映画ファンが選ぶ日本映画のベストワンといえば、黒澤でも、小津でも、木下でも、今村でもない、深作である。
映画の名は「仁義なき戦い」シリーズ全5作、キネマ旬報誌がファン投票で選んでいる。
深作とは故深作欣二監督、深夜作業組をもじって深夜組と呼ばれていた。
撮影は勿論、映画作りの全てが徹夜になるからだ。
第一作を生んだ時、深作欣二は四十二歳であった。
B級作品ばかり作っていた深作にプロデューサー日下部五郎は目をつけた。
水戸出身の深作は反骨、反権力、反戦の監督でもあった。
仁義なき戦いシリーズの第一作は広島への原爆投下キノコ雲から始まり、ラストシーンは全て原爆ドームであった。
深作は戦いが始まる時、はじめに差し出されるのは名もなき若者たちの命だというメッセージを仁義なき戦いの中に込めた。深作が取り組んだこの映画に絵コンテはない。
笠原和夫の絶品の脚本と深作の頭の中のコンテがせめぎ合う。
大道具、小道具、照明、衣裳選び、カメラアングル、殺し方、殺され方、全て「微妙に違うんだよな」のひと言のつぶやきで徹夜となる。
昨夜NHK BSプレミアム「試写室アナザーストーリーズ」九時〜十時をオンタイムで見た。映画好きならこれ以上ないものであった。
中でも、すでに役作りをしていた千葉真一が北大路欣也に役を替えてほしいといわれた。北大路は東映の御大といわれた市川右太衛門の息子、自分は東映という会社の中で弱い立場、同じ目を二度北大路から受けたことを初めて語った。
深作は当時テレビの人気シリーズ「キイハンター」で、ナイスガイのイメージで売っていた千葉真一をシリーズの中で最凶の男として作り変えてしまった。
もう一つの話、大部屋俳優の一人だった川谷拓三を千葉演じる最凶の男にリンチされ殺されるチンピラ役に起用する。
川谷拓三は最終作の第五作にも出演した時、ポスターに初めて名が出た、同じ大部屋俳優だった妻にもういつ死んでもいい、ポスターにオレの名があると言って泣いたという。
川谷拓三はその後ドラマの主役を演じる程になるが、五十四歳で肺癌に襲われ死んでしまう。
このドキュメンタリー番組の中に、本篇と違う映画バカたちの一代記があった。
みんな三度のメシより映画づくりが好きなのであった。
微妙に違うんだよな、あの監督ほどしつこいのはおらんかった。
あの監督ほど一秒とか二秒しか写らない役者を大切にしたのはおらんかった。
あの監督ほど人たらしはおらんかったなと、当時二十代、三十代だった映画バカたちは古希を越え、あるいは喜寿を迎えながら、深作欣二の思い出を語っていた。
「仁義なき戦い」は人間の中にある様々な欲望と権力への打算、裏切り、寝返り、狂暴と狂気、孤独と恐怖を描いた。今の世の中の全てに「仁義なき戦い」シリーズの登場人物がいる。深作欣二にとって、主役は登場していた大スターから端役の役者全てであった。この番組はいずれ再放送されるはずだ。(文中敬称略)