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2014年3月18日火曜日

「母悲し」




「私は死ねない」が口癖だった、歌手安西マリアが六十歳でこの世を去った。
母は我が子のために命がけで懸命に生きていた。
それは、三十歳の長男が知的障害を抱えていたからだ。
また八十五歳の母親は認知症であった。

♪〜ギーラ、ギーラ太陽が〜、でお馴染みの「涙の太陽」が大ヒットしたが、それ以上のヒットには恵まれなかった。
皮肉にも安西マリアにそれ以上の太陽は降り注いでくれなかった。
生んでくれた母親と、自ら生んだ我が子の介護のために身を粉にしてその歌を歌い続けた。

六十歳になった時、オールヌードになったのもお金を稼ぐためだった。
こんな悲しい話を知った時、一本の映画を思い出した。

映画の題名は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」第53回カンヌ国際映画祭グランプリのパルムドールを受賞した作品だ。平塚の映画館の片隅で、泣いて、泣いてしまった。
主人公セルマ(ビョーク)は昼は工場、夜は家で内職、一日中働き続けている。
遺伝子的疾患でいずれ視力を失ってしまう息子の手術代を稼ぐために。
セルマ自身も遺伝病で視力を失っていた。

ある日、親切だと思っていた隣人に必死に貯めたお金を奪われ、それを取り返す過程で殺人を犯してしまう。運命の歯車は音を立てて狂ってしまう。
囚人となったセルマは静かで謙虚な女性だった。

大好きな歌を頭の中で歌う時だけミュージカル映画の主演女優になれる。
高らかに歌い、華麗に舞う、歌うのは辛すぎる現実から離れるためのセルマの唯一のはけ口だった。明るく歌いながら心は泣いている。
空想の世界で楽しそうに歌うほど、心は泣き続けていた。

そしてクライマックス、セルマの歌は空想の世界を破り、現実に喉を震わす時がやってくる。現実の艱難辛苦が重すぎて、空想の中で処理する事ができなくなってしまったのだ。聞こえてくるのは、余りに美しく儚い。

この映画を観て泣かない人は、きっといないだろう。
安西マリアよ、母として懸命に生きた母を、知的障害を抱える身の我が子はきっと、きっとお母さんありがとうと言っているだろう。
認知症の母はきっと我が子よありがとうと言っているだろう。
夫とは離婚していたのでその苦労は計り知れないほど大きかったはずだ。

歌は華やかでも、歌手の一生はそれとは逆だ。涙の太陽に合掌。
来たる休日、ダンサー・イン・ザ・ダークを観て下さい。
レンタルされています。日頃の親不孝がきっと治ります。

2014年3月17日月曜日

「大人の仕事」


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極めて杜撰で未熟であった。
彼女(小保方さん)程度では無理だった。

「ミス通用せず」「過度な成果主義」「日本の科学研究に傷」心身共に疲れている様ですみませんとうなずいた。あってはならない事、論文の体をなしていない。
などなどあらん限りの批判の言葉を、小保方さんが所属している「理化学研究所」のセンター長やプロジェクトリーダーや小保方さんの上司に当たる先生方が、含み笑いやシラーとした顔。
ニタニタ顔や怒りを露わに語る四時間の記者会見は、さながら魔女狩りの如くであり、欠席裁判であった。

ノーベル賞受賞者の偉い先生が理事長なのだが、謝罪はしても“責任者として責任を感じている”と言った人は一人もいない。
全て一人の若い研究者がやった事、人類への朗報となるべく大発見の論文を読んでもない、見てもない結果だ。これから勉強せねばとか、時代のなせる業だとか。
名だたる先生の名が十人もその論文にあったのだ。
ある学界通の人などは、これは“氷山の一角”だというではないか。

月間文藝春秋四月号に「STAP細胞捏造疑惑に答える小保方さんがかけてきた涙の電話」という大見出しがある。インタビューに応えているのは、山梨大学教授若山照彦氏だ。 
176頁から183頁まで、その最後にこう書いてあった。
「認められるまで時間はかかるかもしれませんが、STAP細胞は間違いなく、再生医療の分野に新たな光を投げかける偉大な発見です。僕は、生物学の不可能に挑戦し、見事成功させた小保方さんを温かく見守っていきたいと思っています」

このインタビューを受けた後きっと若山照彦教授には四方八方から強いプレッシャーが掛かったのだろう。テレビに出て来る度に教授の顔は暗く重く、辛いものに変わっていった(文藝春秋は既に出来上がり済みだった)。

三月十五日朝日新聞朝刊一面に福岡伸一青山学院大学教授(生物学)は、長文の記事を寄せていた。「過失か作為か明確に」の見出しであった。
その最後に「今回の論文発表直後から世界中の研究者の集合知的なあら探しによって問題点があぶりだされた。最高権威だった科学誌の審査が機能せず、草の根的なレビューが機能したという点でも興味深い」。

私見だがやってはいけない事は、きっとみんながやっていたのを真似たのかもしれない。あまりの大発見に功を焦って舞い上がったのかもしれない。
天才たちがやる事は、私のような場末の凡才には全く分からないが。
小保方晴子さんという未だ三十一歳の研究者を大人たちが寄ってたかって糾弾するのは、見ていられないほど酷い会見だったのだ(オンナをイジメるやせ男という言葉があった)。

誰か一人位、小保方さんは発表の方法は大変な間違いを犯してしまった、それを見抜けなかった我々がSTAP細胞という夢の再生医療への可能性の追究には時間を頂きたい。
若い研究者の熱意と可能性に機会を与えて頂きたい。こんな大人の言葉を聞きたかった。

私の大切な恩人、知人、友人たちが再生医療への成功を心から待望んでいる。
安倍晋三総理も難病と闘っているのだから。
ここは一人の患者として、科学者として「やってない事をやってしまった事は大いに反省すべきだ、今は詳しくは分からないが、いずれ事実は判明するだろう。ただ研究の歩みは止めないでほしい。再生医療を待つ人類のために、若い研究者たちは、この事で決して萎縮しないで日々研究をしていただきたい。成功の裏には山ほど失敗があるのだから。私も期待しています」こんな一文を新聞の読者欄かなんかに寄せてくれたら思った。
いずれこんな一文に会えるやもしれない。

メゲルなリケジョ、しっかり研究してみんなの前でSTAP細胞を作る過程をキッチリ発表して汚名を返上して下さい。

私は小保方晴子さん(31)を信じています。
何故なら目がキラキラ輝き、澄み切っていた。真っ白い割烹着が亡き母を思い出してくれたからだ。大人の最大の仕事は、若者を愛情込めて育てる事だ。

親木から落ちた種から生まれた木を「味生」という。
椿の味生からきれいな花が生まれた。

2014年3月14日金曜日

「梅が消える市」


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「人生は恐ろしい冗談の連続である」この言葉を座右の銘にしているというのは、週刊プレイボーイの元編集長、島地勝彦氏(72)だ。

人生に必要なのは、エスプリとユーモアとセンスだと新聞のコラムのインタビューに応えていた。いい事も、悪い事も、何事も冗談と思っていれば有頂天にならず、ピンチや不運の時にも冷静でいられる。雑誌の編集長は並大抵の人間には務まらない。

「おすぎとピーコ」の「おすぎ」が最近見かけないなと思っていたら、実は佐村河内守になっていたのでは(?)とか。

十二日の参議院予算委員会に18年振りに質問に立ったアントニオ猪木が、「元気ですかー」と絶叫し、委員長から心臓に悪い方もいるのでお控え願いたいと注意されたとか。

大臣が企業に対して、ベースアップしないと後で何があるかワカッテンダローなどと脅すとか。マレーシア航空の大型旅客ジャンボ機が何処へ行ったのか消えてしまった。

東京「青梅市」から「梅」の字を取ったら、「青市」になってしまう。
梅の名所の美しい梅の木がアブラ虫によって「輪紋病」というのにやられてバッサリ全てを切られてしまうという。農作物に悪影響を及ぼすとか。
我が家の小さな庭にある二本の梅の木にここ数年さっぱり梅の実がならなくなったのは、「輪紋病」であったのかもしれない。アブラ虫め、フマキラーをたっぷりかけてやる。

日本人の半導体技術者が韓国の企業にバシャバシャ情報を流していたという。
武器三原則を見直して武器輸出をするべしとか。
ヤクザ者よりヤクザ者みたいになった清原和博が支離滅裂なのは血糖値が高いからだとか。川内原発の審査は終了させて早く再稼働をしろと脅しているとか。

「元気ですかー」なんて叫んでいられない事が冗談とも本気とも区別のつかない世の中は、恐ろしい方向へと突き進んでいる。
それにしても、おすぎの顔と佐村河内守の顔があまりに似ている。
こう思ったのは私だけだろうか(?)早速、ある雑誌のインタビューに応えていた。
“激白”とか言って。佐村河内守はベストセラーを狙っている。

屋久島に334ミリの雨が降ったとか。想像もつかない。
知人夫婦がいるのだが大丈夫だろうか。

今日はホワイトデーだ。今日位は悪い冗談のない、“純白の日”であってほしいものだ。
“激白”なんて世の中オチョクルのもたいがいにしろだ。

これは本当の冗談ではと思うのだが、何と木村拓哉があろうことか宮本武蔵になるというではないか。佐々木小次郎が沢村一樹とか。春一番のドラマが生まれたらしい(?)

宮本武蔵は決して風呂に入らず異臭を放っていたと伝えられている。
風呂に入っている時は丸腰で襲われたらヤバイからだ。兵法者はそれを心がけていた。
木村拓哉も異臭を放つほどの心がけでなければ宮本武蔵にはなれない。
間違ってもメンズエステなんかに行っていたら駄目なのだ。

2014年3月13日木曜日

「負けないで」




曲名紅白順番による。

銀座カンカン娘、東京ラプソディ。
虹色の湖、銀座のロマンス。
涙の季節、スワンの涙。
涙の乾くまで、小さなスナック。
京都の恋、エメラルドの伝説。
この広い野原いっぱい、若者たち。
なごり雪、風。わかれうた、22才の別れ。
恋に落ちて、I LOVE YOU
桃色吐息、リバーサイドホテル。
春よ、来い、遠く遠く。
小指の思い出、グッド・ナイト・ベイビー。
太陽がくれた季節、星のフラメンコ。
手紙、傷だらけのローラ。
恋の奴隷、港町ブルース。
みずいろの手紙、シクラメンのかほり。
北の宿から、東京砂漠〜おいしい秘密。
喝采、見上げてごらん夜の星を。 
Jupiter、ドリフメドレー。
カブトムシ、イージュー★ライダー。
ありがとう、やさしくなりたい。
六本木心中、TOKIO
なんてったってアイドル、男の子女の子。
どうにもとまらない、Born This Way〜東京五輪音頭〜Born This Way
ひだまりの詩、Someday
愛のさざなみ、アンパンマンのマーチ。
川の流れのように、帰ろかな。
笑って許して。

55曲、この曲名を見て何人歌っている歌手の名が浮かぶか。
全然浮かばない人のために。

歌手名紅白順番による。
高峰秀子、藤山一郎。
中村晃子、ザ・タイガース。
ピンキーとキラーズ、オックス。
西田佐知子、パープル・シャドウズ。
渚ゆう子、ザ・テンプターズ。
森山良子、ザ・ブロードサイド・フォー。
イルカ、はしだのりひことシューベルツ。
中島みゆき、風。
小林明子、尾崎豊。
高橋真梨子、井上陽水。
松任谷由実、槇原敬之。
伊東ゆかり、ザ・キング・トーンズ。
青い三角定規、西郷輝彦。
奥村チヨ、森進一。
あべ静江、布施明。
都はるみ、内山田洋とクール・ファイブ〜桑田佳祐。
ちあきなおみ、坂本九。
平原綾香、ザ・ドリフターズ。 
aiko、奥田民生。
いきものががり、斉藤和義。
アン・ルイス、沢田研二。
小泉今日子、郷ひろみ。
山本リンダ、レディ・ガガ〜三波春夫。
Le Couple、佐野元春。
島倉千代子、ドリーミング。
美空ひばり、北島三郎。
そして和田アキ子。

こりゃ一体なんのこっちゃと思うでしょうが、実はこの55曲、55名の歌手&グループをたった一人で唄った本人になりきり、歌いきったのがサザンオールスターズの桑田佳祐です。
第一回の次は第二回と決まっています。
そうです、桑田佳祐のひとり紅白歌合戦です。

昨年暮れ十一月三十日、十二月一日、三日、四日の四日間、パシフィコ横浜国立大ホールで開催されたのです。
そのDVDが発売されました。一枚7000円。
第一回から五年を経て第二回が行われたのです。一人で全曲三時間半。
食道癌を手術した人間の空前絶後のエンターテイメント・ショーなのです。

恩人、知人、友人が癌と闘っています。
みんなに一枚ずつ送って上げたいと思うのですが、送ってもらった物より、自分で買った物の方がちゃんと見るはずです。

私のかかりつけのお医者さんである大野クリニックの大野俊幸先生は、桑田佳祐の中学の同級生で野球部で一緒。当然行ったと聞きました、美しい奥様と共に。

第一回のDVDは勿論私は買いました。
第二回は現在思案中、何故なら未だ第一回の興奮が染みこんでいるからです。
何しろ奇跡的な事をやってしまう超天才による、超人間的暴裂絶唱熱唱豪華絢爛抜群振付全員満足大興奮物なのです。

病は気から、決して癌に負けないで下さい。
歌って笑う事は最高の治療法といいます。ZARDの歌は今回唄わなかったけど、
♪〜負けないで、まけないでを。第三回にはきっと唄ってもらいましょう。
大野先生にお願いして。

2014年3月12日水曜日

「三月十二日に思う」




昨日三月十一日午後二時四十六分、あなたは何をしていましたか。

〇歳の子は三歳となり、七歳の子は十歳になり、五十七歳の人が六十歳になり、六十七歳の人が七十歳になり、七十七歳の人が八十歳になり、九十七歳の人は百歳になっている筈です。

あの日恐竜と化した海は、今何事もなかった様に静かに青く光っています。
野獣と化した大地には何も無くなっています。

あの日から数ヶ月はやれ炊き出しだ、やれ水だ、米だ、パンだ、缶詰だ、衣服だ、ボランティアだ。ボランティアだと集った人々は激減した。
私も衣服類と、いくばくかのお金を送ったりしたのだが、それは自分自身への気休めに過ぎない偽善的行為だった。

何をしていいのか本当のところ分からない。
PTSDとか、鬱病により自殺する人が後を絶たないと聞くと胸が痛むのだが、何をしてあげていいのかが分からない。また何をすべきかさえ分からない。

鬱を体験した人は決して被災地に行ってはいけないと医師は言う。
何故ならその惨状を見たら決定的な鬱となってしまうからだと言う。

三月十一日を題材に写真を撮りまくった写真家、詳細にスケッチした画家、ドキュメンタリーフィルムにした映像作家、劇映画にした映画人、小説に、エッセイに、テレビドラマに、歌に、詩に、短歌に、それぞれの分野の人がそれぞれの形にしていた。
哲学者と宗教家は延々と語り合った。何もかもが答えの出ない事であった。

それは、それをする事により、自分自身を慰め癒やす事ではなかったのではないか、そうでもしないと自分の中の自分が破裂して分解されてしまうからではないかと思う。

私も三つ歳をとった。
被災地の人々は「忘れられる事がいちばんの恐怖だ」という。
私は何をすべきか、出来る事なら誰か何をしろ!と命令してほしい。
命令されたからと言って、ウルセイ!黙ってろなんて決して言わない。
心底人の痛みを知り、人を癒やすという事は人間には出来ないのかもしれない。

せっかく世紀の発見!といわれたSTAP細胞について、若い学者のアラ探しをしている。
あらゆる学会の常識で若い才能は徹底的に潰すらしい。
寄ってたかってイジメ抜きをしないと、学界中で村八分にされるからだ。
 こちらは何年経っても変わらぬ学閥権威主義だ(東大、京大が早稲田にしてやられる訳にはいかねんだと)。

3.11の時、とっかえひっかえ出て来て原発は安全安心ですと言ってた学者たちは、今何をしているのだろうか。生きていれば三つ歳を加えている筈だ。

私の敬愛する演出家が難病と戦っている。
いち日でも早く再生医療が始まる事を願っている。
もしかして他の遺伝子細胞を作っている人々が、STAP細胞を作っている人々を×××にしてやるなんてと、穿った事を思ったりしてしまう。

悪魔はモナリザの如く優しく微笑するという。

2014年3月11日火曜日

「米と刃」


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おじいちゃんを、おばあちゃんを。
父を、母を。
兄を、姉を、弟を、妹を。
息子を、娘を。愛する人を。
尊敬する恩師を、親友を、夫を、妻を、社長を、同僚を、後輩を。
大好きだった先生を。
漁師さんも、農家の人も、大工さんも、床屋さんも、お肉屋さんも、八百屋さんも、お豆腐屋さんも、ラーメン屋さんも、洋品店も。

何もかもの日常があっという間に消えてしまった。
大地震、大津波、原発破壊、放射能汚染。
天災であり、人災であり、文明災である。

一万数千人が死亡し、今なお二千五百人以上が行方不明だ。
十数万人が現在も帰る場所がない。

世界で唯一の被爆国である日本に、五十四基の原発があり、続々と再稼働を申請している。巨大災害は今後数兆円、数十兆円、数百兆円の巨大復興利権と化した。
本年度予算だけで三.三兆円、それに群がる邪悪な人間たち。
放射能は数十万年消える事はない。

その内に何度も何度も大地震、大津波、原発破壊、放射能汚染を繰り返し、日本は本当に沈没してるやもしれない。何しろ世界で最も危険な地震帯の上にある列島なのだから。
今から一分後かもしれない。今夜かもしれない。明日か明後日かもしれない。
その日は必ず来る。


やり場のない悲しみと怒りを、国全体も国民全体も共有していない。
既に風化が始まり、他人事の様に語り始めている。
自分たちとは関係ないや、仕方ないや、やっぱり原発が無いと24時間電気は使えないし、電気代は上がるし、景気は良くならないからと。

東日本大震災を風化させてはならないと、日本を代表するグラフィックデザイナー浅葉克己さんと、鉄のアーティスト小谷中清さんと創った四メートルの鉄骨のモニュメント「祈りの塔」は、様々な条件と規制で今も小谷中さんのアトリエの中にある。
何としてもどこかに置きたいと思っている。

無毛な論争を止めねばならない。責任のなすり合いを止めねばならない。
一年三六五日、日本全国のテレビからあの津波のシーンを見せ続ける位の事をしないと風化してしまうだろう。午後二時四十六分を東日本大震災の時間としなければ駄目なのだろう。

阪神淡路大震災を語る人は、その被害にあった人々以外少ない。
一度ある事は二度ある、二度ある事は何度でもあると伝えられて来ている。
そしてそれは歴史として証明されて来た。
許されざる者たちは、あろう事か他国へ原発を輸出しようとしている。
神をも恐れぬ行為といえる。天罰以上の事がその者たちを襲うだろう。

 否、悪い奴ほどよく眠るというから、許されざる者たちは大きなイビキをかいて枕を高くし熟睡しているかもしれない。
人は育てた様に育つというから、誤って選んだ人間が政治を行えば、誤った様に国も育って行くのは必然だろう。

この三年間どこのテレビ局が風化させまじとドキュメントを放送したのかをチェックしてきたが、一位は日本テレビ、日曜深夜のNNNドキュメント、次がNHKスペシャル、その次がTBSの報道特集、その次がテレビ朝日の報道ステーション。
残念ながらフジテレビとテレビ東京にはその姿勢は殆ど無かった。

NHKは原発反対の気骨ある人間を、この春の人事であっちこっちに飛ばすと聞いたから、今後激減するだろう。
会長籾井勝人の「籾」という字は、「米」を「刃」で切り落とすの意味にもとれる。
日本は古来「米の国」だから、国を切り落とすのがその役目なのかもしれない。

2014年3月10日月曜日

「ひょっとして」



一五四分の記者会見を分析すると、一+五+四=(十)となる、花札博打のオイチョカブでは、(十)はブツツリとかブタという。最っとも弱く嫌われる数字だ。

この世に愉快犯という不愉快な犯罪的人間がいるのだが記者会見の主人公佐村河内守は極めつきの愉快犯といえる。
目立ちたがり屋で自己顕示欲が強い。世の中が大騒ぎする事を好む。

最っとも性質の悪い愉快犯は放火魔だといわれている。
人の家に火を放ち燃え盛る家を見て興奮する、野次馬が集まり消防車が何台も集まるのを見て、自分が主役なんだと思い込む。
放火魔は必ずその現場にいると決っている。

一五四分、つまりブタ会見となった佐村河内守にとって何十台ものマイク250人近い記者会見の群れ、バシャバシャ切られるシャッターの音、ピッカピカ光るストロボの光り、それは、それは、途方もない快感を味わった事だろう。日本中の関心が集中したのだから。

せっかくの凄い才能を切り売りし削り取られてキュウリの様になった新垣隆先生、逆に人の才能をたらふく食べ尽くした愉快犯の対比は極めて映像的だった。
十八年間同じ役を演じるのは並大抵の悪党では出来ない。

Yシャツの第2ボタンを外して素肌を見せる男は、コンプレックスの強い男、見栄っ張りのエエ格好しに多い。(カタカナ業界の男に弱い)
天地神明に誓ってを連発する人間は絶対信用してはいけないと取り調べの達人刑事は言う。又、相手を名誉毀損で訴えるというのも愉快犯の特徴だ。

まずいヤバイ、私もすっかり佐村河内守の術中に嵌まってしまったようだ。
騒げば騒ぐほど喜ばせる事になるのだから放って置くのがいちばんだ。

何かにつけて物好きの私としては、新垣隆先生に一度作曲を頼みたいなと思っている。果して今の日本の音楽界に新垣隆先生ほどの作曲家はいるのだろうか。

佐村河内守は市中引き回しの上、打ち首のケイにするかたけし軍団に入れてもらい、更にかくし芸を磨くしかない(?)。
待てよ変身術、変装術を生かして探偵になるという奥の手もあるな。
ひょっとすると十八年間の「嘘と天地神明」なんていう題名の本を出すかも知れない。

本の腰巻きの宣伝文には、「許せ義手の少女よ、許さんぞ暴露した新垣隆よ」“現代のベートーベンの赤裸々な告白!”なんてやりかねないぞ。

2014年3月7日金曜日

「寒い日と寒い人」




昨日三月六日は「啓蟄」。
いよいよ春だわなと地の下にいた虫たちが地の上に顔を出すと、ちゃんと辞書に書いてある。

朝窓を開け空をば見ると青々としていた。青空となればアロハだなと思った。
アロハならその下は白いTシャツと決まっているので、その方程式に従った。
その上にコートにするかと思ったがひょっとして夜は寒いかもなと思い、カーディガン風のジャケットを着た。

で、玄関を出ると結構寒いけどまあコートを着ればいいだろうと仕事場へ出発した。
駅のホームに立つと北風がヒューヒュー吹いてきた。
まあ大丈夫だろうと列車に乗り込んだ。

初動にしくじると警察の捜査も失敗すると決まっている。
慌てて地の上に顔を出した虫たちも直ぐに元の地の下に戻った筈だ。
大事な打ち合わせを終え、大事なお客さんと別れ、今取り組んでいる仕事の成否を決める案件に対して、明日いい返事が来るといいなと思いつつ歩き出したのだが、風はビュービュー寒風となっていた。

失敗した、コートの下の軽装に容赦なく寒風が突き刺さって来る。
何故かといえば新橋駅に立つと小田原行きの列車が出たばかりであったのだ。
次の列車は約十五分後、その十五分が実に寒く長かった。
明日はもっと寒く風も強いと天気予報が教えていた。

テレビのニュースでユニクロの柳井正社長が海外戦略を熱く語っていた。
日本で二番目の大金持ちだが(一番はソフトバンクの孫正義社長)この人を見る度に何か寒々しい気持ちになる。
安くて出来の悪い商品を、海外の安い労働力で生んで世界一を目指す。売上高五兆円にするとか叫ぶ度に、何だかな〜、もっと高い志がないのかな〜と思ってしまう。
国家、国民に対しての熱風が無いから、威厳も、風格も、貫禄も(みんな同じ意味かな)感じない。

かつての五島昇東急グループ総帥みたいな、凄い、格好いい、素敵、スケールが大きくお洒落でダンディ、青い空とヨットが似合う、そんな人と比べ様もないが。
柳井正社長には野心と野望と銭勘定しか感じない。
一兆円も二兆円近くもお金があるんだから、映画にバンバン出資せよ、芸術家を育てよだ。

西武百貨店、パルコ、セゾン劇場、良品計画、無印良品などの文化を生んだ、故堤清二氏は、インテリの持つ独特のニヒリズムや、血脈の暗さが生む前衛的センスや、経営者としてのロマンチシズムや、文人、詩人としての独特の世界観があって、何か抜き差しならぬ静かなる殺気を放っていた。
東急と西武は知性の遊びある野性と、怨念の刃を宿した知性とのゾクゾクする対比があった。

何だか話が外れてしまったが、冷えた体を一気に温めるために飲んだお酒が回って来てしまった様だ。

明日はきっと吉永小百合の歌みたいな朝だろう♪〜北風吹きぬく 寒い朝も 心ひとつで 暖かくなる 清らかに咲いた 可憐な花を みどりの髪にかざして 今日も ああ
北風の中に 聞こうよ春を 北風の中に 聞こうよ春を

2014年3月6日木曜日

「狂」

※イメージです



「僕らはみんな生きている」そんな題名の映画が何年か前にあった。

三月五日は朝から雨がシトシト、昼からはジャンジャン、夜になるとバシャバシャ降って来た。前日殆ど眠っていなかったので傘をさすのも面倒であったが、三月六日十二時からの大切な打ち合わせのために企画書を書かねばならない。

私の仕事は受けたら最後どんな状況になっても約束の日、約束の時間にビシッと提出しなければ、プロ失格となり僕らはみんな生きていけなくなる。
鬱だろうと、躁だろうと、風邪だろうと、激しい頭痛だろうと、激しい腹痛や下痢だろうと、イボ痔だろうと切れ痔だろうと期日には間に合わせなければならない(インフルエンザやノロウィルス、伝染病になっていても何処からか送らなければならない)。

プロとアマの差といえば、泣きを入れるか、泣きを入れないかで決まる。
一流になり、超一流になっていく人間は、泣きを入れない。病気や体調のせいにしない。
体調が悪く、それ故仕事の出来も悪かったでは絶対許されないのがプロの世界だ。 
40度以上の熱が例えあっても、前の日のお付き合い(自分のせいも多い)でガンガン飲んで、宿酔で頭がガンガンしても約束を守らねばならない。

私の知る限り一流、超一流はどんな状況でも、いとも簡単に仕遂げた様に、抜群のアイデアや抜群の案をちゃんと約束の時間に送ってくれる。

その逆の人間は多い。
見るからに仕事に熱が入っていない。気合も入っていない。
何かを成し遂げようというプロ意識がない。それが仕事に表れる。
徹底的に自分と戦う人間でないと、ただの人間で終わる。
仕事の話をしている最中に、あ〜疲れた、あ〜早く帰りたい、あ〜面倒臭い。
そんな気配を出す人間は私たちの職業には向いていない(どの仕事も無理だろう)

「僕らはみんな生きている」、僕らとは何か、みんなとは誰か、生きていくとは何か。一つ一つを分断して自分が何をすべきかを考えねばならない。
若いという事は年老いてないという事なのだから、一つの生き方でなくいろんな生き方に挑戦が許される。
触ったら火傷する様な熱さを持て、好奇心の翼を広げ世界を目指せ。

先日ある若者から人生の相談を持ち込まれた。ボンヤリと目が死んでいる。
体から疲労感しか感じない。僕はこのままでいいのでしょうか。
なんて情けない事を言う。妻もいる、子が生まれる。

お前には下らないプライドと自己弁護と、他者への嫉妬と羨望と、現状への不平不満ばかりじゃないか。お前少し体の調子が悪いんじゃないか、よく眠れてるかと聞けば、ハイ、それは大丈夫です、毎晩ちゃんとよく眠ってますと顔を上げた。
何だよ、マッタクもっと悩み苦しめ、となってしまった。
このブログはその人間もきっと読んでいるだろう。

とことん馬鹿になる事、とことん狂う事だ。ある超一流のプロが言った。
「何かに狂う」事から最高の作品は生まれると。
何かはその人間が決めればいい(ただ決して狂ってはいけない事も数多い)。
さあ、それでも僕らはみんな生きていこうではないか。
 
この頃凶悪な通り魔事件が多くなった。何かが狂ってしまって来ている。
一人歩きには十分気を付けて下さい。目つきがイッちゃってる人間、飛んじゃっている人間とかには、決して近づかない様にして下さい。

三月六日午前二時四十分三十一秒、イワシのショーガ煮を二匹食べながら雨音をBGMにグラスを傾け始めた。映画を一本観る事とする。

2014年3月5日水曜日

「寿し利の謎」




お寿司を食べる時は、心を許せる人とか、長い付き合いの人とか、阿呆とか馬鹿とか言い合える人がいい。暗い、理屈ぽい、辛気臭い人は極力避けた方がいいと思っている。
それとワイワイガヤガヤしている店もよろしくない。
親父さんと奥さんと若い衆が一人か二人位が理想だ。


先夜、心から大好きな、長い長い付き合いの大手広告代理店の友人と久しぶりにお寿司をつまんだ。

この店には親父一人しかいない。
奥さんは施設に入っている(少しずつボケてしまった)。
若い衆はむかしいたのだが今は一人もいない。ついでにお客という者がいない。
長い付き合いなのだが、お客さんがいたのは数える程しかいない。

トイメン(目の前)が寿司屋であり、隣も寿司屋である。
寿司屋の名を「寿し利」という。
お客が来ない度99.9%位だからギネスブックに載るかもしれない。
ネタは普通、値段も普通。

昭和初期のラジオの様なものからチューニングはずれの大きな音が流れている。
ラジオウルセイというと、林家木久蔵にメガネを掛けさせ、日本手ぬぐいでハチマキした様な親父が、ヘイ、ヘイ、ヘッヘッヘッと不気味に笑う。

私はこの不気味さと、全くお客がいない静けさが好きなのだ。
友人と二人で座る。カウンターのみ、十人程しか座れない。
奥さん元気かというのが始めに言う言葉とほぼ決まっている。
とても品のいい女性だったのだが、リーマン・ショック後、ガタン、ガタン、ガタンとお客さんが減り、心配で鬱病になってしまった。鬱に詳しい身の私はその辛さが分かる。

いつしか「俺が来ねえーと潰れちまうんじゃねえか」と思う様になり、ゆっくり、じっくり、楽しく話をする時は「寿し利」にする。やっぱり一人もいない。

久ぶりに会った最高の友人と話が弾む。
お寿司は正直な食べ物で、あんまり好きでない人とか、あんまり好きでない話をしながら食べるとさっぱり旨くなく、なんだメシの上に刺し身の切れっ端が乗ってるだけの味となってしまうのだ。

先夜は本当に二人だけで楽しかった。
普通の寿司が特上みたいに旨かった。

ところで握り寿司はいつ誕生したか、それは文政年間(181830年)江戸からと伝えられている。福井県出身の寿司職人「華屋与兵衛」が確立したらしい。
与兵衛は酢を混ぜた飯と、酢で〆たり煮たりして、一手間加えた江戸湾の魚介を握り屋台に並べた。手軽に腹が満たせるとせっかちな江戸っ子の評判を呼んで江戸は寿司屋だらけとなっていったらしい。

実はこの話を教えてくれたのが「寿し利」の親父だった。
本人は、ヘッヘッヘッ忘れましたというのだが、中々の教養人なのだ。
他の寿司屋でこの話を知っている板前に会った事はない。

久しぶりの友といい時間を過ごすには是非「寿し利」をご利用くだされ(私は喫わないが煙草もOK)。多分お客は一人もいない。でもずっと潰れないという謎めいた店なのです。