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2021年5月10日月曜日

つれづれ雑草「運砂利」

 「お流にする」。表ではない社会の人間が使う言葉だ。おりゅうにすると言う。この話は水に流して無かった事にしようとか、いままでの関係は無かった事にしようとかの場面で使われる。水に流すという意味だ。オリンピックはお流にしよう。国民の70%近くが中止又は延期を望んでいる。17日に来日予定のIOC会長バッハが来日延期となった。米国の有力紙は、バッハ会長をぼったくり男爵と評した。やらずぼったくりの人間だと。IOCなどは今ではスポーツマフィアである。世界中のネットワークや、マスコミはユダヤ資本が殆ど仕切っている。外交力が著しく不足している日本国は、何から何までやらずぼったくられて来た。優秀な外交官を育てて来なかったからだ。国際的歴史観も、語学力も無い。外交術を持っていない。それ故ダフネゴシューターがいない。江戸時代の幕閣の人間の方がはるかに優れている。外国人は相手が弱腰だと見ると、怒鳴り、机の上を拳で叩き、顔面を紅潮させる。タフでないと、ブルッテしまう。相手はそれを見逃さない。で、次々とやらずぼったくりの要件を突きつける。私は外人相手は得意中の得意だった。外人が怒ったら、こっちは日本語でさらり、さらりと話をする。そして腹を切るポーズをしてニタッと笑う。外人はこれで静かになる。長引くコロナ禍の中で運動不足解消にと、毎日シャドーボクシングをやっていたら、足腰がパンパンになり筋肉を痛めてしまった。体は正直でありバカな行為を許さなかった。でもってスパーリングはお流にした。過日(10日位前)新聞に次の総理大臣は、菅総理でいいじゃないのと、安倍晋三前総理が語ったとかの記事があった。総選挙で勝ったらの条件がついていたようだが、コロナ禍という火中の栗を拾う人間は誰か。クリント・イーストウッドの映画「運び屋」では、引退した老人が麻薬の運び屋をやる。河野太郎ワクチン担当大臣は、それを見たのか、下手なジョークで、自らを運び屋と言った。語学が達者な政治家らしいが、人間力が達者ではない。発言が日々コロンコロン変わる。変節漢である。次の総理大臣の人気NO1とか。絶句である。シタタカなワクチンマフィアは、日本の足元を見て値をつり上げる。相手が求めれば、小出しに売るという、商人の定法通りでやりたい放題にされている。国内ワクチンの開発費を大幅にカットしたために、日本でワクチンは開発できなくなっている。(安倍政権下でカット)日本の科学者は優秀なのに才能が発揮できない。ウイルスはこれからも続々と現われる。すぐにでも手を打つべしだ。「学のある馬鹿は、無学の馬鹿よりお馬鹿さんである(モリエール)」。目が死んでいるリーダーの軍には、勝機は来ない。どこで覚えたのか、やたらエビデンス、エビデンスと我が国のリーダーは言うが、目が死んでいる。眼光が無い。ここで一発目を光らせて、オリンピックはお流にします。責任は私が取ると言えば男一代、名は末代となる。ワクチンが入手できても打つ手がいない、なんて話を聞いていたよからぬ人間たちが、打つ手なんて、なんぼでもおるわい、シャブ中はみんな注射を上手に打つけんのオ、なんて言っているやも知れない。夜うめき声がした、何んだこりゃと思ったら、洗濯機が古くなって労働に耐えられなくなっていた。冷蔵庫も一日中むせび泣いている。やはり古くなっているからだ。テレビを見ていると突然画面が無になる。どうやらアンテナが塩害でやられているようだ。友人たちの個展が多く中止になっている。ギャラリーがどうしても開催してくれと言われて開催しても、観に来てくれる人は少ない。人流なんて言葉があったのを知らなかった。人の流れと言ってほしい。小泉信三さんと言う高名な人の言葉を大切にしている。「人生において、万巻の書を読むより、すぐれた人物に一人でも多く会うほうが、どれだけ勉強になるか」。学校や学問、読書が苦手な私にはこのお言葉が支えであった。しかし大切な人とお流にした人生である。今、奇蹟の命を守り、支え、愛し続ける。海よりも深い親子愛の物語を読んでいる。15年余に及ぶ日記のようなものだ。沖縄にいる友人と、ドキュメンタリーの映画にしたいと思っている。いずれ有志をとお願いする。「愛」このフツーの一文字が、実は人間社会において、いちばん形にできないのだ。オリンピックは、人類愛を求めている。ならば今、お流にすべきだろう。開催すればコロナ禍は拡大の一途となるだろう。オリンピックの選手に変な意見を突きつけてはならない。選手も国民の一人に過ぎないのだから。うんざりという言葉を漢字で書くとどうなるのだろうか。運砂利はどうだろう。運は一握の砂の如くであり、利は得られない。小さな努力を積み重ねよう。(文中敬称略)



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