新米の社会部記者は先輩にこう教えられるという。
「殺し三年、火事八年」だぞと。
思うに殺人事件の記事でスクープをとるより、火事の中に隠れた大きな真実をスクープする方がむずかしいということだろうか。
とっても明るくていい人でしたよ、会えばきちんとあいさつをしてくれる気さくな人でしたよ。ご夫婦はとても仲良くてご家族で遊んでましたよ。
ご近所の人というのは見てないようで他人の家をしっかり観察している。
いい人だった人が放火殺人の容疑者だとなると、かなり派手な人でしたねえとか、よくお寿司とか釜めしなんか出前してもらってましたよとなり、いつか何かあると思ってましたよ、しょっちゅう夫婦喧嘩をしてましたからねと変わっていく。
更には、そういえば河原なんかでよく焚き火をしてましたよ、なんて話を作り出す人も多い。バーベキューが好きだといっていたからやっぱ火に感心があったんじゃないすかとなっていく。
ヤクザ者のオドシのセリフの定番が、オリャー山に埋めるぞとか、海に沈めるぞとか、燃やして灰にするぞとかである。だが今こんなことをやっているのはいわゆる一般人といわれる人たちだ。
ヤクザ者にいわせれば、今日び堅気さんの方がワシらより何ぼもオドロシーでっせなのだ。
ネットで知り合った者同士の凶悪事件が多く起きている。
この事件の流れはとめどなく拡大していくだろう。
社会部の記者をずっとやっていて今は定年時代を送っている友人がこういっていたのを思い出す。
初めて火事の現場に行って炭化した人間を見た時、未だメチャ熱い現場で気を失ってぶっ倒れてしまったと。人間という生き物は金のためなら人間性を捨ててしまうともいった。
人類がはじめて「火」を手にした時から事件の歴史は始まったのだ。
それにしてもご近所の人はよく他人の家を見ているものだと思う。
おはようございます、あ、“今日は”おでかけですか行ってらっしゃい。
朝の何気ない挨拶に、ドキッとする日がある。
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