大根、ジャガイモ、ハンペン、牛スジ、ゆで玉子、ソーセージ、これらを日焼けサロンに持って行き一日中紫外線を浴びせると、きっと真っ黒になるはずだ。
真っ黒なおでんを昨夜友人と食べた。
“静岡おでん”であった。初めてのおでんだった。
何しろここまで煮込むかというほど煮込んでいる。
黒大根、黒ジャガイモ、黒ハンペン、黒牛スジ、黒ゆで玉子、黒ソーセージである。
煮込みが凄いので味がほとんどしない。
ほとんどしない中に残るかすかな味に味がある。
ウマイ!とはいえないが、マズイ!ともいえない。
おでんの松崎しげるだ。
顔は日焼けで真っ黒であるが、歌はうまい。
気候温暖、気質温和、日本一出世欲がないといわれる静岡県がどーして黒いおでんを生んだかは分からない。友人が連れて行ってくれた。
絶対にここは私が払うといって聞かないので仕方なくごちそうになった。
私は余程のことでない限り人に払ってもらわない。
ハンペンは白いと決まっていたはずだが、メニューに黒ハンペンとあった。
ハンペンの膨らみは煮込まれてまったくない。ヘナヘナとしてペシャンコだ。
ハンペン独特の弾力は失われてお皿にへばり付いている。
オイ、お前はハンペンかと声をかければ、ヘイ、むかしは色白の身でありやした、なんて応える。
ゆで玉子は黒い弾丸となっていて、お前はゆで玉子かと声をかけても返事をしない。
箸が折れてしまうかと思う位チカラを込めて黒い弾丸に突き立て突き刺すと、中から黄身がボロボロと現れる。ゆで玉子というより栗に近い。
おでん大好きな私の初体験は、静岡why?であった。
また今度行って徹底的に黒い味を食べ尽くしてみる。
一度では語り尽くせない、不思議なおでんであった。
作家松本清張の“黒”シリーズは有名だが“黒いおでん”はなかった。
店は細長く、一階、二階、三階とあり満杯であった。
私と友人の隣には二人の女性がいた。黒いロールキャベツが、黒い竹輪が不敵に笑っていた。餃子の上にてんこ盛りのモヤシがのったものが運ばれて来た。
“浜松餃子”であった。浜松why?ヤキヤキの餃子に水っぽいモヤシを何故のせた?
午前一時三十分〜二時二十分からNHKで司馬遼太郎の旅、日本人とは何か、その二、武士についてを再放送していた。先日も見たのだが司馬遼太郎は余りに明治を愛しすぎている。武士の心“名こそ惜しけれ”この精神が日本人の心の中に脈々と生きている。
武士こそ最高の作品だ、みたいなことをもっともらしく書く。
が、日本を戦争に突き進ませ、名こそ惜しけれと玉砕をさせたのは武士の精神、明治の精神であった。
明治とは薩長支配であった。
海軍は薩摩、陸軍は長州の時代がずっと続き、官僚体制とは薩長体制であった。
大日本帝国は明治時代の延長であった。
「この国のかたち」を書く司馬遼太郎は明治を美化しすぎで大いに誤っている。
私は司馬遼太郎のエッセイは大好きだが、小説は講談のようであり嫌いだ。
講釈師を見て来たような嘘をつく。明治こそ日本の黒い遺伝子なのだ。
幕末期における武士は人間が生んだ最高の芸術品である。
司馬遼太郎はそう書いている。
天誅、天誅といって殺しまくった武士たちは、最高の芸術品であったのだろうか。
ならば武士の延長上にある軍人たちはいかなる作品であったのだろうか。
静岡おでんを思い出しながらこれを書いた。