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2011年4月4日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「まだ春」


泉谷しげるの名曲がある「春夏秋冬」だ。

「春をながめる 余裕もなく 夏をのりきる 力もなく 秋の枯葉に 身をつつみ
冬に骨身を さらけ出す 今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる 今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ」


今、人と会うといや〜大変だ、もう終わりだ、あの仕事も飛んだ、あの仕事は消えた、あのイベントは中止になった、先が見えない、あの店は閉めたそんな話ばかりだ。

春なのに真冬の様だ、心も体も冷え切ってしまった。
そんな中で会社の若いスタッフが日曜に出て来て手作りの箸袋を700枚作り、割り箸を入れてラジオの企画に持って行った事を知った。一枚一枚にひと言ひと言が書いてあるカラフルなお箸だ。きっと心を割って喜んでくれるだろう。
私は静かに熱い若いスタッフに敬意を持った。


作家、開高健はアウシュビッツを訪れた時「全ての言葉は枯葉一枚の意味を持たない」と書いた。果たしてそうだろうか、敬愛する先生のお言葉だが「一行の力」というのもあるたったひとことに勇気をもらったり希望を感じる事があるからだ。

今は雨にも負けて風にも負けていい。心に太陽を持たなくていい、唇に歌を持たなくてもいい。粘り強い東北人よ涙枯れるまで泣くといい。喉が枯れるまで叫ぶといい。どこからでも助ける人が来れば助けてもらうといい。宮澤賢治先生もそうするだろう。


「てんでんこ」という言葉があるのを知った。
それぞれてんでんに(一人一人)生き抜けという意味を持つらしい。又、津波などが来た時それぞれ逃げろと伝わって来たらしい。我々もてんでんこだ。一人一人が生き抜く事だそして一軒一軒、一店一店、一社一社、一村一村、一町一町再生して行こう。


「春夏秋冬」はまだ春が始まったばかりだ。
これから夏が来て、秋が来て、冬が来る、これは日本の掟だ。出来れば涼しい夏、心地よい秋、寒くない冬をお願いしたいものだ。

4月になってテレビ番組が一斉に始まった。性懲りもなくクイズ、バラエティ、食べ歩き、何も変わっていない。やはりこの国は学習効果を上げない様だ。お笑いの連中はみんな復興の手助けに行けといいたい。

東大だ東工大の原子力専門の学者は何故誰も現場を見に行かないんだ。
テレビのACのコマーシャルで「それって必要ですか」と「電話やメールは控えめに」とか「無駄な買い物はしないで」とか言っている人たち早く現地に行きなさい。沢山買い物をしてから。

「日本は強い、信じてる」なんて言っている人も早く行って強いところを見せて欲しいものだ。そういう私は実のところまだ現地に行っていない。
ただただテレビや新聞に向かってブツブツ文句ばかり言っている駄目な人間だ。

おっ、又地震だ。
何か体が始終揺れているのはアルコールのせいだろうか。
今日で全てが終わるさとなって欲しい。今日で全ては始まるとなって欲しい。てんでんこに。

2011年4月1日金曜日

湘南から喜怒哀楽 「過去という着物」


赤坂に通称ヤッカン通りというメインストリートがある。
ヤクザと韓国人が多いからだ。最近は中国人の立ちんぼが多かった。過去形である。


大地震以降、韓国人も中国人もすっかり消えてしまったからだ。
日本は恐い、日本は終わる、地震、津波、原発事故の映像を見た家族達が出稼ぎから帰って来る様に強く言ったらしい。友人の英国人弁護士家族も香港へ行ってしまった。

困った事に私の体に一番ピッタリ合っていた中国人のマッサージのオバサンも旦那の中国料理人とハルピンに帰ってしまった。首こり、肩こり、腰痛、「任」さんはバッチリほぐしてくれた。いつ日本に戻るかわからないという。

頼りになるのは鍼とお灸の名手、辻堂駅西口のヲットマンのトミーこと富田さんだ。先日行ったら下腹(丹田)に力が入っていない、足が冷えているから暖めるようにと言われた。
節電で電気マットもエアコンも消している部屋の中で靴下を履くのと下着を着けてパジャマを着るのが嫌いなのですっかり冷えてしまった。

今は下着も履き靴下もはいている。何か窮屈でたまんない。仕事から帰って1.時計を外す、2.靴下を脱ぐ、3.下着を脱いでコットンパジャマのズボンを履く。広々とした開放感に浸る事が出来る。


脱ぐ事、外す事はいい事なのだ。出来れば過去も脱ぎ捨てたいと思う。何一つ良い事はしていない。悪事の数々、嘘と見栄と虚飾と精一杯の背伸びをした過去を。


満足感に満ちた人生を送れた人は本当にいるのだろうか。もしいたら是非会って教えをいただきたいものだ。人生の最終コーナーを回った私は屋久島の様に365日心の中に雨が降っている様だった。雨を凌ぐために自分を自分で演じて来た訳だ。

どれほど人を傷つけてきたのだろうか。これから少しでも傷口を治すオロナイン軟膏になりたい、オキシフル消毒液になりたい、傷口を癒す包帯になりたい、そう思いながら救援物資を何袋も作り松下政経塾に持って行った。
私の過去を知るカーディガン、ジャンパー、セーター、オーバーコート、ヨットパーカー、釣り用ジャケット、マフラー等冬物の品々を入れた。

私の過去を誰が着てくれるのだろうか。雨や寒さを凌ぐために役に立つのだろうか。
子供の頃、児童文学全集で初めて外国人の本を読んだ。


ビクトル・ユーゴーの「ああ無情」であった。主人公ジャンバルジャンはパン一本を盗み19年間刑務所に入れられるがミリエル司教と出会い正しい人間となるのだが過去をずっと追って来る者が居た。


自分の過去ほど重い物はない。


2011年3月31日木曜日

湘南から喜怒哀楽 「浮雲」


何だか無性に戦後の焼け跡を舞台にした映画を観たくてビデオを借りてきた。
林芙美子原作、成瀬巳喜男監督の名作「浮雲」である。



小津安二郎が俺には絶対作れない映画が二本ある、一本は溝口健二の「祇園の三姉妹」、そしてもう一本が「浮雲」である。

高峰秀子と森雅之が主演。絶品極上の映画で痺れる。
昭和二十一年外地より引き上げて来た港の高峰秀子のシーンから始まる。
る日外地で知り合った男を渋谷区代々木上原に尋ねる。女は中野区鷺宮に住んでいた。
戦争中男は役人としてサイゴンに勤務し女はそこにタイピストとして現れる。

復興マーケットでラーメンを食べるシーン。雨が打つバラックの中でコッペパンを食べるシーン、東京ブギウギ、リンゴの唄が流れる焼け跡のマーケットのリアリティ。

初めて体を許した男との会話。再会した男のうらぶれた姿、外人兵のオンリーになった女をバラックに訪ねる男。小さなコタツ、ローソクの火、カストリ焼酎、コンビーフ、厚化粧になった女に泊まってもいいかと迫る男、何かこれからの日本と重なって来る。

何があっても必死に生き抜こうとする民衆の姿、したたかになって体を売ってでも自分を守る女。昔の女に未練がましく別れ切ない男。


今度の東北の災害も様々な人間ドラマを生み出すだろう。
例えて映画的にいえば避難場所で出会った過去を消したい男と女、自堕落な夫には無かった復興にかける力強い青年との出会い。
失った漁船への愛情を語り続ける初老の漁師とかろうじて残った小さなスナックの女との出会いと再生。

海が有る限り上には空があり雲がある。
雲には二度と同じ形はない水に常形がない様に人の一生も同じ物はない。


「無は有なり」という。「有は無」になってしまうが無は無限の力を持っている。
一本のローソク、一台のランプ、一個のドラム缶風呂、無一文という。
人間は生きる気になればどんな貧しさの中でも生きていける。

ただ人間は一つの愛がないと生きていけない。無の中に愛を見つける事を思い出そう。
心の中に復興のマーケットを作ろう。

2011年3月30日水曜日

湘南から喜怒哀楽 「適材適所」


25日付スイス紙トリビューン・ド・ジュネーブにこんな記事が紹介された。

大地震・大津波の被災者支援物資の提供に一丸となって活躍している集団があった。
東京から12時間かけて一気に駆けつけた様である。
トラック25台分、又福島第一原発付近にも防護服もつけず物資を届けた。
その集団は「ヤクザ」である。ネット上では東京の稲川会と云われている、と会社に来たお客さんから聞いた。
清水の次郎長

阪神淡路大震災の時もめざましい活躍をしたのは山口組であった。
彼等は戦争に慣れている、又上からの命令は絶対であり一糸乱れぬ行動をする。その見本は清水の次郎長であった。明治維新の時、駿河湾に夥しい数の遺体が浮かんだ。
幕臣の山岡鉄舟は次郎長にその処理を頼んだ。次郎長の命令により子分達は集結し見事にその仕事をやり遂げたと伝えられる。次郎長は山岡鉄舟に魅せられ堅気となり庶民のために働いた。
山岡鉄舟
一説に依ると日本で始めて英語塾を開いたという。
明治21年まで生き抜いた。
畳の上では死ねないという「ヤクザ者」にしては異例な生涯であった。リーダーシップを持たない人間が国民の親分である総理大臣の椅子に座った不幸は計り知れない。

その男をイラ菅、アキ菅、スッカラ菅という。人を踏み台にして生きて来た男、人を裏切り寝返りを繰り返し生きて来たズル菅である。
今や子分達からも馬鹿にされ、コケにされている。
そして誰もいなくなった状態である。子分に見放された親分程惨めな者はいない。大臣手形、役職手形を乱発してなんとかしようと思っているがもはや後はない。

稲川会とか山口組に人材は山ほどいる。小泉純一郎の父親も刺青大臣と云われた男だ。
二人か三人、いや四・五人閣僚に入れるといい。
何しろ行動力は抜群である。命を懸けるという言葉に嘘はない。


瓦礫除去担当大臣、原発汚染除去担当大臣、野党壊柔担当大臣、無計画停電廃止担当大臣などがいいのではないか。それぞれ得意の分野である。適材適所とはこういうものである。

2011年3月29日火曜日

湘南から喜怒哀楽 「嘘つきたちへ」



3月27日(日)午後大地震以来行っていなかった海岸へ行った。家から五分程である。

あの日津波の避難勧告が有線放送からのんびり流れた。高い所に避難してくださいとの事だった。丁度孫たちが来ていて頭に座布団を被って妻たちは大京マンションに避難した。

私は家に残りテレビを見ていた。
まさかこんな大災害になるとは思いもよらなかった。三陸の海へは何度か取材に行った。
その海と繋がっている海岸へ行った。海は静かで何事もなかった様であった。若いサーファー達がパドリングしながら波が来るのを待っている皮肉な光景だった。

長くいるのが辛く近くのサーフショップのオーナーの所に行った。頼んでいた作品の話と津波について語り合った。オーストラリアのゴールドコーストのビッグウェーブなんて今度の津波に比べたら子供だよと言った。


そこから歩いて10分位の所にある和菓子屋さんに行った。若旦那に頼んでいた作品を見るためだ。若旦那は海岸のリーダーでありサーファーでもあった。今はとてもサーフィンをする気になれない。海に来ているのは他の土地から来た者達ですよといった。


そうだ駅の近くにある寿司屋「気仙」のオヤジは気仙沼出身だった。
どうしたか駅まで歩き始めた。途中GUCCIという昼オケスナックがあった。焼酎飲み放題、歌い放題、ミネラルウォーター飲み放題2500円を割り引き1800円と小さな黒板に白いチョークで書いてあった。
中から中年女性と思われる声で淡谷のりこの「窓をあければ港が見える メリケン波止場のぉ〜」という歌が聞こえた。

なんという題名だったか思い出せずに「気仙」についた。ランチタイムが終わって店の中には女性がテーブル席に三人いるだけだった。大変だったね、被害はと聞くといやーもの凄い事になりました。実家も親戚もみんな流されました。幸い命からがら助かりました。
未だ帰っていないので近々帰りますと優しいいつもの笑顔であった。
飲食店にお客が来ないので魚市場にはいいネタが沢山あるんですよと言った。

ビールを2杯飲み、寿司を少しつまんだ。
寿司屋さん仲間で被災地に行って寿司を握ってやったらきっと喜ばれるよと言ったら、そうかそうですね何かしたいと思っているのでやってみますよと手を叩いた。


家に帰りテレビを点けると政府、東電、御用学者達が嘘ばかり言っている。
何としても原子力開発を守らないといけない。人の命よりも自分達の都合だ。
子供の頃嘘ついたら針千本飲まされる、地獄の閻魔大王に舌を切られると言われた。

もっと怒れ国民よ、嘘つき達を許してはいけない。

破壊された原子炉を見るとブリューゲルの描いた「バベルの塔」を思い出す。
神に逆らった権力者の王様は話し合う言葉を取り上げられた。

「あらゆる争いの勝者は死」であるとブリューゲルは云った。
嘘をつき続ける権力者や権益者は死者たちに必ず死以上の裁きを受けるのだろう。


2011年3月28日月曜日

湘南から喜怒哀楽 「無計画」


アメリカの同時多発テロは9.11、日本を襲った人類史上初の大災害は3.11。
世界で唯一原子爆弾を落とされたのが日本、唯一落としたのがアメリカ。
何かの因縁を感じる。

日本国は数奇な運命を辿って今日まで来た。
蒙古の襲来を神風で二度防いだ。絶対勝てないといわれた日清、日露戦争に勝った(実際は勝っていないともいえる)そして調子に乗り世界を相手に大戦開始、そして300万人以上を戦死させ原爆を投下され敗戦。昭和二十年私が生まれた年である。

その後奇跡的な復興、昭和39年には東京オリンピック、昭和45年には大阪万博開催。全く資源の無い島国なのに、その後オイルショックを経験、やがてジャパン・アズ・ナンバーワンといいバブル景気に突入、世界中の不動産を買い漁る。
株価は38,000円を超えた。


やがてバブルは崩壊、しかしこの国は懲りずに再び不動産バブル、ITバブル、株投資バブルを経験し、散々な目に遭ってどん底に落ちた。その中で日航ジャンボ機事故や阪神淡路大震災、三宅島の噴火中越大地震等々災難大国であった。
世界中どの国も経験した事のない無資源国家の無計画の連続であった。


日清戦争は女狂いの政界のボス、伊藤博文の女性への金代の為に始めたという説もあり、日露戦争は軍隊のボス山縣有朋の庭園造りの金代の為に始めたという説もある。
伊藤、山縣共に長州人であり、高杉や桂小五郎の使い走りであった。みんな死んでしまったので維新の立役者として不動の地位を築いた。その山縣が日本陸軍を作り、その陸軍が他人の国中国に満州国を創る等途方もない事をした。やがてその満州の資源やアヘンの権益を手にすべく世界を敵に回す事となる。

全権大使松岡洋右は国際連盟を脱退する、その原因はアメリカによる石油資源の日本への輸出禁止である。資源のない日本はどん詰まりとなり絶対勝つ見込みのない世界大戦に突入した。時の総理大臣近衛文麿は強烈な痔の痛さに耐えられず、もう戦争でも何でもやってくれと総辞職し大した人物じゃ無いが仕方なく軍人東条英機にその役を投げ渡したという説もある。

1000年に一度という大地震、大津波、原発の爆発、放射能の流出、その原因。
数奇な運命の伏線は歴史をさかのぼると全て国家の無計画、権力争い、楽観論に起因している。いつもコテンパンにやられ大事故が起きてからまさかというのである。
その結果一番弱い者がその犠牲となる。


私はこの度の東北の人々の被災は無計画国家の生け贄にされてしまったと思っている。
第二の戦後である。第一の戦後は国民は赤紙一枚で戦場に連れて行かれ、水も飲めず何も食べれず雨に打たれ泥に沈み骨と皮となり国の生け贄にされた結果であった。

その戦争を何とか生き抜き国の為に働き、子を育て村を起こし、町をつくって来た老人達が根こそぎ海にさらわれてしまった。愛する村も町も市さえもさらわれてしまった。最先端のIT文化だ、文明だと言っていた国の民が難民となり段ボールで配給を受け疎開だ土葬だなどという言葉が飛び交っている。生まれた赤ん坊のミルクをつくる水が放射能に汚染され、農家や漁民は何もかも失う。

日本国民はなんて整然としているのだ、なんて高潔な民だ、なんて崇高なんだなんて誉められてやっぱり何度も災難を克服して来たお陰だなんていうのは違う、全然違うのだといいたい。日本人は長い長い不況ですっかり疲れてしまっているのだ。
怒る気力も無くなっているのだボディーブローを打たれ続けたボクサーの様に。

被災で死んだ65%の人は老人達である。息子達若者は長引く不況の中仕事を求めて都会に出てしまった、だからいち早く老人を助けられなかったのだ。青年団の姿も消防団の姿も殆ど見えない。村や町に若者達の姿が無い。津波にもっていかれた訳だけではない。

「私は生き残った、しかし本当に生き残って良かったのだろうか」という老人の言葉が胸に迫る。寝たきりのご主人を動かせない、このままにしておいて下さい、このままどうなってもいいんです後生だからと白い防護服の救援隊に哀願する老婆。

国家が全て無計画だから数奇な運命となる。
政局だ、政変だ、政治指導だなんてつまんない権力争いをしている。もし今のままの国家機能だとまだまだ災難が続くだろうと思う。国家滅亡の序章かもしれない。
石油がなければ生きていけない国ならば石油が無くても生きて行く方法を考えねばならない。その時初めて日本国民は世界から敬服され真の高潔さが認められるのだ。

「名もなく貧しく美しく」これしか生き残る方法はない。日本は山の民、海の民、水の民、森の民、風の民、匠の民なのだから必ず正しく生き残っていける。

ちなみに東京電力などのエネルギー関連企業は巨大利権企業、永田町から霞ヶ関、闇会社から東大や東工大の学識者、大マスコミまでありとあらゆる手を使って徹底的に接待漬けにして来た。高級料亭、高級クラブ、大量の広告出稿、講演イベント、海外旅行等への出資。だからテレビに出てくる学者達は原発推進派ばかり

安心だ安全だばかり言いまくる。
一人たりとも原発の現場に行っている者はいない筈だ。絶対に信用してはいけない。
もはやオール電化などを語る事はできないだろう。無計画を計画するのはいつも東大出身者達である。※立花隆氏は巨大著書「天皇と東大」で日本国を全て支配し続けているのは東大法学部であると書いてある。
私達は正しく生き残る方法を自分達で計画しよう。




※やっとブログを再開する気になりました。これからは「湘南から喜怒哀楽」といたします。

2011年3月14日月曜日

お見舞い

このたび「東北地方太平洋沖地震」により、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。


ブログは暫くお休みをいただきます。



2011年3月10日木曜日

湘南の嵐便り 「悪魔を見た」


キリストの示した七つの大罪。
1.大食、2.強欲、3.怠惰、4.色欲、5.高慢、6.嫉妬、7.憤怒がある。
その全てをうちに秘め更に1.大久保清、2.宮崎勤、3.宅間守、4.加藤智大、5.西口彰を加えた悪魔の様な人間に愛する家族や愛する恋人をバラバラにされたらあなたはどうする。

相手は悪魔そのものである。人間の中には大なり小なり悪魔性は潜んでいる。
だがしかし理性というオートロックで悪魔性を封じ込めている。

その罪と罰は法律という武器で悪魔を制す。しかし相手がその理性を遙かに超える復讐性を持つ野獣性を持ったらどうなるか。又、人間には見えない凶暴な野性が潜んでいる。

チワワやミニチュアダックスフンドもその昔は狼であった。
その人を愛する度合いは復讐心に比例している。どんなにいい格好していても自分の目の前で愛する女性が恥辱されるのを見て腰を抜かしてただじっとしている者が多い。
否殆どといっていい。


愛する人に命を掛けられないのだ。
そして相手は絶望し、失望して突然の復讐に向かう。



一本の映画を観た。韓国映画の「悪魔を見た」である。正にこの世にこんな人間がいるのか(実は何人もいる)という男と純粋に家族を愛し婚約者を愛していた男の復習劇である。
単なる残忍なものでない。その中に人間の持っているキリストの七つの大罪が込められている。

それは悪魔という人間と、人間という人間の果てしなき戦い。狩人と野獣とのデスマッチといえる。人間社会は生き残りをかけた狩りの現場なのだ。つくづく男はタフで賢くそして強くなければならないと思った。「暴力は最後の理性だ」という哲人の言葉を思い出した。


さて、自分に最後の理性はあるかと問えば、あっても花粉症で目はくちゅくちゅで痒過ぎる。鼻水は壊れた水道の蛇口の様に出る。クシャミは連発だ。コンタックの飲み過ぎで胃はムカムカ、不眠症で体はダルダル、チキショウと階段を駆け上がったら足がつって階段につんのめった。

その夜両足がつって更に眠れなかった。これじゃ愛する者達を守ってやれない。
最後の理性なんて発揮できる筈もない。
仕方なく布団の上に座り3㎏のダンベルで腕を鍛えたがどれだけ効果があるやら分からない、若さは遠くなりにけりだ。


韓国映画には復讐物の名作が多いので何本か紹介する。
「復讐は最高の健康法」という。皆さん理性と体を鍛えて下さい。


2011年3月9日水曜日

湘南の嵐便り 「先生の自主退学」

こんなヤクザな私にも一人二人はまっとうに悩む後輩もいるのです。

その男は今、都内でかなり有名な女学校の校長をしています。
あと二年で定年とか。


その男の悩みを聞くとこれはもうポルノです。
後輩が一瞬でも理性を失えばもうアウト、立派なスキャンダルです。

卒業まであとわずか、もう毛もなくなった男にメールがバンバン入るそうです。
「校長大好き、ホテルどぉ?」
「校長ずっと好きでした。オッパイ吸わせる」
「校長とラブラブ即OK
「校長にパンティ全部あげる」
「校長と夜明けのコーヒー飲みたい」
とかもう後輩はAKB48の中に一人放り込まれ若い女性独特の生暖かい臭いの中で息も絶え絶え萌え萌え状態なのです。


気が付くといい年をして思わず手が自分の息子をしごいている。
隣に寝ている奥さんからあなたゴソゴソと何しているの?なんて言われてドギマギして手を休める。
女子高生※写真はイメージです
あーあ俺に鉄の意志が有ればと思うが溜まったものは出さねばならない。
翌朝生徒達からいきなりメールのラッシュ。
「校長、私の事想ってくれたでしょう」とか「奥さんと仲良くね」とかあろう事か裸で風呂に(当たり前か)入っている写メールとか。自分がいけない事をしているとかを写メールしてくる。

後輩の頭の中は58歳にして絶命状態。携帯恐怖症、メール恐怖症、出校拒否症などとなってしまった。真面目故に病人と化してしまったのだ。


世に女子中学生、女子高校生ほど恐いものはないといいます。何しろ凄すぎるのです。
特に超有名校ほど酷いといいます。生徒もきっとイイ子ぶっているのにストレスが溜まっているのでしょう。一歩先何が起きるか見当もつきません。

極めてデンジャラスです、女子高は。後輩は辞表を出して退校しました。

どうにも写メールのワイセツに耐えられなかったのです。
今は携帯もパソコンも一切使わず心穏やかに過ごしていますがやはり若い性の鮮烈な映像が夜な夜な浮かぶそうです。

2011年3月8日火曜日

湘南の嵐便り 「肩書きなんて」

私が大好きな作家に若くして亡くなった「中島敦」がいる。
その中でも名作「山月記」は最高作といえる。

話を思い切り要約すると二人の優秀な若者がいた。
共に日本でいえば司法試験か国家公務員第一種(中国では科挙)に受かった人間である。しかし二人の人生は大きく変わり一人は挫折し姿を消す。

何年か経った後、エリートとなった一人が部下を連れ山の中に入る。そこには凶暴な虎が出ると言われ山の中には入るなと言われる。しかし男は山の中に分け入って行く。
と、竹林の中に虎の気配がする。それを感じ男は虎に向かい君は○▲君ではないかと尋ねる。
虎は悲しい声で「そうだ僕だ、変わり果てた僕だ」と言う。ライバルとの競争に負けた事を恥じ虎になり夜な夜な吠吠するのだという。二度と会わない事を約束し虎は竹林の中に消える。
同じような話で藤沢周平の名作「三屋清左衛門残日録」というい役職を離れた一人の武士の日記の様な物語がある。その中にとてもいい一話がある、「零落」という。
ある日雨が降る。清左衛門は雨宿りのつもりである長屋の一つに雨を凌いでいると、中から雨で大変でしょう中に入って雨を凌いでいってはと声を掛けてくる。

その武士はかつて清左衛門と甲乙付けがたいと言われた人物であった。
しかし、今はすっかり老人の様に落泊していた。お互いについた家老が主流と反主流に別れた結果だ。武士は二度と会うまいと言って別れる(かなり雑な要約である)一方は老後をのんびり豊に過ごし、一方は傘張り老人の様になり心はすさんでいる。

何故こんな事を書いたかといえば3月3日朝日新聞の夕刊に3月は不眠からくる鬱病、そして自殺が一番多いと書いてあった。その中にサラリーマンの自殺動向について左遷、リストラ、格下げが三大要因と書いてあったからだ。
人生は終わってみないと本当の勝負は分からない。
肩書きがなんだ、ポストがなんだ、肩たたきが何だといいたい。そんな事で時速200㎞の電車に飛び込んでバラバラになるといいたい。悔しいけど参ったと言わない限り勝負には負けてない、虎になる事もない、二度と来てくれるなと雨戸を閉める事もない。
何もかも愛せば必ずいい芽が出る事がある。
肩書きなんてつまらないプライドの象徴にすぎない。時が来れば必ずよくなる。

サラリーマン諸君よもっと図々しく会社を利用すべきだ。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」を読むといい。
たかだか社長だ、専務だ、常務だ、部長だ、課長だなんて命懸けのもんじゃない。
会社の命令が嫌ならケツまくって一人で社長になればいいだけだ。

「鶏口牛後」というではないか。牛の後にノコノコついていくニワトリにならなきゃいいんだ。
「志」をたてて。
アホに負けてたまるかとね・・・。
人間やれば必ず出来る。
肩書きなんて名刺屋さんに行けばいくらでも付けてくれる「代表取締役社長兼専務取締役統轄本部長兼人事部長」とかいくらでも。