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2013年4月25日木曜日

「イカン、アカン」


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人生とは何か?この深遠なるテーマは如何なる哲人も答えを見出していない。
その核心を知るため、ある人は滝に打たれ、ある人は坐禅を組み、ある人は旅に出る。又、ある人は酒を断ち、欲を断つ。人はさまざまに悟りの境地に入る事を試みるも、その域に達する事は難しいのである。
この頃「さとり世代」という言葉によく出合う。
車やブランド品に興味がない。旅行にも興味がなくお金を稼ぐ意欲もない。地元志向で恋愛に淡白、過程より結果を重視する。情報源はネットが頼り・・・等というのが特徴らしい。
1990年代後半に生まれ、現在年齢20代半ばの若者たちだ。
物心ついた時には景気が後退。その一方ネットの普及で情報はあふれていた。
物事の結果を先に知ってしまって合理的に動く。
「ほどほど」が合言葉。
偉くなりたいかのアンケートでは8.7%しか偉くなりたいと思わない。夢はあんまりない。そこそこがいいと“さとり”きっているのだ。
ある大学の社会教育学の教授は「夢は情報のないところに生まれる」と書いていた。受験や就職の向こうに、いい生活があると思えないと、さとってしまっているのだ。
さて、こんな事でいいのかしらんと思ってしまう。
野心も野望もなく、夢や希望もなく、色も欲もない若者たちがこの国の未来を背負っているのだ。イカン、アカン、ヤカンなのだ。
遊べ、食べろ、恋をしろ、夢を抱け、四苦八苦せよ。
人生の何たるかに向かって歩を進めよ、だ。
先輩諸氏よ、若者たちに遊びを教えてやって下されや、とお願いする。
私といえばいまもなお、多くの煩悩をかかえ、ちいさな庭に咲いた牡丹ちゃんと問答をするのです。
人はパンのみに生きるに非ずという。


2013年4月24日水曜日

「偉い経営者と、貧しい経営者」




世の中には実に理解ある偉い経営者がいる事を知った。
その日、本屋さんで週刊誌をパラパラとめくった。そこに小さな広告があった。
千房㈱、㈱一門会、㈱牛心、㈱信濃路、カンサイ建装工業㈱、㈱プラス思考、㈱プログレッシブの社名があった。日本財団が広告主であった。
キャッチフレーズは、“少年院、刑務所出所者を支える「職親」プロジェクト”であった。
MISSION】出所者の円滑な社会復帰を支え、再犯率を下げる。とあり、
GOAL】働く場の提供から生活支援まで。参加企業が出所者を見守る「職親」制度をつくる。であった。

先日発表になった数字を見ると刑務所を出所した人の再犯率は30%〜40%位であった。
又、暴力団員の30%位は元の組織に戻るとあった。
エンコを詰めている人(指を詰めている)、モンモンを背負っている人(刺青をしている)、シャブ中だった人(麻薬中毒)あらゆる犯罪に手を染めてしまって、刑務所に入り出所した人を受け入れてくれる会社の経営者の存在に心から、あなたたちこそ本当の経営者だと思わず週刊誌の広告に声をかけた。

4月23日の朝日新聞でユニクロの柳井正社長がロングインタビューに応えていた。早い話、仕事は生きるか死ぬかだ。例えブラック企業(ネット上でそう言われているらしい)と言われようと、社員が「うつ病」になろうと、入社して直ぐ辞めようと知ったこっちゃないのだと。
ちなみにユニクロに入社して5年もつ人はかなり少ないらしい。
柳井正社長の貧しい顔、貧しいコメントを読むと、この男には絶対天罰が下ると確信した。
日本一金持ちの男は、日本一貧しい男なのだ。

2013年4月23日火曜日

「とめてくれるな」




♪〜義理と人情を 秤にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ
  俺の心は お見通し
  背中(せな)で吠えてる 唐獅子牡丹

ご存知“高倉健”が唄った大ヒット曲「唐獅子牡丹」の一節です。
学生運動が真っ盛りの頃、東大の構内に“とめてくれるな おっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く”の言葉をつけて唐獅子牡丹風のポスターが貼り出されました。
当時はオールナイトで朝まで映画を上映したのです。
中でも唐獅子牡丹となると映画館は、超、超満員だったのです。

で、なんで唐獅子牡丹かというと、小宅の小庭に見事な牡丹が咲いたのです。
数年振りなのです、以前咲いていた木には今年も花芽が出ませんでした。
「美庭」という会社を経営している庭師の田中さんという人が、今年の始め牡丹の木を植えていってくれたのです。

牡丹の木はある時期まで親指位のただの一本の棒なのです。
ところが突然的にメキメキと葉が出てきます。
陽をたっぷりあびると、更にメキメキ度は上がりその中に花芽がほっこらと浮き出てくるのです。その数五つ、こうなるとメキメキはグングンとなり、二日、三日、四日位で赤い色が見え始めるのです。
緑の中に高倉健にブッタ斬られた人間のしたたる血の色が出てくるのです。
見ているだけで映画みたいに興奮するのです。
そして、パッ、パッ、パッカァ〜ンと大きく咲き誇ります。
この間約六日でした。
急いで庭師の田中さんに電話をしました。
直ぐに若い衆を一人連れてやって来ました。
やったネ、咲いたよ、で、写真をパチリ、パチリしました。
(現像中・近日公開)

なんとはなしに、高倉健を口ずさんでいました。
♪〜親の意見を 承知ですねて
  曲りくねった 六区の風よ
  つもり重ねた 不幸のかずを
  何と詫びよか おふくろに
  背中で泣いてる 唐獅子牡丹

学生運動を思い切りやったゲバ学生たちも六十五歳を過ぎました。
その数三千万人、国民の四人に一人が団塊の世代です。
この人たちが何をするかでこの国の明日が変わります。
家の中でボーとしていたり、パソコンのゲームで釣りをしたり、将棋をしたり、ゴルフをしたりしないで下さい。
もうひと花をパッカァーンと咲かせて下さい。
背中に唐獅子牡丹を背負った気分で。
コラッ、又ゴロンと横になっちゃダメ。
何!今日は買い物する日、スーパーのチラシを見るってか。

2013年4月22日月曜日

「オールヌード」



多数の友を持つ者は、一人の友をも持たない。(アリストテレス)

「俺さ、500人超えたよ」
「俺なんか1000人を超えたぜ」

ある場所で知人と一杯飲んでいたら、私の隣で二人の会社員が話をしていた。
袖すり合うも他生の縁。
それって何の話、と聞けば「フェイスブック友だち」の事であった。
私にはチンプンカンであった。
“友だちになりませんか”と呼びかけ合ってお互いの情報を交換するらしい。

ネット上であれを食べただとか、どこへ行っただとか、こんな映画観たとか、
走ったとか、歩いたとか、あの本読んだとかを細々とやり合うらしい。
つまりは本当の友だちではない友人関係(?)だという。
私には全く分からない世の中になってきた。
一緒にいた知人が「私の知っている会社では、会社に面接に来た人間のフェイスブックやその父親や母親、兄弟、姉妹などのフェイスブックを徹底的に調べてしまう」と言った。
それは法律違反でしょう、と言ったら、今は無法状態、そんなのは当たり前なんですよ、といわれた。その家族のルーツ、親たちの性格や家庭内事情まで丸裸にしてしまうという。何と恐ろしいではないか。星海社新書から「中身化する社会」(菅付雅信著)が発売されていると聞いてメモを取った。広告文には“丸裸社会を生き抜く術”と書いてあった。

酒がつくり出した友情は、酒のように一晩しかもたないという。
敵を作らざる者は、決して友を作らずという。
人生の内で、一人でも親友が持てたら最上の人生だともいう。
それほど本当の友を作るのは難しい所業なのだろう。

ある参議院員の先生から選挙のお手伝いを頼まれた。
その先生はフェイスブックはとても恐いので使いませんといわれた。
ネット選挙は丸裸合戦となるのだろう。
見たくもない、知りたくもない、スキャンダルと誹謗中傷のオールヌードになるだろう。

ちなみにフェイスブック上で固めの盃を交わす事はできない。

2013年4月19日金曜日

「思い出した言葉」



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右の目は熱く、左の目は冷たく、心には氷の炎を持て。
と、開高健先生はおっしゃった。
そんな事を感じる女性の姿があった。
来日していたアウン・サン・スー・チーさんだ。

軍政のミャンマーで十数年自宅軟禁されながらも民主化を訴えてきた。
死と背中合わせの日々であった。当然恐怖との闘いでもあった。
インタビューに応えるその毅然した顔、おだやかだが鋭い刃の様な言葉に感動した。

独立運動の父といわれた父親アウン・サン将軍を二歳の時に失った。
父親が遺した言葉“一人ひとりが戦う勇気を持て”スー・チーさんはその言葉を支えに今日まできたという。
二年後の大統領選挙に出て民主化を目指す決意を語った。
十代の頃のスー・チーさんの息をのむほどの美しさ、
二十代、三十代の頃の言葉を失う程の気高い姿はこの世のものとは思えない。
父親への尊敬心、母親への感謝の念、
かつて日本では当然だった事がスー・チーさんから語られた。

勇気は努力した人にわいてくるもの。一人ひとりが自分に出来る事をやる。
全てはそこから始まるのだと。
長いものには巻かれてしまう。強い者にひれ伏してしまう。
金のある者にはすり寄ってしまう。
勇気などという言葉はすっかり死語になってしまった気がする。

だがいかなる人間の中にも勇気は宿っている筈だ。
私もかつては持っていた筈だ。
スー・チーさんの言葉に出会ってすっかり錆ついた勇気を呼び起こそうと誓った。

“努力”こんな言葉もすっかり錆つかせてしまっていた。
間違いと失敗は、人間が前進するための訓練であると先人はいった。
カウンターパンチを怖れ、前に出ないボクサーに勝利はない。
人生とは殴り合いなのだ。様々な相手と運命というイタズラとの。
自らの手で闘いのゴングを鳴らすのだ。