岡山県倉敷市に美観地区という場所がある。この地区をみんな、みんなが大切にしている。派手な看板やネオンサインもない。高い建物もない。そこに林源十郎商店という、ステキな施設がある。ずっと昔は漢方薬店であったらしい。一人の熱血漢が次々と新しいことに挑戦し発展させている。“めをみはる”とはを実感する。男の名は「辻 信行」さんだ。10年ほど前にそこでアートディレクターをしていた女性に紹介された。女性は何年か私たちの会社の仲間であったのだが、ご主人が岡山出身で、その地で仕事をしていたため結婚後、岡山での生活となった。ご主人は下戸、女性は土佐出身でかなり飲める。今回は辻 信行さんより、「一棟貸の宿」をオープンしたので、ぜひ来てくださいと招待状を頂いた。丁度湯布院に同様の宿を建てているオーナーから、諸々アドバイスを求められていたので、仕事仲間と三人で取材に行った。かつては大きな病院であったとか、旧土屋邸をリニューアルをしたのであった。古きを残しつつ新しさと絶妙の調和をさせる。これが見事に大成功であった。美観地区とも調和するこの宿には、女中さんはいない。屋号の看板もない。「土屋」という小さな表札のみ、いくつかの箱庭には、腕のいい植木職人さんの細やかなセンスが生きている。座布団もない。テレビもない。座椅子はなく、上質な椅子がいくつもある。茶受けなどもない。ビックリするほど香り高いヒノキのお風呂が大小ある。料理は自分たちで作るか、外で食す。朝は隣接するカフェレストランで、八時から利用できる。私たちが泊る前日には、倉敷の“菊寿司”(そのおいしさはNo1だと思う)が出張してくれて来て、対面式のキッチンで握ってくれたとのことであった。(ウラヤマシイ)基本は自分たちで選んだ店に行って食す。つまり食事は出ない。自分の歯磨きだけ持って来てと言われた。何があるかといえば山ほどある。窓からは爽やかな風が汚れた胸を洗ってくれる。差し込むやわらかな美しい光が、ささぐれだった心をおだやかにしてくれる。雨戸や鉄のトビラなどはない。マナコ壁の美観地区と対話するような気分を縁側で味わえる。高瀬舟が川をゆく、2名、4名、10名と、三種類に区分けされる仕組みとなっている。私たちには全部を使わせてくれた。風と光、小さな置物まで、辻 信行さんのセンスが生きている。スバラシイ寝室なので、ペッタンコの床生活者の私には、豪華なベットと寝具がもったいなかった。一棟貸の宿は全国で生まれている。後継者のいない旧店舗や、1000万戸ともいわれる空家の利用だ。調理場もなく女中さんたちスタッフもないので、静かなること山の如しだ。人手不足の時代、こういうコンセプトを持った「宿」が増えるだろう。辻 信行さんは、酒津の“川辺のレストラン”とか、ジャムや焼菓子も作っている。それも自分たちの仕事場の中で、(旧屋敷をリニューアル)外にはサウナもあり、きれいな水風呂もある。実にオープンで、ユニークな仕事場だ。川辺のレストランは名所となっており、今度ピザの釜を造った。90秒でおいしく焼ける。釜の石組みも多色の石をつくり、一つひとつが鮮やかに存在している。究極の地方創生を行なっている。料金はフツーであるので、ぜひ行ってチョーダイ。バリアフリーなのでご心配は無用だ。裸足で畳の感触、窓から見る夜空は絶妙である。久々に本でも読むかと、瀬戸内晴美(出版時)の「美は乱調にあり」を持参したのだが、宿の美は実に整調であった。私は今アナキスト大杉 栄の妻で二十八歳で憲兵隊の甘粕正彦大尉に、殺され井戸に投げ捨てられた大杉 栄、甥の六歳橘宗一(道連れ)、そして妻の伊藤野枝のことに興味を持っている。ダダイストであった辻潤とのW結婚、大杉 栄が情人であった神近市子に刺された、有名な葉山の“日蔭茶屋事件”十年間に七人もの子を産んだ伊藤野枝の生命力、その血みどろの人生に、大正時代の熱愛を感じる。「平塚らいてう」の同人誌に詩作を送っていた伊藤野枝、すこぶる魅力がある容姿。大正時代の作家は血気盛んであった。神近市子は後に社会運動のリーダーとなった。熱情熱愛の行き先は殺す、殺されるか、あるいは自裁するか。芥川龍之介も、火野葦平も、ただなんとなくの不安でと死んだ。大正時代は15年間であったが、最も文学的で、劇場型の時代であった。作家は死んでこそその名を残した。令和の現在そのようなドラマタイズされたものは皆無であり、作家は不作揃いだ。伊藤野枝の子たちは今も生きている。(何人かは分からない)現在日曜日の朝六時三十四分、テレビのニュースで、藤井聡太八冠が竜王戦で勝って、インタビューを受けている姿があった。彼が強いのか、他が弱いのか。ボソボソ何を言っているのか分からない。私は彼に生身の人間性を感じない。彼にぜひ血みどろの女性関係(男関係もある)を経験してほしいと願う。つまり“人間になってほしいのだ”そうでないと、サイボーグ的で終ってしまう。お手本は囲碁の天才、「故藤沢秀行」だ。藤井聡太のライバルが言った。“彼は人間を拒否している”と。人生は乱調にありだ。(文中敬称略)
2023年11月12日日曜日
2023年11月5日日曜日
2023年10月28日土曜日
つれづれ雑草「ザ・ホエール」
ヒッジョーニカナシイ。ピアノ売ってチョーダイ、もっともっとタケモット。近頃このCMが流れないなと思っていたら、私がヒッジョーニ大好きな、財津一郎さんがこの世を去ってしまった。“ヤメテチョーダイ”と右手で左の耳をかきじゃくるギャグや“ヒジョーニキビシイ”というギャグも大好きだった。舞台の役者としても、俳優としてもいい味を出していた。享年89歳、この世の中に大貢献をした。今の世はヒジョーニキビシイ、ヒジョーニ熊が出る。人類が熊たちの生き場所を奪ってしまったからだ。親熊は子熊の空腹を満たすために、人類が生活している所に出没する。ヤメテチョーダイと熊たちは思っているだろう。どんぐりや栗の実など木の実類を主食にしていた熊は、牛や鹿、豚などを食べる肉食獣となっている。日本は世界一の山林国家なのに何故こんなことになってしまったのだろうか。山には山の掟があり、海には海の掟があった。里にも里の掟があった。人類はすべての掟を破ってしまった。一つ、二つ、三つと頼まれた、仕事らしきものがあり、歩いて、歩いて、歩きつづけていた。その中である博物館を見て来た。小学生になったように楽しかった。マンモスや象の骨体。マッコウクジラの巨大なチンボコ。虫メガネでやっと見れる極小の昆虫類。石器時代の人間の創意工夫、大好きな縄文時代の創造物。弥生時代の刀剣もあった。縄文時代は戰がなく、弥生時代から領地の奪い合いが始まったことが分かる。稲作農業が生まれ、米や麦などの穀物類が主食となったからだ。太い木を尖った石の破片でくりぬき丸太舟を造り、巨大クジラを、木の先につけた尖った石を、木の蔦でくくりつけただけの道具で、飛びつき、突き殺す。集団で行ない、平等に分け合って空腹を満たした。私はこんな時代に生まれたかった。しかし私は何も造ることができないので、食うだけで、ヒッジョーニバカにされただろう。博物館ですっかり小学生になった夜、「ザ・ホエール」という映画を見た。妻がいて、16歳になる娘がいる一人の男は、体重が240k近くになっている。ソファーに座りひたすら食べる。フライドチキン、宅配ピザ、マヨネーズたっぷりのサンドウィッチ、チョコレート類。男は大学生に文学や詩を教えている。当然インターネットで。かつての恋人だった人間のお姉さんが医師で訪問医療に来てくれる。男は妻と娘と別居している。男には講師で稼いだお金が15万ドルほどある。妻はそれを狙っている。学業不振で8歳の時に自分を捨てた男(父)を、デブのバカと罵る。宿題のエッセイを自分に代わって書けと命じる。男の恋人は、男であった。つまり主人公はバイセクシャルだった。パートナーが死んでしまったショックで、大食漢となり始めてしまった。映画は訪問に来た医師の女性が血圧を計り、上が238、下が140近いからすぐ入院しないと、一週間内にうっ血性心不全で死ぬという。その一週間を描いている。器具を使わないと一人で歩くこともできない。何をするにも長い棒が必要なのだ。年齢はきっと40歳位だろうか、男が娘のエッセイのために選んだのは、「白鯨」だった。文学者であり、詩人の男は娘のために、モビィ・ディック(白鯨)を殺すことに命をかける。片足の船長エイハブのことを書く。240k近い男を演じた役者は、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ハリウッドのこういう映画は抜群にいい。ミッキー・ロークが主演した映画「レスラー」を思い出した。老いぼれたプロレスラーと、別居している年頃の娘との物語り、ゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。ブルース・スプリングスティーンの主題歌がヒッジョーニgoodだった。財津一郎さんサヨウナラ、たくさんの笑いをありがとう。この頃すっかり笑うことが少なくなった。この世はヒジョーニキビシイ。もっと、もっとそうなるのだ。オドロクほど進化しない、ヒジョーニワンパターンの国会中継を見ていて、この国の終末を感じた。日本国のGDPはついに第4位となった。すぐにインドに抜かれる。平均年収は韓国に抜かれた。私はこれから群馬、岡山、九州へと足を運ぶ。ニュービジネスを生むための仕事のために。アイディアは座っていては出て来ない。私の先生は、歩く巨人といわれた、民俗学者「宮本常一」さんである。イスラエルとハマスの戦争は、ユダヤ資本が世界を支配している限り永遠に終ることはない。山口組と一和会の戦争のようにはならない。ロシアとウクライナも同じだ。地球上の争いごとはすべてユダヤ資本が仕切って、儲けるのだ。地球の闇の中に姿を沈めている。“ザ・ホエール”は、戦争太りするユダヤ資本家だ。戦争をヤメテチョーダイ(文中敬称略)
2023年10月13日金曜日
つれづれ雑草「コスモスと枯木のバラ」
2023年10月7日土曜日
2023年10月1日日曜日
つれづれ雑草「髪切る前に」
2023年9月24日日曜日
つれづれ雑草「大ヒット上映中」
2023年9月21日木曜日
つれづれ雑草「東大卒の馬鹿者」
狂暑でアタマが狂ったのか、元々アタマが狂っているのか、その世界をやったらイケマセンという夢を追っている。先週末から今日まで、心から祈り念じることがあり休筆した。今の世は故鶴田浩二の歌ではないが、右を見ても、左を見ても、まっ暗闇じゃございませんかだ。こうして命長らえている我が身が不思議でならない。世のため人のためになる筈の恩人、友人、知人が次々とこの世を去って行く。もしかしてあの世のほうが生きがいがあるのではと思ってしまう。名は伏すがこの世を駄目にした人間が生きつづけている。が、もうすぐ地獄へ落ちるだろう。富める者をさらに富まし、貧しき者をさらにどん底にしたのだ。大企業は税金を支払わずガッポリ儲ける。あろうことかトヨタに補助金1500億円近く出すという。国家予算の4分の1近い売り上げのトヨタなのに。魚はアタマから腐るというが、国のアタマという東大法学部卒の官僚や政治家から腐っていく。勉強ばかりしていると馬鹿になるぞといわれるがその通りだ。勉強はできる“世間馬鹿”がこの国、この世を滅ぼす。利権と肩書きばかりを欲しがる悲しき人種だ。東大法学部卒のある官僚上りの政治家は、私にこう言った。東大とは法学部だけであり、教養学部や医学部、農学部など他の学科は東大じゃないんだと。野心の塊みたいな安い男を、私は鼻でせせら笑った。赤ワインをガブガブ飲んでいた。勿論勘定は私が払った。実に貧しい男だなと思った。昨日近況報告のDMが送られてきていた。そこには花火大会をみんなで見ました。トラクターに挑戦し畑を耕しました。ブドウ狩りを経験しました。そんなアホなことが写真入りで書いてあった。それを破ってゴミ箱に投げ入れた。オマエ何やってんだよと心の中でバカにしながら。「景徳山白峰寺動物愛護の会」から便りが届いた。10月1日ペットの法要がある知らせだ。毎年一度行なわれる。この寺に二匹の犬と、二匹の猫の魂を授けている。長引く不況のせいで空きが多くなっている。参加者は壱万円、何年か前ガラガラ廻すくじ引きがあった。くじ運の悪い私が一等賞をコロンと出した。賞品はVネックのニットのセーターだった。毎年(コロナ以前)ペット好きなゲストが来て、小箱の上に集りペット愛を語る。佐良直美とかビートきよし、参加者は80人位だった。ペットの名を書いた御塔婆が並ぶ。九官鳥やインコの◯◯ちゃんとか、金魚の◯◯とか、亀の◯◯、蛇の◯◯など多種にわたる。見て回ると結構面白い。クワガタまである。よくよく見ているとその名は銀座や赤坂のホステスさんの源氏名と重なる。ミミちゃんとか、ハナコちゃん、ケイちゃんとヨッコちゃんとか。クワガタのガタガタという名を憶えている。顔に大きなホクロのある演歌歌手“松原のぶえ”がゲストの日は忘れない。乗っていた箱が壊れてよろけて落ちたのだ。先日森達也監督の「福田村事件」を新宿のK'sシネマで観た。関東大震災の時、香川県から千葉県の福田村(現野田市)に行商に来ていた朝鮮人の人たちが、デマと流言、差別によって、自警団の人間や軍人たちによって、大人、子どもが惨殺された。この事件をドキュメンタリーを専門としていた森達也監督が劇映画として世に出した。小柄な軍人役の“水道橋博士”(タレントさん)が恐ろしい日本軍人役で秀逸だった。感情を抑えた静かな演出に好感を持った。惨殺、虐殺のシーンを生々しくしなかったことでより同調圧力の恐ろしさを感じた。久々に東出昌大が映画出演していた。彼は現在山の中の一軒家の軒下を借りテントを張って、一人そこで自給自足の生活をしている。5年前に狩猟の免許を取っており、鹿やイノシシなどを銃で仕止めて自分で解体している。又、道路でクルマにはねられて死んでしまったタヌキやハクビシンなども解体して食料としている。街に出て人を見ると、もしかして週刊誌の記者ではとか、スポーツ紙や女性誌の記者に見えてしまう。それが怖くて嫌で山の中に入ったと語っていた。SNSの時代は福田村事件の時と同じように恐ろしい。デマが拡散して人の命を次々に奪ってしまう。ネット住民は、軍服を着た水道橋博士のように凶暴なのだ。“バズル”という意味を最近知った。それは蜂が群れるとか蜂が集合するということらしい。私などはSNSの時代では無用の人間となっていく。まあ十分に生き過ぎた。尾崎士郎の人生劇場では、主人公の育成瓢吉の瓢太郎は、没落した身をピストルで弾く。義理と人情の男「吉良常」は、辰巳屋の大且郡立派な花火をあげましたねえと涙する。義理が廃ればこの世は闇なのだ。やがて人生劇場は青春編を経て、残俠編、愛欲編とつづいていく。尾崎士郎の自伝といわれる。実はこのところ不眠が酷く明け方に浪曲ばかり聴いている。今朝は広沢虎造の“国定忠治”赤城の山の物語だ。(文中敬称略)