだ。
若者よメールでメッセージを送らないで、まずラブレターを書きなさい。一行でも二行でもいいんだから。大人も同じ夫婦の間でも一枚のメモを書きなさい。
たったひと言「今日は遅いメシいらない」これだけで十分なのだ。
逆にこんなメモがある場合もある。「もう一緒にいられない我慢も限界」やっぱりそうか、仕方なしだ。

夫婦の間に伝線が入っていないか、考えれば傷だらけの筈だ。一階にいる妻が二階にいる夫にメールを打っているケースもあるという。夫婦とは我慢くらべなのだ。

2010年5月10日月曜日

人間市場 うんざり市

うんざりしなければ連休じゃない、そういうところが日本人なんだが上海万博の中国人の動きを見ているとやはり日本人の先生は中国人なんだと思う。

人が集まるところに集まり、混雑大好き、渋滞大好き。一人があっ何だアレはと空を見ると一斉に見上げ何だ、ただの雲かで終わる。あっ、あそこに何かあると言うと、どっとそこに集まり何だ、ただの猫かで終わる。それでも中国人に比べると日本はルールを守りマナーは良い方だ。

かつて中国の万里の長城に行った時、もの凄い人、人、人であった。
長城の中に人が一人しか出たり入ったり出来ない入り口がある。敵が攻めて来た時に何人も入れない様に作ったのだろう。下から上に階段があり三メートル位登ると上に出れる。
上の人どうぞ降りて下さい、あなたが降りたら私が上がります。こういう風にすれば一人一人スムーズに上下出来るのだが中国人はその入り口に上か下へ、下から上へ一斉に入ってくる。

水道の蛇口に水が吸い込まれる様に入って来るから三メートル位の空間にギッシリ中国人の生温かい顔と顔と顔が詰まって来て身動き出来ない。
ニンニクの臭い、ニラの臭い、体臭、汗臭、風呂に入っていない人達や、チャイナヒゲが私の顔の回りに何個もある。人混み大嫌い、混雑大嫌いな私はもう半狂乱を通り越して気絶寸前。順番にしろ、順番になんて言っても当然通じない。うりゃーどけってんだよなんて言っても上から下から延々と人、人、人、猫が集団で騒いでいる様な人の群れの中で酸欠になってやっとこさ入り口から顔が出る。
うわぁー、な、何だそこにはまたもや人、人、人だ。

中国人は斜め45度、目線ははるか上に、カメラは二眼レフで下から撮影する。そうですあの毛沢東や金日成の様にポーズをとるのだ。ニーハオ、ニーハオ、センセイセンセイとカメラを渡す。何かってシャッターを切ってくれって事だ。一組やってあげると次々にカメラを持ってカップルや家族が来る。いい加減ダメーっと叫んで長城を走る、といっても人だらけで走れない。

二度と来るかこんな所。誰だこんなとんでもない長い石垣の化け物を作ったのはと友人と泣きを入れた。心底泣きが入った。

時間を守らない、約束を守らない、物を盗む、嘘ばかりつく、サボタージュ、袖の下を要求する、手を洗わない、食器はヌルヌル、トイレは穴だらけ、隣に若い女性が平気で座っている。万里の長城のトイレがこれかよと又泣きが入る。

北京飯店(日本だと帝国ホテル級)の朝、ザアーザアーという音、雨かと思い窓を開ける。天安門広場前の100メートル通りに自転車の隊列が何本もの黒い線の様に続いている、窓から見ながらいつかこの国が世界を支配するのかもしれないと体感した。

前日に中国のいろんな学者と話をした。あまりに熱心すぎて話している内に呼吸困難になり隣の部屋に行ってベットに大の字になった。知識人は凄い人ばかり、天才、秀才も又人、人、人。底知れぬ知識人の恐さを感じた。

現在の中国を七面鳥に例える人がいる、頭だけ赤い共産主義、体は金儲け一辺倒の資本主義、習性は全体主義、秘密主義、権力闘争の国だ。世界は間違いなく中国とインドそしてアフリカが中心になって行く。

人海戦術には勝てない、だが中国は日本と同じ必ず公害大国となっていく。日本は中国から文化を学び、中国は成長した日本から技術を学び、日本に低賃金の労働力を提供して発展してきた。かつては苦力(クーリー)として日本が炭鉱労働や重労働を課して来た。その報いを受ける日が近づいて来ている。
日本人が中国人の苦力(クーリー)となるだろう。

三度の飯よりSEXが好きな国、中国。SEXレスとなり少子高齢化の日本。勝つ見込みは100%ない。ローマ帝国はアメとサーカスで滅亡した。飽食と亨楽のツケだ。アメリカと日本も同じだ。歴史上滅亡しなかった帝国は一つもない。アメリカ帝国もアイスクリームとハンバーガーとコカコーラと享楽にまみれた精神と肉体の荒廃で滅亡するだろう。
大日本帝国は65年前滅亡した。65年かけて教育の現場から治さないと、いよいよ世界から取り残される。

友人から電話が入った。上海万博に一緒に行かないかと。もちろん絶対行かないよと言った。あの万里の長城のうんざりとした光景と臭いが一気に甦った。

ある年、ニューヨークの五番街に行ったら日本のオバサン達が目の色を変えてそこら中のブランド品を買い漁っていた。今、東京銀座のブランド店は中国人の群れだ(いずれバブルははじける)アジアの時代の中で日本だけが沈んで行く。出て来い若者よ、夢多き若者よ、恋多き若者よ。

2010年4月28日水曜日

人間市場 監視市

連休中、気を付けて下さい。
路チューから不倫まで丸見えです。あなたの映像が撮られているのです。
「電子監視ネットワーク」です。別名「警察の警察による警察のための監視カメラ」です。正式には「街頭防犯カメラシステム」といいます。繁華街や道路、交差点、駅の改札口等至る所に設置されているのです。データ保存は原則一週間ですがそれが実行されている証明はありません。


よく事件が起きた時に田舎の夜道を二人で歩いているのが監視カメラに写っている。
信じられない程その監視網は広がっているのです。我々には既にプライバシーはないと思った方がいいのです。一家一族が丸裸にされているのです。コンピューターのボタンを押すとありとあらゆる情報が出てくるのです。警察のモニターではずーっとそれをチェックしているのです。

とんでもない冤罪に巻き込まれる可能性があるのです。
特に一度でも警察に指紋を採られた事のある人は気を付けて下さい。たかだか交通違反だなんて思っていると、とんでもない事になるのです。映画や演劇やコンサートのチケットの半券やタクシーの領収書、食事の時の領収書は必ず残しておいて下さい。
何故なら貴重なアリバイの証明になるからです。ちょっと公園のベンチで、路上の隅で、そのままラブホテルへ、そんな事はバッチリ監視下にあります。酔った勢いで風俗の店へ、当然しっかり監視されているのです。それじゃどうしたらいいのと大きなテーマが持ち上がります。

基本は何もイケナイ事はしないですが、それでは人生は味も素っ気もない事になってしまいます。やはり安く行こうとしない事です。一流のホテルに別々に入る、一時間位ずらしてです。が、それでも出入口は監視されています。結局のところイケナイ事はしてはいけないという事なのです。

連休中はとりあえずマジメに家族サービスがいいでしょう。
勿論独身者は自由自在、色々楽しんで下さい。監視カメラに写っている姿を見ている警察の人間は決して見物料を払ってくれません。ニヤニヤしながらズームアップしたりして、オッ、美人じゃない、可愛いじゃないなんて言いながらお茶しているんです。その監視された映像が探偵社や写真誌に流れ、売られたりするといいます。その為に別れた人々や失脚した人をを何人も知っています。

悪い事や嘘はいつか必ずバレるから気を付けて下さい。家族で連休を楽しむ、これが一番無難です。良い連休を。
ブログは510日より再開します。





2010年4月27日火曜日

人間市場 マザコン市


あるベスト10
①炒め物②煮物③カレー④肉じゃが⑤豚の生姜焼き⑥ハンバーグ⑦お鍋⑧鶏の唐揚げ⑨餃子⑩すき焼き。これは夫婦関係が円満にいっているという夫婦の夫が作る料理のベスト10

あるベスト10
①おかずこれだけ②食べた後(無言)③塩が足らない④美味しくない⑤不味い⑥味見したの(?)⑦俺が作った方が旨い⑧失敗したの⑨自分で作ったの⑩お袋の味じゃない。
これは夫婦が円満にいっていない夫婦の夫の不用意発言です。

男は台所に入らないでと言う愚妻なので私の作る料理はない。不用意発言はかなり言っていると思うが全て無視されている。家は料理屋じゃないからと。

一組の若い夫婦が離婚した。
結婚して10ヶ月余りであった。その原因は夫の方が32歳にもなって母親離れしていなかったのだ。自分達の新居の一つ隣の駅に両親の家がある。男は新居に帰る前に両親の家にただいまーと帰ってしまうのだ。そこで風呂に入り洗濯物を出し、着替え、お母さんの手作りの料理を食べ、しばらくテレビを観てから新居に帰る。

新妻は26歳、お帰りなさいと迎える。ご飯は食べてきた、お風呂は入ってきた、洗濯物はお母さんのところに置いてきた。可愛い新妻は部屋に入り泣き崩れる。何で何故、一体どうなってるのと悩み苦しんだ。既にお腹の中に三ヶ月の命が宿っている。
思い切って聞き出すと、だって君の体が心配だから無理させちゃいけないと思ってだよと言う。ああ優しいんだ、やっぱりいい人だった。誤解していて悪かったと心を新たにする決意をしたそうだ。しかしそれからも毎日の生活のリズムは変わらない。新妻は育児の本を読みながら帰宅を待ち、一人で淋しい食事をした。

原因は食事にあったのだ。夫の母親はかなり有名な料理家であった。パティシエとしても名を上げ料理教室を持ち、テレビにも顔を出しホテルで講演もしていた。
小さな頃からその母親の料理と盛り合わせとデザートに慣れた一人っ子は他人の味にどうしてもなじめなかったのだ。結婚前は自分の家でデートばかりしていたのだ。
それをしっかり確信した新妻は料理の本やDVDを買い一生懸命料理の勉強をした。涙ぐましい話であった。栃木出身の新妻は必死に努力した。しかし夫は相変わらず毎日母親の味を求めて実家に立ち寄った。

新妻の母親代わりをしていた私の知人のところにこれ以上続けられないと相談に来た時にはお腹が膨らんでいた。
マザコンをはるかに超えたウルトラマザコン男に私の知人は激怒した。何度も何度も阿呆、阿呆、アナタワオンナオトコを連発していた。

夫婦は元々育ちが全く違う同士、お雑煮だって、ちらし寿司だって、味噌汁だって、味付けや盛り合わせだって何から何までまるで違うのだから出て来たものはうまい顔を演じ合えばいいのだ。その内にその夫婦の味となっていくものだ。

栃木の新妻はその後離婚し
田舎に帰り元気な男の子を産んだ。小学校一年になったと手紙と写真を送ってきた。男の方は今も実家から会社に通っている。もう嫁に来る女性はいないだろう。阿呆なオトコオンナ&ウルトラマザコンが定着してしまったのだから。
夫婦円満ですかというある調査によると39%がまあ円満と答えていた。多分10%はゲタを履いているのだろう。夫婦とは妥協と我慢の同居なのだ。