2022年4月30日土曜日
2022年4月24日日曜日
つれづれ雑草「眼を閉じる魚類とは」
2022年4月16日土曜日
つれづれ雑草「不覚にも」
2022年4月10日日曜日
つれづれ雑草「乾いた街」
2022年4月2日土曜日
つれづれ雑草「賛成と反対」
「暴力は最後の理性である」こう言った賢人は誰だったか忘れてしまった。否いなかったか、インテリヤクザの親分だったかも知れない。過日アメリカのアカデミー賞授賞式で、主演男優賞を見事受賞した、ウィル・スミスが自分の妻の脱毛症に対する侮辱だとして、司会者のコメディアンを平手打ちした。映画“G.I.ジェーン”に引っかけてジョークを飛ばした。脱毛したウィル・スミスの妻のヘアースタイルをGIカット(軍人のヘアー)みたいだねと言ったのだ。私は思う、私だったらきっと頭突き一発、パンチ数発、蹴り二発位は入れただろう。そして受賞を返上して、一年程留置所入りだ。決して許されないのが暴力行為だが、一家一族、一門の人間、まして親や兄弟姉妹、女房子どもが大衆の面前で笑いの種にされたら、へらへらしている場合ではない。世が世でもし武士社会の日本であったら、果し合いを申し込んで恥を晴らすか、その場で斬り殺して、腹を切っただろう。もしそうしなかったら、恥辱を晴らさない弱腰として、閉門蟄居の上一族断絶とされただろう。私は思う。いつからかこの国は、何もかもがヘラヘラ社会となってしまった。例えば自分の上司が、部下が取引き先から、バカだアホだと言われても、泣く子とスポンサーにはかなわないと、ヘラヘラ笑って帰る。例えば自分の子がコケにされ、親の顔が見たい、お里がしれるなんて言われて帰って来ても、仕方ない我慢だ、あの家の方が学歴が高く、一流会社の役員だ、ウチは安月給のペーペーだからなと。私は武士道を札讃しているのではない。友人、知人、先輩、後輩、あるいは自分の会社の社員が、いかにスポンサー、クライアントだろうと、そこまで言われることはないという場合は、怒りを表現して恥をかかせたことへの対価を払わせねばならないと思い、ずっとそうして来た。怒らない人間にはヘラヘラ歯を出して笑ってんじゃないと怒った。私の後輩の女性に自慢の男がいた。長身で美男、空手をやっていた。一緒に歩いていれば人もうらやむ二人だった。が、ある夜、会社の飲み会があり、二次会へと向かった。夜の新宿である。美男美女のカップルに、不良たちが声をかけ、女性の手を一人の男が引っぱった。会社の仲間も七人いた。引っぱられた女性は自慢の彼氏の名を呼んだ。だがその彼氏がとった行動は、仲間にヤバイよ、警察を呼ぼうよであった。ズルズル逃げ腰だった。やめろよと言って、不良の手から女性を守ったのは、飲み会の中みんなから、いちばんモテない男と言われていた小柄な男だった。不良たちはその男の殺気に気負されて、その場から去った。結婚間近といわれていた。美男と美女は、一緒にならなかった。女性の方から弱虫の男はサイテーとなったのだ。空手は使ってはいけないんだと言い訳をしたそうだが、お坊ちゃんの黒帯だったのだ。空手を使わなくても、体を張って守る気力を女性は感じたかったのだ。その姿勢を見せた、小柄な男の株はグンと上がったのはいうまでもない、カッコいい人になったのだ。この話と同じような事はいくらでもある。ウィル・スミスをアカデミー協会は脱会させるとか言っているらしい。本人は暴力はいけなかったと謝罪している。ハリウッドに暴力はいらない! なんて会員たちは言っているが、ハリウッド映画の殆どは暴力肯定の映画だ。この矛盾に対して論議しなければならない。ジョークを飛ばしたコメディアンのセンスに対してもだ。大衆の面前で、オイハゲ、イエ~イ、次もいいハゲの役待ってるぜ、ユーのワイフに円型のハゲがある、これ以上悩ますなよ。イエ~イ。なんて言われたら、ヘラヘラ笑ってられないはずだ。日本のサラリーマンよもっと理不尽に対して怒れよと言いたい。朝、昼、夕方までは、何を言われてもナメクジみたいにちぢまっている人間に限って、夜、酒が入る程に元気一杯となる。俺はよ、やるときはやる、言う時は言うぜ、知ってんだろ、ウィッ、ヒクッとしながら、あいつなんて目じゃないよ、俺はよォ、ウィッ、ヒクッとでかい声を出す。そしてカラオケに行くと、もう絶好調だ。次の日の朝、あいつと言っていた上司に、又酒臭いな、キミは本当に使えないね。なんて言われて青菜に塩みたいになって夜を待つのだ。アナタ、昨夜どこで寝たの、帰って来ないなら電話してよ、まさか公園のベンチかなんかじゃないでしょうね。ち、ち、違うよ、◯╳君が深酒しちゃって、仕方ないからカプセルホテルに泊ったんだよ。なんて電話で人のせいにするのだ。私は、ウィル・スミスの平手打ちに大賛成、謝罪には大反対。女房をオチョクラれて黙っていられるか。アバヨアカデミーが正解だな。30、31日奥多摩に取材に行って来た。花粉症は最高潮で、鼻はグズグズ、目はショボショボ、クシャミを連発しながらも、いろんな人と会って来た。長い長い石段の上の神社に行った。ヤマトタケルノミコトは、この御嶽の山の中で狼に命をたすけられたという伝説がある。男は女性を守る狼でなくてはならない。(文中敬称略)
2022年3月26日土曜日
つれづれ雑草「天敵ブタ草」
2022年3月19日土曜日
2022年3月12日土曜日
つれづれ雑草「人の心の中……」
総体重からマイナス40k減量したその人は、現在90kだった。長い人生をやって来て、これほどいい人は世の中にいるだろうか、という人は、正直それほど多くはいない。人間には表と裏があるのが、実は正しい。すごくいい人だと思っていたのに、とか。裏表のない偉い人だと思っていたのに、とか。自分の都合と合わなくなったり、自分の要求に応えてくれなくなったりとかすると、評価を一変させるのが、人間という自分都合主義の生き物である。あれだけやってあげたのに、これだけしかしてくれないと見返りを求める。小さな親切、大きな迷惑という言葉は、こんな人間の心を表わしている。淋しい心の持ち主は、それを癒すために親切をするのだが、何かしらの反応がないと(例えば御礼の品とか、礼状とか、この頃ではメールとか)いい人だと思った人は、恐い人に変わる。130kあったいい人がマイナス40kになっても、いい人の心はもとの130kと同じで、やっぱりいい人のままであった。週末前日、私は多摩市の聖蹟桜ヶ丘というところに行った。130kあった人に会うために。何年ぶりかでお会いすると、炭水化物を徹底的に食べないようにしたら、みるみる減量に成功していると言った。私が糖尿病になったのと聞くと、決してそうではなく、ある手術をしたのを機会に一大決心をして、減量作戦を立て、数年かけて現在90kになっていた。鉄道関係のその人に、相談することがあった。体をユッサユッサしていた130kの頃と違って、フットワークは軽やかだった。うれしいほど相変わらず親切で、いい人であり、繊細で、細心で、斬新であった。たくさんの提案をいただいた。あと20k減量をするんだとか言って笑った。学習院大学卒で、私とはエライ違いの、偉い人の家筋である。話すほど私のこころが狭いことに気付いて、反省しきりであった。昨日3月11日は、11年前の悪夢の日であった。原発の恐怖を全国民が知ったのに、再稼働とか新設せよとかの声が大になっている。過日40年近くおつき合いをさせていただいている、風力発電関係の会長さんとお会いした。この方はフライ級位の体を、毎日ジムに行って保っている。闘志の人、戦う人、“ファイティング原田”みたいな人である。国家を相手に闘っている。私にとっては雲の上の人。でも実に心やさしい。敬虔なクリスチャンでもあるので、私ごとき者でもお会いしてくれる。日本は風力発電を必要として、原発は必要としない。島国イギリスは、風力発電に全力をかけている。島国日本もそうでなくてはならない。初めてお会いした時は、近寄りがたき人であったが、夢とロマン、国家百年の計を持っていた。今も火の玉のように熱い心を持っている。大事業の成功を祈るのだ。ウラジミール、ウラジミールと、オフェリア、オフェリアみたいに言い寄ったのは、安倍晋三元総理だが、そのウラジミール・プーチンは、あろうことか原発に向って攻撃を命じている。国民が一致団結してゲリラ化したら、いかなる大国もそれを制することはできない。今、ロシア兵は俺たちは何のために侵略しているのか、と思っているはずだ。“大義なき戦い”だからだ。有名な広島のヤクザ戦争、“仁義なき戦い”にも、全国制覇を狙う、大組織を広島には入れない、という大義があった。ロシアは自国の兵士を多数殺すと、国内が統治できなくなるので、シリアなどからの傭兵を投入すると作戦変更している。私は織田信長を殺した張本人は、豊臣秀吉であって、それを裏で動かしていたのは、堺の商人や博多の商人だと思っている。明智光秀はうまいことのせられてしまったのだろう。プーチンの目が泳いでいるのは、身の危険を感じているからだろう。ロシアにいる大富豪たちは、もう次を考えているはずだ。それにしても日本の政治家たちは、どこで何をしているのだろう。全くその存在を感じない。とりわけ野党は、何の運動も発信もしていない。世界とつながっていないのだ。韓国の大統領選の投票率は70%以上、その理由は投票日を休日にしているのだ。それも連休がとれない水曜日と決めている。日本も国政選挙の投票日を水曜日にして休日にすればいい。選挙の年は無くてもいい旗日を一つ減らせばいいのだ。この国はアタマを使わない国なのだと思う。14日は誰が決めたかホワイトデーだ。バレンタインデーでウキウキさせてもらった人は、キッチリお返しをしないと、ブラックマンデーになってしまう。女性の心は決して寛大ではない。義理を欠いては生きてはいけない。チョコとしたミスが、命取りになる。それほど女性は恐ろしいのだ。“女はそれを許さない”そんな映画があった気がする。“板チョコ”が“痛チョコ”にならないように。