私は「応援」である。八月一日土曜日午前九時四十五分プレイボール。私応援は高(三)の孫の野球の応援席にいた。孫はあと3試合で高校野球生活を終える。日曜日と月曜日には応援に行けないので土曜日に行った。相手は三浦学園という強いチームだった。野球の試合は孫の学校の野球場であった。横須賀線保土ヶ谷駅からタクシーで1500円位の所にある。映画を見ながら朝までずっと起きていた。八時四十分お世話になっている運転手さんに来ていただいた。グラウンドに着くと、丁度両チームが気合と共にホームベースのところに行き、相方礼をして試合は始まった。先攻は孫たちであった。孫は三塁を守り打順は五番であった。前の晩に食事しに来ていて、観に来たら絶対打つよと言って帰った。一回表孫たちは0点。その裏相手に4点をとられた。孫は第一打席鋭い当たりで、三遊間を抜いてチーム初ヒット。すかさず盗塁に成功した。ウオーヤッタヤッタと拍手。私はネット裏のスタンド真ん中にいた。年配のOBがたくさん来ていた。第二打席カッキーンと、凄いライナーでショートオーバーのヒット。ウオーヤッタヤッタ。しかし、相手はよく打つその後3点、1点と追加点。第三打席は四球で出塁すかさず盗塁したがタッチアウト。8対1のまま最終回、第四打席は満塁であった。カッキーンとセンター前ヒット。ウオ~ヤッタァー、ヤッタァーと大拍手、二打点をあげた。試合は結局8対4で負けた。私は二時には家に帰らないといけないので一試合だけ観た。四打席三打数三安打一四球、二打点、チーム一の成績であった。強い陽射しを受けて顔はヒリヒリとしていた。両手は拍手のしすぎでふくれていた。一打席ごと試合には仕事で来れない息子に、ガラケーで報告した。来てよかった。サイコーだった。小学一年生からずっと野球をしていた孫は、もう野球はしないと言う。保土ヶ谷駅までタクシーに乗って横須賀線久里浜行に乗った。大船で東海道線に乗りかえる。久里浜かとホームで思った。三分間ホームで待ち時間。少年の頃大好きだった先輩の面会に行った。久里浜の特別少年院を思い出した。「特少(トクショウ)」というのは文字通り特別に選ばれた不良少年が行く。当時は初等・中等・準特少、そして特少というランクがあった。久里浜は海のそばなので水泳の教練がある。先輩は水泳が苦手であったので、水泳の教練がキツイと言った。体は小さいがその根性は、すでにヤクザの間では一目置かれていた。十九歳でヤクザの幹部を斬り殺して入っていた。同じ中学の三つ上の先輩だった。久里浜の特少と言えば、羽仁進監督の「不良少年」という映画を思い出す。上映した年キネマ旬報のベスト1位になった不朽の名作だ。久里浜の特少と同じセットを作って撮影した。同じ年黒澤明監督の「用心棒」が大ヒットしていた。映画はこんな少年の言葉から始まる。「俺は銀座を歩いたことがない。護送車の中から見ただけだ」実際の不良少年たちを起用した映画は、監督賞も受賞した。私が生涯見て来た映画のベストファイブに入る。撮影が「金宇満司」さん。後に石原プロモーションで、石原裕次郎さんの名作を撮り続けた名カメラマンである。ホームに久里浜行が入線して来た。空席に座ると隣りに黒い短パンのマスクした外人、その外人と手をつないで座っているのは、ジーンズの短パンの若い日本人女性。なんだか横須賀線ぽい気分になった。石原プロを解散というニュースを思い浮かべた。いずれこの国のリーダーになる人を、今は支えている、ヨットマンでもある名物プロデューサー。調布にあった建築の現場にあるようなプレハブの石原プロ、駐車場にはシャワー付きのロケバス、大きな炊き出し用の鍋、裕次郎さん愛用のボロボロのソファー、映画屋の城はかくあるべしという、二階建てのガタピシの石原プロモーションがイカシていたシビレるような低く太い声の渡哲也さん、ジャケットのサイズが全く私と同じだった、舘ひろしさん。映画大好きの男たちの臭いがたまらない。ずっと野球少年だった孫は、映画の専門学校に行くと決めたようだ。映画屋はいいぞと、私がいつも言っていた影響だろうか。孫の親友は寿し職人になると言う。私応援は少年たちを、応援しつづける。大人は少年を経てしかなれない。私応援は、善良なフリしているつまんない人間は応援しない。不良の方がいいのだ。
2020年8月3日月曜日
2020年7月28日火曜日
閑話休題「ご報告」
私がお世話になっている、ライターの方のおなかの“激痛”の原因が、やっと分かって来た。T病院でいろいろ検査をした。その後T病院では検査できないものがあり、S医大へ検査入院。そこでいろいろ検査をした結果、まず七転八倒の痛みの原因が、胆管の入り口近くに石があり、それが動き回ると激痛になる。つまり“ローリング・ストーンズ”なのであった。で、口から内視鏡を入れて転がる石を取り除いたとのこと。今は退院されて体力の回復を計り、来週の水曜日に再び検査をする予定との電話であった。声に張りがあり、食欲もあるとのことであった。まだ無罪放免とはならず、心配は残る。人間は2メートルを超す大男でも、おしりに画びょうが刺されば、痛え~と大声を出し飛び上がり、虫歯一本の痛みで大の男が泣きを入れる。深爪をちょいとしただけで、一日中痛さが気になる。特に私たち男は痛さには弱い。女性が絶対的に強いのは、3キロとか4キロ近い赤ん坊を、激痛に耐えて生み出す。三日四日激痛に耐える女性もいる。だから絶対に男は女性に勝つことはできない。コロナ、コロナの暗いニュースばかりだが、明るいニュースもある。小社の女性スタッフ二人が赤ちゃんを生んだ。産休に入った女性、少しづつ出社しはじめた女性、母になった女性は誇り高く見える。私の理想の会社はミルクの香りがする会社だ。いつでも乳母車やバギーに乗せて来ていいよと言っている。コロナで今はむずかしいが、いつか一緒に来てほしい。んぎゃ~、んぎゃ~という泣き声を聞きながら、仕事をしたいものだ。ライターの方は独身主義者のようだ。400字のリングは、リング上に鼻血が点々と落ちるように、しばし点々と書いて行く。人生は流転、これからどう転ぶかは分からない。私もローリング・ストーンズだ。
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2020年7月15日水曜日
「訂正と休筆」
昨日夜帰宅すると、一枚の葉書が来ていた。400字のリング第80話「私は雲丹」について、誤り有りご指摘をいただいた。雲丹はウニで、中革のワンタンは“雲呑”が正しいと”コロナ、コロナ、コロナで、頭の中がウニ(雲丹)みたいになっていて。すっかり“雲呑”を忘れていた。大変恥ずべきことであった。テキスト化してくれている方が、再び腹痛盛んになり加療が必要とのこと、でしばし休筆します。
2020年7月14日火曜日
第81話「私は淡淡」
私は「淡淡」である。“アワアワ”ではない。タンタンメンとも違う。「たんたん」である。辞書にあっさりとした様子、こだわらない様子とある。私淡淡には現在こんな日はない。世の中は、もうどうしようもないほど、混乱と騒乱を極めている。明日という字はあかるいひと書くのね、そんな歌があったが、今では次の日はあかるいと、胸ときめかすヒトビトは少ない。北の果てから南の先端まで、明日は重苦しくて、息苦しい。東京がもう一度ロックダウンしたら、我々芸を売る身はノックダウンとなる。私が欝の時、尊敬する大先輩(画家・作家・チーズ研究家)が、一枚の葉書をくれた。そこには、佐藤一斎の「言志四録」の中の一文があった。達筆である。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め」とあった。“只一燈”が何かはいまだに分からない。お世話になっていた広告代理店の役員さんたちが、私の家まで押し寿司を持って来てくれた。トロイメライ(放果後に流れた曲)みたいになっていた私を見て、大丈夫、大丈夫と言って大声で笑った。その時の押し寿司は“只一燈”だった。又、同じ代理店の人で近所に住む二組のご夫婦が、江の島にある行きつけのお寿し屋さんの、美しい握り寿しをたくさん持って来てくれた。色彩やかな握り寿司一貫、一貫が“只一燈”に見えた。狭い所にもう一組お世話になっているご夫婦も来てくれた。トロイメライのような私は、スプーンが曲げられる念力がまだある、などと言って、いよいよトロイメライであった。(かつてみんなの前で二度曲げたことがある)ヨットマンのご夫婦と陶芸家のご夫婦。今は亡き佐賀出身の偉い人。その日、その時私には“只一燈”の方々であった。今もおつき合いをしていただいている。その恩は忘れない。私淡淡が何故このようなことを書いているかと言うと、淡淡があった日々を思い出したくて、一昨日の深夜、昨日の深夜、すでに何度か見ている世界的巨匠「小津安二郎」監督の作品を見た。「秋刀魚の味」が特によかった。小津作品はその日の気持ちで味が違う。父親がいて、(妻に先立たれた)年頃で嫁入り前の娘がいる。長男と嫁はアパート住まい(団地みたい)次男は学生で家にいる。娘が家事をしているのだが、父の友人たちは、酒を飲みながら、そろそろ嫁に出してやれよと言う。小津安二郎独特のローアングルの映像、一点透視画法の徹底的構図。その中でみなさん淡淡としている。大きな声もない。あくせくすることもない。ざわつく空気もない。淡淡を極める。人への愛情、友との友情、恩師への慕情が、淡淡、淡淡と描かれる。あ~こんな生活が、この国にはあったんだとため息をついた。だらしなくジメジメとした雨が降っていたが、私淡淡は、小津安二郎監督の作品に“只一燈”を見た。私淡淡はまだ、恩人たちに恩返しができていない。この国に淡淡とした日は、もう来ないのだろうか。
2020年7月10日金曜日
第80話「私は雲呑」
私は「雲呑」である。カタカナにすると「ワンタン」だ。私雲呑はナヨナヨ&ヘナヘナとしている。“ワンタンメン”というのがあるが、私雲呑にとっては、いささか気に入らない。どっちが主役かわかんない。できるなら“ワンタン”のみで食してほしい。雲呑は哲学者みたいである。つかみどころなく難解である。クラゲの中に肉が入っているようなものなので、ナメてかかると痛い目にあう。論被、撃被、喝被される。ラーメンのように従順にツルツルとはいかない。何を考えているか分からない奴を、私雲呑は、アイツはワンタンみたいだと言っていた。先夜仕事仲間四人と仕事場近くの“菊鳳”に行った。エビチリ、スブタ、カニ玉を四人でシェアした。シメにチャーハン一人前を四分割、ワンタンを四分割にしてもらった。むし暑い、店内は喚気のためにドアを開放しているからだ。この店は“安い”、“旨い”、“早い”の見本のような店で、超一流、一流と言われているところより、断然に美味しい。結婚して自分で私雲呑をつくってくれる奥さんをもらった人は、きっと幸せだ。餃子もそれに近いが、ワンタンほどの精神性は感じない。私雲呑が“ワンタン”になったとき、かなりアツアツなので気をつけて口に入れないと、アヂ、アヂッとなり、レンゲの中からすべり落ちる。舌にやけどをする。小籠包もそんなことになる。ワンタンには美意識がない。ヌルヌルとして、ヘナヘナだから絵にもならない。ラーメン店、中華料理店によって、肉の量が違うのだが、私雲呑はワンタンとなって、場末のラーメン店が居心地がいい。時々ゴッツイ、ガテン系のお兄さんが入って来て、チャーシュウ、ワンタン、メンマ、ネギ大盛なんてオーダーすると、イヨッ! お兄さん、サイコーと手を打ってしまう。政府のコロナ担当と、都知事がまるで、ワンタンみたいに、つかみどころのないヘナヘナの話をシドロモドロに発表する。この国は今、私雲呑と同じで何もかもヘナヘナ、フニャフニャーで、丼という国家の中で浮遊する。古今東西、言い訳というのは、やたらに長く、つかみどころがない。何が言いたいのかビシッと話せと言いたいのだが、ウソがウソを重ね、事実をワンタンの中の肉みたいにかくすと、結局レンゲの中から、ツルッとすべり落ちて、火傷する。先日私雲呑はワンタンへのチャレンジに大失敗して、舌先を火傷した。それにしてもコロナ、コロナ、ウソ、ウソ、雨、雨、雨、これは、本当、本当、本当、大惨事なのだ。東京都と政府の発表は冷めたワンタンだ。中国のことわざに、愚将が国を治める時、天から大災難が起きる。そんなのがあった。私雲呑は舌先きにイソジンをつけてかなり治った。この国を治すイソジンは誰か。今日も240人以上がコロナに感染という。本当の数字はこの何十倍。もはや、この国はワンタン、コロナメンになり、その味はシラジラシイ。大きめのレンゲを用意しよう。
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2020年7月9日木曜日
第79話「閑話休題」
♪~ 夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく なにをいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ この「さすらい」は「小林旭」の大ヒット曲だが、「徳久広司」という作詞作曲家&弾き語りもいい。過日、六月十九日・二十日と札幌へ取材に行って来た。安ホテルの窓の外にエアーポートの灯り、その手前を列車の灯りが、斜目に走る。灯りというのは実にロマンチックである。さらにうっすらと霧がかかっていると、さすらいのような気分になる。人生とはさすらう旅みたいなのだ。♪~ あとをふりむきゃ こころ細いよ それでなくとも 遙かな旅路 いつになったら この淋しさが 消える日があろ 今日も今日も旅ゆく 人間弱気になると次々と災難が襲いかかって来る。カラ元気でも、ヨシ! 勝負だ、どっからでもかかって来いと、気合いを入れてないと勝負に負ける。左官のカリスマ挾士秀平さんがいる飛騨高山に豪雨が降った。何度もお会いしに通った。挾士秀平さんの会社、職人社秀平組は、山のふもとにある。野太い声で大丈夫だと言っていると思う。眼光は大きく鋭い。体は大きい、感性は繊細にして文学的、詩的である。ゴーゴー流れる飛騨川の映像を見ていて、下呂温泉・水明館を思い出した。名湯で有名だが、この水明館のオーナー一族の方々は、実に過ぎた月日を忘れさせないほど、ごていねいで代替りしてもよくお便りをいただく。岩下志麻さんを起用させていただき、水明館の新装グランドオープンのCMをつくらせてもらった。その日の飛騨川は清流、水音は流麗でやさしかった。川は人間の感情みたいであって、もうこれ以上我慢ならぬと憤怒した時、激流となって襲いかかって来る。つまり来襲である。人々は夜は恐ろしくて、眠れないと身震いする。コロナ、コロナの中、お世話になった方々が人事移動となった。大会社は辞令が出たら、一週間位で移動する。よくお会いできていた人とは会えなくなり、なかなかお会いできない人とは、すぐにでもお会いできることになる。実に複雑な気がしてならない。インバウンドのない成田空港は、廃港のようであった。海外からの客でごったがえすところに人は誰もいない。ロビーには私と相棒の二人だけだった。880室もあるホテル、早朝チラホラと人がいた。往復2000キロの旅を前に、私は旅芸人の気分となった。私の仕事は芸人の旅である。人と人との関係も同じで、昨日の清流は今日濁流になっている。男と女、夫と妻との関係も同じだ。感情という川の流れは恐ろしい。
下呂温泉水明館 |
2020年7月8日水曜日
第78話「私は行動」
私は「行動」である。少しでも命を守る行動をとってくださいと、テレビのニュースは言う。いまだかつて経験のない雨とか、50年に一度の記録的豪雨と言う。とここまで書いていると、でっかい蚊のヤローがヌケヌケと目の前に来た。三月末から私行動は、行動を制限されて、ムカムカ、しているのでバッチンと蚊をやっつけた。手のひらに蚊がツブレ赤い血を出していた。チクショウと言いつつ手を洗いに立った。若い女性の声でお父さん危な~い。お父さん危な~いの声がニュースから流れた。画面を見ると間一髪、大洪水の難から逃げることができた映像があった。“デジャブ”と言う言葉がある。又かみたいの意味と思うが、この国はずっとずっとデジャブがジャブジャブである。又か又か又かの災害を繰り返す。娘さんの声で間一髪助かったお父さん、本当によかった。世の中には人の血を吸う蚊みたいな人間がうんざりいる。ちゃんと公共事業の予算を使ってんのか(?)、おいしい血を吸っているのが多くて、防げる災害が防げてないのではと大いに疑いを持つ。静岡県知事の行動に私行動は拍手を送る。JR東海のボスの野心であるリニア計画を、大井川の水を守るために(と思いたい)と頑固に反対して、リニア計画を止めた。ほぼこの国ではありえない事だ。コロナ、コロナで全国の県知事の言動、行動がよく見えた。使える知事と使えない知事が、クッキリ、ハッキリ分かった。知事の力は使い方次第で大きな力を持っているのを知った。東京都の女性知事にはうんざりだが、この国に女性知事がいないのは何故かと思った。海外には当たり前のようにたくさんいる。森を守り、山を守ると、川や海が守れる、その結果人が守れる。蚊のヤローに血を吸われたせいか、アタマがボンヤリしてきた。時計を見ると午前二時三十六分〇三秒、時計の上にはテレビの画面、大雨による氾濫が流れる。九州や東海地方は明日も激しい雨と報じる。少しでも命を守る行動をと連呼する。最近ユーチューブというのを見る方法を知った。あるボタンを押して、声をかけるのだ。ニュースがいくらでも見れる。その分映画が見えなくなるので余り見ないことにしている。私行動は被災地に何をすればよいのだろうか。コロナ、コロナできっとボランティアの人は入れないのだろう。なんだこれは、網戸にボロッと穴があいている。蚊はここから入ったのだ。私行動はガムテープを取りに行った。これから「9人の翻訳者」という映画を見る。東海道線内で靴を脱いで、列車内でスリッパに履き替える女性が前にいた。灰色の大きなものだった。その変なかんじは、私のボキャブラリーでは表現できない。昨日は七夕さんであったが、みんな忘れていた。手帖に七夕の竹飾りの絵を書いて、てんこもりの願いを書いた。
2020年7月7日火曜日
「400字のリングのご報告」
400字のリングは、私はただ原稿を書くだけで、それをテキスト化して、配信してくれる“神の手”のパートナーがご苦労をしてくれている。かなりの腹痛に耐えて、大きな病院にも二つ行って、いろんな検査をしていた。ずい分心配していたのだが、昨日夕方激しい雨音の中電話をいただいた。最終的な検査は来週するのだが、それまでやりますよと言ってくれた。コロナ、コロナ、マスク、マスク、消毒、消毒。うんざりするほど小池百合子の顔を見ていて、かなり気分が悪い。情報を知るためには仕方なく見るが、顔は見ないようにしている。白鴎大学教授の岡田晴恵教授。髪の毛の量が多すぎるから、ハサミで切ってほしい。終りにニコッと笑うと、ゾッとする。日本には感染学の専門家は他にいないのかと思う。カッパ頭の医師会のセミボス。カエル顔の教授。ほぼこの三人が各テレビ局に出ている。私の友人は小池百合子の首筋のホクロの数まで知っていた。4Kで見ると恐いよと言った。人間ヒマほど恐いものはない。そういうお前も十分恐いよと言った。あ~嫌だ、もう嫌だ、東京都知事を早くやめて総理大臣を目指したいと顔に書いてある。オリンピックはかなり怪しくなって来た。なんとなくやる方法を考えているのだろう。得意のあやふやさで。我が街茅ヶ崎を選挙区にする、河野太郎が総理大臣のフロントランナーになっていると聞いて、長いトンネルを抜けると、そこはもっと長いトンネルだった、という言葉を思い出す。私の知り合いの県・市会議員たちの多くは、河野太郎の子分たちだから、かなり色メキだっている。日本中の繁華街を全部PCR検査してみろと言いたい。新宿、池袋だけ悪者みたいになっている。夜の街も、昼の街も四民平等だ。きっとブッタまげる数字となるだろう。熊本県人吉出身の友人がいる。確か三年前も大洪水の被害に遭った。コロナ、大洪水、次は大地震だと地震学の専門家が新聞に書いていた。私の出身県である岡山が生んだ、将棋の大名人がいた。故大山康晴だ。私が杉並区天沼に住んでいた頃、大名人の家がすぐ側にあった。大名人の家の、まん前が文豪井伏鱒二宅であった。「助からないと思っていても、助かっている」大山大名人が書いた言葉だ。もうダメだと思うな、あきらめるな。又、「忍無辱」とも書いた。耐え忍ぶ姿は決して恥しいものではない。うんざりがまだまだ続くが、忍を貫いて行こうと思っている。(文中敬称略)
2020年6月29日月曜日
「400字のリングについて」
私の親愛なるライターの方の症状が、かなりよくなったとのこと。水曜日に病院に行って経過良好、仕事OKのおすみつきをもらったら、400字のリングのゴングを鳴らします。コロナは第2波みたいになってきました。暑さもいよいよ本番。みなさんくれぐれもご注意を。マスクをしていればみんな美男美女です。
2020年6月11日木曜日
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