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2016年4月11日月曜日

「Aのバッジ」




「実話時代」5月号510円、この雑誌を読む人は暴力団ウォッチャー、ヤクザマニア、極道こそ男の道、任侠または任侠道への憧れ等々を持つ人々が買う。
東大の教授も愛読していたり医学界、経済界、政界の人々も愛読する。
勿論弁護士や検察官や、警察関係者も愛読する。
毎号購読をしている人(堅気の人)も多い。
私も時々買う。

昨夜5月号を買った。
私の親しい友人がとても可愛がられた人の特集号だったからだ。
友人の父上は元海軍将校で戦後大手石油会社の役員をしていた。
友人は大会社に勤める立派な社会人だったが、縁あって可愛がられていた。

特集号の主人公はあの安藤組組長、安藤昇氏であり、もう一人は加納貢氏という。
特集のタイトル/特別企画「安藤昇『お別れの会』」に寄せて/愚連隊の王者、死してなお光を失わず/とあった。
新宿には愚連隊の“帝王”といわれる人がいた、それが加納貢氏であり、渋谷の“王者”が安藤昇氏であった。私が買った5月号は後編であった。

安藤組とは俗称で本当の組織名は“東興業”であった。
安藤昇氏が敬慕していた愚連隊の創始者のような伝説の喧嘩のチャンピオン、万年東一氏から一字とったのではと書かれていた。筆者は大貫説夫氏であった。
加納貢氏は良家の出であり、安藤昇氏は特攻帰りの若者であった。
法政大学中退、当時の大学生は軟派と硬派に二分され、硬派は愚連隊になった。

人気no.1が渋谷の安藤組(東興業)であった。
イニシャルの頭文字「A」のバッジはその憧れの象徴であった。
今でもそのバッヂはネット上で人気である(いろいろに書体は変化している)。
女性に人気があったのは軟派より硬派であったのはいうまでもない。
一時期花の東京は愚連隊の天下であった。

本文の中にこんな個所があったのでそれを書きたい、私も同感だからだ。
筆者はかつて加納貢氏にインタビューした。
「戦後五十一年を過ぎて今の日本をどう思いますか?」
「こんないい加減な国はなくなった方がいい、ドイツはちゃんと自国民の手で戦争犯罪を裁いたが、日本は敵に裁かせて何もしなかった。反省してケリをつけてないんだよ、だから現実は何も変わらなかった。いや政治家も役人も民衆も腐敗しきって、むしろわるくなった。オレはこんな国は認めない、一度滅んで目が覚めないなら、もう一度滅んでみるしかないんだよ」(加納貢氏談)

今の大学生たちはひたすら「就活」にいそしみ、夢も希望も失った若者たちは引きこもり、精神を病み、あるいわ自ら命を絶って無言で姿を消していく。
社会は隅々まで管理されて息が詰まるような閉塞感があるが、国民すべてに番号をつけられ管理されることに対しても、さしたる反対意見は出てこない。
ただ内部に溜まった腐敗の膿だけが至る所に滲み出して悪臭を漂わせる。
今の日本はそういう社会になっていて、それが「戦後」の成れの果てである(本文抜粋)。

故安藤昇氏の「お別れの会」は、過日青山葬儀所で行われてた、いわゆる反社会的人間ならば青山葬儀所で行うことは許されない。
会場にはその筋の人や、芸能界、出版界、経済界さまざまな分野の人が訪れた。
安藤昇氏は昭和三十九年、八年の刑を終えて出所した後、有名な「安藤組解散式」を行った。俳優となり、作家となり、プロデューサーとなっていった。
享年九十歳であった。

私は暴力を肯定も否定もしない。
弱気を助け、強気を挫くための手段ならそれもやむを得ないと思う。
人が怒りを忘れてしまう社会に明日はない。今どき硬派の大学生などはいるのだろうか、バンカラなどという言葉は死語になってしまった。

鈴木清順監督の名作「けんかえれじい」が懐かしい。
かつては喧嘩で捕まっても警察はさしたる事件にしなかった。
両成敗であった。学生よ、バンバン喧嘩しろ、出でよ硬派のスターよ。
女の子にモテるぞ。

2016年4月8日金曜日

「雨の日はうどん」




昨日雨の中床屋さんへ行った。
土曜日に結婚式があるためであった。

花粉症が酷い時、床屋さんに行くとヒゲを剃ってもらっている際にハァックションとやるとノド笛を切らせてしまうかもしれない、床屋さんに迷惑をかけられないので行くに行けなかった。

チョキチョキ髪を切ってもらうと首からかけた白い布に切られた髪の毛が落ちる。
年を重ねるごとに髪の毛に白いものが混じる。
黒と白が9182736455を過ぎたころから一気に増えてしまった。
現在は白8に黒2となってしまった。

思わず白い布に落ちた我が灰色の髪を手にし、じっとそれを見た。
若かりし頃黒く太かった毛髪はその面影を失い悲しい気で細々としていた。
ゴマ塩みたいであった。床屋さんは、なぐさめなのか私はゴマ塩大好きなんですよ、なんて言ってくれた。私の左右の手の中に切り落とされたゴマ塩があった。
かなり暖かくなったのでいつもより短くしてもらった。
床屋さんほどアタマがスッキリする所はない。

切り落とされたといえば、セブン&アイHDの鈴木敏文会長が無残にも切り落とされた。
これ以上ない頂点に君臨していたが、実はその上に妖怪が一人いた。
イトーヨーカドーの創業者伊藤雅俊名誉会長だ。
セブン-イレブンという会社を育てたのは鈴木敏文会長だが、大株主の創業者にとっては敵ではなかった。
共に我が子に後を継がせたいとの思いの戦いでもあったが、100歳を前にした妖怪は、90歳を前にした人間を切り落とした。

やはり頂点とは転げ落ちる所なのだ。まさかの坂である。
自分こそ天下第一の経営者と勝ち誇っていた鈴木敏文会長は、創業者と物言う外国人株主の餌食になった。この様なケースはこれから多発する。
日本を代表する企業は実は外国人株主がゴッソリと支配しているのだ。

床屋さんでサッパリしたあと、ガチンゴチンになった体を鍼灸の達人にさらけ出した。
ハリを入れてもらいお灸を据えてもらった。
またもホップ、ステップ、肉離れ、民進党売出し中の女性政調会長がガソリン代ゴマ化しの肉離れを起こしている。お灸を据えないと駄目な者ばかりだ。ゴマ塩ではなくゴマ化し社会になっているのだ。桜よもう少しがんばって咲いてくれと願っている。

円高大不況に備えなければならない。
アベノミクスが成功したという人は、本人を含めてこの世に一人もいない。
我が世の春は長くは続かない。これは常なることなのである。
達人は愚妻のつくった“きつねうどん”をおいしいと言ってすすってくれた。
雨の日にはそばより、うどんの方がいいと勝手に思っている。

2016年4月7日木曜日

「Pe’zにて」





六本木の国立新美術館で「三宅一生展」が開催されている。
それじゃPe’ でハンバーガーを食べてから見ようと計画した。

Pe’z Magic は美術館のすぐ近く。
隣に担々麺の店と豚組という豚料理店がある。
Pe’zのママさんは元モデルさん、チャーミングですさまじく元気のある女性。

約束の時間に10分遅れてしまった。女性スタッフが四人先着していた。
店に入るとママがキャーと言って近づきハグハグをしてきた。
その日のPe’zハンバーガーは特別だと言った。
野菜と肉と共に、なんとお寿司に出てくるガリが入っているのだ。
これが実に特別にして格別。

パンと野菜と肉とガリの三角関係が見事に合体しているではないか。
ハンバーガーをナイフとフォークで食べる。ガリは肉と相性がいいというのは大発見だ。自宅でハンバーグを食べるとき試してみるといいと思う。
プライドポテトはデザイン化されていて形が楽しい。
サービスよと言って玉ねぎのリング揚げを出してくれた。
ステキな社長さんもようこそと顔を出してくれた。
とてもクリエイティブな店なので店内はベリーグッド。
ナイスなセンスがアチコチ生きている。

ハンバーガーを食べていざ、イッセイミヤケ気分だったが、一本の連絡でガァーン、ドーンとなってしまい計画は変更となった。
9日に結婚式を挙げる女性デザイナーにいざがんばってのランチでもあった。
申し訳ないことになってしまった。

Pe’zのママは左右のほっぺにフランス式よとチュッをしてくれて、また来てねとなった。店内には小谷中清さんの書で白い大きなキャンバスに「あっ」と赤文字で書いてあった。文字通りあっとオドロクタメゴローみたいなことが起き、私はひたすら謝罪をする日となった。おいしかったPe’zのハンバーガーの味を忘れる程の話だった。
親切な人に迷惑をかけてしまったのだ。昨日の昼のことである。

店の前に咲いていた桜がヒラヒラと飛んでいた。私は飛んで帰った。
今日午後一時謝罪に飛んで行く。

「ブルマー」




ピッカピカの一年生にはピッカピカのランドセルがよく似合う。
兄姉が多いと下の方に行くにつれお下がりとなる場合も多い。
そんなランドセルが海外でファッションとして流行している。
ランドセルの製造販売大手セイバンの東京・表参道の直営店では、アジアの子ども用、欧米の人には自分用ファッションとして売れているという。

アニメの「名探偵コナン」や「ドラえもん」の影響が大きく、ハリウッド女優が赤いランドセルを背負った写真がネットで拡散して、人気に火がついた。
独特の形状が海外では「クールだ」といわれ、優れた収納性を持ち機能性も充分、それに軽いのがいいらしい。

学習院初等科など有名私立小のランドセルを手掛ける峽製鞄(おおばせいほう)ではイタリア・ミラノの百貨店で紳士向きに販売し約40個が完売、ロシアでは100個以上が売れたとか。土屋鞄製造所(東京)は創業50周年の昨年「大人ランドセル」を数量限定で予約販売したところ、10万円にもかかわらず即日完売した(4/5朝日朝刊記事より抜粋)。

日本製は誠実にものを作っているのが支持されているのだろう。
新丸ビル内にある土屋鞄製造所に行ったことがあるが、茶色でシンプルなランドセルだけが整然と展示販売されていた。
私はこれから◯◯製造所とか、◯◯製作所とか、◯◯工業とか、◯◯精機みたいな会社が永遠に支持されて行くと思う。
天才コピーライター仲畑貴志氏はずーっと以前に会社を立ち上げた時、「仲畑広告制作所」と命名した。先見の明がさすがにあった。

真面目で誠実なモノ作りといえば東洋羽毛工業株式会社がある。
創業60余年羽毛一筋の会社だ。
その羽毛から生まれた画期的なシャンプーやリンス、ハンドクリームや石鹸などが大好評だ。oluha(オルハ)ブランドで支持されている。

話は変わる。
これは私の直観だが、その内ダサイトレパン(トレーニングパンツ)やダサイブルマー、ダサイトレシャツ(トレーニングシャツ)が流行るのではと思っている。
ステキな女性がブルマーで、ステキな男性が白いトレパン(チノパンではダメ)に白い運動靴(スニーカーではだめ)で銀座を歩いたらグッドファッションになると思う
ブルマー&トレパン+運動靴。
友人のデザイナーに作ってもらい、天才写真家 新良太さんに撮影してもらうのだ。

ファッションは再発見の中にある。ところでブルマーは売っているのだろうか。
トレパンは、合羽橋にあるかもしれない。
マズイ、ユニクロにパクられるかも(?)コンセプトは「ダサイ・ジャポン」。