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2015年4月24日金曜日

「たった一機に」




浦賀に黒船が来てからずっと日本国はアメリカから開国を迫られている。
日本にとってアメリカ国はタチの悪いヒモみたいなものだ。

一度は別れたいと思い宣戦布告なしに真珠湾を攻撃した。
目的は資源が必要だから。アメリカに資源を断られ追い詰められた。
それから先は軍部の大暴走となり、そこいら中の国に侵略をしていった。
マトモな軍人はハナから勝てないことを知っていた。

その上あろうことかよその国に新しい国をつくってしまった。
満州国である。俗に満州サンスケといわれる三人がいた。
一人は岸信介(後の総理大臣)、一人は鮎川義介(日産自動車をつくった)、一人は松岡洋右(国際連盟を脱退宣言した)。
 この三人と軍部など(東條英機とか)がくんずほぐれつ利権を追っていった。
また里見甫という阿片王が上海の麻薬利権を一手に握っていった。

満州と上海は闇の中の闇であった。
里見は戦犯となり極東裁判で「あなたは何をしてましたか」などと質問され、阿片を取り扱ってましたと応えた。上海の麻薬は里見を抜きには動かせなかった。
上海の軍部や里見たちは情報を一元化すべく整理整頓をした。

その結果、外信は時事通信、国内は共同通信となった。
 新聞、雑誌などの宣伝広報をやれといわれて出来たのが現在の電通という代理店である。電通の大株主は、時事通信と共同通信なのはそこから生じている。
早い話三者は兄弟分なのだ。

さて、アメリカという性悪のヒモは民主主義という旗を立てて正義を語るが、インディアン等の原住民は殆ど虐殺された。
アメリカ人のいちばんの欠点は、自分たちだけがいちばん正しいと思うことだという。
第七騎兵隊気分が染み込んでいるのだ。

ペリー提督の替わりに来ていたのがフロマン通商代表だ。
民主党きってのタフネゴシエーターといわれている。
外交交渉は事務レベルで長い時間下交渉しているから、フロマンと甘利明はクサイ芝居を繰り返ししているのだ。

アメリカの上下院で演説したい総理大臣がそれが叶うということは話が出来上がったということである。TPPは何もかもアメリカのいう通りにされる。
タチの悪いヒモは、文句もいわず黙々と店に出て働き、嫌なお客の相手をしてでも稼ぎ貢ぐ女に、時にやさしく、時に泣きを入れ、時に脅し、脅迫し、また時にやさしくを繰り返す。

浦賀にペリーが来てからずっと日本の歴史は大きく変わっていない。
一度逆らって広島、長崎に原爆を落とされた。沖縄は永遠に基地として提供しますと誓ってしまった。四月二十六日総理大臣がワシントンで演説をする。
そのスピーチ原稿はすでに何度もアメリカにチェックされ朱を入れられているのだろう。

日本は資源のない国、中国に陸と海のシルクロードを押さえられたらアウトになる。
ドローン一機に官邸はアタフタしている。SPたちは上を見て警護する訓練はしていなかった。その落とし前として誰かが責任を取らされるだろう。
たった一機に夜も眠れずなのだ。(文中敬称略)

2015年4月23日木曜日

「学生は社会人ではないのか(?)」




新橋から乗車した通勤快速小田原行は、八時四十五分位に茅ヶ崎駅に着いた。
なんだよまた雨かよと外は雨だった。

階段を降りるとその先に二人の市議会議員候補者が、白い太い帯をたすき掛けにして(名前が入っている、投票前なので名は伏す)

お仕事お疲れさまです。雨が降っております足元にご注意下さい。 
52歳です、全力で茅ヶ崎をいい街にします。52歳です、茅ヶ崎出身です。
お仕事お疲れさまでした。と頭を直角に下げる。頭の中心に髪はない。

もう一人は、52歳以上と思われる。
お疲れさまです。お疲れさまです。お疲れさまです。茅ヶ崎市政を改革します。
お疲れさまです。私の政治姿勢はまっすぐです。まっすぐです。◯◯△□です(顔は四角い)よろしくご支援をお願いします、まっすぐの◯◯△□です。
とチラシを配るが手にしてもらえない。

バス乗り場、タクシー乗り場に仕事に疲れた人たちが黙々と向かい並ぶ。
無投票で選ばれた各地の市長たちがバンザイ、バンザーイ!とやっている風景をテレビで見ると、バカバカしくなる。定員割れで無投票で議員になるのが史上最多、就職活動をしないで議員に就職出来、かなりの給料や手当がもらえるのだ。 
18歳から投票権を持てる日は近い。

ふと気になる言葉がある。
大学を卒業した若者が、これから「社会人」になるのでがんばります。
すでに二十歳を過ぎている学生は社会人ではないのかと思う。
若者は正しくは「会社人」になりますとか、より責任を果たすべく社会の発展に尽くす人間になりますというべきだと思う。学生だって社会の中に生きる社会人なのだ。

私の家の斜め前に市議会議員選挙の候補者のポスターがビッシリと貼られている。
不気味な作り笑い、修整が上手くいかなかった女性の顔、そんなに恐い顔をしないでよという顔、ほぼ正方形のポスターに人格、人柄、野心、苦心、偽善が見える。

何人かはよく知っている人たちだ。
何いってやがると思う人もいる。未だやるのという人もいる。
わずか一週間の選挙選だ。
それにしても市議会議員が多すぎる。半分で充分だ。

新橋駅で切符を買っていたら、歓送迎会でイッキ、イッキをやったのか、黒いスーツの元大学生、現社会人十数人が酔っ払って奇声を発し合っていた。

あるドキュメント映画を思い出した。
東大を出た男がある市議会議員選挙(補欠)に出て、夫婦で悪戦苦闘する作品だ。
題名はズバリ「選挙」。

2015年4月22日水曜日

「ハヤシライス」






「もしもし」
「ハイハイ」
「もしもし鈴木商店さんですか」
「ハイそうです」
「少し声が変わりましたね鈴木さん(?)」
「社長は今、外に出てます」
「あっそう、頼みたいことがあるんだけど」
「何ですか」
「いろいろ捨てたいんだけど」
「どんなものですか」
「古い洋服や、古い家具や敷物、本やらなんだけど」
「軽トラで大丈夫ですかね」
「うん大丈夫だと思うけど」


それじゃ軽トラで行きますということであった。
折角来てくれるんだからと、古いゴルフクラブセット、古い靴など次々と増えていった。
家の中にはいらない物がいっぱいあるものなのです。
私も持っていってもらっていいんだと思いました。

日曜日筋肉モリモリの二人の男が来てくれました。
手際のいいこと早いこと、ハイヨ、アラヨと軽トラに積み込んでハイおしまい。
いや〜助かったよ、ありがとう、でいくらといったらハイ5000円。
いいね便利第一鈴木商店は、一度なんかすごく重い石を動かしてもらうことがあり、頼んだらブットイ鎖とゴッツイジャッキを持って来て三人でグイグイ動かしてくれた。
頼む内容に応じて変幻自在にチーム編成が変わるのだ。

三年ぶりに小庭に牡丹が咲いた、よろこんでいたら熱烈な雨のヤローのせいでヘタヘタとなってしまった。情緒のない雨が近頃多い。

尊敬してやまない天才中野裕之監督から電話があった。
仕事の合間を縫いながら一年がかりで作っていた新作の短編映画がやっと出来上がりそのDVDを送っていたのを見てくれたのだ。
鋭い批評をしてくれるので何と言われるか心配していたのだが、いや〜スゴク面白い、いい作品だと言ってくれた。
いままでにないコメディで笑いまくったよ、映画祭にどんどん出すといいですよといってくれた。

ほっと胸をなでおろした。
自主映画は超低予算、みんなで資金を出し合い、協力し合い、お願いを重ねて出来上がる。プロデューサーの仕事とはひたすらお願いする仕事なのです。
こればかりは鈴木商店さんに頼めないのです。

ほぼ一週間茅ヶ崎にていろいろインプット、アウトプットをした。
古いものを捨てて気分も新たに今日から東京の仕事場へ、デスクの女性がハヤシの旨い店に連れていってくれる。
ハヤシはカレーにやられっ放しになってしまった。
みなさんかつての大スター“ハヤシライス”に熱いご支援を。

2015年4月21日火曜日

「oluha(オルハ)から皮膚炎に悩む人に“救世主”」


4/16付 上毛新聞より

oluha Q chaku




「ダニアレルギーを救え」の大見出し、「日本化薬、アート、県繊維工業試験場」加工剤を共同開発、原因物質、衣類に吸着と中見出し、四月十六日の上毛新聞に五段+写真入りで大きく報じられた。
銀座oluha(オルハ)ショップには直ぐに電話注文が入って来た。

「ダニ」という文字ほど人から嫌われるものはない。
街のダニといえば悪い人間たちのこと。
家のダニといえば働かずに家でゴロゴロしている人間とか、カユイ、カユイを生んだりする不潔物質のことだ。

「ダニを原因とする皮膚炎に悩む患者のために、日本科学フードテクノ(高崎市岩鼻町)とアート(桐生市相生町)、県繊維工業試験場(同)は、ダニアレルゲンを肌着などに吸着させる機能を家庭で手軽に施せる加工剤を共同開発し、特許出願した。
ダニアレルゲンを衣類などに吸着させることで、皮膚への直接の吸着や鼻・口から吸い込みを防ぐ効果が期待できる。県外の寝具メーカーがすでに商品化、皮膚炎に悩む人たちの“救世主”と期待が高まっている」(新聞記事原文ママ)

ここに書かれている県外の寝具メーカーとは羽毛ふとんのパイオニア、1950年創業の東洋羽毛工業株式会社(神奈川)のこと。
昨年開かれた健康博覧会で興味を持ち商品化したのだ。

その商品のネーミングを頼まれた私は、「Q chaku」キューチャクとした。
嫌なダニアレルゲン物質を吸着してくれるのだ。
Q」はクイーンの「Q」、女王様だ。ダニを吸着してくれる女王様なのだ。
また「Q」はクエスチョン、何でダニが私に吸い付くの、子どもに吸い付くの、も〜嫌だに対する回答でもあるのだ。

ここから新聞記事抜粋、「加工剤は液体で、プラスの電荷を帯びる天然素材『キトサン』と乳酸、クエン酸、水を原料とする。これを繊維に染み込ませ、マイナス電荷のダニアレルゲンを吸着。洗濯してダニアレルゲンを除去できる。使用後のシーツから採取したアレルギー物質で吸着・除去を実験をしたところ、ダニアレルゲンをほぼ100%取り除けた」
加工剤は食品添加物で出来ており、「口に入っても安心」と試験場の独立研究員の近藤康人さんは話す。
またこれまで専門業者しかできなかった加工が家庭でできるようになったメリットは大きいと話す。

すでにアチコチから電話注文が入って来ている。
ダニに悩まされた方々、不潔大嫌いの方々、お子さんにダニをつけたくない方々は、東京銀座oluha(オルハ)ショップへお電話を。☎03-5579-9710です。

コラッ!五体満足健康なのに働かずに一日中家でゴロゴロしているとダニ退治されてしまうぞ。ちなみに安さを売りにしている羽毛ふとんなどは寝ているあいだ中ダニアレルゲンを吸い込んでいるような代物といえる。

2015年4月20日月曜日

「血族」






昨日昼、義姉夫婦と久々に会い、久々に「鰻重」を食べた。
そこで「下重」さんの本の話をした。
下重さんとは鰻重の上、中、下の下の人ではない。
NHKのアナウンサーで現在作家の女性である、「下重暁子」さんのことだ。

四月十八日に新聞広告が載っていた。
本の題名は「家族という病」すでに15.5万部を突破しているらしい。
広告に一行ずつの言葉三十一行があった。

家族を何より大切にがんばっている人には不快な三十一行であり、家族関係に悩み苦しんでいる人には共感の三十一行であるやもしれない。
本の広告をするつもりはないので出版社名は伏す。
ただ最今の出来事を見ると「家族」がその原因になっているのが実に多い、そのことを突いている言葉があったので記すこととした。

・家族を盲信する日本人
・なぜ事件は家族の間で起きるのか
・大人にとっていい子はろくな人間にならない
・遺産を残してもいいことは一つもない
・お金が絡むと家族関係はむき出しになる
・他人の家族との比較が諸悪の根源
・夫のことを「主人」というおかしな文化
・「結婚ぐらいストレスになるものはないわ」
・家族の墓に入らない人が増えている
・介護で親子は互いを理解する
・親は要介護になってはじめて弱い姿を我が子に見せられる
・家族はなぜ排他的になるのか
・家族という名の暴力
・知的な家族ほど消滅する
・家族に血のつながりは関係ない
・家族を知ることは自分を知ること…など。

広告の見出しは“家族ほどしんどいものはない”最後は一人、であった。
愛する家族を守るために命をかけてきた私にとってウームと腕を組むことが多いが、病に倒れた夫を失った母が出来の悪い六人の子どもたちを守るために働きに働いてくれた姿を思い出すと母にとって家族は、本当はしんどいものだったんだろう、ウームと腕を組んだ。

下重暁子さんはきっと「家族」というものに様ざまな天国を地獄を見たのだろうと思う。血は水よりも濃いという「血縁」という二文字にがんじがらめになり逃れられないのが世の中だ。
その日食べた鰻重は、上、中、下の中の「中」であった。
こんな一句を思い出した。「うれしさも 中ぐらいなり おらが春」誰の句であったか思い出せない。

その夜借りて来ていた2013年製作、奥田瑛二監督作品「今日子と修一の場合」という映画を見た。主役の一人は奥田瑛二さんの娘「安藤サクラ」、柄本明さんの息子「柄本佑」。二人共蛙の子は蛙であり現在最も活躍が注目されている役者だ。
二人共親によく似ていて、歩き方までよく似ている。
血は争えない。親の才能をたっぷり受け継いでいる。

映画は東日本大震災という惨事を基軸とした男と女の救いようのない物語である。
男と女を別々に描き、二人はやがてそれぞれの出来事を東京に残し、津波で流された自分の住んでいた被災の町に帰って来る。
二人はラーメン屋で出会うが見知らぬ二人であるから言葉も交わさない。
窓の外に見えるガレキを見ながらラーメンをすする。
そして女は自分の血を引いた唯一の希望(?)と会う。

家族とは何か「血」とは何かを奥田瑛二さんは追っていたのだろう。
それにしても安藤サクラと柄本佑の存在と縁起は素晴らしい。
鰻重より下重さんより、どーんと重い私好みの映画だった。
家族とは血族である。


2015年4月17日金曜日

「昨日のこと」




「地鶏」といえば一羽でもニワトリちゃんのこと。
「地取り」といえば犯人を追う刑事たちが徹底的に歩いて捜査すること。
「痔どり」とは痛い痛い痔を切り取ったり、焼き切ったりすること。

で、「自撮り」のことだが街中で自分を自分で撮影すること。
棒の先にカメラをつけて撮りまくる。
銀座和光横の御木本真珠店のところなんて自撮り屋で満杯だ。
そこに中国人集団が参加するからまっすぐに歩けない日がある。

昨日買い物をするため朝十時半ごろ和光から山野楽器、御木本真珠店前を歩き松屋方面に向かった時、バスが二台停まった。そこからどどどっと中国人が降りて来た。
爆買い集団だ、そして自撮り集団でもある。
中国人自撮り隊と日本人自撮り隊が御木本真珠店でゴッチャ混ぜとなった。

若い頃だとウルセイどけどけ歩けねえじゃないか、道をあけろい!であったが今は大人しい私なのだ。仕方ないから少しばかりヨケチャイナと中央通りに出て集団をよけた。ミャーミャー、ニャーマー、マーマー、猫の大集団だ。

着物を着た三人の中年女性がハイチーズなんてやっていたら集団に巻き込まれていた。
日本経済は中国人で持っているといっても過言ではない。
とにかく銀座中もの凄いことになっている。

鏡のたくさんある店で空いている席に座ったら自分が見えることがある。
そこでラーメンとかタンメンとか、チャーシューワンタンメンなんかを頼んでそれを食べている自分の顔を見ると気持ち悪くなってしまう。
なんてブザマな顔なんだと思いずっと正面を見ないで麺ばかりを見て早々に店を出る。
自撮り屋集団は大名行列のように移動する。

午後5時半から7時頃まで銀座oluha(オルハ)ショップで打ち合わせをさせていただき我が社の社長と外に出た。昼コンビニのサンドイッチ二枚しか食べてなかったので腹ペコ。で、銀座アスターの本店に入り、久々に五目焼きそばを食べた。
社長はビールと焼売と小籠包。ここの五目ソバ絶品だ。

午後八時そうか今日はボクシング山中慎介の世界タイトルマッチがある。
で、社長とお疲れさんをし仕事場に戻る。結局なんやかんやをして帰った。
アタマに浮かんだものを忘れない内に書いておこうと原稿を書きながら小さなテレビを見ていたら、山中選手がアルゼンチンの選手をボッコボコにしてKOした。

紙袋に資料やら本やらを入れたらゴッツイ重さとなった。
血だらけになったボクサーに比べたらこれ位のことと思い手に食い込む痛さを我慢した。夜風がやけに気持ちよかった。KOされたアルゼンチンの選手は28戦無敗、アナウンサーが愛する我が子を失った悲しみを乗り越えるためにアルゼンチンからやって来たなんていっていたのを思い出した。

さて、あなたの仕事は痛いですか、血だらけになりますか。
あなたは自分の顔をみながらおいしくゴハン食べれますか(?)

2015年4月16日木曜日

「謎の先は?」




謎の味。というのがある。
どうしたらその味に近づき超えられるか、あらゆる会社があらゆる手段で追い求めたが未だに謎の味である。

一つはコカコーラ(コークと呼べるのはコカコーラだけ)、もう一つはケンタッキーフライドチキンだ。特許を取るといずれその製法を公開しなければならない。
コカコーラとケンタッキーはそのレシピは秘中の秘、数人しか知らされていないともいわれている。謎の味なのだ。

フライドチキンは数あれどやはりケンタッキーにはかなわない。
ローマ帝国はパンとサーカスで滅びたというが、アメリカ帝国を滅ぼすのはコーラをがぶ飲みしながらケンタッキーをカブリつくことだと言われている。
肥満大国の最大の原因なのだ。

日本が生んだ謎の味、謎の肉といわれるのがある。
日清食品のカップヌードル「ダイスミンチ」というサイコロ状の肉だ。
味付けした豚肉や野菜をミンチにしてダイス状に固めた具材だ。

実はこれは六年間販売をしていなかったが今週末あたりから復活するという。
ダイスミンチの代役だったチャーシュー「コロチャー」が不人気で謎肉ファンだった人々からダイスミンチの復活が待たれていたらしい。

私は一年間に数食位しか食べないが確かに不気味な味である。
ハマった人はその謎の味から逃れられないという。
またお前は一体どんな豚肉のどこをどうやって使っているのか、野菜との結合はいかなる方法かなどと、謎解きに一生涯を費やすことになる。
魔物の復活の日は近い、謎肉の謎解きに肉体の門をいざオープン。

2015年4月15日水曜日

「悲しきピカチュー」




悲しき雨音、悲しき街角、悲しき少年兵、悲しき十六才。

私が十六才の頃ヒットしたポップスの曲には“悲しき”がついたのが大ヒットした。
当時のポップスはアメリカから輸入した曲に日本の題名をつけたので、原題とまったく違うものがほとんどだった。

昨夜うんざりする雨の中、家の前の公園を歩き抜けていると木製のベンチにピカチューの人形が横になってずぶ濡れになっていた。どの人形もシュールである。
笑っているが笑ってはいない。
ずーっとまばたきもせず、ずーっと同じ姿勢で、ずーっと遠くを見ている。

公園で横になっているピカチューはずーっと雨が落ちて来るのを見ている。
目にたくさんの雨が入っても目は閉じない。人形はとても悲しい存在だ。
公園はどろんこ状態だった。

あまりにかわいそうなので手に取ったら雨をたっぷり含んで重かった。
小さな屋根の下にあるベンチに座らせて。不気味に笑いながら私を見ていた。

ピカチューは悲しき十六才かもしれない。
悲しき街角から逃げて来たのかもしれない。
今の世の中は“悲しき”という詩的言葉が使われない世の中になってしまった。
日本人は詩情豊かな国民であったはずなのに。

小学生の頃雨が大嫌いだった。授業が終わるとみんな誰かが傘を持って迎えに来てもらえる。私は母が働いていたので誰も来てくれない。
昇降口で来るはずのない誰かをずっと待っていた。
そして一人だけとなり誰かの傘の中に入れてもらった。
ピカチューを見ていたらふとそんなことを思い出した。
私たちは人形みたいに無感情でずーっと生きてはいないだろうか。

2015年4月14日火曜日

「ヘップバーン」




43才、44才、42才、43才、47才、中には二人の孫がいる女性たち、厚化粧の熟女というか、家庭内ホステスが画面に映っている。

毎月エステにネイルに美容室に20万も30万もお金をかける。バツイチもあり。
どうみても教養があるようにはみれない。
既婚者は台所をしながらもお尻の穴をキュキュとしめて美容を保つ努力を重ねる。

こんな美容おたくを美魔女というらしい。
早い話銀座の夜の蝶みたいな仕事に勝負かけているプロと違って不気味な昼の蝶なのだ。

人から年のわりにキレイねといわれたい。
人を見て私の方が全然キレイだわと思いたい。
同窓会やクラス会、PTAや地域の集会なんかで、マァ〜なんてキレイなのとか、いつもおキレイねなんて(実は腹の中ではバカ女、厚化粧に金ばかりかけて嫌なオンナと思われている)誰にもキレイねなんていわれないと子どもに向かって、ママってキレイでしょ、学校のママたちの中でいちばんキレイでしょ、キレイっていいなさいとムキになったりするのだろう。

知るところでは、このようなタイプを妻にする男ほど浮気をしています。
家に帰ってまで厚化粧の女性はゴメンなのです。スッピンに薄化粧で十分だからです。
家はスナックやバーやクラブではないからです。

自分の女房に毎月20万も美容、化粧、エステ、ネイルのお金を払う男なんてロクな生き方をしていません。その内警察のガサ入れなんかがあるはずです。
そしてきっとパクられます。

私は美魔女っていうのは今まで、ピーターとか大御所美輪明宏さんとかみたいな種族のことだとばかり思っていた。

ちょいと調べることがあって雑誌と映像を見た。
コンビニの本棚に美魔女特集のなんと多いことかと思った。
どんなにお金をかけても快眠をしていない人は、目の周りがクマだらけです。
クマったと思ったらお化粧より睡眠なんです。

私の家には目も合わせられない、ド魔女が一人住んでいる。
クマったことにもう手のつけようがないのです。

私がいままででいちばん美しいと思った女性はシワシワになって骨と皮になったアフリカの子どもたちに言葉をかけていた、オードリー・ヘップバーンです。
まるで女神のようでした。

2015年4月13日月曜日

「存在のあまりの軽さ」



お年寄りとお手てつないでダンスをしました。
初めて農業用トラクターに乗りました。
小学校を修繕しました。
盆踊りや夏の花火大会に参加しました。
地引網をしました。
イチゴ狩りをしました。
道路を補修しました。


これは小学生の絵日記ではありません。
県議会議員とか市議会議員の選挙用のビラやチラシに書いてあることです。

バカ、アホ、何年間もかけてこんなことしかしてないのか、えっ!
運動会は◯☓回、お葬式は◯☓回、お通夜は数知れず行ったってか。
入園式、入学式、卒業式もてんやわんやとか。

何!元旦、日の出を見るときのとん汁も毎年作っていたとか、マラソン大会で水を配っていたとか、ガタガタいうんじゃないの。
政治家の端くれだったらそれなりのこともしろっていいたい。

オヤ、これが日常活動だと開き直るか。
選挙の時以外顔も見た事はない。
バカバカしいほどの給料やいろんな手当をもらって県議会議長や市議会議長なんて黒塗りの大型車で送迎だ。近所のオバサンたちはふざけんなと怒っている。
バスか歩いてか自転車で通えと大合唱だ、選挙中はほとんど自転車なんだから。
梨狩とか栗拾いとか海岸のゴミ掃除とか、畑を耕したとか、もういろんなビラやチラシを見ているとガックリしてしまう。というより情けなくなってしまうのだ。

人数は3分の1にカットすべし、大型車での送迎などは即廃止。
そういや初当選の時は安っぽいスーツだったが三期目ともなるとかなりいいスーツを着ていたな。

休日私が散歩がてらカメラを持って花を撮影してたら、イヤ〜お久しぶりお孫さん中学ご入学おめでとうございます、ご支援ヨロシクなんてFUGAという黒い車から降りて来た。「その存在のあまりの軽さ」という映画の題名を思い出した。