いきなり猛暑となり、私は睡眠難民となっている。いつも寝ている場所は、四畳間ぐらいである。一台のクーラーがあるのだが、かなりクーラーは高齢化して、湿度調整が不調となる。冷房27度か28度にすると、突然うなり声をあげて24度ぐらいまで下がる。何だこりゃと一度切る。と部屋の中はムシムシ状態となる。それじゃドライにするかと、ドライ+1、ドライ2とかを設定すると、やはり奇妙な音を発して、ドライ−1、−2ぐらいになる。これがまた寒い。チキショウどうなってんだと思い、ついに枕を持って部屋を出て、家の中のスキ間を探すのだ。クーラーはもう30年以上使い、2度の転居を経験している。最新型の人工知能AIなどは装備していない。先夜はポタポタと水滴が落ちて、下に置いてあった水彩画の額縁の中に入り、絵をダメにしてしまった。時代おくれのイカレたクーラーは、まったく私自身のようであるなと思っている。ダイキンを呼んで相談したら、「もう限界です」と言われた。今度水滴がボタボタ状態になったら、最後の1台もオシマイとのことであった。オリンピック・パラリンピックを開催する国の国会内が、障害者の方々に対しての方策を、まったく考えていなかったことが分かった。エスカレーター、エレベーター、トイレ(多目的)サポート対策、何もかもが、健常者であることを前提としている。慣例第一主義の国会は男子優先であった。市川房枝さんが議員になった頃は、女子トイレがなかった。土井たか子さんが議長になった頃は、トイレが遠く走って行ったという。テレビの報道番組は急に人権的、ヒューマニストになり、特集を組んでしたり顔で、障害者の方々に同情の言葉と、国の怠慢を言う。国会内の支配者である国会議員は見た目は健常者であるが、脳内や性格が健常であるかは、大いに疑問である。「N国」や「れいわ新選組」が生まれた。今、「吉本から芸人を守る党」とか「ウナギの稚魚を守る党」とか「おかあちゃんから夫を守る党」などなどが声を大にしたら、一議席200万票はとれるだろう。SNSの時代は多党化の時代となる。「不眠解消党」が生まれたら、私は一票を投じてしまうかも知れない。
2019年7月30日火曜日
2019年7月27日土曜日
「大先生と大先輩」
昨日金曜日、かねてより約束をしていたことを果たし、“ほっと”した。旅打ちばかりしていたので、少々体もへばっていたのだが、チリが生んだノーベル賞受賞の詩人「パブロ・ネルーダ」のアンデス越えの逃亡劇の映画「ネルーダ」を木曜日深夜に見て、少々へばったなどと言っていられないと思った。詩人は革命家であり、エロ大好きであり、享楽主義者でもあった。つまり極めてフツーの人間的要素をその怪異な顔と姿の中に持っていた。午後12時〜2時。伝説の大先生親子と、靖国通り近く曙橋の名店「魚亭かみや」で、約束していた、鮎づくしを食した。店の主人は和の名人「神谷宗佑」さんである。稚鮎(串刺し)小型の鮎(塩焼き)そしてシメに大型の(鮎飯)ものであった。先生はご指定の冷酒。息子さんと私はノンアルコールビールであった。コリャ〜ウメェと先生は胃癌+食道癌にメゲずにすべて食した。こうなりゃ来年まで生きていなきゃと言って、よろこんでくれた。その4時間後、午後6時南青山のうなぎの名店「大江戸」に行った。大尊敬の大先輩は、現在悪性リンパと肝硬変と闘っている。腹水がたまると食欲はゼロ、北里病院へ行って2泊して腹水を抜いた後は食欲がでる。何回も何回もうなぎが食いてえと言っていたのだが、何回も何回も体調が悪くなりキャンセルをしていた。ついに昨日、うなぎの夢が叶った。ストローハットに白いポロシャツ、スカイブルーの麻のジャケット、相変わらずオシャレであった。こんなにやせた姿を見せられるのは、森山良子さんと、オマエだけだからと手を震わせ両手でグラスを持って乾杯をした。二人ともノンアルコールビール。1年前にはある雑誌の取材で、ブタペストとウィーンを回り、オペラを観劇。いい紀行文を書いていた。人間の体と命の行き先は、あっという間に激変する。天はよく働く者のみに微笑む。大先生も大先輩も、日々命がけで働いてきたから、80歳を過ぎても食べたいものが食べられる。船の汽笛みたいボーッと生きるなかれ、楽を選ぶなかれ。苦海に挑めなのだ。だから死ぬ気で働く、明日は来ないぞと思い、その日すべきことは、その日にする。「俺たちに明日はない」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの名作映画のように。
2019年7月25日木曜日
「取っ払い」
吉本のお笑い芸人と、その使用責任者たち(経営者ともいう)の関係が、ビビンバ(ごちゃ混ぜ)状態になっている。当然私は芸人の側に立つ。世の中は表と裏、正義と悪(正義は少ない)嘘と真実、絶えず対極があって成り立つ。タレントさんを起用する会社の人間が、よく言う言葉がある。「たかがタレントのくせしやがって」。「タレント」とは辞書を引けば“才能”という意味だ。つまり大金を払って使用しているタレントさんを、「たかが才能のくせしがって」と言っていることになる。芸人といえば、かつて芸大や音大の楽器弾きは、コマーシャルの音楽録りで生活をしていた。ピアノ、ギター、サックス、トランペット、トロンボーン、ドラム、ハーモニカ、フルート、クラリネットなど作曲家の要望で音楽録りのスタジオに来る。自分のパートが終わると、仕切り屋が茶封筒に入ったバイト代を渡す。業界では「取っ払い」と言って、請求書も領収書もない。シーズンオフ、プロゴルファーがゴルフ好きの会社社長やお金持ちの人間とラウンドすると、「今日はありがとう、楽しかった。これはレッスン料だ」と、取っ払いでギャラが支払われる。将棋や囲碁も同じである。有名棋士と一局差したがる。お相撲さんなんかは、基本的に「ごっつあん」であり、そもそも自分で払うという習慣がない。夜の世界では、その筋と一緒の時間を過ごす(男も女もあり)。銀座、赤坂、六本木、西麻布、新橋、柳橋、錦糸町、どこへ行っても、仲良くVIPルームにいて、「ごっつあん」である。テレビに出て名を出しては講習料を高くする。バカ弁護士とか、バカ評論家、バカ小説家、バカ学者も同じで、取っ払いである。中にはちゃんとした学者さんもいるが、そんな人は稀有である。ある学者さんを私は心から尊敬する。芸能人は自分を大きく見せるために、反社会の人間と、よく記念写真を撮る。何かのときに「オレには、この人がついているんだ」と使う(ケツ持ちという)。あるいは「アタシにはこの人がついてんのよ」と。興行と芸能とマスコミの世界は、反社会と手を切ることはできない。新聞、雑誌、TV局も、警察も、ネタ元はほとんど反社会勢力か、その周辺の人間だ。吉本の芸人にかぎらずそうしないと、成績は上がらず生きていけないのだ。ゴシップ雑誌はネタを高く買う。もちろん取っ払いだ。東京→軽井沢→名古屋→飛騨高山→名古屋→東京→名古屋→東京と、この一週間旅を打ってきた。芸を売るために。生きていくために。昨日深夜、2本の映画を見た。1本は「ある女流作家の罪と罰」。伝記物を書いて、ベストセラー作家になった51歳の女性は、すっかり売れなくなり、有名作家の手紙を偽装し、収集家のお客を持っている書店に売って、滞納した家賃や、猫の治療代や生活費を稼ぐ。そしてFBIに捕まる。実話であった。もう1本は「フロントランナー」。次期アメリカ大統領の第一番手(フロントランナー)であった。若き上院議員が、一人の女性を愛してしまい、それをマスコミにスクープされる。妻子のいる大統領候補にとって致命的スキャンダルであり、撤退をする。だが、二人の愛は本物であって、老人となった現在も二人は結婚生活を続けている。もちろん妻子とは別れて。これも実話である。芸人に追い込みをかけてはダメ。社会的信用を失った吉本は、すでに解体と同じである。
2019年7月23日火曜日
「勝者なき選挙の先」
投票率が50%に満たないという、国政選挙が終わった。自民党のあきらかな大敗北である。57議席は前々回より大幅に減らし、前回より増えていない。歴史に「もし」という言葉は嫌いだが、投票率が50%を超えていたら(フツーは当たり前)自民党は惨敗をしていた。幹事長からあろうことか安倍総理4選論が出た。この人は大策士なので、クセ球を投げた(次もオレだぞと)。自分の政権下で行なった国政選挙が投票率40%台という過半数に満たないというのは、完全に政治が見離されたということだ。「れいわ新選組」が2議席を、「NHKから国民を守る党」が1議席を、「日本維新の会」が東京で初議席、当選者は当初小池百合子にべったりとつき、そして離れ、区長選に出たりして落選して、維新にへばりついた。「立憲民主党」が躍進して、「国民民主党」は低退、「社民党」は消滅の危機を免れた。今回の選挙の結果は、既成の政党へのサヨナラの合図でもある。48.8%の投票率の国家のリーダーに、安定政治などある訳がない。4選となれば、党を割るような動きとなるだろう。令和おじさんとなった菅義偉官房長官が、すっかり次の権力者に色気を出し始めた。自分の会社の芸人をさらし者にした、吉本興業はもはや会社とは言えない。本来なら、まず社長が謝罪するのが決まりだ。投票率48.8%というのは、声なき声からの不信任であったと、謝罪すべき姿こそ国のリーダーの姿だ。あっちの政党からも、こっちからもと、自らの野望のため(アメリカからの命令)に人数合わせを語っている。情けない姿である。この選挙をしっかり総括しないと、いずれ行われるであろう衆議員選挙は、ビビンバ(ごちゃ混ぜ)状態となる。「君も政治家になろう」私はこうすすめたい。もはや死語となった日本語に「青雲の志」というのがある。私の家には少々の本しか残ってないが、石原慎太郎・盛田昭夫共著『「NO」と言える日本』というのがあった。アメリカに「NO!」を突きつけられる根性者の政治家が、きっと若者たちの中にいるはずだ。著者の一人が一度総理大臣になっていたら、この国はどうなっていただろうかと、ふと思った。若者が動けば政治は劇的に変わって行く。(文中敬称略)
2019年7月22日月曜日
「軽井沢にて」
7月20日土曜日、この日の午後には軽井沢に行かなければならない。京都アニメの地獄絵のような凄惨なニュースを前々日、前夜、そして早朝より見る。あまりにも酷い。34人が焼死しているというのに、テレビではバカバカしいバラエティを事件後もたれ流す。金曜日午後5時、新橋駅前(機関車があるところ)で「れいわ新選組」の演説会をしていた。運動員の数がものすごい。女性たちはみんなゆかた姿であった。山本太郎が現れると大拍手と大喚声、新興宗教の教祖が誕生したような異様な盛り上がりであった。あまりに混んでいて本人が見えなかったが、きっと本人だ。山本太郎の演説は、他の議員たちのワンパターンと違って、静かに語り、分かりやすく、説得力があった。自民党の小泉進次郎がいつのまにか、ただのオヤジギャグの口先き男に成り下がり、ここ一番のときは、いつも逃げてしまう男となったのとは大違いだ。したたかな山本太郎はいずれ、したたかな橋下徹と対決するのだろう。そんなことを思いながら私は茅ヶ崎→東京→そして軽井沢に向かった。2時30分より始まる軽井沢大賀ホールのソプラノコンサートに招待されていた。大賀ホールは05年、元ソニー会長の故大賀典雄が、私財を投じて生んだすばらしい音楽ホールだ。六角形の建築物は鹿島建設が施工した。大きな池と緑の芝生が囲んでいる。軽井沢在住の超富裕層がホールいっぱいに来ていた。ビンボー人の私には縁遠い世界だ。コンサートが終了後、パーティがホールの近くの会場である。私はそこで、私のお世話になっている会長の商品を、プレゼンテーションするために来た。1時頃、軽井沢駅に着き、南口のショッピングモールを歩いて回った。250店近いスーパーブランドや、有名ブランドが規則正しく、美しく並んでいた。丁度SALE中なので、どの店も満員のお客さん、セレブたちとともに、中国人、台湾人、韓国人のお客さんが半分ぐらいいた(銀座より静かな行動)。新幹線の中の車内放送も、中国語、韓国語があった。現在日本の主要都市のデパートやショップも同じで、中国語と韓国語表示があり、店内放送も店内案内も同様である。JRの主要幹線の駅の表示も同じだ。つまり、日本の経済と消費は中国、韓国、台湾、そしてアジア諸国との交流なくして成立しない。私の住む選挙区出身の外務大臣、河野太郎が、テレビのアタマ撮りをしているところで、交渉の相手国(韓国)の人間に対して、“無礼だ”などと口走った。スタンドプレイが過ぎる。交渉ごとは見えるところでは、とりあえず過激な言葉を発してはいかない。そのシーンはずっと残ってしまうからだ。外交のセンスがまったくない。河野太郎は主義主張がコロコロ変わる。外交成果はいまだになし。少なくとも、我が街茅ヶ崎のためになることは、何もしていない。私の知り合いの市会議員たちは、皆、河野太郎の子分だが。さて、大賀ホールのコンサートはすばらしかった。ピアノ大坪由里(武蔵野音楽大学首席卒業)、ソプラノ小川智子(武蔵野音楽大学)、ソプラノ友佳子クスト平盛(武蔵野音楽大学)、ソプラノ佐藤篤子(武蔵野音楽大学)、ソプラノ齋藤千夏ドゥラガヌリー(桐朋学園大学、パリ在住)、この美人たちが、ホールの屋根を突き抜けるのではないかと思うほどの声を響かせた。ピアノがまた超絶的であった。クラシックはまったく分からないが、観客がブラボー、ブラボーと大拍手していたから、ブラボーなのだ。拍手しすぎて両手がふくれてしまった。5人とはパーティで会話をした。気さくでステキだった。私と同じテーブルにドン小西さんがいた。新幹線の中の新聞記事に、経団連夏期セミナーが軽井沢で開催とあった。日本を代表する企業の志のない経営者たち、雇われマダムやサラリーマン経営者たちが、何人集まってもただのガヤガヤだ。大賀ホールを生んだような、アカデミックな経営者はいない。政権にモノ言う人物はいない。国家百年の計などまったくなく、自分たちの業界、自分の会社のことしか考えていない。心配なのは在任中の株価だけだ。他の経済団体も同じだ。軽井沢の北口はほとんどむかしのまま。遠くに浅間山、南口に客をとられて数軒の店だけだった。宿泊先のホテルに、日曜日朝6時半にモーニングコールを頼む。午前11時試合開始の高校野球神奈川大会の応援に行かねばならない。犯罪史上最大の悪魔、私たちの周りには悪魔が存在している。京都アニメーションの惨劇の犠牲者の方、そのご家族に対して、心よりご冥福をお祈りする。私の期待するリベラルなリーダーが、きっとこの国を救ってくれることを願って投票する。人間とは何ぞやを、ソプラノを聴きながら思いつづけた。(文中敬称略)
2019年7月19日金曜日
「男たちの挽歌」
妻子のために殴られた男の顔は酷く美しい。フランスのボクシング映画は実にいい作品であった。一昨日深夜「原題:SPARRING」日本での題「負け犬の美学」である。主人公は45歳のボクサー。日本でいえば6回戦ボーイだ。49戦で13勝しかしていない。妻と子が3人いる。すでに45歳、50戦で引退しようと思っている。50戦目を戦って勝利し3人の子どもたちにパパは勝ったと言いたい。ある日、ジムで世界チャンピオンのスパーリングパートナー(練習相手)を3人探していると聞き、ぜひにと売り込む。最強のチャンピオンは45歳の男に心配を持つ。パンチ力なし、テクニックなし、ただ得意と言えば“打たれ強い”ことだけ。スパーリングをするとまるで弱く練習にならない。妻と3人の子がいる男は、ファイトマネーが必要だ。殴られて顔は変形するが、決してダウンしない。チャンピオンはその姿に心打たれる。男はチャンピオンの試合に対して自分の考えた戦い方をチャンピオンにアドバイスする。トレーナーたちは、お前は何勝しているんだと聞く。男はこの3年間は勝っていない。49戦で13勝34敗2分けだと言う。そんなボクサーの出過ぎたアドバイスにトレーナーたちは一笑に伏すが、チャンピオンは何かを感じる。そしてあるところで前座試合があるから出てみないかと言う。妻は陽気だ、長女にはピアノの才能があり伸ばしてやりたい。小さな娘と息子にはパパの勝ったことを、50戦目のラストの試合で知らせたい。そして6回戦のゴングが鳴り一進一退の殴り合いは続く。映画はこの試合の結果を正確には伝えない。試合を終えベッドの中で寝ていた子がパパ勝った(?)という問いに、やさしく笑い抱きしめる。この映画は実話をモデルにしている。ラストに「ロビン・ディーキンス」21勝51敗、「ジョニー・グリズス」4勝96敗、「ピーター・バックリー」32勝256敗という記録が映像とともに表示される。男は酷い顔になった姿で長女のピアノを演奏する姿にエールを送る。ボクシングこそ男のスポーツNO.1と思っている私は、先日の村田涼太選手の勝利に感動していた。リング上から、我が子に向かって「明日からパパといくらでも、野球でも水泳でも行けるからな!」と言った。ボクサーは1gの減量に苦しみながら長期間すべての欲望を拒否して、試合に挑む。リング上で殴られ、たとえ死んでも仕方がない、プロの職業なのだ。「負け犬の美学」は最新作だが、シングルパパが見たら泣けてしまうだろう。村田涼太選手はある先生に出会い、ボクシングを教えられるまで、無敵の不良少年だった。私も負け犬の美学を貫いて行きたいと思って今日まで来た。「勝者には何もあげるな。すでに勝利を手にしているのだから」。私の初恋の女の子が、超有名大学の大学教授となり、「E・ヘミングウェイ」や英米文学の研究と翻訳をし続けている。確かE・ヘミングウェイの言葉である。E・ヘミングウェイは自らボクシングをするほど、ボクシングが好きであった。「負け犬の美学」ほど美しいものはない。香港映画の名作「男たちの挽歌」を思い出した。「恥じて生きるより、熱く死ね」。男にとって仁義こそすべてなのだ。
2019年7月18日木曜日
「『スヤイ刑』と『ミックスサンド』」
先日昼、フリーのライターさんとニュー新橋ビル内の喫茶店に入り、珈琲をした。地下の定食屋さんでサンマ定食を食べた後である。サンマはまったく脂っ気がなくパサパサであった。このビルは地下から地上まで中国人が経営している店が多い。喫茶店に行ったのは、森功著の「地面師」に出ていたので、フリーのライターさんに一度入ってみると誘った。私はこのビルが日本人ばかりだった頃、喫茶店の前にある歯医者さんに通ってクリーニングや治療をしてもらっていた。ある年の暮れ、40代でお医者さんが急死したと、奥さんから電話が入った。私には酒は飲まないと言っていたが、奥さんによると大酒豪だったらしい。すこぶる男前で腕がよかった。待ち時間や早く着いたとき、喫茶店で珈琲をしながら新聞を読んでいた。その頃を思い出すと、確かに怪し気な男たちが話し込んでいた。もっとも私自身がかなり怪しい感じなので、お店の人からみると、一味の人間に思えたと思う。新橋グループは相当に強力な地面師たちで有名である(その筋で)積水ハウスさん(私の家は積水ハウスさん)から60億円近くだまし取ったグループの一部の人間に、昨日東京地裁で判決が下った。10人が起訴されている。その判決を見ると懲役4年から4年6ヵ月であった。裁判長は「組織性が高く、非常に悪質だ」と言ったと記事にあった。業界用語で言えば「スヤイ」なんとまあ「安い」となる。日本は詐欺に対してものすごく刑が安い。やりたい放題の国、やった者勝ちの国なのだ。1000万円の詐欺も1000億円の詐欺も大した差はない。15年、20年の長期刑は少なく、無期懲役は聞いたこともない。例えば悪質な詐欺にあって一家心中したり、会社も倒産したりのケースもある。間接的な殺人と同じだが、刑は安い。オレオレ詐欺が防げないのはこの刑の安さである。刑事訴訟法を今すぐにでも改正する必要がある。警察や裁判所は詐欺をする奴も悪いが、ダマされるほうも悪いという考え方が強い。強盗や強姦(強制性交等)、殺人などの強力犯に比べて、詐欺事件は得点が少ない。日本で詐欺をした金を国外に持ち出し、カジノで全部使ってしまったとウソをつき、しっかり隠しておいて、3、4年で出所して来て手にすれば3、4年は安い旅(刑につくことを旅に出るとも言う)なのだ。大変お世話になった積水ハウスさんのために、判決は死刑が私の望みであった。マルチ商法で世間を騒がし、数千億をかき集めた連中も、安い旅から帰って姿カタチを変えて、再びマルチ商法を発見している。ちなみに、その喫茶店はサラリーマンのオアシスであり、地面師グループとは一切関わりはない。とてもいいサービスで、感じがいい対応である(ミックスサンドウィッチが旨い!)。詐欺と人にお金を貸すのも同じで、返すと言って期日にちゃんと返す人間はほとんどいない。貸した人間のほうが悪いんだと言われる。人に金を貸すということは、友人を失うことに等しい。保証人になるのも同じだ。借金魔と言われた「石川啄木」などは、その天才的才能を、「5・7・5・7・7」に発揮し、もう一つの才能を借金に発揮したと言う。人に金を貸したらあげたと思うべしなのだ。なまじあの金を返してなんて催促すると、陰で悪口雑言を言われてしまう。私の人生の多くは血族の借金返済に消耗した。「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る(石川啄木)」。
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「学校の問題」
少年時代「悲しき街角」とか、「悲しき少年兵」「悲しき雨音」など、悲しきを題名にしたヒット曲がアメリカから入って来た。英語から日本語への直訳的題名であった。少年の恋の歌でもあった。少年も少女も初恋に胸をトキメカせ、初恋に眠れぬ夜を過ごし、初恋以外の物事にはまったく関心はなくなっていた。その日の朝から、次の日の朝まで、初恋の味カルピスであった。勉強の成績はガタガタと落ち、運動の部活をしていても、ドジばかりして先輩にドヤされる。私の場合、成績はもともとビリッケツなので勉強に支障はなかった。7月16日「『19年度版 政府白書』で10代自殺、学校起因が最多」というような衝撃的な新聞の見出しを見て、年頃の子を近所に持つ身に恐怖心がドキッ、ドキッ、ドキッと脈打った。学校に行っていれば、ひとまず安心ではなくなったのだ。政府から発表された数字は、きっと氷山の一角なのだろう。少年少女の自殺はひた隠す、家庭も学校も。18年に10代で自殺した599人のうち、特定できた原因・動機のなかでもっとも多かったのは「学校問題」だった。次に健康、家庭、男女と続く。学校問題の内訳は、学業不振、進路の悩み、学校との不和、入試の悩み、いじめ、教師との人間関係と続くが、ずい分と学校寄りの数字だと思ったのは、教師との人間関係が1人となっていることだ。この政府発表が当てにならないのが分かる。少年少女の悩みは教師への恋心や教師との関係、教師への不満、不信、学校の責任逃れへの怒りと絶望にある。少年少女の初恋の相手は森昌子の歌にあるように「それは先生」が多いのだ。こういう学校の味方みたいな調査を発表していては、少年少女は救われない。日本の教師たちは世界でいちばん働くという。教師たちの脱出先はどこにあるのだろうか。教師が苦悩しない環境をつくり出さねば、少年少女の命は守れない。雨、雨、雨ばかり、悲しき雨音ではない。少年少女の怒りの雨音だ。教師の無念の雨音と捉えて、早急に真正面から対処してほしい。学校が死を選ぶ場所にならないために。あなたは今、文部科学大臣の名前を知っていますか(?) うんざりする雨はまだ続く。(文中敬称略)
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2019年7月12日金曜日
「花菱アチャコ師匠」
7月9日(火)、私は飛騨高山にて、左官のカリスマ「挾土秀平」さんとの打ち合わせを、ある大手不動産会社の総責任者の役員の方や、販売最大手の担当の方々、現場を担当する方々など8人で行った。朝10時から打ち合わせ開始なので、前日高山駅側のホテルに泊まった。挾土秀平さんとは某大手ビールメーカーの仕事を、ご一緒させてもらってからのおつき合いだ。全身殺気をためていて、眼光はでかく鋭い。声は野太くでっかい。気の弱い人は2分か3分でマイッタとなる。当然笑い声も大きい。怒ったときはその何倍もでかい。天才である。また詩人であり、写真家でもある。繊細さと殺気が生む、途方もない芸術的作品群は圧倒的に凄い。私たちが着いたときすでに、見本となる大きな作品を、作り終えていた。すばらしいの一語で全員息を飲んだ。詳細は7月末から8月にかけて現場で、巨大作品をつくる工程を、数日間ドキュメンタリーの映像にして、発信する予定だ。すでに制作スタッフのキャスティングをしている。おそらく業界初となる。その後、高山名物のラーメン店に全員で行く。火曜日は高山ラーメンは休日。わずか2、3店しかやっていないのを、事前に広告代理店のベテランが調べていてくれた。高山はとにかくラーメン店が多く、それぞれが味を争っている。私たちが行ったのは、「魚魚(ととや)」であった。ラーメンに煮玉子入り、いいスープの香りとともに出て来た。ラーメンのたたずまいがいい。期待がふくらむ。レンゲでまずスープをひと口、旨い! ピンポーン、久々の当たり店だった。人それぞれに好みがあるのだが、私はいままで2店が当たりで7店が外れだった。はじめて食べたときの、大ピンポーンの店がどうしても見つからない。私は写真を撮らないので記憶が頼りだが、何度行ってもラーメン店が多いので分からなくなる。ラーメンを食べてすぐに高山駅に向かった(それぞれ散会、おつかれさまでしたと)。午後3時半に名鉄グランドホテル18Fカフェラウンジで、中日新聞の記者の方と打ち合わせがある。少し遅刻してエレベーターを降りると、記者さんが立っていた。18Fラウンジの目の前は、東京モード学園の巨大なモニュメントのようなユニークな建築物だ。新宿のシンボルタワーになっているのも、東京モード学園の建築物だ。今話題となっている映画「新聞記者」の主人公の女性記者とは同期入社であった。女性記者のご主人も大手新聞社の記者であった。想像を超える圧力やイヤガラセを女性記者は受けているとのことだった。我が国は国際機関の調査によると、報道の自由度が先進国の最下位に近い。映画の中で内閣官房調査室の責任者が部下に言う。「この国に民主主義はいらない。形だけでいいんだ」と。私たちは恐い国の中にいる。私の住んでいる街にバリバリの自民党員の人たちがいる。その人たちがこう言った。「オレたち今回の選挙は自民党には入れないんだ」と。その言葉の意味は、「もういい加減にしろ、現政権」ということであった。むかし関西の大スターに「花菱アチャコ(ハナビシ アチャコ)」さんという師匠がいた。少年の頃大ファンだった。その師匠の決めゼリフが、“目茶苦茶でゴジャリマスルガナ”であった。金権主義の成れの果てが今の我が国であり、メチャクチャなのである。貧乏でもいい、幸せな国にしてほしい。救世主が現れることを切に願う。中日新聞の記者さんは実に清々しく、正義感に満ち満ちていた。30代そこそこと思ったが、40代であった。正義感はその人相に的確に現れる。家に着いて洗面所で顔を洗った。鏡に写った自分の人相の悪さに苦笑した。メチャクチデゴジャリマシタ。みなさん、いい週末を。三連休の間じっくり自分の顔とニラメッコしてみてください。何、オレはホレボレするようないい顔だと。ちなみに当時アチャコに対抗できる東京の大スターは「伴淳三郎」で、決めゼリフは、「アジャパー」であった。我が国は今、「アジャパー」だ。(文中敬称略)
2019年7月10日水曜日
「『なんもしない』という仕事」
フジテレビは日曜日午後2時~3時のドキュメンタリー番組と、その後の「みんなのKEIBA」という競馬中継しか見ない。フジサンケイグループの思想が私に合わないからかも知れない。夕刊フジアレルギーになったからかも知れない。7月7日七夕さんの日曜日、翌日は出張なので借りて来ていた7本の映画の残り2本を見て返却しなければならない。10時半頃、チャンネルのボタンをいじっていたら宮根誠司がMCをしているフジテレビの報道番組が出た。私の目に「おっ、なに?」というタイトルコピーが入った。それは「レンタルなんもしない人のなんもしなかった話」そんな内容のものであった。小柄で細い一人の男。30〜34歳ぐらいだろうか。関西の有名大学を出て会社に入り、サラリーマン生活をする。が、ある頃から、“人間は何かしないといけないのか”と言う。素朴な疑問を持ち会社を辞める。そしてネット上に「何もしないけど」みたいなことを発信する。と、次々とメールが入って来る。例えば、一人で散歩するのは嫌だから一緒に歩いてとか、木登りをしたいのだけど一人で登っていると、変に思われるから登るのを見ていてくれとか。何かの行列に一緒に並んでとか。何件も何件も注文が入る。基本的に交通費しかもらわない。職業のようであって、職業ではなかった。ただ何もしないでいるだけの存在であった。男はリュックを背負い言葉は最小限だ。哲学的人生のようだが、そんな大それたものではない。注文は途切れることはなく入る。思わず見つづけてしまった。男には妻と幼い子がいた。マンションの一室に帰ると底抜けに明るい奥さんがいた(顔はボカシ)。何か変だけど仕方ない。今は貯金を少しずつ取りくずして生活してます。アッハハハと大きく笑った。ある出版社が男の日々を綴った本を出版していて、印税が少し入るのだとか言った。いい奥さんを持った男は幸せだ。アクセク毎日働いている私は何をしているのだろうか。一人の若い女性は歩きながら路傍に咲く花を写真に撮る。その日は野イチゴを見つけて、ウワァ〜カワイイと写真を撮る。男は無感情で交通費1200円ぐらいをもらう。ただそれだけである。何かとても大切なものを教えられた。その後「おかえり、ブルゴーニュへ」と「メアリーの総て」を見る。ワイン造りは難しい。父親が大きなワイナリーを持っていたが死んでしまう。男二人と女性一人の兄妹は、莫大な相続税のために苦悩する。中国のことわざに、「死して美田を遺さず」みたいな意味があるのを思い出した。我が子のために財産を遺すべからずと言う。相続税の支払い義務の分担や、少しでも遺った財産を争い合って奪い合う。何も遺さずがいい。古人の教えは、あまたの血みどろの財産の奪い合いを見たから生まれたのだろう。人間は今、これと一緒でないと生きて行けないと、SNSの子分になっている。「何も足さない。何も引かない」。あるウィスキーの名コピーが浮かんだ。(文中敬称略)
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