戦後を生き抜いて来た老婆はどこまでも執念深い。
特に食べ物には。
味覚の秋の脇役といえば銀杏(ぎんなん)だ。
茶碗蒸し、土瓶蒸しという「蒸し社会」の両巨頭に欠かせない。
本物の茶碗蒸しか、真実の土瓶蒸しかはその中に銀杏が入っているかで決まるといっても過言ではない。
老婆は八十歳位であった。
息子夫婦とおぼしき五十代、孫とおぼしき二十代の女性と辻堂駅西口のお寿司屋さんのカウンターに座っていた。人気のちらし寿司には茶碗蒸しが付いている。
1200円+消費税、その家族はきっと何かいい事があったのだろう、松茸土瓶蒸しをアラカルトでオーダーしていた。800円+消費税、私と友人は小上りの座敷で冷酒を一本ずつ飲みながら、ちらし寿司を待っていた。店内は人気なので満杯だ。
「あのおばあちゃん大丈夫かな、あんな高いカウンターの椅子に座って」と言った。
友人が「足がちゃんと着いてないから危ないなと」言った。
「でも、かなりこの店に慣れているみたいだから大丈夫じゃない」と私が言った。
私と友人はとりとめのない話をしていた。
楽天の田中将大選手には神が乗り移ったようだな、東北の大震災で亡くなった多くの方々の魂が田中選手に乗り移ったのだろう、ただ好事魔多しと言う。
このまま勝ち続けると、世界プロ野球史上空前絶後の記録の後に、「もしか」とか「やっぱり」とか、◯☓とか、□△とかを話していると、私たちの側に老婆がいつの間にかいるではないかい。
あたしの銀杏が見つからないの、と言う。
何でも茶碗蒸しの中の銀杏をお箸でつかもうとしてスルッと落ちてしまったのだと言う。何処へ行ったんでしょうねと言って、アッチコッチを探すではないか。
おばあちゃんいいじゃないと息子とおぼしき声、私の銀杏を食べてと嫁とおぼしき声、おばあちゃん私が探すからと孫とおぼしき娘の声、店内二十人近くが銀杏一個に集中したのだ。「オカシイワネ、イッタイドコへイッタノカシラ、クヤシイワネ、ギンナン」と、ブツブツ言って執念深く探したのだ。
私が店の若い衆に、丸いものは「もしか」とかにあるんだぜ、「やっぱり」とか「まさか」の処にあるんだよと言った。ヘイ、わかりやしたと探したが見つからないのであった。歴史はすべからく謎の中にあるものなのだ。
すこぶる食欲旺盛の老婆は出たものはしっかり食べた、しかも銀杏を諦めきれなかったのか、息子とおぼしき男の人がレジで勘定している間も店の下の方をずっと見ていた。
アレこんな処に銀杏がと言ったのは私たちの隣でランチをしていた会社員風四人組、その中の一人の靴の中に銀杏が入っていたのだ。
高いカウンターの処から落ちてバウンドをしてすっかり入ってしまったのだろうと友人が言った。まさか、きっと老婆が立ち上がった時、衣類の何処かについていた銀杏がポトンと落ちたのだろうか。
なあーんだびっくりしたなあと店主の声。その時、老婆は既に退店していた。
今度来たら握って出してあげなよと洒落たひと言を四人組の中の一人が言った。
十月二十八日(月)の午後の出来事だった。
松茸土瓶蒸しの方の銀杏は、ちゃんと口から食道を経て転々としながら老婆の胃袋に入った様だ。
田中将大選手の事は、私の「老婆心」で終わってくれる事を祈るのみだ。
神は時に残酷で、時に移り気だから。