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2016年1月20日水曜日

「ゴールドラッシュ」




“ベルサイユの豚”何だこりゃと大きなネオン輝く看板を見た。
ベルサイユ宮殿で育てた豚かと思ったが、caféであった。その側に有名な牛たんの店“ねぎし”があった。先週木曜の夜、私は渋谷PARCO前を腹を減らして歩いていた。

創作料理“鍋の蔵”なんて店もあり、“薄利多賣屋半兵ヱ”などという気合の入った店もある。渋谷の夜は店の看板を見て回るだけでも楽しい。
一人で食事をする時はイロイロ迷ってしまう。
渋谷は若者の街、特にセンター街は無国籍状態だ。

インド人がカレーどうですとチラシを配っていた。
むむ、カレーかと思ったが一人で食べるカレーはどことなく華麗ではないと思った。
カレーは二人で差し向かい、辛い、辛いを言いながら汗をタラタラ流し合うのがいい。
カレーうどんは突発的事故が起きるので、どんなことが起きても大丈夫な服でいなければならない。

ウロウロと40分ほど歩いて、ハタとある看板が目に入った
そこには「バーグといえばゴールドラッシュ★一度食べたら止められない!!」
脳内にアツアツジュージューのハンバーグワールドが広がった。
入り口にケバブの屋台、エレベーターには西部劇風のポスターやチラシがベタベタ貼ってある。ドル紙幣のレプリカや、ライフルやグランドキャニオン、インディアンなどのイラストや写真、大・中・小・極小のビラがこれでもかと貼られている。
石塚英彦さんやパパイヤ鈴木さんが「まいうー、まいうー」と貼られていた。

小さなエレベーターから降りると、五、六人が木製の長椅子に座って待っている。
店内はかなり広く、とても暗い。若い男女やグループがワイワイやっている。
お一人ですかと言われたので、一人と応えた。
それじゃこちらへと中へ、中へと案内された。ジュージュー音がしていた。

私が案内された席は二人掛け、左右共に同じであった。
左には40歳位の会社員風の男、首から白いナプキンをたらしている。
メガネがハンバーグから発散される熱い飛沫で曇っている。
その前にでっかいチーズハンバーグが二つ、太いソーセージが二本、大盛りライスが一つ、何度も来ているのか堂々としている。
当然太っている。
右には大学生二人、会話の中で大学の学食の話をしていた。

こちらの前には、トロトロチーズハンバーグがズラリと横に3つ、じゃがいもとグリーンピースやコーン、大盛りライス。
メニューを見ると、150g、200g、300gなどのボリュームメニュー。
私は150g、グリーンサラダ、グラスビール、ライス無しをオーダーした。

テーブルの上に白い大きな四つ折りの紙ナプキンが2枚、何故2枚かはすぐに分かった。
左の男が教えてくれた。
一枚はこうして下さい、アツアツハンバーグが運ばれて来たらそれを半分のせて残りの半分を手前でこうしてハンバーグをかくして下さい、店員さんがソースをかけると、ジュバァーと飛び散り服に引っかかるから、ハンバーグがおとなしくなるまでかくすのです。
なるほどありがとうと言った。もう一枚はこうして服をガードして下さい。
あっ、それはいいんです、キライなんです赤ちゃんのヨダレ掛けみたいなので、あ、そうですか。

ゴールドラッシュか、シアトルの街はよかったなとずっとむかしを思い出した。
右の若者たちはスマホを見たりいじったりしながら、黙々と食べ進みペロッと食べた。
どんより暗い中でやっとこさ新聞の活字を追いながら、アツアツジュージューのハンバーグを食べ終えた。
しばし残りの記事を読み、で、立ち上がると左の男がワンドリンクサービスありますよと教えてくれた。とても人のことが気になる親切な人なのだ。
ビール飲んだからいいの、アリガトネと言ってレジに向かった。
男の口の中から太いソーセージが突き出ていた。腹も大きく突き出ていた。
合計1900円、所要時間約一時間であった。ゴールドラッシュには親切な味があった。

2016年1月18日月曜日

「軍配の行方」




国民的人気歌手グループSMAPが分裂となる。
そんなニュースが日本中を驚かしている。
生みの親への恩か、育ての親への恩かで5人の心は揺れ動く。
山口組の分裂に次ぐ大分裂のようにクオリティペーパー各紙も書く、当然週刊誌、スポーツ紙、テレビのバラエティ番組は大ハシャギだ。
新聞も雑誌も買い上げ増、視聴率は軒並みアップ。

ベッキーの不倫騒動が吹っ飛んでしまい、ゲスの極みは大喜び。
先週渋谷の街を歩いていたらそこいら中“ゲスの極み乙女”のニューアルバムの屋外広告が、どかんどかんと109をはじめアチコチに出ていた。
そのアルバムのタイトル名が、何と「両成敗」であった。
ベッキーは手の込んだプロモーションの犠牲者かもしれない。

ジャニーズ事務所に見つけてもらわなければ、今現在スターになっていない5人の若者(といっても人気No.1の木村拓哉はすでに43歳、家ではよきパパのはずだ)。
この5人は売れないと思われていたその若者に、心血を注いで育てたのが事務員からチーフマネージャー、そして系列会社の役員となった女性。
自分の人生を捨てて5人の若者に愛情をかけた。中でも木村拓哉には特別の思いを込めて育てたと聞く。

スーパースターとなった5人を支配する絶大な力を持った女性マネージャーは、テレビやCM業界、音楽業界では女帝と呼ばれていた。
私が独立するといえば5人の中の一人、木村拓哉だけは絶対ついて来ると確信していたはずだ。だが生みの親への力は、どこまで力をつけても従業員に過ぎない。
会社の株を多く持っていなければ勝負にならない。
会社が育てるため、売り出すために使った費用は莫大だ。

芸能界は故安藤昇組長が、ヤクザ者の世界より恐い社会だと苦笑して語った世界だ。
何しろ肖像権と印税という巨大利権もある。
SMAPには結婚を許さないという決まりを、木村拓哉は特例で認めてもらった。
つまり恩の上に、もう一つ大きな恩があった。
もしジャニーズ事務所を出たら、妻の工藤静香までその活躍の場を失う。
木村拓哉に選択する道は、残る道しかない。

愛情をかけてつくった自分の生涯の作品であった木村拓哉に裏切られた育ての親は、失意のどん底にいるはずだ。
結婚もせずに人生を捧げた、愛する一人のスーパースターに捨てられてしまった。
外に出る才能あふれる4人(未だ悩んでいるとか)は、生みの親を裏切ったことにされる。ジャニーズ事務所と、五分五分にわたりあえる事務所はそうはない。
どこへ行くのか、いくらで売られるのかだ。

会社にしろ、政党にしろ、ヤクザの組織にしろ、恩知らずの裏切り者は許されない。
神戸山口組が別の組織名を名乗っていたら裏切り者とされたであろうが、実に戦略的であった。
山口組の本家は神戸である。
我々こそが山口組の本流であり、中興の祖三代目親分の精神を受け継いで、任侠道を守っていると人心を集めているのだ。オレたちは金、金、金じゃないと言って(?)
火事と喧嘩は江戸の華といわれた、ギャラリーたちは、ソロソロドンパチが始まるのではと、期待をしている(?)

警察はその時が大チャンス、一家一門とっ捕まえて親分の首を取り解散させると、やはり期待している(?)。
中東も分裂、EUも分裂、アメリカでは大統領候補が分裂、本命のヒラリー・クリントンも確実ではない。やせ馬の先走りともいう。

日本国もヒトラーのようなダマシのような方法で平和憲法の改正をやるとしたら、分裂するかもしれない。
「戦争か平和」などという選挙になる日が来るだろう(マスコミが正しい報道を勇気を持ってすれば)。いつの時代も女帝といわれた人間の末路は哀れを極める。
ゲスの極みの“両成敗”とはならない。女帝の上を行くオーナーがいる限り。
筋と道を極めたものが勝つ。

ハッケイヨィ、残った残った。応援している御嶽海は休場となった。
こちらはインフルエンザで不戦敗であった。(文中敬称略)

2016年1月15日金曜日

「とんかつ長八」

♪〜あなた知ってる 港ヨコハマ 街の並木に潮風吹けば 花散る夜を 惜しむよに 伊勢佐木あたりに 灯(あかり)がともる 恋と情けの ドゥドゥビ ジュビドゥビ ジュビドゥヴァ 灯(ひ)がともる

故青江三奈の大ヒット曲である。
この曲と共に始まったNHKテレビのドキュメンタリー番組「ドキュメント72hours」を再放送で見た。
横浜伊勢佐木町に24時間営業をしているとんかつ店「長八」の三日間の定点観測だ。

早朝一人一合の酒、串かつを食べながら一時間カウンター席で疲れを癒やすコンビニの経営者、深夜の人件費を少しでも節約するために自分が店に出る。
一週間に一度この店に来るのが何より自分へのご褒美という。“癒やしの串かつ”であった。

若い男女、男は大学生、女性はキャバ嬢。
その夜二人はとんかつを食べて別れるという。
“お別れのとんかつ”であった。女性はお店でもっと上を目指したい、大学生はずっと料理を作ってあげていたとか、チャーハンをよく作ってくれたと女性は言う。
男ってチャーハンばかりと笑った。
二人は深夜の伊勢佐木町に消えて行った(女性が引っ越すようであった)。

中年の会社員たち数人がとんかつで大盛り上がり、世の中景気良くなったというけれどオレたち中小企業には関係なしだよなと笑う。“不景気払いのとんかつ”であった。

サウナで働く男とその恋人。
50歳位の男はかつて事業で成功していた、がいろいろあって今は低給のサウナの従業員として働いている。
ここの値段、今の私には少し高いけど時々彼女との“とんかつデート”が楽しみなんだと、かなりの美男美女、奥さんとは離婚したと言う。
とんかつを食べて二人は手を取り合って店を去った。

四人の男女、初老の男二人は若い女性のお客さん、その夜は同伴をしてあげていた。
女性はホステスさんだろうか、たまにこうしてとんかつ食べて夜の伊勢佐木という訳なのだろう。四人は店を出てタクシーに乗り街の中に消えた。
“同伴とんかつ”であった。

一枚600gの巨大とんかつは4300円、とにかくでかい。
もっとも数人で食べれば割安かもしれない、でっかいとんかつはかなり人気であった。大量の千切りキャベツと共に家族一同のお客さんの胃袋に入った。
妻が病気で家にいるとあまり食べないので、息子家族や孫たちとこうしていると少しは食べてくれるからとご主人は言っていた。“600gの家族とんかつ”であった。

カウンターに一人の中年の男、競馬の馬券を買う時にとんかつを食べるのだとか、とんかつは勝つだかんねと笑った。“馬券とんかつ”であった。

24時間やっているとんかつ屋さんがあるなんて知らなかった。
今度是非行ってみようと思っている。入ってくるお客さんの数だけ人生のドラマがある。出て行くお客さんの数だけブルースがある。

名曲、伊勢佐木町ブルースの作詞は、川内康範先生であった。
とんかつは、恋と情けの味なのだ。

2016年1月14日木曜日

「子と親」



少年院で成人式「自分に正直に」久里浜
昨日朝日新聞朝刊に一段2分の1の記事があった。
35人が成人式を迎え家族や院生、職員らに祝ってもらった。
140人が出席、三村知彦院長が式辞で「試練を乗り越える強さを身につけ、自分を磨くたゆまぬ努力を続けてほしい」と励ました(式辞原文ママ)。
新成人の代表が「自分に正直に、ウソを付かず、自分と向き合って乗り越えていく」と誓いの言葉を述べた。
同少年院には1620歳前後の少年約90人が社会復帰を目指している。

何故この記事のことを書くか、それは私がかつて日本テレビの番組で横浜少年院を二日間にわかってレポートしたことがあるからだ。
番組のタイトルは「聞け非行少年たちの声」であった。
高校一年の時同級生だった正義感の塊のような男が、日本テレビのドキュメンタリー番組のプロデューサーをしていて私にレポーターをやれとなった。
起床から就寝までを密着レポートした。

少年院にはランクがある。初等、中等、特別である。
東京近郊では、千葉の印旛沼、八街にもある。久里浜は特別少年院である。
退院すれば不良少年の間では超エリートとなる。
本人がまじめに生きて行こうとしても、社会はすんなり受け入れない。
特少(トクショウ)を出ているからヤクザ社会は放っておかない。
鉄より固い意志がないと誘惑に負けてしまう。
私は社会の愛を求めたい。受け入れる愛を求めたい。
好きで非行少年になった者は余程の者でない限りいない。

故羽仁進監督は久里浜特別少年院に初めてカメラを入れてドキュメンタリー映画の名作「非行少年」を生んだ。上映された年のNo.1となった映画である。
TSUTAYAで現在リマスターされてレンタルしている。
貧困と孤独、放任と無関心。
愛情に飢えた少年たちはやがて仲間となり連携し、特別な少年となって行く。

35人の成人した男たちの前途には、世の中の冷たい荒波が待っているが、あたたかく愛情豊かな人々も山ほどいる。私たちは乗り越えて行くために協力をしてあげねばならない。小さな記事を読んで横浜少年院をレポートした時を思い出した。

テレビのニュースで三歳の女の子が親に正座させられている。
熱湯をかけられ、殴られ蹴られ小さな命は消えた。悲しくて涙が止まらなかった。
子は親を選ぶことができない。隣人は関わり合うことをしない。何もかも知っていても。


2016年1月13日水曜日

「期待外れのスタート」



三谷幸喜という人とはまったく付き合いがない。相当な才人であったと思う。

過去形で書くのは、現在その才を持て余したのか使い切ったのか、もともとこんなもんだったのかと思うほど飛び切りのドタバタばかりを作っている。

名も無く、貧しく、美しくの頃は低予算の作品を作っていた。
ドラマや舞台しかり、映画しかり「ラヂオの時間」という映画を観た時に、三谷幸喜という脚本、監督に大拍手を送った。
低予算を逆手に取りアイデアで勝負していた。
言葉がイキイキとしていた。
人間貧乏な時ほどアイデアは出る。

この国は一本ヒットを飛ばすと一気に仕事は増える、ドッバーと来る。
貧乏の頃いつか見ていろと思いながら、決して陽の目を見ない脚本を書き続ける。
売れっ子でないから時間はある。つまり学ぶ時間がある。
人を見る、商店街を見る。海に行き、山に行き、河に行く。
少ない稼ぎを見る、聞く、触るに注ぎ込む、安酒を飲み、青臭い映画、演劇論を語り、音楽のことや歴史を夜が明けるまで語り合う。
実に贅沢なのである。

が、どーんと売れると、次々続々と仕事が押し寄せる。
二度と貧乏は嫌だ、低予算は嫌だと思い、次々続々と仕事を受ける。
インプットよりアウトプットが多くなる。
贅沢な時間を失い、頭の中は出がらしのお茶のようになる。
色味は薄れてやがて色を失う。

一月十日NHKの大河ドラマはずる賢い戦略家の父真田昌幸と、その息子でアイデアのある戦術家の真田幸村の話なので久々に期待をしていた。
だが、三谷幸喜の脚本は全然つまらない。
演出が全然下手くそ、まるでお正月のかくし芸大会を見ているようであった。
歴史物をバラエティ化すると酷いことになる。
「清須会議」という作品も酷かった。

ワガママは全て通り、予算が山ほどあるので使いたい役者や義理のある役者、恩義のある役者やその一族郎党を好きなように起用できる。
脚本はバラバラとなり主題が不明となる。
演出家は三谷幸喜の脚本に忠実たらんとしてザ・コメディ歴史物の共犯者となる。
ドラマの途中にやたらと地図などの説明CGが入るから、社会科の授業みたいである。

大河ドラマからドラマをを引くと、大河だけ。
その大河にすっかり才を失った名ばかりの花が流れて行く。
今後オンタイムで見ることは殆どないだろう。先が見えている。ドタバタの劇が。

それにしても時代考証、美術、衣裳、殺陣は泣きたくなるほど酷い。
撮影、照明も酷い。全て現代劇風である。人間やっぱり貧乏がいちばんだと思った。
ある人が言った。離婚した小林聡美は良きアドバイザーだった、その人を失った三谷幸喜の脚本は輝きを失った。

楽しみにしていた真田幸村は、ヒョーキンな半沢直樹になっていた。
バーロー、三谷幸喜脚本を見なおせだ。文句あったらぜひご連絡をだ。
最後にこの国は、こいつはもう終わったとされると、これでもかというほど見放される。「真田丸」第一話の視聴率は19.9%これからずっと低下すると私は思っている。
(文中敬称略)