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2019年6月4日火曜日

「東大法学部に関係なければ」

東大法学部を出て官僚のトップ事務次官にまでなった76歳の父親が息子を刺し殺した。この事件のニュースを知るにつけ、ふと私が少年時代を過ごしたところを思い出した。私の家の隣に東大法学部卒の弁護士の先生がいた。「お父さま」と呼ばれていた。奥さんは小太りのやさしい女性だった。先生は関西出身で大男であった。出かけるとき、帰宅したときは家族で三つ指をついた。「行ってらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」。大きな家であった。その家には長男、長女、次女、次男、三女、三男の6人の子がいた。長男は庭にある離れの部屋に住んでいた。庭は広く大きな四角い池があり、5月には大きな鯉のぼりが風に泳いだ。私の家も同じ6人兄姉だった。両家とも三男三女、歳も近く仲良しであった。外から見ると幸せを絵に描いたようであった。が、一つの歯車が狂って、すべてが狂っていった。長男は父親から東大法学部に入ることを義務づけられていた。性格のおだやかなお兄さんは、一浪、二浪、三浪と受験に失敗した。確か4年目に早稲田大学に合格した。しかし父親は「東大でなければならない」と、4度目の挑戦をさせた。そしてやっと東大の教養学部に合格した。父親は東大の法学部でなくして東大ではないと認めなかった。お兄さんは酒を飲むことを覚え、やがて酒乱となった。バラの花がいっぱい咲いているところに、わざと入って血だらけになって私の家に来たりした。また、池に飛び込んだりもした。「バカヤロー、バカヤロー」と父親をなじった。絵に描いたような幸せは、絵の具と絵の具が混じって、加色混合され、黒い絵になっていった。長女はある会社の息子さんと結婚したが、ご主人が躁鬱病みたいになり若死にした。次男は建設会社を経営したが倒産し病死(?)した。次女は登山家となり、生涯結婚しなかった。三女は韓国の人と恋をして勘当され家を出た。末っ子の三男は何しろ釣りが好きで子どものときから釣りばかりで、結局正業につかなかった(記憶では)。近所のお豆腐屋さんの娘を恋して一緒になったが、父親はお豆腐屋さんとの娘とは結婚は許さないとやはり勘当同然となった。私の母は奥さんと仲良かった。同業同士隣り合わせだったので、すこぶる行き交いをした。酒乱になった長男は父親に反抗していた。奥さんが板ばさみとなり、とてもかわいそうだった。お兄さんが25歳ぐらいで悶絶死した。これから裁判が始まると思うが、元事務次官という超エリート環境の家庭生活が浮きだされるだろう。殺す側の論理と殺される側の論理。父親の異常なプライドへの反抗とか、徹底的に息子を傷つける言動や行為とか、そして被害妄想、加害妄想にいたった。父親の苦悶の日々とか。家族が崩壊するのは、たったひと言であったり、たった一度の暴力であったり、たった一度のトラブルで始まる。大切にしていた一本の釣り竿が折られてしまったり、問題の種は見えない。結局、私の隣の家の先生は一人で90代までたくさんの病気を抱えながら生きて、淋しく死んだ。みんないい人ばかりだった。どこかで三女、三男はいまだ生きているかも知れない。次女が家を守っているかも知れない。どうして家族の無残な事件が起きるのだろうか。我々も渦中の中にいるのかも知れない。



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