大竹しのぶさんがクリスチャンであって、洗礼名がマリアって事は意外と知られていませんね。
お父さんの大竹章雄さんは有名なキリスト教徒吉川一水の娘、江すてると結婚した。
「江すてる」とは聖書のエステル記から、王に見初められた娘が王妃となって民に奉仕する物語。吉川一水は非戦、清貧を貫いた人とか。
貧しきものこそ心豊かと常々言っていたそうである。
鳥は必要な分しか食べないのに人間は際限なく食べる。
貯金を貯め込む人は神でなく「財神」に仕えている悲しい者とも言っていたとか。
聖堂でひざまずくマリア大竹しのぶさんのイメージをして下さい。
きっと朝起きてから夜寝るまで躁状態の男うるさい明石家さんまにも寛容だったのでしょう(?)。
二人の生活は想像を超えてきっと静かで穏やかであったのでしょう。食卓には聖書が有り、食事の時はちゃんと十字をきって音を立てずにシンプルなスープをすすりパンを浸すのです。さんまが出っ歯を閉じてダンマリになっている姿、賛美歌の調べがCDプレイヤーから流れる中にいる姿想像して下さい。(出来ないですね)
モーアカン、コンナクラシ、キークルッテマウワ、ワイカラシヤベリトッタラタダノデッパヤナイケなんて言い出したのかもしれません。いい子、いい子静かにしなさいなんてなだめたかもしれません。主は全てを許すのです。
勝目梓という作家がいます。セックスと暴力、バイオレンス官能小説の名手です。
この人の生き様が好きです。十七歳で高校を退学になりその後長崎の炭鉱で六年ほど働きそこで組合活動をする。何度も死ぬ危険を感じて生きた。組合の新聞を一人で作り出した。
その中に自作の小説を載せたりした。
その後肺結核となり二年ほど入院、そんな中で本と出会った、貸本屋から本を借りてひたすら読書をしたらしい。退院後地元紙や小説誌に投稿を始め入選する。
結婚したが妻子を残し女性と駆け落ちトラックの運転手をしながら小説を書き続けた。
四十歳の時に同人誌で中上健次と出会う。中上の純文学の凄さにこいつにはかなわないと純文学を捨てる。六七年に芥川賞候補、六九年には直木賞候補となる。
「獣たちの熱い眠り」などがベストセラーとなり七十七歳の今もセックスと暴力を書き続けている。最近色々な事が許せるようになりました。
他人や自分の嫌な所も、世界の気にくわない所も、全てそのままでよろしいと。
全てを受け入れる気持ちになったのは死への準備なのかもしれません。
そういえば愛も、許し、受け入れるものですね。「そのままのお前が好きだ」と言えるのが本当の愛だと僕は思うんです。ただ「今」を生きればいい。
いいですね男っぽくて。中上健次は被差別部落出身だから小説を書く必然があった。しかし勝目にはなかったという。しかし私はやはり四十歳から本格的に小説を書く必要があったのではと思うのです。全てを許す人間、行き着く先はそこかもしれません。
私はつくづく自分が嫌で嫌で仕方ありません。しかも無神教です。人はきっと私の全てを許してはくれないでしょう。でも私は人を許す事は出来るのです。
久しぶりに会った人に随分丸くなり優しい顔になりましたねと言われた。
もう一人には相変わらず憎たらしい事を言いますね、ちっとも変わってないですねと言われた。私自身は後者であると思っている。
私の後輩に上智大を出たクリスチャンの男がいる、親孝行であったが時として変態的でもある。ある時お前は何でそんなに神をも恐れぬ行為をするのだと聞いたらこう応えた。
いいんですよ、キリスト教は悔い改めば全て許してもらえるんですと。
それ以来返す言葉がないのです。