「友遠方より来たる」ではないが秋がついに来た。ホトホト体にダメージを与えた狂暑、猛暑、酷暑の日々だった。科学者によれば、2030年頃に地球はダウン寸前のボクサーのようになるという。北極の氷が溶けてその水が陸を襲う。そんな夕刊の記事を読んでいる私の隣りの席で、ロールキャベツ弁当を食べている47、8歳の女性がいた。時間は9時少し前、女性はきっと駅ナカの食品売場で、20%、30%引きの弁当を買ったのだろう。パックの中に太いロールキャベツが二本、野菜煮と共にある。ビニール袋をせわしそうに開くところを見ると、かなり空腹だったのだろう。俳優の室井滋さんによく似ている。太いロールキャベツには楊子が一本づつ刺さっている。ごはんにはゴマ塩がふりかかっている。濃いベージュのワンピースが、陽に灼けすぎた肌のように見える。あ~嫌だ嫌だ。会社なんて大嫌いだとその姿から感じる。楊子を一本抜いて、ロールキャベツに憎しみを込めて、ブツリ、ブツリと刺す。口元が動いている。あのバカ男、あのバカ女めと言っているように、ロールキャベツに刺す。キャベツはかなり厚い。グルグルさせると、やっとこさ肉が現われる。憎い気持ちと肉への食欲が弁当内で闘争する。同じ会社の仕事仲間の女性に、男を寝取られた。この夜最後のベッドを共にした。だらしなく寝込んでいる男に、馬乗りになりアイスピックで、ブスッ、ブスッと刺している。男の体がロールキャベツと私の中でシンクロする。女性は爽健美茶のペットボトルで茶を飲みながら、もう一本の楊子を抜き取った。一本目の楊子は、ごま塩ごはんの上に突き刺してある。ニンジン、イモ、ブロッコリーには割り箸を突き刺す。ロールキャベツと人間の体をオーバーラップさせた。映像が再び浮かぶ、キャベツが赤い血で染まっていく。ロールキャベツはグルグルに巻かれた布団に中に入っている肉は男だ。5分位のショートムービーになるなと思った。食品売場は、閉店間際になると安売りが始まる。私は“助六弁当”が好きなので時々買って帰る。私なりに意地があるので値引きされたものは買わない。ガキの頃、母親が働いて帰り疲れ切った体でも、大きな太巻きと、おいなりさんを作って、遠足の弁当を作ってくれた思い出がある。玉子焼きやかんぴょう、桃色のでんぷんがおいしかった。油揚げを甘く味付けして、二つに切って、半分づつに酢メシのまぜごはんを入れてくれた。ロールキャベツも一年に一度か二度作ってくれた。人間はいきなり大人にはならない。ヒトそれぞれに子どもの頃のお弁当の思い出はあるだろう。子どもの頃のロールキャベツは、楊子で刺したりしなかった。食べてノドに刺さるからだ。煮込んだカンピョウでしばってくれていた。品川から乗った列車は沼津行だった。辻堂駅で乗客が線路に落ちたとかで、しばらく停車しますと車内放送があった。私と私の隣りの女性は、戸塚駅でじっと列車が動き出すのを待った。北極海の氷がどれだけ人類を救ってくれていたのか、もう手遅れかも知れないが、まだ間に合うかも知れない。お弁当をしっかり食べ終えた女性は、満腹で憎しみがうすれたのか、目を閉じて首をガクッと落としていた。私は家で待っている孫に小さな声で、今戸塚なんだ辻堂駅でヒトが落ちたらしいと言った。孫は映画のシナリオを読んでほしいんだと言った。次の日の朝には帰るから待っているよと言った。私とは“映画の友”である。来年卒業なので仲間たちと映画づくりをしているのだ。友遠方より来たるの友とは、21歳になる孫であった。20分程遅くれて辻堂駅に着いた。息子と孫が車で迎えに来てくれていた。ホームは静かであった。厄(ヤク)な女と、シャブ(麻薬)と映画には手を出してはいけない、と言い伝えられている。厄な女とは厄病神みたいな女性のこと、ロールキャベツに刺さった楊子の扱い方でほぼわかる。映画は博打の中でいちばん勝ち目のない勝負。一人前のヒモにならないと、一人前の監督にはなれないといわれている。惚れた男の“ゲージュツ”のために、体を売ってでも尽くす。お客さんのいない小さな映画館、ヒモの映画監督を支えつづけた、神様のような女性と二人で、出来上がった「ゲージュツ」を見に映画館に行く。厚い扉の向うでは映画館主がつぶやく。駄目だこりゃ大ゴケだ。仕方ないからすぐ他の映画にしよう。そもそも題名がイケナイ、「ロールキャベツの女」だなんて。あの監督はもう終りだな、オッそれでもお客さんが、7、8人来たよ。大ヒット上映中にするか。列車の中でそんなつまらないことをボーとしたアタマの中で考えていた。きっと暑さがつづいたせいだろう。
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