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2016年4月5日火曜日

「孤独のグルメ」



サバの塩焼き→サハシオキ。
冷奴→ヒーヤコ。
イカの姿焼→イースーヤキ。
イワシのつみれ汁→イワーミイレ。
ご飯半分→コーハン。
昨夜新橋駅前ビル地下3Fで食べた私の夕食である。

長い間このビルに寄っているが地下3Fは初めてであった。
夜九時過ぎ、朝から食事をしていなかったので腹が減っていた。
家に帰って食事すると11時頃となる。

酒を飲みに行く気にならず、何かを腹に入れようと思っていた。
アレも食いたいし、コレも食いたい。
が、ソレは重いし、ソレは脂っこいし、ソレは…と思った。
なんとなく階段を降りるとおいしそうな写真が目に入った。
なかなか上手い写真だ。
サンマ塩焼き、サバ塩焼き、銀だら西京漬焼き、イカの姿焼き、ブリの照焼き、鮭ハラス焼き。

人間は腹が減ると焼きとか、揚げとかの文字に強く反応する。
その店は正面にカウンター二人掛け。
左右に四人掛けのテーブルが二つずつ、カウンターの奥が調理場であった。
三十代の女性一人と四十代の女性一人、調理場に四十代の男。
エーラッシャイ、おっ中国人か、オサケイル、うんイルイルと冷酒1.5合、ハッカーサンは八海山のこと。お通しにモズク、上にキュウリ二切れ(旨い!)サバの塩焼き、イカの姿焼き、冷奴を頼んだ。

女性は二人共中国人、ハイ、ハッカーサン、ヒーヤコトーソ。
ショウガとネギがのった木綿豆腐(旨い!)イースーヤキ。
ホイルの中にちゃんと腹わたまでついているではないか。
リングリングになったイカちゃんに腹わたをつけて食す(旨い!)1.5合が終わったのでサバの塩焼きとイワシのつみれ汁でその夜の食事、サバ半身ジュウジュウで焼色は上々、しょうゆをかけ大根おろしをつけて食す、旨〜い!ほぼ満点のサバの塩焼き。
ご飯が保温だったのでイマイチ。

でも中国人は二人とも気持ちいい人。ブリの照焼きもと思ったが今度にした。
地下3Fにあんなに食事処があるなんて知らなかった。
それにしても調理する人は只者じゃない。相当に修行を積んだ者と見た。
その名も高き流れ板かもしれない。
一人の夕食はアリガトーした、マタラッシャーマセ、気分は「孤独のグルメ」であった。


2016年4月4日月曜日

「全身小説家」




ある人からテーマをもらい、400字詰の原稿用紙20枚を書いた。
8000字のリングである。思いつくままを書いていった。
その出来不出来はある人しか読まないので判断できない。
人に頼んで打込んでもらっているブログとは違うので清書をしなければならない。

テーマを与えられるというのは作文の宿題をするのと同じで、文脈に気をつけねばならない。小説家なんてものは作り話を売る稼業だから何をどう書いたっていいんだ、全部ウソみたいなもんなんだからという井上光晴の映画を見た。

「全身小説家」という映画だ。
監督は原一男、当然のように上映した年のベストワンになった。
井上光晴が6366才で亡くなるまでをドキュメンタリー映画にした。

全身小説家は全身癌に侵されていた。
末期癌を宣告されてから3年間の医療ドキュメンタリーでもあった。
出生についても、学歴についてもどこまでが本当かどうか定かでない。
子どもの頃はウソつきみっちゃんと言われていた。
ある日は女装着物に厚化粧で踊りまくり、ある日は徹底的に文学論、人生論を語り怒鳴りまくる。自ら伝習所をつくり、小説家育成に生涯をかける。

あと10年生きていたら大文豪として名を残しただろう。
埴谷雄高が師匠のようであり、瀬戸内寂聴が親友であった。
酒は最も親しい友であり、愛妻が戦友であった。

夏目漱石の「吾輩は猫である」が朝日新聞で連載を始めた。
夏目漱石の小説は人間が生きて行く上で、いかに人間関係が面倒臭くてむずかしいかを書いている。軽妙な言葉の奥にとても怖ろしい真意がある。

新入社員たちはこれから人間動物園の仲間となる。食うか食われるかとなる。
が、全身会社員にだけはなってほしくない。
がんばれ新入社員よ、人生は何度でも書き直しができるんだ。(文中敬称略)

2016年4月1日金曜日

「ビビンバなことに」




早いもので今年も残すところ九ヶ月になった。
三ヶ月はあっという間に経ってしまうから、あと「あっという間」を三回言ったら今年は終わる。

春は終わり多き月であり、卒園式、卒業式、人事異動があり、四月に始まる。
入園式、入学式、入社式、新しい職場につく。
また飛ばされた人あれば飛んで来る人もいる。人生とは不公平なり、平らな道でもつまずくことがあると言う。

ウラミツラミ盛り沢山の悔しい送別会。
あっちに行っても私たちを忘れないでくださいねと、渡された花束を家まで持って帰るヒトは少ない。ヤケ酒を飲みに行ってその店の女の娘にあげてしまうか、どこぞのゴミ箱に捨てる。ゴマスリのヨイショ野郎ばかりが出世しやがってと酒を飲む。

日本語で終わりの事を韓国語では「オプソ」という。
あいつはもう終わった、イコールあいつはもうオプソだとなる。
三月三十一日をもって報道ステーションの古舘伊知郎がオプソになった。
その前にNEWS23の岸井成格と膳場貴子がオプソになった。NHKクローズアップ現代の国谷裕子がオプソになり、毎週土曜日午前十一時半〜十二時の田勢康弘がオプソになった。これが何を意味するかはオトナなら誰でも分かる(?)

言論はオプソとなりジャーナリズムはオプソにされた。
欠けない満月がないように絶大な権力がオプソにならなかったケースはない。
あと九ヶ月を過ぎ2018年になると一気にオプソに向かい出す。
じっと忍従をしていた人間が次の権力に向かって動き出す。これは世の常なのだ。
のんびりと水に浮かぶ水鳥の足は、水面下で忙しく動いている。

韓国語でかき混ぜることをビビンといい、ビビンバという食べ物がある。
むかし流行ったドドンパの兄弟分のような響きがある。
今日から四月、いよいよこの国の政治経済、人間社会はビビンバになって行く。
あのヤロー、オプソにしてやる、そんな思いを持っている人も多いだろう。
私などはその、あのヤローの対象なのだ。

先日久々にビビンバを食べた。グイグイかき混ぜて食べた。
実に旨かった。真っ赤なキムチを一緒に食べると格別であった。
血の色をしたキムチはヒイヒイとキモチを熱くする。

2016年3月31日木曜日

「バーボンとままかり」



人間は死ぬまで何をしているか、答えは“生きている”そんな単純なことを考えながら深夜グラスを傾けた。

時計を見ると午前十二時三十八分二十八秒であった。
お気に入りのグラスにジム・ビームを入れた。
グイッと飲むとカァーとノドに来た。

食道を通過し胃袋に到着する、胃の中もまたカァーと熱くなった。
ストレートで飲むことはあまりないが、人、人、人、人と会って、いい話、嫌な話、疲れる話、ウレシイ話、許せない話、再起再生の話、暗い話、明るくニコニコする話をした後、列車に揺られて帰った。
着ていた服を脱ぐと、ストレートで飲みたい気分になった。

つまみは先日岡山駅で買って来た岡山名産「ままかりの酢漬」だ。
バーボンウイスキーとままかりは実にグッドだ。
ままかりとは漁師が沖へ出て小魚を釣って帰った。
料理して食べたら大変うまいので隣の家に飯(まま)を借りに行った。
そんな話から名付けられた。
酒は気づけ薬ともいうからグダッとした体に火をつけてくれた。

その日の朝辻堂駅ホームに30人位の老人たちが二組に分かれて下りの列車を待っていた。リーダーらしき人がアレコレ指示をしていた。
6080代の男女、わかりましたか、ハーイなんて言ってみんなグハグハと笑っていた。
箱根か大山かなと思った。きっと金はある、時間もある、やることがない。
リュックサックを背負った男女たちはワイワイ、ガヤガヤと列車に乗って行った。

人生は遠足だ。きっとそんな気分なのだろう。二杯目はミネラルウォーターで割った。
“人生とは重き荷物を背負うが如き”確か徳川家康がそんな言葉を遺した。
私の背中のリュックには、未だたくさんの宿題が入っている。
箱の中にままかりは二袋、10匹入っている。一袋は冷蔵庫へ。

チャップリンの映画を一本見るかと思った。
一日中言葉につかれたから無声映画にする。

2016年3月30日水曜日

「西荻窪と丸福」




その朝アタマにイメージしていた昼食が、180度変わった。
本日午前十一時三十一分、私はJR中央線西荻窪の改札口にいた。
会社にいるデザイナーの女性のイラストレーションを展示しているのを見るために。
改札口に女性は迎えに来てくれていた。
明日が最終日、行けるのは今日しかないのであった。

24人の作家が描いたイラストレーションを24ヶ所の喫茶店などに展示する、街の活性化の一つでもある。女性はとても有能でユニークな絵を描き、また絶妙の写真とのコラージュをする。とてもいいよとなり、今度こんな事を一緒にしようと話した。

さて西荻窪は久々なので、どこかいいレストランでもあればごちそうするよとなった。
一軒あります、そこへ行ってみますかと南口で十数歩前へ進み右を見ると、な、なんと丸福ラーメンの文字。えっ、あの荻窪の丸福がまさかとなり店に近づいた。
丸福の文字は荻窪のまんま、レストランやめて丸福に入ろうとなった。
頭の中のナイフとフォークは消え、スープとスプーンも消えた。何しろ丸福である。

入ると右側に5人程座れるカウンター、どうぞ二階へと言われたが、カウンターに座った。小太りの主人と若い人が丸福のラーメンをつくっていた。懐かしい丸福の香りだ。
聞けば荻窪の丸福ラーメンの親戚。かつてその親戚が、私が暮らした杉並区天沼に丸福を出していた。日大二高前バスの停留所と杉並第五小学校前の停留所のまん中あたりに丸福ラーメンがあった。大繁盛の荻窪駅前店は脱税で告発され店を閉めてしまった。

その一族が今、荻窪北口商店街と今日見つけた西荻窪で丸福ラーメンを出しているのだ。小太りの主人と私との話は盛り上がった。
小太りの主人は天沼店で修行していたとか、人生はこういう出会があるから楽しいのだ。私の中は安全に丸福ワールドへ、ワンタンメン煮玉子入り一色となった。

デザイナーの女性には、チャーシュウワンタンメン煮玉子入りを頼んであげた。
ワンタンメンは初体験だったらしい。
私と主人のいろんな思い出話を聞きながら、おいしい、おいしいと、チャーシュウワンタンメンを食べてくれた。ところで脱税の方の丸福はどうしたかと聞けば、よくわかりませんと言った。

その店の次男坊は私と同じ天沼中学だった。
“荻生田”という名前だった。私は未だにその丸福以上うまいラーメンを食べた事はない。
マンションを二つか三つ持って家賃収入で食べているという噂を聞いた。
誰が大繁盛店を国税に密告したか、お客が並んで商売のジャマだと思っていた丸福隣のマンジュウ屋説、ブティック説、有力説は丸福一族説であった。