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2014年3月18日火曜日

「母悲し」




「私は死ねない」が口癖だった、歌手安西マリアが六十歳でこの世を去った。
母は我が子のために命がけで懸命に生きていた。
それは、三十歳の長男が知的障害を抱えていたからだ。
また八十五歳の母親は認知症であった。

♪〜ギーラ、ギーラ太陽が〜、でお馴染みの「涙の太陽」が大ヒットしたが、それ以上のヒットには恵まれなかった。
皮肉にも安西マリアにそれ以上の太陽は降り注いでくれなかった。
生んでくれた母親と、自ら生んだ我が子の介護のために身を粉にしてその歌を歌い続けた。

六十歳になった時、オールヌードになったのもお金を稼ぐためだった。
こんな悲しい話を知った時、一本の映画を思い出した。

映画の題名は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」第53回カンヌ国際映画祭グランプリのパルムドールを受賞した作品だ。平塚の映画館の片隅で、泣いて、泣いてしまった。
主人公セルマ(ビョーク)は昼は工場、夜は家で内職、一日中働き続けている。
遺伝子的疾患でいずれ視力を失ってしまう息子の手術代を稼ぐために。
セルマ自身も遺伝病で視力を失っていた。

ある日、親切だと思っていた隣人に必死に貯めたお金を奪われ、それを取り返す過程で殺人を犯してしまう。運命の歯車は音を立てて狂ってしまう。
囚人となったセルマは静かで謙虚な女性だった。

大好きな歌を頭の中で歌う時だけミュージカル映画の主演女優になれる。
高らかに歌い、華麗に舞う、歌うのは辛すぎる現実から離れるためのセルマの唯一のはけ口だった。明るく歌いながら心は泣いている。
空想の世界で楽しそうに歌うほど、心は泣き続けていた。

そしてクライマックス、セルマの歌は空想の世界を破り、現実に喉を震わす時がやってくる。現実の艱難辛苦が重すぎて、空想の中で処理する事ができなくなってしまったのだ。聞こえてくるのは、余りに美しく儚い。

この映画を観て泣かない人は、きっといないだろう。
安西マリアよ、母として懸命に生きた母を、知的障害を抱える身の我が子はきっと、きっとお母さんありがとうと言っているだろう。
認知症の母はきっと我が子よありがとうと言っているだろう。
夫とは離婚していたのでその苦労は計り知れないほど大きかったはずだ。

歌は華やかでも、歌手の一生はそれとは逆だ。涙の太陽に合掌。
来たる休日、ダンサー・イン・ザ・ダークを観て下さい。
レンタルされています。日頃の親不孝がきっと治ります。

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