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2020年3月6日金曜日

第32話「私は未来」

私は「未来」である。反意語は“過去”である。私未来は絶えず過去につきまとわれ、追われている。私未来は過去からの逃亡者でもある。“未来”この2文字ほど人を裏切るものはない。が、人は未来に向かって行かねばならない。一時期“ファジー”という言葉が流行った。“曖昧”(アイマイ)という意味だ。さほど長続きはしなかったが、何かにつけてそれってファジーだなとか、この問題はすこぶるファジーだなんて言った。ファジーな飲料なんかも多く売り出された。昨日帝国ホテルのカフェラウンジで、出版社の女性編集とそのスタッフ、そして一人のシンガー・ソング・ライターのヒトと、実にファジーな打ち合わせをした。いつもは東京駅みたいに混んでいるロビーに、人は少ない。いつもは席が空くのを待たされるのに、空席ばかり。入り口のアチコチにアルコール中毒液。珈琲カップを持つ手からアルコールの臭いがする、ファジーな打ち合わせとは、すべてが新型コロナウイルス姿第だから、話の結論が“アイマイ”となる。やろう、やれたら、やるならば、やれるまで待とうかとなる。タクシーに乗ったら、お客さんが5割から7割も減ったとか。私未来は、未来が暗いトンネルの中にいるように見える。未来は切り拓くものだから、と思うのだが、スコップもハンマーも、ドリルもダイナマイトも見えない。長いトンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった。そんな気分になる。だがリングの上では、ネバーギブアップで闘っていかなければならない。タクシーの中で新聞を広げたら、ある本の広告が載っていた。そこに一行、こう書いてあった。「創業した会社を潰したのは、創業者である」と。1100円を払ってタクシーを降りた。外は風が強くファジーでなかった。なんだか気分が重い、映画でも見るかと思ったが、ガランガランのはずだから止めた。早目に帰宅しようと思った。午後九時二十八分〇二秒、家に着いて時計を見た。手を洗え、手を洗えと言うから、ウルサイ分かっていると言った。会話はそんなものである。午前一時頃から映画を見た。「マリッジ・ストーリー」アカデミー作品賞候補作であった。離婚を決意している男と女のファジーなストーリーだ。離婚調停を引き受けている弁護士は、三度離婚していた。離婚の最大の犠牲者は、幼い子どもである。幼年期でいちばん大きなトラウマは、親の離婚だという。映画は延々と男と女の煮え切らない会話を見せる。途中で止めて、「フェイク」を見た。アルパチーノがマフィアか、潜入捜査官か。フェイク(ダマシ)役を演じていたが、すこぶるつまないので、又、「マリッジ・ストーリー」を見出した。午前三時やっぱりグダグダやっているので、映画は止めにして、大好きなお笑い芸人。「中川家の寄席」を見た。これが実に面白い。主婦になった中川弟の細部にわたる人間の観察眼には、いつもながら舌を巻く。次にレディー・ガガのプロモーションビデオを五本見た。一本製作するのに数億をかけているのだから、見応え十分。圧倒的なアイディアに気分が晴れる。ハリウッドのスタッフワークは驚異的だ。特に編集が抜群だ。おでんの残り、コンニャク、シラタキ、チクワ、大根、玉子、昆布を温めて食べた。カラシをつけすぎて、目から涙がツーンと出た。コンニャクにカラシをつける時は要注意だ。あっそうだ私未来は、未来を語らねばならない。男と女は一緒に暮らし始めたその日から、離婚を考える。あとは我慢比べと諦念と観念と、ファジーだ。そう、結婚とは“アイマイ”の月日なのだ。長く続けるにはそれがいちばんなのだ。“忍耐と我慢との違いを見つける月日でもあるのだ。ファジーはこれからのコンセプトとして、復活させられるかも知れない。過日名古屋駅で食べた熱くない“カレーそば”なんかはファジーであった。私未来に、未来が浮かんだ。メンタルクリニックの医師の悩みは、自分のメンタルを相談する、いい医者がいないことだと聞いた。(ビッグアイデアのヒントだ) 

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2020年3月5日木曜日

第31話「私は無力」

私は「無力」である。つくづく何もできない。新型コロナウイルスの影響で、広告界、映画界、演劇界、音楽界、イベント界、出版界、ワイン界、野球界、旅行界、相撲界などいろんな界の人々から多数電話が入る。主役の子が新幹線がダメで、ロケ中止、映画館はガラガラ(でも広告では大ヒット上映中)なんと無観客でのオペラ撮影。ライブコンサートがドタキャン。出版のサイン会をやれず、私無力の出身地の力士がゴメンナサイと。新しいワインの試飲会は、ヤケ飲みの会に。プロモーションイベントなんか、みんなブッ飛び、広告界の最大手の人からは、もうオリンピックどころではなく、社内人事拡争、責任のなすり合いとか。一人芝居の舞台は、無観客で本当の一人芝居に。もうヤバイ、もうアブナイ、もうイケナイ。と、相談されても私無力は何もできない。今度ばかりは、相手がウイルス菌なので、どうしようもない。私無力も、先が見えない。何のアドバイスもできない。無力感でいっぱいだ。やたらに腹が痛い原因が、ほぼ分かった。三日間苦痛に耐えていた。温ソーメンと、うどんばかり食べていたので、私無力の体はスルスルとズルズルになった。今日からは何でもOKだと思う。マスクだらけの人間がフツーに見えてきた。列車内で花粉によるクシャミをすると、嫌な顔をされる。結局このウイルス問題で、最後に勝つのは中国だろう。人口は国力というから米国も相手にならない。米国は約4億人、中国は約14億人。中国が仮りに10億人減っても米国と同じだ。(その時米国はゼロ)日本は約1.2億人全く勝負にならない。今度のウイルスは、若い人から年寄りに感染して、体力のない年寄りがアウトになるらしい。私無力の兄弟分で、いつも酒を飲まずに、朝まで矢沢永吉を歌うのが、昨夜電話で実に文明学的、かつ人類学的発言をした。オヨヨと思った。「今度のウイルスはさあ、若い奴が生き残って行くために、年寄りべらしを始めたのだ。人間という生き物が、生き残るための動物的本能だよ。」オヨヨさすが日本の最大手の広告代理店で、若くして部長やってきただけのことはある。人口とは、人の口の数から生まれた言葉。若者たちは年寄りの年金や医療費を背負って行けない。養うために食べ物を供給するには、あまりの格差社会だ。私無力は実に納得させられた。私無力は十分年寄りだから、若者たちに迷惑をかけてしまうのだろう。出生率は減少するばかりだ。新型コロナウイルスから、学ぶこと大なのだ。それにしても米国の年寄りは、肉をたっぷり食べてきているからなのか元気がある。トランプは73才。バイデン77才、サンダース78才、ブルームバーク78才。一年間広大な米国大陸を演説して回る。そのエネルギーからパワーをもらう。私無力はゴッツイ肉でも食べて、若者から感染させられても、やられてたまるかだ。最早誰れが悪いの、手遅れだのと犯人探しをしている場合じゃない。今のような国会をやっていると、若い政治家からウイルスを感染させられて、無国会議員の国会審議になるだろう。これは決してジョーダンではない。明日起きるかもしれない。みんなで支え合い、励まし合い、助け合って行かねばならない。私無力は腹に力を込めた。ある店で隣りのオジサンたちが、ウーロンハイと、ハイボールと、梅サワーを飲みながら、ブータレてた。あの加藤勝信とかいう厚労大臣は、笑い顔でえらい損をしてるよな、立ったり、座ったり、一人押っけられてるけど、笑ってんだよな顔がさ。お前人の顔のこと言えないだろ、ともう一人のオジサン、梅サワーをちょっと濃くしてとオーダー、あん肝はやっぱり旨いな、オレにもう一つともう一人、やっぱり唐辛子かけたほうがいい。ホタルイカの沖漬けも旨いな、などと会話が弾んでいた。私無力は一言居士なので、一言いいました。オジサンたち平和でいいねアタマ使ってると。そ、そうなの平和なの、飲んで、食べて、あとは寝るだけだ。アタマは使わないの、ギャハハハ。聞けば私無力よりずっと年が下だった。あん肝を食べない、と言われ断ったら、連れがオレ食べると言った。この国は平和なのだろうか。 

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2020年3月3日火曜日

第30話「私は万一」

私は「万一」である。万が一に起きることを表す。三月一日日曜日、外国から日本に帰って来る女優さんのインタビューがあった。銀座一丁目オルハショップで、プレゼントにと羽毛製品をいくつか購入していたのを受け取りに行った。お世話になっている東洋羽毛さんの人たちと、ある場所で待ち合わせていた。広告代理店の人とカメラマンと、ウェブデザイナーの人も一緒であった。著名人とどこで会ったかは、書くことは許されない。銀座は東京マラソンが終わった後だった。そこはまるで廃墟のように人がいない。SFの映画のシーンのようであった。私万一(マンイチ)は思った。銀座四丁目の二階にある珈琲店である。少し時間があった。総理大臣の権力とはいかに強大か。鶴の一声で全国の小・中・高を一斉に休校させられる。これがもし憲法を改悪させられていたら、もし自衛隊が戦争に突入することを許されたら、鶴の一声で若者たちが軍隊に招集させられるのだろうと。これは決して、万一ではないのだと、私万一は背筋が寒くなった。国家の三権を独占したら誰も止められない。私万一は、愛する孫たちが戦場にいる、悪夢を見た。私万一は更に思った。新型コロナウイルスで、莫大な利益を追っている人間たちがいることを。かつて「陸軍登戸研究所」というのがあった。そこはニセ札とか、あらゆる軍事目的で薬の開発などを研究していた。日本軍「七三一部隊」も影響を与えていたという。今、テレビに出ている疫学の専門家たち、政府から招集された人の中には、「七三一部隊」の流れの中にいる人たちがいるという。米国や中国、それにスイスなどは、新薬開発のトップランナーであって、常に新しいワクチンを開発している。新型コロナウイルス対策で特別予算が3000億近く投入される。その中には疫学研究に対する膨大な予算が入っている。大恩人が闘っているパーキンソン病が治るかもしれないと期待している、山中伸弥教授のiPS細胞研究費は、大幅にカットされているのに。私万一は、万一を思っていたら、やたらに胃が痛くなり、ドラッグストアで「ブスコパン」を一箱買ってそれを服用した。テレビで見た通り、マスクや消毒液、トイレットペーパーなどの棚は空っぽだった。私万一はその夜帰宅した後、陸軍登戸研究所のドキュメンタリー映画を見た。今は明治大学になっている。国家権力とは途方もなく恐ろしいものであり、人間という生き物は、途方もなく変形する。そこに利権があれば。万一に起きる可能性は宝くじに当たるより、確率は高いと私万一は思った。悪魔は微笑しながらやって来るという。子どもたちを新型コロナウイルスと戦争から守らねばならない。いつの間にか香港のデモのニュースがなくなっている。




2020年2月29日土曜日

第29話「私は中止」

私は「中止」である。鈴木北海道知事に先を越されて焦ったのか、あるいわ桜を見る会の問題で追い込まれて気が滅入ったのか、又は検事長の人事でゴリ押しをして、集中砲火を浴びて思考回路が乱れたのか、自らの側近の補佐官があろうことかこの大切な時に立食パーティを開いて支持者と乾杯に頭に来たのか、愛妻が呼んではいけない世界の人を呼んでいたことが、三月一日付の赤旗日曜版に実名入りの記事で出ることが分かって狼狽したのか、味方だと思っていた産経新聞の世論調査で、支持率が36%位で、不支持率が47%位と発表され、これまた頭に血が上った(?)、やはり味方として手なづけていた、海坊主のような作家、百田尚樹がツイッターで、何をやってんだ国のリーダーは、みたいな批判的メッセージを発信したらしい。このままだと側近も味方も、機を見て敏となり離れて行く。オリンピックもアブナイ。私中止にはイライラが頂点に達しているこの国のリーダーが、もう仕事を中止したいと思っているように見える。使えない側近たちや、食えない味方(?)風の連中を見たくもないからと。私中止の業界も新型コロナショックに、困惑している。プロモーション活動やイベントと名の付くものは中止、セミナーも中止、プレゼンテーションも中止、お世話になった方々の送別会なども中止、長い間お疲れさんでしたの、停年の会も中止。私中止のまわりは中止の渦。突然小・中・高を休校宣言しても、全くの無計画だから中止をしない県や市も出る。大学や専門学校は、進学塾や習い事は、狭い所にギューギュー詰めの、学童は、全く使えない文部科学大臣はコロナ対策会議を欠席して、支持者と新年会(?)で乾杯をしていた。法務大臣も同じことをしていた。さすがの一強内閣もガッタガタ。大実力者の菅官房長官が、ついに見放したのだろうか、ダッチロールとなって日本国は大中止大国となった。内閣は機能停止、リーダーの最側近だけで決めた。非常事態宣言の無い、非常事態となった。ドストエフスキーは、「罪と罰」の中でこう書いている。「いまなお自分こそが『正しい』というウイルスが蔓延している。人の心に宿る自尊心や虚栄心は、自己を真理の唯一の者として絶対視する。傲岸不遜、他者への蔑視と憎悪を生む。その解決策には豊かな人間性と知性、教養、謙虚さ、庶民感覚が必要なのだ。(東京新聞・コラム大波小波より一部引用)人間はその器以上のことを求めてはいけないという。一国のリーダーより、県知事や市長の中に人物がいることを知った。この機にしっかりと次のリーダーを見つけよう。誰がどんな言を発し、どんな行動をしたか。私中止は週末はしっかり人物を見定める。沈黙は金なりとも言う。(文中敬称略)


2020年2月27日木曜日

第28話「私は花粉」

私は「花粉」である。私花粉は人間から集中力、注意力、会話力、思考力、判断力、記憶力などを奪う。私花粉がバッチリ入り込んだ時、花粉症となる。私花粉にとって人間をくしゃみ地獄、鼻水地獄、目しょぼしょぼ地獄にすることぐらい、楽しいことはない。大男が目を真っ赤にして泣いている。美人がボタボタ鼻水をたらしている。目からウロコではなく、目からマスカラが流れ落ちている。時あたかも新型コロナウイルスで、世界はパンデミック状態にいよいよなった。日本政府の打つ手は、後手、後手である。島国日本の最大の弱点は、危機管理能力が無いことだ。東日本大震災の時民主党政権を徹底的に批判したが、ブーメランのごとく今自民党政権に襲いかかっている。やることなすこと後手ばかり、何故か国のリーダーたちは、現場に出ない。役人の報告だけを聞いて指示を出す。重要会議を欠席して、地元の新年会に出ていた小泉進次郎や大臣たち。これはもう語るに落ちるしかないと言うしかない。決死の覚悟というが、一国のリーダーたちには、この覚悟がなければならない。へらへら笑ってんじゃないぞと言いたい麻生財務相。チャラチャラ隣に話しかけて笑っている茂木外相、いつも寝てんだか起きてんのか分からない河野防衛相、検事総長への人事を、書類でなく口頭で決裁したという。法治国家としてありえない森法務大臣、我々はアマゾンの原住民ではない。もっとも原住民の方が、リーダーシップの在り方がしっかりしている。私花粉はあきれてものが言えない。厚労大臣の加藤勝信は次の次の総理大臣候補と言われているようだが、顔が笑っている。本気度がない。いま、そこに起きている大事が分かっていない。閣僚みんなクルーズ船の中に入れよと言いたい。官房長官・菅義偉なんかは、すっかり「花見の会」の対応で疲れてしまっている。大実力者だから陣頭に立ってほしい。私花粉はもう目を開けることも、息もできない位になっている。浅田真央ちゃんがフラメンコを踊っている、CMの商品「ナザール」を買って、鼻からプチュプチューと入れたが、あっという間に出なくなった。1680円は高過ぎる量だ。地球温暖化による異常気象、大災害、大火事、大雨による大洪水。南極の温度が18度とか。大自然が人類が生んだ文明社会に対して、最後の通告を始めたような気がする。すでにSFの世界にいるのかも知れない。私花粉はティッシュの箱を持ち歩きながら、ブツブツ言っているのだ。検事総長が権力者の番人になっては、誰もチェックができない。森法務大臣は弁護士である。法律をしっかり学んだのか疑問を感じる。私花粉は人を見ると鼻水が落ちるので、逆さまになったりしている。400字のリングを書くのも大変で、タオルで鼻を押さえている。目は涙でしょぼしょぼだ。集中力を欠いていて。昼喫茶レストランで珈琲を飲みながら、大阪から来てくれた後輩と話をした。そしてサイフを椅子に置いたまま出て行ってしまった。夜仲間と食事をして、いざ勘定となった時、サイフがない、ヤッバーイ、いろいろ思い出しながら、もしかしてあの喫茶レストランの椅子の上ではと思い、駆けつけるともうすぐ閉店、かわいい顔なじみの女性が、ニコッと笑ってサイフを見せてくれた。ヨカッタア~。私花粉はナザール以外の薬を見つけなければならない。今日はケーキを買って喫茶レストランに御礼に行く。又、長いお世話になった歯医者さんが、閉鎖となるのでごあいさつに、とてもお世話になった女性デザイナーの方が、転職するので御礼を言いに行く。春は別れの季節である。私花粉は一人では何もできないのだ。電通は5000人の社員が自宅にてテレワークとか、何か大きな分岐点に立っている。
                                (文中敬称略) 



2020年2月25日火曜日

第27話「私は原寸」

私は「原寸」である。即ちありのままの姿であり、形である。先週一週間はハードウィークであった。若い頃ならどうという事はないが、回復力が弱くなった。苦痛は私原寸の親友であり、私原寸を負けてたまるか。と、奮い立たせる源である。人生は苦痛の中に一条の光を見つける旅でもある。23日日曜日午後二時~三時フジテレビの長寿のドキュメンタリー番組を見て、一組の夫婦の原寸の愛に感動した。それは吉本興業の芸人、宮川大助・花子の原寸の愛だった。二人は漫才界を代表する芸人であり、数々の賞を受賞している。大助の妻花子にはアチコチに癌がある。激痛との闘いである。ふっくらとしていた体はやせ細り、足はポキッと折れそうになっている。長い間ファンでいてくれた方々に、しっかりと癌との闘いを舞台から伝えたいと願う。それは二十代からコンビを組んで来た、夫大助への感謝の証でもあった。もう二度と舞台で人々を笑わせることができないことへの原寸の覚悟だった。癌の闘病は筆舌を尽くすが、このドキュメントは、花子が紙オムツをし、そのことによって、お尻に残酷なオムツかぶれをしているところまで描写する。大助はそこを娘と共に、やさしく、やさしく手当する。毎日一時間かけて見舞いに来る。笑いを忘れた、お笑い芸人の妻を笑わせようと、日々間仕切りのカーテンを開けて大きな笑顔を見せる。抗癌剤の影響で食欲もなく、味も分からない花子に、いろんな食べ物を持って来る。花子はそのやさしさがうれしい。癌のできやすい体だったのか、花子は長い間いろんな癌と闘いながら、舞台に立っていた。夫大助も七十歳に近くなり、病いに襲われる。大助・花子の名コンビの笑いの中には病魔が数多く潜んでいたのだ。花子は昨年奇跡的に舞台まで運ばれる。メークアップもする。そして車椅子に乗った花子は、結婚とは誰とするかではなく、この世の最後に誰といたいかだと言う。(正確ではないが)私はここにいる夫、大ちゃんでよかったと。紫綬褒章を受けた時と同じ笑顔で。そのドキュメンタリーを見た日、三本の映画を見た。その中の一本は、トム・クルーズと、ニコール・キッドマンが三十代位の夫婦役を演じ、二人を大スターにした記念的作品である。監督は大天才にして大鬼才、スタンリー・キューブリックだ。約2時間40分。医者の夫トム・クルーズ。その妻ニコール・キッドマン、二人の間には一人娘がいる。この映画はあるアメリカ人夫婦の原寸を描いている。オールヌード の、若々しいニコール・キッドマンは、息を飲むほど美しい。スタンリー・キューブリックの映画だから、フツーの作品ではない。徹底的に男と女にはSEXしかない世界を見せる。宗教的乱交パーティ、行きずりのSEX、老人たちの異常な性、上流社会の性乱、ドラッグによる快楽希求。アメリカ人はやたらにパーティをする、私原寸が思うには、アメリカは移民国家、多民族国家、互いに敵対心はないよと確め合うために、毎週末パーティに出て心も体も交流させるのではと。パーティ、麻薬、酒、そしてSEXの交換。アメリカの原寸をスタンリー・キューブリックは名作にした。夫婦とは何か(?)、宮川大助・花子師匠に感動し、スタンリー・キューブリックの作品「アイズ ワイド シャット」で、アメリカの病巣を見た。私原寸はきっと新型コロナウイルスによって世界人口は増えると思った。ずっと家の中に閉じ込められた男と女は、大いにSEXに励むだろう。人間は戦争という恐怖の中で、自分たちの種を残すために必死に励んだ。これは動物的本能の原寸なのだ。恐怖と快楽は、コインの表と裏。クリスマスの乱交パーティで、何人もの男に犯される姿を見た夫に対し、娘のプレゼントを買いながら妻は言う。私たちには今すぐやらなければならないことがあると。夫はそれは何(?)という表情になる。妻は言う、ファック”。で終った。


2020年2月21日金曜日

第26話「私は感情」

私は「感情」である。感情は人間が生きている証である。耳から聞くと同じ言葉に聞こえるのがある。勘定である。感情と勘定は時に親類、親子、兄弟、友人を失うことに関係する。貸した金を返さない時だ。金とは悪魔である。極めつけの性悪女の如くである。人を不幸のどん底に落とす。資本主義も社会主義も共産主義も、結局のところ、金の奪い合い、即ち権力の奪い合いである。今の世の中は金で感情を買う時代、あるいは感情を売る時代だ。一人の権力者に国の機能が全てが奪われている。感情を売り飛ばしている、内閣の全閣僚は、自らの勘定合わせのために、下僕と化している。性悪女に尽くすだけ尽くして金が無くなったら、ハイそれまでよとなるように。使い捨てのライター、チルチル・ミチルである。裸の王様は自らの姿は見えない。私感情は江戸末期の幕閣の方が何十倍も優れていたし、誇りとプライドを持っていたと感心する。赤誠という感情があったが、今はドス黒い黒誠である。権力の座から落ちたら、自らの数々の悪事が暴かれるのを恐れ、司法権にまで手を出している。法治国家ではなく、独裁国である。私感情は、自らの感情を持たない閣僚のチンプンカンプンの言葉を聞くと、笑うしかない。全く勘定の合わない面々だ。高い税金を払っているのに。中には東大を出ているのもいるが、きっと恥とはを学んでこなかったのだろう。我が家に来る、小・中・高校生たちまでが、ウソつき、ウソつき、ウソつきと言う。正に一将功成って、万骨枯るである。私感情は、小悪人の籠池夫婦に、妙な愛情を感じてしまう。ANAインターコンチネンタルホテルの勘定についてまで呼び出し脅す(?)。クルーズ船に乗って、悲惨な状況を伝えた大学教授に圧力をかけ(?)、動画削除させる。私感情は反骨のジャーナリズムのない国にいることに、肌寒い思いがある。私感情はいま反骨の老政治家の本を、プロデュースしている。27日にご本人の撮影だ。人間には義憤という感情がある。義侠心というのもある。弱気を助け、強気をくじく。そんな人間の登場を待つ。記者会見でそれは当たりません、それは当たりませんと言う人は、すっかり生気を失い、疲労が積み重なっているのが、アリアリと見える。内心はやってられねえ、と思っているのだろうと思う。私感情はそう遠くない内に政権与党が割れると思うのだ。何故なら、みんないまのままでは勘定に合わないからだ。大乱に備えよと言いたい。キングメーカーなんていう時代はもう来ない。アメリカのトランプ大統領は余程気が小さい商売人なのか、キャンキャン吠える。腹心たちをバッタバタと首にする。私感情は思う。あの多民族国家は実にドラマチックなことを起こす。シットとファックユー、ジャステイスが好きな国。司法権だけは守る国である。そこに手を突っ込んだ。日、米両国とも、権力者は恐怖心でいっぱい、いっぱいなのだ。金を返せ(税金ばかり払っている)閣僚たちよと言いたい。それにしても反骨のジャーナリストがいない。むかしは、宮武外骨なんていう凄い人がいたのだが。ANAインターコンチネンタルホテルが、実はと言って明細書を出したら、ジ・エンド、終りなのだが。超一流のホテルの領収書に「上様」はない。                             (文中敬称略)

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2020年2月19日水曜日

第25話「私は出張」

私は「出張」である。(月)(火)と名古屋に私出張は、出張して来た。足掛け三年にわたって仕事をさせていただいている会社の少し遅めの新年会に出て、次の日は朝から映像フィルム作成のためのロケハンをして回った。名古屋は粉雪が舞って寒かった。ウェブデザインの相棒と一緒であった。この相棒は私出張にとって最高の才能である。アカデミー賞を受賞した映画「パラサイト」の主演、ソン・ガンホにウリ二つである。私出張のあらゆるオーダーに対して、常に冷静に取り組んでくれて、オーダー以上のものを出してくれる。大学では哲学を学び、ソクラテス、アリストテレス、カント、プラトン、ニーチェらを原書で読んだ。結果哲学ではメシは食べて行けないと、急施回してウェブデザイナーとなった。私出張はとにかく乱雑に難しいオーダーを出す。常に誰もやらなかったことに挑戦する。和製ソン・ガンホさんは常にニコニコしている。名古屋は夏暑く、冬は寒い。(火)4時には渋谷で大切な打合わせがあるので、午後一時までにはロケハンを終えなければならない。オーバーコートは着ておらず、新年会には偉い人たち11人が出席するのでスーツを着ていた。代理店の人がクルマでアチコチ回ってくれた。おかげで早朝からのスケジュールをこなすことができた。で、名古屋駅で急いで昼メシをしようとなった。私出張は(一)ひつまぶし、(二)山本屋の煮込うどん、(三)駅のホームのきしめんを考えていた。私出張の楽しみは食べることである。旨い店に当たればうれしいの一語。旨くないと残念でしたとなる。その昔出張といえば勤め人にとって、息ぬきでもあった。仕事が無事終りさあ~夜だ、評判のあの店に行ってみよとなりその土地の食を知ることができた。今は交通機関が発達して、かなり遠方でも日帰りが可能になり、出張気分にひたることはできない。(一)をあきらめ、(二)は見つからず、(三)はちょっとサビシイと思いキョロキョロしていたら、名物カレーそばという大きなポスターが目に入った。体はかじかんでいたので、アヂアヂのカレーそば(フツーはうどん)にしよとなった。頼んだらすぐに出て来た。駅中などでの列車に遅らせまいとの心配りだ。カレーはアヂイから時間がかかるなと思ったが、カレーそばはかなりヌルイ。何故か白菜ともやしが入っている。Why何故かと思った、ズルズルすするがカレーの危険度はない。アヂアヂでないから皆エプロンをかけてない。白菜ともやしの水分でカレーの温度が下がっている。やはり列車に送らせまいとの心配りだろうか(?) 私出張は実のところガックリしたが、和製ソン・ガンホさんは、何か食べたことないカレーそばですが、白菜ともやしが入り混じって旨いですねと言っては、ズルズルと箸を進めた。郷に入らば、郷に従えと言う。私出張は力なくすすった。駅のホームに立つと立食いきしめんの店から湯気がでている。やっぱり(三)のきしめんでよかったのではと思った。お土産に「赤福」を買うかと思ったが、鞄が重かったのでパスした。その日伊勢名物赤福の会長が退任したとニュースで知った。一度賞味期限のウソの責任をとって退任したが、いつの間にか返り咲いていた。今回は赤福の名で焼酎を売った責任らしい。お伊勢さんもきっとあきれ返ったはずだ。名古屋で新年会をした会社の人たちは、いい人たちばかりの会社である。私出張はカレーはやっぱりカレーうどんでないと駄目だと思いつつ列車の中で少し眠った。



2020年2月18日火曜日

第24話「私は日曜」

私は「日曜」である。ずっとずっと昔に「日曜はいやよ」なんていう外国曲があった。ネバー・オン・サンデーである。きっと若い恋人同士が、休むことなく一緒にいたい、という想いだったのだ。男と女は一度火がつくと、オーストラリアの大火災のようにカンタンには消化できない。家庭の外で恋火をつけているヒトは火宅の人と言われる。檀一雄の小説の題にもなっている。文士たちは言う、男子たる者この世に生を受けて、恋愛を数多く出来ないようじゃダメだと。私日曜は思う。そもそも結婚なんてものは、偶然の産物でしかない。一年365日同じ人間と暮らすことは、冷めたスープをずっと飲んでいるようなものだと、お互いに達観したら長続きをする。バブル女子といわれる五十歳前後の主婦の50~60%には、若い恋人がいるとバブル女子、セレブ女子たちから聞いた。若い恋人はアクセサリーのようなものであるらしい。ヒラヒラをくぐったら、もう週刊文春か、フライデー。ヒラヒラとはモーテルに自動車を入れる時にそこにある、ビニールのすだれだ。何故、浮気(不倫・不貞ともいう)をするか、そこに男あり、そこに女がいるからだとなる。男も女も恋愛を感じなくなると、男は色気を失い、女は美しい輝きを失う。恋多き作家と言われた故宇野千代さんは、九十歳位の時のインタビューでこう言った。今日の私は可愛い(?)と。私日曜は最近いろんな芸能人の浮気(不倫騒動)を知ると、少々げんなりする。週刊文春はもう一年半以上買ってない。いまや文春砲という位、有名人、著名人にスクープを恐られている。東京新聞にかつてその文春砲の仕掛人、元編集長のコラムが連載されていた。まるで犯人を追う刑事のように、警察犬のように、つけ狙い、つけ回り、嗅ぎまくる。それらは読者をよろこばすかわりに、人の不幸、家庭の不幸、子どもたちを不幸の底に落とす。男子一生の仕事かと言えばそうではない気がするし、悪徳政財界や官僚退治であれば、よくやったとも思う。モテる男がモテたら仕方ない。仕方ない同士が仕方なくなったら仕方ない。私日曜は少年の野球を応援しに海岸近くのグラウンドによく行く。その途中にベイ・シティ・ホテルというのがあり、大きなビニールのヒラヒラがある。日曜の午後そこにクルマが消えて行く。中には本当の夫婦も多いとか、家にはいつも子どもたちがいる。ゆっくり二人だけになれないからだ。森田芳光監督の名作「家族ゲーム」では、夫婦の会話は外に置いてある車の中であった。受験勉強中の子がいるからだ。テメーラ、コソコソ写真撮ってんじゃネエ、バーロとカメラを取り上げ、道路に投げ捨てたのは、名優ショーン・ペンだった。最近芸能人の結婚ブームは、文春砲とかフライデーを気にするより、とにかく結婚しよう、そうすれば堂々と二人で外に出れる。なあ、そうしよう、そうしようの結果だと思う。私日曜は、雨の日曜日、つれづれなるままに、テレビを見ながら書いている。明治の元勲の中で、もっとも女性を好んだのは伊藤博文であったのは、歴史的に有名である。下半身の事は、武士の情けと言われている。女性であれば風情だろうか。雨の下椿の花が咲いては落ちている。
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2020年2月17日月曜日

第23話「私は呼名」

私は「呼名」である。人の名や物の名自然現象の名、花々の名、動物の名等々、そして職業の呼名(よびな)である。新型コロナウィルスの感染源を追っているニュース報道を見聞きしていて、ふと思った。ニュースキャスターや専門家たちが、タクシーの運転手さんの事を、タクシーの運転手と表現する。はじめは違和感がなかったが、何度も聞いていると、タクシーの運転手と呼びつけることに気分が悪いニュアンスを感じた。正しくは感染したタクシーの運転手の方とか運転手さんと言うべきではないだろうか。医師とか教授、博士、弁護士、公認会計士、航海士、建築士等々は、その言葉で社会的地位が分かる。が、塗装工とか建築作業員、警備員、配線工、清掃員とかと呼びつけにされると、何か嫌な気分になる。やはり塗装工の方とか、清掃員の方とかと言うべきではないだろうか。みんなそれぞれ自分の仕事に誇りを持っている。私呼名がいる業界は、広告屋と言われていた。保険のおばさんは、保険屋と言われた。大きな家の玄関には。広告、セールスお断りの貼り紙があった。今ではアドマンとして地位を得ている。私呼名が大変お世話になっている不動産業は不動産屋と言われた。例えば文学で見て、広告家とか、保険士とか、不動産家と見ればどうだろう。エロ・グロ小説を書いていても、小説家と書けば、文化人的になる。小説屋だと、文学の知的ニュアンスは消える。私呼名が、タクシー運転手さんの子どもだとしたら、テレビのニュースで、運転手、運転手と呼びつけされたら、テレビに皿を投げつけるだろう。日本語は極めて職業を格差的にすることを、改めて感じたのだ。検察官、警官、監察官、長官など、がつくと、どんな悪徳人物でも社会的地位を感じる。金融業とかヤクザ稼業とか、業がつくと怪しくなる。農業、林業、漁業だけは別格だ。知人にAV(アダルトビデオ)業でしこたま稼いだ奴がいた。しかし天罪が襲った。金のある黄金の日々が忘れられず散財をした後、借金地獄となり、自死をした。肉体は肉片化して飛び散った。片足だけが見つからなかったが、半年後位にある家の物干しをする場所の下に食い込んであった。落ちた洗濯物を探していたおばさんが、ギャーと大声を出して腰を抜かした。の使い分けで決して変えてほしくないのが、映画屋だ。これが映画家になったら、ゴメンなのだ。私呼名は場末の芸者と自からを言っている。仕事というお座敷に上がったら、精一杯、芸を売るのだ。少年の頃クズ屋さんという職業があった。私呼名の友人の家だった。いろんなものがあり楽しかった。電線などを払い集めていくと、10円をくれた。コロッケが三個買えた。やがてクズ屋さんは差別的だとなり、廃品回収業になった。こんな話がある。ある街に二人のヤクザ者がいた。一人は一人のことをいつもは、×さんと呼んでいた。ある夜、酒場で二人は出会った。さんづけで呼んでいた男は女性と一緒で酒に酔っていた。そこへ先輩格である男が舎弟たちを連れて入って来た。いつもはさんで読んでいた男が、女性の前でイキガッテ、オ~×君と言った。さんに変わってしまった。その夜、その男は左腕を斬り落とされた。こんな話を幾度も見た。呼び方、呼び名には十分気をつけねばならない。私呼名は、神社の境内での出来事を思い出した。斬り落とした男は、その後、某私立大学の伝説の応援団長となった。空手をやっていてその応援の姿が見事で、各大学の応援団員が見本として見に来ていた。私呼名は先輩と言っていた。私呼名がお世話になっている。タクシーの運転手さん、新型コロナウィルスに気をつけてください。

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