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2015年6月3日水曜日

「夢のポスター」




六月一日(土)ある用があってタクシーに乗り茅ヶ崎の産業道路を走っていた。
午後一時半頃だった。

腹がへったなメシでも食べるかと顔なじみの運転手さんにいった。
ハイ!食べますといった。産業道路にはこれといった店はない。

一軒の和定食屋さんがあった。中に入るとかなり広い、メニューはやたらに多い。
きっと私が憧れるガテン系の人たちが来るのだろう。
私と運転手さんはいろり形になったテーブルの角と角に座った。

私はつけとろそばを、運転手さんは体が大きいのでもりそばとヒレカツ刺身定食を頼んだ。店内にはむかしのビールのポスターや映画のポスターが貼られていた。
店の女性になんでと聞いたら、先代が好きで貼ったようですよといった。

あっ、私は二枚のポスターに目をやった。
3判を立て2分の1にした日活のポスターだった。いずれも主役は石原裕次郎さんだ。一枚はな、なんと「天下を取る」一枚は石原裕次郎原作「あじさいの歌」だった。
共演は芦川いずみであった。

店の女性に知ってる、今大ブレーク中の藤竜也の奥さんだよといったら、そうですか知らなかったといった。タクシーの運転手さんが「天下を取る」なんて本当にあった映画なんですねといった。

それにしてもまるで夢を見ているようだった。
ほしいなあ、あのポスターがと思った。時間をつくってまた行こうと思っている。
なんとかして手に入れたいものだ。車の中でふとこんなことを思い出した。

あるテレビ番組の人気コーナー“食わず嫌い”で石原裕次郎さんの後継者、渡哲也さんが食う奴の気が知れない、大嫌いですといっていたのが「とろろ」だった。
マズかったなツキが落ちる、他のを食べればよかったと思ったが、時すでに遅しだった。とろろそばは決してまずくなく期待以上に旨かった。

2015年6月2日火曜日

「芸術と技術」






その女性は一〇三歳になっても若返っていく。
墨の芸術家「篠田桃江」さんだ。

書道からはじまり書道を否定した。
書であって書にあらず、大きな硯が生み出す黒色、血管が浮き出た細くしなやかな腕と指がゆっくりゆっくり動くと、千色、万色の黒のグラデーションが生み出される。
硯の上に滴る水の量、硯の持つ個性、墨を持つ力の加減がそれを生み出す。

自分の腕と一体になるように特別に作った筆はとても長い、筆先もだらりと長い。
このだらりが墨を吸い込み書き手と意志を通じ合い金箔、銀箔、和紙の上をまるで蛇がうねるように動き、時に図太く、時に荒々しく、時に細々とそしてさらに極細の線、を生む。また自在の面形を生む。

篠田桃江の世界は妖しい黒から白への無数の階調の世界だ。
「生きている限り、前とは別のものができる」という、昨日と今日は違う。
篠田桃江の人生は「わがまま」を貫き通すことであった。

「お手本通りにすることくらい朝飯前ですが、それではつまらない。お手本をまねするのは複製を作ること、アートはまねしたものは偽物です」朝日新聞、著者に会いたいのインタビューに応えていた。

私はNHK ETVのドキュメンタリー番組で見た。
映画監督篠田正浩は従兄弟である。この女性は強烈だ、自分を確信しながらも日々自己を徹底的に研磨する。妖気ただよう美しさがある。近寄りがたいリリシズムがある。
能楽の小面(こおもて)のように、表情があって表情がない、妥協を許さないでくるときっとこうなるという表情だ。究極の抽象画家といえるだろう。

黒い闇の中でバッサリ人に斬られた時、飛び出す赤い血のように時として赤色が黒色を灰色を刺すのだ。芸術とは人のやらないことをやる、それを貫いている篠田桃江はその鏡だろう。何しろ歳を重ねるごとに若々しくなるのだから。
どんなに上手く描いてもそれは技術に過ぎない。これは全ての芸術にいえるだろう。
(文中敬称略)








2015年6月1日月曜日

「親分の女になってくれた女性」




「山が私を変えたよ」といった。

五月三十一日で一人の女性がクラブのチーママから“上がった”上がったとは夜の仕事を離れ昼の仕事についたということ。
私がかれこれ三十五年の付き合いをしている店にいた女性だ。赤坂を上がって、うどん割烹の修行をして祖国で開業したいという。
 
彼女は韓国の女性であった。七年近くいたクラブの看板であった。
私はこの女性に借りがあった。
最新作の短編映画(27分)に“親分の女”として出演してもらったのだ。
ノーギャラに近かった千葉県君津の廃墟で早朝から夜までとんでもない姿になりながら、寒い中がんばってくれた。次の日杉並の公園のシーンでとてもいい芝居をしてくれた。

彼女は私の知る限りいちばん歌が上手い。
ホイットニー・ヒューストンの歌をホイットニーより上手く熱唱する。
勿論英語で。スタイル抜群で、美しくとても可愛い、それにビューティフルバストだ(全部を見たことも触ったこともないけど)それ故多くのお客さんに愛され続けた。

そんな中で彼女は山登りを知った。
ふとした友人からの誘いで初級の山に登ったら息ができないほどヘトヘトになった、そんな自分が情けなくなったという。それから歩くことを始めた。 
1km2km,そして毎日10kmと足を鍛えていった。
土日は山に行くのが何より楽しみとなった。スキーも覚え上達していった。
大自然の澄んだ空気を思い切り吸うことを知った体は夜の仕事を拒否し始めていた。

もういっぱいいっぱいだといった。
その一方で山を知った体はすっかり堅気に変わっていった。
ママさんと私と彼女の三人で送別の食事をした。
長い髪はバッサリ切ってボブヘアになっていた。小顔が余計に小さく見えた。
薄化粧のメイクであった。すっかり夜の顔は消えていた。

上がった以上は絶対に成功をしてほしいと思った。
誰かいい女性いたらよろしくとママさんにいわれた。
私はすっかり夜の世界から足が遠のいているから、私の親愛なる兄弟分に(この人は全然遠のいていないから)相談するよといってサヨナラをした。

実は私もよく登山をした。特に中央アルプスの入笠山によく登った。
今の季節頂上付近には鈴蘭の花が一面に咲く、白樺の林と絶妙なデュエットとなる。
天気がいい日は北アルプス連峰などがパノラマのように見える。

悪ガキだった私を登山部出身の姉が連れていってくれたのが始まりだった。
一人の山友だちが山登りを教えてくれた。山に登っている時だけは私は純粋な山男だった。丹沢、昇仙峡、甲斐駒ケ岳、三つ峠、奥秩父縦走など春山、夏山、秋の山に登った。山は人間をキレイに洗ってくれる空気がある。

赤坂の彼女はこれから昼の空気に慣れなければならない。
これが実に難しいのだがきっと我慢強い彼女なら頂上まで登ってくれるだろう。
もう一度ホイットニー・ヒューストンの歌を聞きたいがその機会がないことを願っている。彼女の名は「美美」さん。私たちが作った映画を見る人は会うことができる。
映画史上初めての姿に。七月か八月に第二回の上映会をする(第一回は前橋)。
ご期待あれ!

2015年5月29日金曜日

「ある判決文」




「インド人もビックリ!」なんていうカレーのCMがあった。
検事もビックリ!弁護士もビックリ!原告側もビックリ!被告側もビックリ!の言葉が裁判官の口から出た。私もすっかり口にするのを忘れていた言葉だ。

昨年四月の法廷で判決が出たものが、何故か昨日の朝日新聞で報じられた。
突然出た言葉とは「枕営業」。

体を張って営業活動することを意味する。一人の妻が自分の夫が7年間クラブのママと関係を持っていた。そのことにより精神的苦痛を味わったと慰謝料400万円をママに求める訴訟を起こした。その判決が東京地裁であったのだ。
「枕営業は結婚生活を害さない」との画期的(?)判決であった。
妻はクラブのママと二人の関係は不倫だと訴えたが、あえなく敗訴した。

判決文は「売春婦が対価を得て妻のある客と関係しても、商売をしたにすぎない。結婚生活も害さないし、妻への不法行為にならない。枕営業と売春の違いは対価の支払いが、直接か間接かの違いにすぎない」この判決文では妻の夫は売春婦と関係を持っただけだから諦めなさいであった。

さて、どーだろうか、クラブのママさんを売春婦呼ばわりしていいのだろうか(?)
また、売春婦を差別しすぎて無いだろうか(?)
職業に貴賎はないはずではないか、人はみな生きて行くために体を張っているのだからそれぞれの“持ち味”を活かさねばならないこともある。

つまるところ何故夫は妻よりクラブのママさんに心を寄せたかだ。
裁判官はそういいたかったのだと思う(?)奥さんあんたが嫌だからだったんだよ、この際自分に落ち度はなかったか考えてみなさいと(違うかな〜)。
この逆のケースもあるだろう。男女同権だからね。

なんだかよく分からなくなっちゃったがやけに「枕営業」という言葉が新鮮だった。
日々営業して仕事を得るということは八百屋さんが野菜を、肉屋さんが肉を、私がアイデアを売るのに等しいともいえる。

私はよくこの歌を口ずさんで来た。
仕事上で嫌な相手にお上手を言ったり、過度のサービスをしている自分を見て、こころが切れ切れするほど嫌な気分になった時、♪〜ボロは着てても心は錦・・・と。

この世で生きて行くにはやむにやまれぬ事がある。
男と女の間にはエンヤコラ漕いでも渡れない河がある。
「妻は夫を慕いつつ、夫は妻をいたわりつつ・・・」確かこんな浪曲があったのを思い出す。

2015年5月28日木曜日

「村中(ムラジュウ)」




男が日傘をさすという話は聞いていたが、昨日銀座四丁目でそれを見た。
グレーのスラックスにストライプのYシャツ、左手に茶色のトートバッグ、靴は傘ばかり見ていたので足元は忘れた。

天才画家山下清を小林桂樹とか芦屋雁之助が演じたが、暑い日は確か傘をさしていた。
日傘は帽子の23度減に比べて810度も体感温度が下がるという。
35度の時日傘をさせば、頭の部分は2527度になるわけだ。
こりゃ涼しいではないかい。頭以外は熊谷とか館林で、頭の上は軽井沢高原なんだから。

頭のど真ん中を鍼灸のツボでは百会(ひゃくえ)という。
この百会を猛暑、灼熱から保護することはきっといいはずだ。
更に頭髪が薄くなっているのが気になる人には、その大敵である強い紫外線から守ることができるからベリーグッドだ。

遮光率が99%以上の生地を使用した商品を「遮光日傘」、99.99%以上は「遮光一級日傘」と呼ぶらしい。UVカットで皮膚ガン予防も期待できる。
さぁ〜どうだ、これでも日傘を買ってささねえかとテキ屋の啖呵売(たんかばい)みたいにすすめたくなるではないか。

銀座四丁目の日傘男を誰も注目することはなかった。
ジッと見ていたのは私だけだった。

ある会社に「村中(ムラジュウ)」という秀逸のアダ名を持つ背の高い男がいた。
一年中腕に傘を掛けている。そしてゆっくり胸をはって歩くその姿に榎本健一(エノケン)が唄った歌がピッタリだった。だれかがアダ名を付けたのだ。
♪〜オレは村中で一番 モボだと言われた男…曲の題名は確か「洒落男」だったと思うが定かではない。私が知る限りこのあだ名ほどピッタリ合う人はいない。
銀座、赤坂、六本木をユックリと胸をはって歩いていた。

もし、私が日傘をさして銀座四丁目辺りを歩いていたら、どんなアダ名を付けてくれるだろうか。一度やってみようかと思ってはいない。

2015年5月27日水曜日

「火」




新米の社会部記者は先輩にこう教えられるという。
「殺し三年、火事八年」だぞと。

思うに殺人事件の記事でスクープをとるより、火事の中に隠れた大きな真実をスクープする方がむずかしいということだろうか。

とっても明るくていい人でしたよ、会えばきちんとあいさつをしてくれる気さくな人でしたよ。ご夫婦はとても仲良くてご家族で遊んでましたよ。
ご近所の人というのは見てないようで他人の家をしっかり観察している。
いい人だった人が放火殺人の容疑者だとなると、かなり派手な人でしたねえとか、よくお寿司とか釜めしなんか出前してもらってましたよとなり、いつか何かあると思ってましたよ、しょっちゅう夫婦喧嘩をしてましたからねと変わっていく。

更には、そういえば河原なんかでよく焚き火をしてましたよ、なんて話を作り出す人も多い。バーベキューが好きだといっていたからやっぱ火に感心があったんじゃないすかとなっていく。

ヤクザ者のオドシのセリフの定番が、オリャー山に埋めるぞとか、海に沈めるぞとか、燃やして灰にするぞとかである。だが今こんなことをやっているのはいわゆる一般人といわれる人たちだ。
ヤクザ者にいわせれば、今日び堅気さんの方がワシらより何ぼもオドロシーでっせなのだ。

ネットで知り合った者同士の凶悪事件が多く起きている。
この事件の流れはとめどなく拡大していくだろう。

社会部の記者をずっとやっていて今は定年時代を送っている友人がこういっていたのを思い出す。
初めて火事の現場に行って炭化した人間を見た時、未だメチャ熱い現場で気を失ってぶっ倒れてしまったと。人間という生き物は金のためなら人間性を捨ててしまうともいった。

人類がはじめて「火」を手にした時から事件の歴史は始まったのだ。
それにしてもご近所の人はよく他人の家を見ているものだと思う。
おはようございます、あ、“今日は”おでかけですか行ってらっしゃい。
朝の何気ない挨拶に、ドキッとする日がある。


2015年5月26日火曜日

「小学校の運動会」



このことが勇気あることか、かわいそうなことか、感動的なことか、私は論じ合わない。
ただその10分ほどのシーンに生徒(800人位)とその家族やご近所の人たち3000人近くが心を打たれた。

五月二十三日(土)私は孫の運動会の応援に船橋まで泊まりがけで行っていた。
三年生80メートル徒競走が乾いたピストルの音ではじまった。
5人1組で走る。速い子、遅い子、ゴールを目指して懸命に走る。

何組かが走ったとき運動場は静かになった。4人はすでに60メートル位を走っている。
一人の男の子はとても細い、両腕はだらりとし、両足には力が入っていない。
例えていうなら人形が人に手によって走っているようであった。

20メートルを過ぎたとき生徒たちはもちろん運動場のみんなが、ガンバレ、ガンバレと声援を送りはじめた。
男の子は女性の先生によって両脇をかかえられている。
ガンバレ、ガンバレの声を受けて男の子はゴールを目指す。次の組はスタートせずに待っている。
そして大声援の中、男の子はゴールテープを過ぎた。
拍手の渦となった。私は胸が熱くなった。
男の子を出場させた親に拍手を送った。

医学が進歩してきっと男の子の機能は劇的に進化するだろう。
その時、彼は何を目指して走り出すだろうか。
私は、船橋駅から横浜アリーナでのロックの公演を見るために移動する列車の中でそんなことを考えていた。
私の結論は短距離走のランナーだ。
きっとそうなる、あと10年もすればきっとそうなる。
あの大声援が一つひとつの筋肉を、細胞を、一本一本の血管を再生し活性化するだろう。

小学校の運動会は毎年私に多くのことを教えてくれる。

2015年5月25日月曜日

「生のONE OK ROCK」




こんな例えをしたら叱られるかもしれないが、こんな例えしか思いつかない。
ロックは全体主義になる。熱狂する大群衆の前で独裁者がボーカリストになり絶叫をしたら。ドラムスと二人のギタリストと共に。

五月二十三日(土)横浜アリーナで敬愛する中野裕之監督に大熱狂を見せてもらった。
上階にあった招待席はゆったりとした椅子席であった。 
360度ギッシリの若者、下を見ると平場に立ち見の若者が柵で囲まれている大きな三つのブロックの中に、ギューギュービッシビシにつまっている、熱狂的ファンたちだ。横浜アリーナは17000席と資料にある。空席なんか一つもない。

中野監督がハイ、水といって冷えたクリスタルガイザーを渡してくれた。
午後六時ゲストの歌が始まる。ヒタヒタと迫るような歌声、私小説のようなフレーズ、どこまでも静かだ。
五曲唄ったあと、今日はONE OK ROCKの横浜公演にお呼びいただき光栄ですとマイク越しにいった。そうです、ONE OK ROCKの公演です。

六時四十分、薄暗いステージ、ボーカルの声が男になった。
と、その瞬間からそこは熱狂広場、重低音、体の中を地下鉄が走るようなウルトラスーパーウーハーの世界。おまえらしか聞き取れない。
99.99%がハイル・ヒトラーのように右手を挙げる、そして終りまで挙げ続ける。
もの凄いことになった。ドラムの激しい音、二人のギタリストから繰り出される強烈なリズム、小さな体を躍動させるボーカリスト。
走る、飛ぶ、踏み台みたいなのに上がって大ジャンプする。
160センチ位の体が23メートルの巨人に見える。

おまえら△◯かあ〜、99.99%がイェーイ、おまえら△◯か〜、イェーイ、ズキューン、バコーン、ガガァーン、どでかい雷が落ちたようおな大音響、吹き出す白い煙、分割されたスクリーンには炎、激流、地球、破壊される壁、赤や緑色のビーム光線がスモークあふれる空間を突き抜ける。英語で唄っているのか、日本語なのかも分からない。

99.99%がハイル・ヒトラー状態で熱狂する。
だが限りなく100%がルールに従っている。この光景は何かに似ていると思った。
それが独裁者の演説であった。あの状態でボーカリストが、おまえら戦争するか、といえば99.99%がイェーイと応えただろう。
極度の興奮状態では何もかもイェーイなのだ。

私は耳鳴りを忘れ、首や座骨の痛みもおしりの下から突き上げてくる重低音で忘れてしまった。頭がクランクランしたので丁度横にあった鉄の柵を握った。
九月に追加公演やるぜ、イェーイ。そしてアンコール、アンコール。
ボーカリストはステージの隅から隅まで行って最敬礼をした。
ありがとうございます横浜サイコー、九時五分に終わった。

中野監督はこんな激しいステージと共に世界十一カ国の公演を二ヶ月つきっきりで撮り続け映画にしたんだと改めて驚いた。その後中野監督が迷路のようなところをスタッフと共に案内してくれた。そしてONE OK ROCKのメンバーと会わせてくれた。
汗びっしょりの四人の若者は実に清々しいスポーツマンのようであった。
ボーカリストは世界タイトルマッチをフルラウンド戦ったボクサーのようで神々しかった。

中野監督を見つけると、あっ中野さんといって近づき強く抱き合った。世界中をロックで戦って来た者同士の泣けちゃうシーンであった。二人に言葉はいらない。
おまえら独裁者に負けんじゃないぞ、「戦争法案」に絶対反対しようぜといえば99.99%がイェーイと応えたのではないだろうか。

ふと故忌野清志郎のステージを思い出した。彼以来反原発・反戦争を堂々と唄うロックンローラーはいない。♪〜どうしたんだ ヘイヘイ どうしたんだ ヘイヘイなのだ。

2015年5月22日金曜日

「数字とカラムーチョ」






市場調査とか世論調査とか、GDP数値とか景気回復動向調査とか、街角景気動向調査とか日本国は調査大国だ。

私は調査は好き勝手に作られているのであまり信用しない。
特に調査会社の調査はズルが多いのでアテにならない。
莫大な費用をかけて調査する、その調査上の数字に従って商品を企画開発し、市場に出して予想通りヒットしたものは少ない。ほとんどないといっても過言ではない。

ある年ある新商品の調査に立ち会った。
そこにはコンビニの柵がソックリ作られていた。
隣の部屋には警察の取調室のように大きな透明の窓。
そこから各年代層の人がどの商品を選ぶかを覗き見る。

調査する対象の人たちは実はこんな調査に参加することをアルバイトにしている人たちで、いわばリサーチへの参加プロ。専門会社から参加を依頼される。
一日に何カ所もハシゴする人も多い。

こんなことは分かっていたがビックリしたのは、その調査会社が同じ場所で同じようにライバル関係の商品を調査していたことだ。
つまり秘密もなにもあったもんじゃねえか、ふざけんなよ、こっちは死にもの狂いで開発してんだよと頭に来てしまった。
更に調査会社の社長と担当者がメーカーの担当者にどんな風にデータを作り上げましょうかと相談する始末だ。

メーカーの担当者は自分の手柄を上げたいのが当たり前だから、自分の考えが色濃く出ている商品がいいスコアになるように八百長を支持するのだ。
このバカヤローとなり、私はこれ以上やれませんと、私を起用してくれた人に断りを入れた(心から申し訳ないと思っている)。

成功は失敗からというがその通りでヒット製品やヒット商品、ヒット曲やヒット作は、お前バカかそんなもの当たる訳ないだろうとか、よくもまあそういうことを考えるなとか、これで失敗したら誰が責任を取るんだよ、だけど何だか新しいやってみるか、そんな中から歴史的なヒットが生まれてきた。

株価が上がった、GNPも上がった、時価総額も上がった。
政府の発表する数字は上がった、上がった、上がったばかりだ。
日経新聞をよく見ると、ベタ記事でほんの小さく実質賃金は下がり続けていると10行ほどで書いてあった。黒田日銀総裁が丸八真綿のコマーシャル(2枚、2枚)みたいに。
2年で2倍、2%と大見得切って数字を語ったが、今やその姿はショボくれてしまった。
二枚舌だったのだろう。約束の二年はとうに過ぎてしまった。

物価上昇2%のために、値上げ、値上げのラッシュ攻撃だ。
日本の上場企業(一部・二部)はわずか2500社位、日経平均はその中の255社からだ。
日本の会社のほとんどを占める中・小・零細企業はカラムーチョのヒーヒーおばさんみたいにヒーヒーしているんだ。

2015年5月21日木曜日

「ステーキな夜?」




水玉のことを“ドット”という。
この水玉をドット、ドット、ドット描いている現代アートの巨人がいる。
その名を草間彌生(86)さんという。

2014年全世界の美術館における展覧会動員数第一位を達成した。
アタシって天才ね、天才ねといいながら下絵なしに一気に大作を描き上げて行く。
左手に食べ物を右手に絵筆で。

この女性は毎日病院からアトリエに向かい、その日ドットをドット描いてまた病院に帰る、ほぼ50年 近く?その繰り返しだ。外国に行った時はどうしているか分からないが、きっと同じような気の安まる場所があるのだろう。
草間彌生さんにとって一番安心でき るところが病室なのだ。

気を病んでいるのかは分からない、何しろ天才だから。
頭の中にどんどん湧き出ることをドット描く。向こうから幻覚が出て来て、心が 鎮まる、描いているときが一番具合がいいようだ。倒れるまで、死に物狂いで描いてもっといい作家になりたいという。

「さよならベートーベン」という映画を 観た時、スランプになったベートーベンが森の中を歩く、あっ音楽がどんどん降りて来る、あ〜どんどん降りて来る、頭の中の五線譜に交響曲が書き込まれてい く。天才の頭の中は見たことがない。

昨夜1150分から55分(5分だけの番組)、現在のETV、むかしの教育テレビの「日曜美術館」を見た。1983年 の番組からだ。人間国宝の染色家「芹沢銈介」さんが下絵を描きそこを彫刻刀でグイグイ彫っていく。彫刻刀は下絵の通りに彫らない、下絵はあくまでアタリ、 下絵のまま彫ることはない。彫りながら出来上がりがイメージされる。
彫刻刀の動きは速い、凄い、森羅万象からあいうえをの文字まで自由奔放に芹沢銈介ワー ルドが生み出される。天才は老人であり鋭い青年のようであった。

チャンネルをNHKに した。完全放牧で牛を育てている酪農家が紹介される。
黒い牛たちが自然の草をバクバク食べて丸々と元気よく育っている。
画面が変わるとその牛たちがぶっ殺 されたであろうその後の姿がステーキになって映し出される。少し硬いわね〜とナイフとフォークが牛肉を刺し切り刻む。

番組のタイトルが「牧場の生き残りか け牛の“命”と向き合う」であった。
生き残りをかけている、殺される牛のセリフだろうと思った。酪農家は牛を愛しでやさしく見えるが、牛から見ると怖ろし い人たちなのだ。
クジラやイルカは哺乳類だから可哀想だと思うが、牛も豚も哺乳類だ。
複雑な気分となった。シーシェパードの人たちは牛肉や豚肉は食べてい ないのだろうか。

もあれこの地球上でいちばん残酷な哺乳類は人間だ。
結局何でも食べちまうのだから。

英国の首相であったW・チャーチルが新聞記者のインタビューにこう応えた。
健康の秘密は何ですか「人を食って生きている」と。かくしてイルカは水族館に来なくなる・・・?おや、今夜はステーキですか。