ページ

2018年7月4日水曜日

「神のシナリオか」

サッカーW杯、日本 vs ベルギー戦の結果を見て、やはり神はいるのではと思った。第一戦コロンビア戦ではいきなり相手が反則退場、相手は10人となった。日本人はラッキーと喜んだ。結果は2対1で日本がやっと勝った。第二戦はセネガル戦、2対2の引き分け。第三戦はポーランド戦0対1で負けていた。ライバルのセネガルが1点取れば、日本はベスト18 強に残れない。遠く離れたスタジアム同士の情報戦である。反則カードは日本4枚セネガル6枚。0対1で試合を終えれば、フェアプレイシステム(知らなかった)で日本が勝ちあがれる。相手はすでに18強に残れない。そこで日本の代表監督がとった指示は、徹底的にアッチ向いてホイ、コッチ向いてホイ、つまり戦うことを放棄させたのだ。サッカーの残り10分は死闘になる。観客はブーイングの嵐であった。サムライニッポンなんて言っていたが、刀も槍も捨てたサムライであった。私は見ていて恥ずかしかったし、相手に失礼だと思った。アッチ向いてホイに相手は付き合わない。なぜなら勝負に関係ないからだ。もしセネガルがラストに一点入れて、 日本が18強に進めなかったら、サッカーW杯史上最も最低の戦い方をしたチームとしてその汚名を残したであろう。翌日のスポーツ新聞の見出しには、戦略的勝利とか、西野朗監督の逃げの作戦をこれでもかと賛辞した。私は怒った。何事にも結果オーライのこの国のスポーツジャーナリズムにうんざりしたからだ。たとえひとりでも私はとことん最後まで正々堂々と戦って勝ちをとりに行って欲しかった。逃げまくる作戦は、これからサッカーを目指す少年少女たちに、悪い影響を与えてしまうからだ。ツキとラッキーとで逃げて勝ち残った、日本チームに神は残酷な結果をちゃんと用意した。強豪ベルギーから2点を取った時は、日本人は勝利を80〜90%以上確信しただろう。が、神はツキとラッキーと逃げまくったチームに、これがサッカーだを教えた。2対0になり 狂喜乱舞を、あっという間に悲鳴と絶叫とどん底の落胆を用意した。ベルギーは、怒涛の攻撃を繰り返し、あっという間に3点を入れて逆転した。逃げまくったことへのペナルティであった。何事にも結果オーライの国をマザマザと神は、蹴倒した。正々堂々としていなかった罪と罰だと。一生懸命がんばったなんてプロとしては当たり前、何も同情する必要もない。「武士道は死ぬこととみつけたり」はじめの一戦に10人対11人になった時、神はこの結末を周到に用意していたのだろう。日本のサッカーは、さして進歩していない。まずは体力と迫力、ゴールへのあくなき執念を持たねばならない。一位になってこそ賞賛がある。4年後は、絶対優勝だ。

2018年6月28日木曜日

「どんな手の平返しか」

日本人の最も得意技は、「手の平返し」だ。ついこの間まで、サッカーW杯に出場する選手、特に私が大嫌いな(一緒に酒を飲みたくないタイプ)本田圭佑は、粗大ゴミのような存在だった。走れない、動けない、パスを取られる、自分が入れたがる。チームワークを乱す。ヒマを持て余しているネット住民は、ここまで書き込むかとやっていたらしい。今世界中が、このネット住民の書き込みに影響される。何しろ USA の大統領がツイッターで世界中を。瀬戸てんや、わんや(故漫才コンビ大ファンだった)状態になる。てんやわんやの影響は、 USA の金ヅルであり、属国、占領国である日本が一番影響を受けて、てんや、わんやとなる。非主体性国家であるからだ。現在ネット上は勿論、大マスコミ、中マスコミ、小マスコミも、本田さんゴメンなさい。本田はやっぱり持っている。本田、ホンダ、ドーダになっている。手の平返しである。どのテレビにも、もう忘れていたような元サッカー日本代表選手が出ずっぱりである。西野監督がいかにスゴイかを延々と流す。救世主、マイアミの奇跡(もう忘れている)を流し、その能力の高さを、滝のように流す。そんなに優秀だったら、何もギャラの高い外国人監督に頼み込むことはなかったではないか、手の平返しである。見ていて気恥ずかしくなるが、私はテレビたれ流し派なので、否応なし目と耳から情報が入る。優勝候補の筆頭、世界ランク1位のドイツに日本と同じ最下位に近い韓国が2対0で勝った。昨夜旨いキムチを食べた(私のささやかな夕食)今日は韓国が勝つぞと言った。この間日本国内の政治、経済はハチャメチャで、新幹線内では残忍な殺しがあり、震度6くらいの地震がグラグラと起き続けている。日本の大企業の多くが日本銀行が筆頭株主になっている。見るに耐えないわずか45分間の党首討論、たくさんの党がわずかな時間に党首を投入し、ヌカに釘でついにはもうこんな討論役目は終わったと、手の平返しをされている。日本国政治史上、今ほど最低の野党はなかったのではと思う。セクト主義と、政党助成金のせいである。選挙制度を手の平返しにする必要がある。地方銀行の見本と言われてきた「スルガ銀行」は、これ以上ないデタラメ経営、世界の外交からすっかり無視(金だけ出せばいい)されているリーダーは、支持率が上がるという珍現象モリもカケも殆ど影響しない。今はもうソーメン、冷麦の季節に。国民はすぐ手の平を返すことを知っている。
(文中敬称略)

2018年6月27日水曜日

「6月26日のこと」

午後11時48分21秒、6月26日の日付の内に帰宅できた。私の大親友、大先生、大尊敬の故加藤雄一(通称加藤ちゃん)の命日である。七回忌となった。朝早く大磯の奥さんから花が届いたとの心を込めた電話があった。 25日仲間と献杯をした。24日茅ヶ崎駅前の果物屋さんに行き、リンゴとスモモを買った。800円であったので200円分何かをと言ったら、顔なじみの主人が大きなオレンジを2個どうぞと言った。伊豆稲取の友人から頂いたオレンジ、山形出身のお世話になっている会社オーナーと、会社社長、映画監督の方から頂いた。宝石のような美しい赤いサクランボをお盆にのせて、大親友の写真の前は果物屋さんみたいにきれいになった。愚妻が花を生けて置いた。朝奥さんの電話で、大親友の愛娘(長女)に、女の子が産まれたと聞いた。そうなのそれはよかったと言った。大親友の俳号は、「一鶏」である。大磯の家を改装して、奥さんが「一鶏」という名の食事処を作っている。陶芸にも詳しい大親友が、いい陶芸品や漆の品々を買い求めていたので、奥さんの手料理に合うはずだ。朝刊を取りにポストに行くと、 大親友の大先生である、故池波正太郎の高弟(一番弟子)針山亭こと 、佐藤隆介先生より葉書が来ていた。稀代の名文家である先生が白内障の手術をして、1日何回もの点滴に難儀をしていたが、やっと1日2回で済むことになった。近況報告との勿体なき葉書きであった。早速御祝をと思った。大親友と佐藤先生と私と3人で「忘憂」の会というのを年に2・3回行なって来た。「忘憂」 とは、「お酒」のことである。佐藤先生は名うての食通、オイ、コハゼの天ぷらだ、オイ、中華のナマコ煮だ、オイ、ふぐだ、とお下知が大親友に下ると、直ぐに私のところへという仕組みになっていた。「忘憂」の会は、天下国家の話から、食の話、酒と料理、映画に小説の話、民芸から書画骨董の話、各人物論と時を忘れる楽しい会であった。金にまつわる話は一切ご法度。佐藤大先生は、私の大先生の奥さんの食事処「一鶏」 に過日病身でありながら行ってくれて、葉書きを頂いた。「一鶏」なかなかよし、心配なし。と書かれていた。大親友を失った私は一途に働くことしか精神の安定が保てない。大磯の友の命日に、仕事仲間であり、私の会社でずっと頑張ってくれていた後輩の父君が亡くなって、故郷に向かっていると、新幹線の中で小さな声で言った。(車中とは思わず電話をした)私たち芸人は親の死に目に会えない。我々の業界は、きっと大地震、大火災、大災害が隣で起きていても、プレゼンに勝った、負けたとやっているだろう。直シ、直シ、やり直シを越えて行かねばならない。その原因は全て私にある。あちこちに迷惑をかけつづけるのだ。もしもし、加藤ちゃんと、ほぼ毎日電話をするか、会っていた。毎週土曜日には二人で同じ鍼灸院に行き、治療が終わると今日は、そばで、今日は魚で、今日は天ぷらでと時間を楽しんだ 。殿様キングスが唄う「なみだの操」とピンカラトリオ が唄う「女のみち」がいつもいつも分からなくなり電話をすると、「♪〜 あなたのために守り通した女の操ォ〜」と唄い、「私がささげたその人に あなただけよォとすがって泣いた・・・。」と 唄って教えてくれた。歌謡史に残る二大ヒット曲であった。親友のカラオケの持ち歌は、「思橋ブルース」であった。「♪〜 雨の降る夜は長崎の街・・・。」ヨオ〜 加藤ちゃんと掛け声をかけた。そして次は、「浪花恋しぐれ」であり、歌の途中に入るセリフ、「酒だ酒だ酒を持って来い」と加藤ちゃんは浪花節風に唄った。友よ、オレは今夜も思案ばかり、今夜も酒だ、酒だ、酒なのだ。但し、7年前よりすっかり酒量は減ったよ。

2018年6月26日火曜日

「ごはんですよ」

春の人事が終わったのだろうか、この頃定年、退任、退社、辞職、転勤拒否で座敷牢入り、引退、自宅へ移転、病気で入院、会社解散、などの葉書や、手紙や、電話が々と来ている。歳月の流れと言ってしまえばそれまでだが、ずっと長い間共に戦ってきた仲の人は正直淋しい。この次に来るのはもっと淋しい通知かもしれない。 が才能も根性も、ヤル気も体力もある人は、たとえ一人になっても戦い続けて欲しいと願う。人間弱気になり、守りに入り、老後のことなどを考えていると、体からオーラは消え、顔からは鋭さが消えてしまう。数年前都会を離れ田舎暮らしに人生の最後をなどと言って夫婦で地方にいった人たちがとてもやってられない。 地方では時間の概念が違う。夜9時にはもう寝てしまうとか、長い歴史の中の風習についていけない。会話が成立しない。相手が心を開いてくれない。夜が暗くて怖い。町には人がいない。村には若者がいない。山には熊や猪が出る。よほどの筋金が入っていないとやって行けないと書いてある。我々のような芸人から芸を取ってしまうと、実に何の役にも立たない存在になる。友人からはボケ防止のために、金を賭けない麻雀をやっていると聞いた。自分史を書いたのだが、あまりにつまんない自分史なのでもう止めたとか。恩人、知人、友人の中で難病や業病と闘いながら、創作活動をしている人たちがいる。ルノワールはリウマチで指がひん曲がってしまったが、その指に絵筆をしばって晩年の名作を残した。写真家土門拳は、弟子たちに駕籠を担がせて山の中に入り、執念の写真を残した。 奥村土牛は「百歳の富士」を描いた。みんなパサパサになるなよと言いたい。経験を生かせ、汗をかけ、楽を選ぶな、七難八苦の道を行こうではないか。
ガンバレ!ニッポンサッカー。目指せNO.1。私もパサパサにならないように、今朝塩辛とごはんですよで食事した。


2018年6月21日木曜日

「キンピラ」

だからこの国のサッカーは世界ランク61位なのだ。放送は取り込みがあって、ライブでは殆ど見れなかった。仕事場でテレビをつけると、2対1でコロンビアに勝っていた。オッやるじゃんと思ったら、試合開始早々相手のハンデ(手でボールを蹴る)の行為があって、いきなり退場、相手は11人から10人になった。つまり勝って当たり前の87分間となっていた。すこぶるイライラ、ムカムカ、バカヤローが溜まっていて。みんなプロ意識がネエとアタマに来ていた。さらにテレビはギャーギャーウルサイので切って、仕事を続けた。午前5時前はすでに明るい。ビジネスホテルを取っていたが、パジャマを忘れて出てきてしまった。(私はユカタが着れない、苦手なのだ)コンビニでカフェオレを買って飲みながら、再び小さなテレビをつける。まるでコロンビアに勝ってW杯に優勝したように大騒ぎ、つい先日まで、サイテー、最悪、 絶対勝てないと言っていた。マスコミは、ドンチャン騒ぎであった。中山ゴンとか、安木とか、カビラ兄弟は、とにかくウルサイ。香川やっぱり天才、長友献身的運動量、大迫にいたっては、幼少期からの天才ぶりを見せて 、「ハンパ」ないを大、大的に取り上げる。あ〜これだからダメなんだこの国はと思った。正しく報道するなら、敗戦を予想されていたが、開始早々ゴール前の反則(ハンデ)で相手は一発退場、数的優位の11人対10人になって2対1で“やっと勝った”。本来なら3対1とか、3対0とか、4対1で勝ってなければならない。反省点はたくさんある。とりあえ 敵失でも勝ってよかった。あ〜よかった。新聞・テレビは万歳だ。だけど、このままでは全然前途は多難、特に中盤のメンバーの動きが悪く、運動量が少ない。本田は途中出場であった。事実PKを入れた香川などそれきり名が出なくなった。まあ〜、そんな体質が甘えを生む。銀座中央通りdunhill(ダンヒル)ショップのウィンドウには、全日本のメンバーがスーツをビシッと決めて記念撮影をしたでかい写真があった。ダンヒルが公式スーツである。その間大阪で地震はある。政府はヘラヘラと会期を延長する。自分の担当した仕事(プロジェクト)に、トコトン執念を持って、次々と直し、注文、をしてくる相手の担当者にむしろ敬意を持つ。甘えがない。妥協がない。プロ意識があるからだ。私はその熱量に負けていた。反省すること大である。甘いディレクションを反省した。PCに一日中へばりついて、たかだか一つや二つの仕事に時間を使っている連中は、“ヒマつぶし”だと思った。プロとは24時間、これでもかと考える人間のことを言う。コンサバ(保守的)な人たちからは新しいものは生まれない。攻撃をしない、守りの体勢から、何も新しいものは生まれない。イラン、モロッコなどの試合をダイジェストで見て感動する。一生懸命だからだ。私にはもう目の前のイライラを抑える根気も必要も、必然も、恩義もない。プロの相手にはプロの仕事で応えるしか、旨い酒を飲む資格はない。使えないものは使えない。現在午前6時52分01秒、カラスがカァーカァー鳴いている。どうやら雨は止んだ。今日は勝負の一日である。ピースな映像をひと工夫してプレゼンをする。昨夕、屋久島から「ホテルサンカラ」さんの、総支配人が銀座オルハショップに来てくれた。すばらしい人である。誠実で一生懸命の人なのだ。これからの社会は、会社に入ったら、ずっとずっと給料をもらえる時代でない。昨夜お世話になっているある会社の社長が、身を引くと言って、食事をした。都合で3時間ほど話をして、これからもよろしくと言って別れた。話の途中であったが、午後9時過ぎから、クレームというか、追加オーダーが入った。雨の中二人で  クリエイター四十年のお互いの思い出を語った。素晴らしい善意の人。なにかの形で恩返しをと思いつつ雨の赤坂を歩いた。人生とはなんぞやと思いつつ。二人で食べたキンピラゴボウが美味しかった。今、私は人生という試合の中にいる。正々堂々と生きたい。

「しみず」に来たお客さんの写真より引用

2018年6月15日金曜日

「W杯始まる、その夜」

♪京都にいるときや忍(しのぶ)と呼ばれたわぁ、神戸じゃ渚(なぎさ)と呼ばれたのォ、流れ女の最後の止まり木は・・・。小林旭の大ヒット曲「昔の名前で出ています」を思わず口ずさむ。W杯ロシア大会に出る日本代表のメンバーの名前だ。長谷部、本田、香川、岡島、長友、島、次々と昔の名前が出てしまう。前回のブラジル大会から4年が経った。早いものだ。実のところ私自身が昔の名前が出ていますみたいになっている。この4年間無為に過ごしたような気がする。もっと勉強しなければならなかったと反省する。50号の油絵5枚は仕上げていない。何冊か買った本は積読だ。映画のシナリオは小さなダンボールに箱いっぱい入っているが、カタチにはならない。アノヤローに目に物見せてやると思っているが、つい忘れてしまっている。あの人に恩を返さねばと思っているが、まだ返し切っていない。この4年間で 日本はメッタメタのまま変わっていない。私は相変わらずのメカオンチだ。当たり前のように、皆4才歳を食った。驚くべき事と言えば小さな池の赤い金魚がまるで鯉のようになって生きている。平塚の七夕さんですくってきた金魚だ。テレビでは赤いユニフォームを着たロシアの選手が初戦でゴールを入れている。現在後半23分59秒、オット変わって24分。残り21分サウジアラビアはと見ながら書いている。小さなカセットデッキからは、と書いていると後半26分ロシアがまた一点入れた。で、カセットデッキからは「Dirty Work」AKLOの音楽が流れている。タリバイ、タリバイと、 ドラマ「スモーキング」の主題曲だ。このドラマの落とし前は最後に、刺青をメスで剥ぎ取るシーンで終わることが多い。メリメリ、バリバリと、ヤクザ者はギャーと叫び続ける。かつて日本陸軍が中国人や朝鮮人、台湾人の皮をメリメリ、バリバリと剥ぎ取った。日本軍は、鬼と呼ばれた。赤いロシアを見ていると「赤いきつね」を思い出す。ロシアの戦車隊を恐れた日本軍は、それを赤いきつねと呼んだ。赤い皇帝プーチンが3対0となって喜んでいる。さて、日本サッカー軍はどれだけやってくれるだろうか。金髪のモンキーになった長友を見ていたらこりゃ駄目だと思った。4年間で約800本の映画を見た。目標より全然少ない。強力なパートナーがいなくなり、手も足も出ない。オッとロシアが4点目を入れた。やはり4年の月日はいろいろあった。手と足が出なくなれば頭突きで攻めるしかない。オッとロシアが5点目を入れて試合は熱狂の中で終わった。♪流れ女の止まり木にあなたが止まってくれるのを待つわ、昔の名前で出ています。一昨夜お客さまと共に、久々銀座を流れた。白タクの運ちゃんが遠くで手を振っていた。午前2時となった。いよいよ仕事を開始する。カセットデッキに、レゲエを入れた。ボブ・マリーだ。イメージの翼は開いて行くはずだ。朝まで2本の映像のナレーションを書かねばならない。


2018年6月14日木曜日

「過去という追跡者」

229分という約4時間。白黒の映画「 立ち去った女」この映画を見ると、いかに女性が恐いかが分かる。フィリピン映画であり、ベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。約229分の映画を見終わると、腕立て伏せを300回くらいした後のような、15 km 位のマラソンをしたような、円沢の尾根を登った時のような、達成感が生じる。30年ぶりに刑務所を出てきた女性は、元教師であった。元恋人の男に濡れ衣を着せられ30年の刑を打たれた。映画は男に復讐するために女性がフィリピンの街から街を探し求める姿を追う。ドキュメンタリーのようであるが、貧しいフィリピンの現実を描きながら、数々のドラマが傷口にできたかさぶたを剥がすかのように、痛々しく続く。貧困と犯罪、そしてゲイ社会。 女性が追う男はある街の有力者になっていて、週に一度ボディーガードと共に教会のミサに来ることを突き止める。女性は一人の傷ついたゲイの男を介抱してあげる。ゲイは全身殴られ、蹴られていた。街はよく停電する。ゲイの男は女装していて胸にはオッパイに見せるパッドを入れている。みんなにイジメられていたゲイに優しくしてあげる女性。小さな灯りの下ゲイの男は泣く。やっと点いたポツンとした街灯。一つも売れない卵売りの老人。遠くの方では若者たちが飲んで騒いでいる。229分間こんな状態が続く。だが強烈なインパクトが、静かな中にある。離れがたき人間の姿がある。映画は世の中の表と裏、明と暗、成功者が持つ秘密の過去、人間には誰でもその過去があることを教える。女性は国語の先生だったのか、詩人であり、毎日詩をノートに書く。人間とは奥深く、罪が深い。世の中に成功者がいるとしたら、きっと暗い過去を持っているだろう。そのことを暗示する。ある日教会で街の有力者(ボス)が殺される。果たしてその殺しをしたのは・・・。暗闇に優しい人だったからの言葉が出る。 最高に好きなタッチの映画だった。さて、やましい過去を持つ者同士、トランプと金正恩の勝者は、といえば、断然金正恩だろう。トランプはロシア疑惑から逃れるために、金正恩との 会談を焦ってセットさせた。政治的会談をやっている間は、FBI 特別チームは動けない。トランプはロシアにがっちりと過去を握られている。スノーデンはロシアの手の中にいる。ヒラリークリントンを蹴落とすために、ありとあらゆるネットを使った。これからも会談をセットして、あわよくばノーベル平和賞をと本気で思っているはずだ。まさかノーベル賞の俺をFBIは追い詰められないだろうと、 甘い期待を持って中間選挙に向かう。1年ヤクザをやると一生治らないものがある。それは目付きだ。トランプの目つきに注目するといい。カタギの目付きではない。当然金正恩も同じである。人を裏切った人間は過去から逃れられない。
(文中敬称略)


2018年6月12日火曜日

「ザ・サークル」

全然眠れないという不眠の夢を見て、せっかく早く眠ったのに、午前4時過ぎに起きた。脳内がオーノーと言っている。クールダウンが必要な場合は、やはり映画を見るに限る。カフェオレをつくり、レンタルしてあった、トムハンクス主演の「ザ・サークル」というアメリカ映画を見た 。SNS( ソーシャルネットワーキングサービス(?))のソフト開発会社に入社した若い新人社員が天才的才能発揮していって、自己嫌悪を体現しその先に監視社会の恐怖を予言して終わる。私は SNS が全く分からないからなんとなくしかそのシステム「ザ・サークル」を表現できない。その会社にはプライバシーはない。ひとりひとりの社員情報は丸裸にされている。健康診断の結果は全て分析されデータ化され評価基準となる。趣味は、 恋人は、SEXは、 何を食べ、何を飲み、いつどこで誰と何をしているか、両親、兄弟、親戚などのデータが入力される。査定基準は瞬時に判断される。知る権利が異常に拡大されると、人間社会が当然異常なものとなる。 SNS による発信がワンタッチで世界中のフォロワーという野次馬につながる。アメリカという国は何でも知りたがる国であるから、今、秘密は持てない。若い新入社員は、昔の恋人の話をすると、一気にその恋人を探しだされ、追跡される。空からはドローンで、野次馬たちの車で、そして橋から落ちて死ぬ。せっかく静かに暮らしていたのに。アメリカという国は、喚声と拍手と、表彰の大好きな国である。あおりに、あおってやがて知られたくない、過去、現在、そして未来まで暴く。服用している薬から、通っているジムから、まい日飲むドリンクやサプリメントから、ビッグデータ化して、結局は選挙に役立たせる。というより情報を売るのだ。「ザ・サークル」という映画から、暗黒の未来が見える。監視され査定される社員。その DNA からずっと、ずっと昔の遺伝子まで調べられる。犯罪歴は、病気は、職業歴は、自分以外の身内まで徹底的にデータ化される。私はこんな社会を嫌悪する。あなたも監視されている。個人情報、マイナンバーはそのためにある。現在午前5時、テレビでは九州地方の地震情報を知らせている。ビッグデータによると、30年以内には南海トラフによる大地震が起きて、その被害は想像を絶する。東京にも直下型の大地震が。防災に強い関心を持ち続け、日々備えていなければならない。昨日夜東海道線列車内で隣に座っていたオジサンが、トッポという棒状のお菓子をボリボリ、ボリボリ食べていた。左手にはスマホ。画面を見ると(見えてしまう)次から次に若い女性の容態が見えていた。トッポジージョというキャラクターを思い出した。確かネズミだった。見るからにスケベそうな男は、ネズミのような顔をしていた。途中に何度か、大きなクシャミをした。ウルセイと言ったら、スミマセンと言って謝った。今日は米朝会談の日、シナリオはすべて出来上がっている。出演者の名なかった我が国の首相は、やたらに”完全な一致”という言葉を使う。役人にボキャブラリーがないのか、理解度が弱いから、同じフレーズを使わせるのかはわからない。 おそらく後者だろう。蚊帳の外から札束を出している。それが日本外交だ。袖の下外交しか術を持っていない。外はすっかり明るくなった。今日は暑いらしい。


2018年6月8日金曜日

「屋久島ホテルSANKARA(サンカラ)へ、ぜひ。」

羽田→伊丹→屋久島→鹿児島→羽田、7日朝7時30分に羽田を飛び立ち、8日昼12時35分羽田に帰って来た。目的は屋久島にある超高級ホテル「サンカラ」さんのベッドルームに、私が大変お世話になっている、高級羽毛ふとんメーカー「東洋羽毛工業(株)」さんの、高級羽毛ふとんを一度ご使用願えないだろうかのお願いに行った。長い付き合いの電通の坂口浩規さんは、ずっと奄美諸島の活性化のために尽力をされている。ヤル気と本気と、熱意と誠意と努力が、全身に宿っている。丁度屋久島に行く仕事があるというので、同行させてもらった。屋久島は日本四大自然、世界遺産の一つで、島全体が神秘の島である。林芙美子の名作「浮雲」の舞台になった「乳雲館」に立寄った。屋久島は、1週間に10日雨が降ると書かれたほど雨が降る。その雨が縄文杉や紀元杉など守って来た。標高1,200メートル位の所には、「千尋の滝」が濠々と流れ落ちていた。午後四時頃に総支配人の方が、鹿児島から帰ってくるというので、ロビーラウンジで待った。あいにく天候不良、視界不良のため、支配人は屋久島空港上空でグルグルとして、一度鹿児島に戻り、再び屋久島に戻って来てこられた。視界飛行のために、よくあることとのことであった。中学、高校で硬式野球をやっていたという総支配人は、ガッチリとした体で私よりふた回りほど大きかった。まだ四十歳になっていない位の若い総支配人は、女性のマネージャーと、いや〜待たせてすいませんと、ニコニコ笑いながらやって来た。見ただけでこの人はいい人だと思う、温和な方で私の話をじっくりと聞いてくれた。二時間半ほど話は弾んだ。ホテル「サンカラ」その意味は、サンスクリット語で“天からの恵み”ということであった。超ラグジュアリーなホテルは、約30室、ロビーラウンジの前には青々とした広いプール、その前には広大な海、左手には種子島が見えた。種子島にはいいゴルフ場があり、港から船で行ってプレイするとのことだった。いずれにしても超リッチなSANKARA「サンカラ」ホテルであった。総支配人は二十日に東京に来られるので、東洋羽毛(株)さんの銀座オルハショップで再会を約した。帰る際総支配人は一晩であっと驚くようなお土産を作ってくれていた。さすがなセンスであった。ステキな奥方のいる人、ソッと隠している恋人のいる人、新婚さん、定年後の人生を満喫している人、ぜひ行くことをオススメする。


サンカラのHPは下記
http://www.sankarahotel-spa.com/

2018年6月6日水曜日

「二日目のだるま亭」

人生で初めて「だるま亭」に2日続けて行った。昨夜、やはり朝から腹の中にコーヒーとお茶だけを入れていた。〆切迫る原稿に次から次へ詰めの甘さが見えた。和田アキ子の歌のように♪〜笑って許して小さなことと・・・というわけにはいかない。一語一句間違えは許されない。なんだこりゃ、誰だこれは、何をやってんだと言う私を、冷静なアートディレクターと超信頼する ウェブデザイナーが、一つ一つ解決してくれる。右の目で文字類、写真のレイアウトを見ながら、左の目で5〜7分間の映像を作るための、素材を延々と見る。それキープ、そこキープ、そこにはアレとアレの情報を入れる、オッいいねえスバライ、キープ、キープを続けた。一方右の目の方は、しっかり調べると再校が生じた(エビデンスがあいまいなのだ)ネット社会は少しの間違えも追跡してくる。午後9時近くなり脳内がクールダウンを要求し、胃袋は何か入れろと命令をしてきた。アートディレクターは仕事に帰って、私の頼んだキツイ仕事をしてくれるすぐ側のイタリアンは、安くてソコソコ旨い。そこに ウェブデザイナーと行くと、今日はヒマなのでもう終わりと看板を店内に入れていた。二人の足は東銀座方向へ。で、「だるま亭」前へ。今日はやけに混んでいるな、中華好きと聞けばダーイ好きと言う。ヘラッシャイーマセと中華な女性2人。料理人は昨夜と同じ。二人掛けしか空いてない。マアいいか。何でも食べてという。まずはビールを。日本酒はと聞けばと、メイヨ(ないということ)と言う。料理人が コレアルヨと言えば、瓶の中に白い不気味な植物が入っている。それパス、となった。ウェブの人の食欲は旺盛を極めた。ピータン、中華風ミミガー、激辛鳥から揚げ。ラストに麻婆チャーハン。これがものすごく量が多い。チャーハンたっぷりに、麻婆豆腐もたっぷり、特大の大皿だった。私はエビチリと、野菜スープだけ。どう旨いと聞けば、いつものように笑いながら話す。とっても旨いと。さすがに少し残した。食べながら私の脳内コンテを次々と話す。この天才的 ウェブデザイナーは元は大学で哲学を学んでいた。日曜日にサイクリングで50 km 近く走ったとかで陽灼けしていた。わかったと言えば、やはり笑いながら、口ぐせの大変です、大変だな、大変の、三段活用を話す。とりあえずやってみます。こう言えば、きっと私の期待に応えてくれる。何しろアリストテレスとか、プラトンとかニーチェを原書で読んできてる。が、哲学では飯は食べれないと、全然関係ない世界に入って来たエイリアンだ。哲学がないんだよなこの国はと思う。拝金ノ国だ。嘘八百ノ国だ。責任をなすりつけるノ国だ。インディアン嘘つかないという人気 CM を思い出した。深夜家に帰り、借りてきていた昨年度No.1の映画「私の名はダニエルブレイク」を見た。次に「立去った女」フィリピン映画の名作をと思ったが、229分だったので途中でやめた。ダニエルブレイクはとても哲学的であった。久々に言葉を全てメモしたくなるような名作だった。外が明るくなったが、雨がシトシトピッチャンとなっていた。テレビでは与太者のような財務大臣が、口をへの字にして俺はヤメネエ〜みたいな、低俗な態度をとっていた。