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2021年12月18日土曜日

つれづれ雑草「12という数字」

12月は一年の内で最も嫌いな月である。少年の頃、亡き母が一生懸命働いて稼いだお金を卓袱台の上に出して、これはお米屋さん、これは魚屋さん、酒屋さん、布団屋さん、肉屋さんと、たまっていた支払い金を封筒に入れて行く。無尽とかいってご近所さんから借りていた金を入れる。目の前のお金がどんどん消えて行った。嫌な月なんだと思った。それを引きずっている。気がつけば私自身も長い長い間、12月は支払いに追われつづけてきた。給与と賞与を支払いつづけてきた。一人二人だった頃の会社がなつかしい。ガボッと揃えることもなかった。チョコットだった。一人で始めたら一人に帰る。これが芸人の掟と思っている。鮭は川を上り産卵する。奇跡的な旅をしたあと、生まれた川に帰ってくる。そこで産卵する。その死骸は分解され、海洋で得た栄養分を運ぶことで、川や陸地の栄養分となる。産卵前に熊やキツネ、鳥たちに食べられた鮭も、排泄物が森のなかで木々の栄養分となり、その木々は落ち葉となり大地を育む。森から生まれる水は集まり川となり、水生昆虫やエビなどの小動物を育てる。産卵から生まれた鮭の子たちは、それらを食べて生まれた川を出て奇跡の旅に向う。そして母なる川に帰ってくる。一つ一つの命が大自然を育てるのだ。人間はこの営みを忘れてはいけない。自らを生んでくれた母を大地や川と思いつづけねばならない。母とは命なのだ。それじゃぁ父はとなるが、これは存外役に立つものでない。射精は小さな花と書いた人がいたが、そんなものである。長澤まさみが主演女優賞を受賞した「MOTHER マザー」という映画を見ると、幼い兄妹がどうしようもない母親だが、決して離れない姿に涙する。少年の頃見た映画に「日本の母」というのがあった。終戦して何年か経った頃の物語だ。現代社会に置き換えられる。年老いた母を三人の子たちは、たらい回しのようにして面倒から逃れようとする。息子、娘、嫁たちは自分たちの生活が大切だから。ある雪の夜、老母は老人保護施設の前で倒れてしまい施設に救われる。やがてシベリアの捕虜生活から、やっと日本に帰ってきた末っ子の男が、母を見捨てた兄や姉をなじり倒す。そして施設にいた老母を見つける。お母さんもう心配ないですよ、僕がしっかり守りますよと言う。今の世はちっとも豊かになってはいない。むしろ精神構造は貧しくなっている。一度立ち止まり、富のことばかりで生きてないかを考えねばいけない。アマゾンの原住民たちの方が、全然心が豊かなのだ。鮭に学べよ人間たち。12という数字には興味ある。Zodiac(ゾディアック)は12宮、太陽と月とおもな惑星の中を運行する獣帯(星座の何なっている)。カレンダーは何故12月まで、時計は何故12時から始まるのか、干支は何故12種か、キリストの使徒は何故12人か、一ダースはなぜ12個か、考えるといろいろある。花札も12月までだ。探せばきっとまだまだある。嫌な12月も残り少なくなってきた。ザ・ヘビーセイムオーを聞きながらこれを書いている。私の親愛なる友が、19日矢沢永吉さんのライブコンサートに行くと聞いた。人生はロックンロールだ。石は転がって丸くなったり、砕けてしまうが、転落こそ生なのだ。人の心をゆさぶる生きた言葉はそこから生まれるのだ。鮭の人生はロックそのものなのだ。つまんない名誉を追ったりしている人間は、遠くから見ると実にむなしく、富ばかり追っている人間は実にかなしい。とはいえ12月はまったなしなのだ。ソフトバンクの孫正義さんの顔つきが、すっかり変わってしまって見える。亡き母を苦しめた金貸しの顔だ。気分を変えるために、ちあきなおみの「紅とんぼ」を聞く。 新宿駅裏 赤とんぼ 想い出してね 時々は……。いい歌だよこの曲は。人間の本当の愛、やさしさがある。五年間やっていた小さな飲み屋を閉める歌だ。本当にお世話になりました、ツケなんて忘れていいのよ、今夜はみんなで歌ってねと。誰ももらってくれる人がいないから、故里に帰るのよと歌う。美空ひばりと並ぶ天才。ちあきなおみは、愛する男、郷鍈治を病気で失ったあと、歌うことも、顔を出すことも一切芸能活動をやめた。見事と言うしかない、男と女の愛だった。広尾駅の側で郷鍈治が喫茶店“COREDO”をやっている時に、時々店に行った。日活のスターだった宍戸錠の弟郷鍈治はスターにはなれなかったが、大歌手の心を手にした。ゴッツイ顔であった。いい顔とはこんな顔である。肺がんにより五十五歳没であった。午前三時を過ぎた。若者たちの間では静かな昭和ブームだ。私は演歌が流れる時代をと思っている。いい演歌は、いい文学である。で、故船村徹がギター片手に歌った名曲「別れの一本杉」を聞く。 泣けた 泣けた こらえ切れずに 泣けたっけ……。もうすぐ12月とお別れだ。(文中敬称略)



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