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2016年5月19日木曜日

「微妙に違うんだよなで、まい日徹夜」




映画ファンが選ぶ日本映画のベストワンといえば、黒澤でも、小津でも、木下でも、今村でもない、深作である。
映画の名は「仁義なき戦い」シリーズ全5作、キネマ旬報誌がファン投票で選んでいる。

深作とは故深作欣二監督、深夜作業組をもじって深夜組と呼ばれていた。
撮影は勿論、映画作りの全てが徹夜になるからだ。
第一作を生んだ時、深作欣二は四十二歳であった。
B級作品ばかり作っていた深作にプロデューサー日下部五郎は目をつけた。
水戸出身の深作は反骨、反権力、反戦の監督でもあった。

仁義なき戦いシリーズの第一作は広島への原爆投下キノコ雲から始まり、ラストシーンは全て原爆ドームであった。
深作は戦いが始まる時、はじめに差し出されるのは名もなき若者たちの命だというメッセージを仁義なき戦いの中に込めた。深作が取り組んだこの映画に絵コンテはない。
笠原和夫の絶品の脚本と深作の頭の中のコンテがせめぎ合う。
大道具、小道具、照明、衣裳選び、カメラアングル、殺し方、殺され方、全て「微妙に違うんだよな」のひと言のつぶやきで徹夜となる

昨夜NHK BSプレミアム「試写室アナザーストーリーズ」九時〜十時をオンタイムで見た。映画好きならこれ以上ないものであった。
中でも、すでに役作りをしていた千葉真一が北大路欣也に役を替えてほしいといわれた。北大路は東映の御大といわれた市川右太衛門の息子、自分は東映という会社の中で弱い立場、同じ目を二度北大路から受けたことを初めて語った。

深作は当時テレビの人気シリーズ「キイハンター」で、ナイスガイのイメージで売っていた千葉真一をシリーズの中で最凶の男として作り変えてしまった。
もう一つの話、大部屋俳優の一人だった川谷拓三を千葉演じる最凶の男にリンチされ殺されるチンピラ役に起用する。

川谷拓三は最終作の第五作にも出演した時、ポスターに初めて名が出た、同じ大部屋俳優だった妻にもういつ死んでもいい、ポスターにオレの名があると言って泣いたという。
川谷拓三はその後ドラマの主役を演じる程になるが、五十四歳で肺癌に襲われ死んでしまう。

このドキュメンタリー番組の中に、本篇と違う映画バカたちの一代記があった。
みんな三度のメシより映画づくりが好きなのであった。
微妙に違うんだよな、あの監督ほどしつこいのはおらんかった。
あの監督ほど一秒とか二秒しか写らない役者を大切にしたのはおらんかった。
あの監督ほど人たらしはおらんかったなと、当時二十代、三十代だった映画バカたちは古希を越え、あるいは喜寿を迎えながら、深作欣二の思い出を語っていた。

「仁義なき戦い」は人間の中にある様々な欲望と権力への打算、裏切り、寝返り、狂暴と狂気、孤独と恐怖を描いた。今の世の中の全てに「仁義なき戦い」シリーズの登場人物がいる。深作欣二にとって、主役は登場していた大スターから端役の役者全てであった。この番組はいずれ再放送されるはずだ。(文中敬称略)

2016年5月18日水曜日

「勝てない人たち」



二人の文学賞の結果。
一人は六十五歳(?)江戸川乱歩賞の四人の候補作の一作を書いていた。
一昨日その選考会があり残念ながら選から外れた。賞金一千万は彼方へと消えた。
チクショウ、チクショウとヤケ酒を飲み続けた(とても正直な人なのだ)。
未だチャンス有り、ぜひ来年もチャレンジを。
一昨日の夜の事である。

昨日の朝もう一人の作家が八十歳にして三島由紀夫賞を受賞したという記事があった。
その人はこんな年寄りが受賞するなんてなんとも嘆かわしい世の中だというような事を語っていた。結果は人格を語る。

人格の違いというか、そもそも人格がないのが東京都知事舛添要一だ。
もう終りだろう。その悪あがきは際立っている。
勉強はできるが地頭(ジアタマ)の悪い典型だ。
悪知恵ばかりが先に立つ。人の事をバカだアホだと見下している時はやけに勢いがいいが、自分がケチでチンケな事をやって攻め立てられると、シドロモドロとなる。
守勢に立つという経験あるいは認識がないから手は震えるわ、ノドは乾くわ、目は泳ぎまくるわ、みっともない事この上なしとなる。
このまま知事職に留め置いたら東京都民の恥となるだろう。

力絶倫の男がもし公用車で別荘に行って、あろう事かオナゴでも呼んでいたら(?)何でもやる男だから、何でもあるのではと疑ってしまう。
“もし”がない事を願う(?)子どもの教育上悪いので。


こんな伝聞があった、ある自殺願望の男が酒を飲んでいてヤクザ者みたいな男に絡んでしまった。
相手がオドリャ殺すぞとスゴんだので、殺して下さい、お願いします、自殺しようと思っていたのです、ぜひ殺して下さいと強く迫ったら、スゴんだ男はジョーダンじゃねえよとスゴスゴと店を出て行ってしまったとか。

森永卓郎というよくテレビに出る男を久しぶりに見た。
やはり出たがりの東国原英夫と共に、すこぶるファナティックな元大阪市長橋下徹と口角泡を飛ばしてつまんない口論をしていた。
森永卓郎はCMに出たライザップで減量したのですっかり痩せこけていた。
吹けば飛びそうだなと思った。
その存在だけで害虫のような東国原英夫は性犯罪者でもあった。
やはり絶倫者らしい。

昨日ファミリーレストランに三人のオバサンたちが私たちの隣の席にいた。
何しろ分厚いステーキをよく食べるのにオドロイて、おばさんたちよく食うねと言ったら、七十代近い三人はナイフとフォークをチラつかせながら、あたしは300gプラスライス、この人も300gプラスグリーンサラダ、この人は200gプラスハンバーグ、プラスエビフライにライスよ、ギャハギャハ、ウハハハ、生きている内に食べたいものは食べなきゃ、グハハハと笑い飛ばされた。
三人の目はランランとして血走っていた。
とても勝てない相手だ。

日本人の総摂取カロリーが一人2000キロカロリーを切って、18001900キロカロリーに減ってしまった。留置場の人間より少なくなったのだ。
みんな森永卓郎化している。体力がないとビョーキに勝てない。
三人のオバサンはきっとビョーキ知らずだろう。
体型については恐いので遠慮して書かない。過度のダイエットは万病の元である。
(文中敬称略)

2016年5月17日火曜日

「羊たちの沈黙より恐いもの」




なんとなく人を殺したかった。人を殺して人間の中を見たかった。
大人をボコボコにしたかった。もっと大きなものを盗んでみたかった。
放火をしたかった。

自分で自分が制御できない、突然キレると手に負えない。
この頃少年少女のおぞましい事件が起きている。
まさかウチの子が、まさかあんな裕福な家の子が、社会全体の想像を超える猟奇的事件や残虐な事件が起きている。

十歳から十五歳位の犯罪の原因は何か、世界中の精神科医たちは人の心に潜む闇を探し続けていた。
少年少女の犯罪の裏に親自身のトラウマがあることを見つけだした。
かつて“父原病”とか“母原病”と呼ばれた。
子どもへの過重な期待、自らが手に出来なかったことを子に求める過度の愛情、強い叱責、しつけという名のネグレスト。また貧困が生むこの物欲しさ。

その夜見たドキュメント番組は初めて医療少年院にカメラを入れて本人に取材した。
またその子の親自身の抱えて来たトラウマを導き出すことを試みた。
私の自論である非行は突然始まらない、非行の裏にきっと顔や教師や大人たちの無神経な行為や無関心がある。小さな憎悪は少しずつ沈殿しやがて一気に暴発する。
そして大人たちは子どもを頭がオカシイ子にしてしまう。
協調性がないとか、不器用とか、認知力に欠けるとか、勉強ができないとかを全て子どものせいにしてしまう。

世界の精神医学界は「自閉症スペクトラム」という病名に統一して、子どもたちに手を差し伸べ始めた。まだ初めの一歩である。親のカウンセリングを始めた。
異常に潔癖な親、異常に叱責する親、異常に暴力を振るう親、異常に愛情を持つ親。
子どもの異常の隠に親のトラウマがあることにやっと気付いたのだ。
親が治らなければ子は治せない。勿論教師をはじめ他の大人たちのトラウマもある。
その上ネット上では異常な映像が何でも見ることができる。

子は悩んでいるのではなく、「自閉症スペクトラム」という病気に苦しんでいるのだ。
マザコン、ファザコン、ロリコン、異常な動物愛。これらは大人も子どもも病気なのだ。
現在35人学級で約3人位はこの「自閉症スペクトラム」の子どもがいると推察されている。ということは親も同数いることとなる。

そのドキュメント番組は、あの「羊たちの沈黙」という映画より恐いものであった。
子は親を選べない。子を叱責する前に親がまず自分を知ることが大切なのだ。
私にも年頃の孫がいる。深く深く考えさせられた。

2016年5月16日月曜日

「黒いバインダー」



小結といえば大相撲の三役の呼び名だ。

さておむすびの子といえば、そう「小むすび」なのだ。

黒々と上質の海苔でくるまれた小むすびは、3.5センチ位の三角形の大きさであった。
美しい女性のやわらかな手で丹念に丹念にむすばれた品だ。
一人前八個で700円、それにたくあんがついていた。

十三日の金曜日、大先輩に指定された店は「しみず」という店だった。
さすがにセンスのいい大先輩が指定してくれた店だけあって、すこぶるいいセンスといい味と、いい酒の店であった。
京風のおばんざいだが味は関東風のやや濃い味。
野菜煮、サンマのみりん焼き、鮭のハラス、ハムカツなどを三人で食した。

三十年以上赤坂で営んでいるというのに、しょっちゅうそのビルの前を通っているのに全く不勉強で知らなかった。
一階に懐かしいマックス・ローチというドラマーのポスターとディジー・ガレスピーのポスター。二人共モダンジャズの巨匠、地下一階はジャズのライブハウスであった。
「しみず」は二階にあった。馴染みの客以外まず分からない。

店は六時を過ぎるとすぐに満員になり、私たちが帰る頃は二回転目であった。
私たちは三時間半近く話の花を咲かせた。
店内の飾り付けも良く、花の生け方もいい、日本酒の銘酒が酒屋さんのように並んでいた。
三十人位入るはずだ。客筋は見た目で分かる、私以外はすこぶる上質のお客さんたちだった。

私は連休あたりからセキが止まらず強い薬を飲んでいたので、実は料理の味も酒の味も残念んあがらとぼしかった。だがいい料理は目で分かる。
ハムカツなどは見ているだけでゾクッとするほど旨そうであった。
「しみず」は通信簿でいえば間違いなくすべて5であった。
セキが治ったら必ず行こうと思っている。

というよりも行かねばならない。何故ならばお店のお品書き、つまり黒いバインダー二つ折りのメニューをカバンに入れて持ち帰ってしまった(黒いバインダーは私自身いつも持っているので)。

十二時二十分家に着いてそれに気付いて直ぐに電話をした。
ママさんというか美人女将さんが未だ店にいたので、メニューを持って帰ってしまった、スミマセンと言うと、今度ぜひまた来てください、その時まで大切に持っていて下さいな、なんて言われたからだ

「しみず」は一人で行って、いい酒二合ほど飲んでおつまみ二品位を食べて、最後に小むすび一人前とお味噌汁で三千円位だ。
でも「しみず」は人に教えたくない店でもある。


2016年5月13日金曜日

「巨星墜つ」




昨夜コンビニで冷えたウーロン茶を買い、それを飲みながら家に向かった。
夜空を見上げると星がいつもより数多く輝いていた。

演劇界の巨匠、蜷川幸雄さんがご逝去されたことを聞いていた。
そのせいか家の前の公園でしばし星を見続けた。
蜷川幸雄さんに二度仕事をお願いしたことがある。
一度は航空会社のPR誌での対談を、一度は東急文化村の広告出演で。

蜷川幸雄さんは灰皿をブン投げる、役者さんをコテンパンにやっつけるまで稽古をすることで有名であった。蜷川幸雄さんは大巨匠なのにワンパクな大人であった。
実に気さくで茶目っ気があり、黒い服がよく似合うお洒落な人だった。
五十代と六十代、独特のオーラがこれ以上なく出ていた。

今日も灰皿をブン投げたんですかと聞くと、そんなことはないない、ボクはやさしいもんですよ、今日◯△君をぺっしゃんこにして来たけど、十日間ミッチリやっつけてやったら今日は実によかった。
ぺしゃんこになったあとの芝居がやっとこさ求めたものになったの、やっぱり十日はかかるな、でも◯△君はいいよ、サイコーだよ、で、何、あっそう、いいよ、芝居観てね。
恐いけどヒトに愛される訳が分かった。

東急文化村といえば東急エージェンシー出身の社長、田中珍彦(ウズヒコ)さんを書かねばならない。私の中学の大先輩、野球部の大先輩であった。
今でもこの先輩の前では私は最敬礼となる。
この先輩を書き出すと相当数の原稿用紙が必要となる。近々自伝のようなものが出版されるはずだ。快男児の物語はきっと読む人の心を踊らすだろう。

モシモシ田中だ、蜷川さんのOK取ったから◯月△日◯時△分◯△へ来い。
ヘイ、分かりやした。
芝居の稽古中だからサッと終わらせろや。
ヘイ、分かりやした。
東急文化村でコクーン歌舞伎というのを、故中村勘三郎と生んだのは大先輩。
蜷川幸雄さん、串田和美さんを演出家に起用したのも大先輩だ。
今日六時から久々にお会いする予定なのだが、後日となるやもしれない。

この大先輩と蜷川幸雄さんとでギリシャ悲劇をアテネのヘロデス・アティコス劇場でやった。快挙であった。主役は野村萬斎さんだったと思う。
オイ、遂にやったぜと胸を張った。勿論劇場は超満員であった。
つくづく思うのだが、東急グループの総帥だった五島昇さんはもの凄い人物だ、もし渋谷のあの場所に東急文化村をつくっていなかったら、渋谷は若者とヤクザ者とラブホテルに通うピンクな人たちの街になっていたはずだ、何しろ渋谷宇田川町は諸悪のメッカだったから。都会に村をつくるという発想がすばらしい。
そして歴史に名を遺す人びとを育てて行った。

娘の実花さんが、坂田栄一郎大先生の後を引き継いで雑誌AERAの表紙撮影の写真家となり、これから世界中の時の人を撮影する。
あの世からチンタラしている者たちにバンバン灰皿をブン投げてください
田中珍彦大先輩を見守って下さい。百歳まで生きてもらいたいので。
ひと際美しい夜空の日に巨星墜つ。(合掌)