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2019年1月23日水曜日

「冬の風と共に去りぬ」



親愛なる会社の同僚(女性)の母上が昨日早朝ご逝去された。今週中は400字のリングは休筆して心からご冥福を祈る。今年は1月1日午前10時14分、恩師がご逝去された。杉並区立天沼中学校時代の担任、松宮明子先生だ。50年前私が結婚した時、中野区白鷺のご自宅にお仲人を頼みに行って引き受けてもらった。問題児(?)だった私に優しくしてくれた。勉強をしない私を、放課後つきっきりで個人授業をしてくれた。父を失い、貧乏な我が家に月謝の高い私立にいく財力はない。都立に入らねばならない。当時都立に入るには9科目で最低700点前後が必要だった。算数が全くできない私にずっと算数を教えてくれた。1月3日昼やはり教師だったご主人から電話が来た。家族葬でやるのだが、妻がどんな教師であったか、誰かに語ってほしい、ぜひ私にと言われた。長く入院しその後施設に入っているのを知っていた。もちろん私でよければと言った。お通夜はご自宅のすぐそばであった。ご主人、娘さんがお二人、そのご主人二人。お孫さんが五人。 あと親戚の方が確か四人。そして、 日蓮宗のお坊さん一人。それだけでいっぱいになる葬儀場であり、読経が終わると、その場にあった細長いテーブルに白い布をかけた。そこにお寿司が運ばれてきた。煮しめとビールも。お坊さんの話の後、私は中学校時代の松宮先生を語った。卒業式の時クラスで、仰げば尊しをみんなで歌って泣いたことも話した。お母さんを大切にするのよと、私と抱き合ったことも。ヴァイオリンを持ってきていたお孫さん(女の子)がアメイジンググレイスや、ふるさとを弾いてくれた。みんなで“ふるさと”を歌った。1時間ほど思い出話をしていたら、私、仰げば尊しを弾きますと、お孫さんが言った。小さな、小さな、これ以上ないほど小さな葬儀場に、♪〜仰げば尊し 我が師の恩  教えの庭にも 早幾とせ・・・と合唱した。今こそ別れめ いざさらば・・・。お坊さんも歌った。そしてみんな泣いた。実にいい家族だけのお葬式だった。登山が大好きだった先生ご夫婦は、よく登頂した写真ハガキを送ってくれた。先生はどんな高い山より、高い所に登っていった。92歳、いざさらばである。冬の風は心に痛い。親愛なる同僚の母上も冬空の星となる旅に出る。願わくばあと四ヶ月後に生まれてくる、同僚の赤ちゃん、初孫を見てほしかった。 昨夜神田明神下の店にて、ある大先生とかねてより約束の会をした。私の大親友を偲ぶ会であった。大先生もいくつかの大病と格闘中、だが酒で命を支えているんだと笑った。息子さんが付き添って来てくれていた。そこでなんで最近の卒業式では、仰げば尊しを歌わないんですかねと言ったら、う〜む 「今こそ別れめ いざさらば・・・。」が特攻隊みたいだからじゃねえか、日教組のせいかもしれねえな、とおっしゃった。大先生はおそらく東大の卒業生でいちばんの名文家。池波正太郎の内弟子七年余の経験がある。その語り口は鬼平犯科帳の長谷川平蔵その人である。今夜は合掌なのだ。



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