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2009年12月26日土曜日

人間市場 奥多摩市篇



少年の頃、林間学校で行ってから好きなのである。
紅葉も盛りになった12月初旬、御嶽山に行った。性懲りもなくある夢を形にすべくイメージを求めて登った。
山の神霊を祀る修験の聖地、武蔵の国魂の天降る山。坂東平野の農業を守る神の山。
又はヤマトタケルを祀る武神の山として古式を残す。

この山に伝わる「太占祭」(ふとまにという)がある。毎年一月三日の早朝に行う。
鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置で様々な農作物の出来、不出来を占う。
厳冬の冷気の中で太古の様式を大切にして行う。ある本でこの占いの事を知った。その本の主人公は赤いダイヤといわれる大豆の相場師であった。その年の運気と勝負を占う為に太占祭に来る。

いつ頃からこの神社で始まったのかは不明だが、天保年頃には行われていたのではという文献がある。霊感が人一倍強い私は、長い長い石段を登る。左右には寄進された石塔が隙間無く建ち並ぶ。ひんやりとした空気の中に霊を感じる。人間の死霊ではなく動物の霊を感じる。

白い犬が元気よく石段を登って行く。一匹、二匹、三匹と犬たちは振り返り笑っている。決して吠えない。私の愛犬も真っ白い犬であった。雑種で紀州犬の血が少し入っていた。十三年苦楽を共にした、名はブッチであった。石段を登りながら思わずブッチ、ブッチと声を出した。

奥多摩の上流は素晴らしい流れだ。力強く、そして速い。水は深い青緑である。カヌーの川下りが盛んな所である。その川の辺りの大きな石に座ってじっくりと川の表情を見る。川の音と語る。頭の中の老いた脳ミソがどんどん若返って行く気がする。

この川は美男であり美女であり、知性と野性が流れの中で一体となる。均整のとれたスポーツマンとスポーツウーマンが激しいセックスを終わりなくしている様である。大きな石に一つの白い影。思わずブッチと言ってしまった。東京から車で二時間で魂の流れに出会える。錆びてギシギシになっていた頭の蝶番が強力な潤滑油を差してもらった様に一気に機能化する。正常な人間に環れるのである。都会の汚れた川に流れる病葉(わくらば)の様な体を引きずっていた自分を捨てられる。

自然とセックスする程気持ちいい行為はない。かなりの構想が浮かんで形になった。一月三日又この地に立つ。

時代小説が好きな人は読んだはずの中里介山の大長篇小説「大菩薩峠」の名場面、御嶽神社の奉納試合、主人公の机竜之介が地ずり青眼の構えで相手を負かす、その地がここである。とんでもなく長い小説だった。中学時代不良をしつつも必死に読んだ。確か全十三巻だった。

イワナの塩焼きにキリンクラシックラガー。奥多摩は格別だ。

2009年12月25日金曜日

人間市場 クリスマス市篇


私の家の近所の家の外側が(のの字が多くてすみません)クリスマス近くなるとまるでラスベガスのネオン状態になります。

人によってはパチンコ屋さんという人もいます。豆電球が色とりどりに家を光らせます。

サンタさんトナカイさんお星さまいっぱいのクリスマスツリー、きっと子供に優しい人なのでしょうか、毎年派手になっています、きっと子供が増えたのでしょう。

茅ヶ崎鉄鉋通り富士見町バス停斜め前、サークルKの真裏です。家の形が全部光っています、一度見に来て下さい。


クリスマスと言えばローストチキンです。これがないクリスマスはサンタさんのいないクリスマスと同じです。子供の頃クリスマスになると母親がニワトリの丸焼き(現在のローストチキン)を一羽買って来てくれました。確かその当時で350円位でした(夢のプレゼントです)。


夜遅くまで働きづくめの母がそれを持って帰ると玄関を開けたとたんプ~ンとニワトリちゃんの香りがします。私は一気に色めき立ちます。ナイフとフォークを持ちいざ食わん。丸いテーブルの真ん中に一羽のニワトリちゃん、置かれた途端ガバァ~と取りかかりアッっという間にあわれ骨だけとなるのです。

刺しては切りちぎっては食べるのです。私のメリークリスマスは今日現在までニワトリの丸焼きだけで十分です。程島肉店に三羽(息子たちの分も)愚妻が予約しました。早くバタバタ飛んで来てニワトリちゃんです。

昔仮住まいをしていた事があります。とても古い平屋です、庭がかなりありました。

ある日友人が四羽のニワトリを箱に入れて訪ねて来ました。息子さんがヒヨコを買ってマンションの玄関で育てたら大きくなって、もう飼えないからと言って持って来たのです。

その日から地獄の日々の始まりです。午前三時に突然コケコッコーと鳴いたり、お隣の家の花壇をボロクソにホックリ返したり、そこら中フンをしまくりです。

ウルサイ、クサイ、ゴメンナサイの毎日です。娘と息子は始め可愛いと言っていたが、飛びかかられたりつっつかれたりして気持ちが離れてしまいました。

そうでなくても眠れない私は完全に眠れない日々です。コラッ何処へ行く、コラッ入っちゃだめだ、コラッどこへフンしてんだと約二ヶ月。愚妻は全然平気です。あなた変な気起こさないでよなんて言ってます。


精も根も尽き果てたある日の早朝、縁側に座ってアッチコッチ動き回る姿を見つつお前ら食べちゃうぞ、なんて残酷な気持ちを起こしていたのです。その時ハタといいアイデアが浮かびました。

私の所にいた凄い男が静岡の山の中で夫婦共々自給自足の生活をしている、そこなら色んな動物を飼っているから大丈夫だ、なんで今まで気づかなかったんだ、で直ぐ電話朝五時頃です。

呼び出し音十数回、もしもしと奥さんの声、あっ小夜子ちゃん進藤起こしてくれる、何かあったんですか?ニワトリ取りに来てくれ、えっニワトリ?そうニワトリ四羽直ぐ取りに来てくれって言ってくれ。次の日はるばる山の中から来てくれました。

進藤博行君、優しい男なんです。小さなライトバンに四羽のニワトリとっ捕まえるのが大騒ぎでした。それでも流石に進藤君は鮮やかな動きで一羽ずつ箱の中へ、静かにしろバタバタすんなイテテなんて言いながら。

助かったよヨロシクな、やっと静かになる疲れたよ本当に。大好きなお酒とか色々お土産に、そんじゃと山の中へ帰って行きました。

戦い済んで日が明けて、その後その四羽がどうなったか。

一羽は狼に食べられ、一羽は進藤家の胃袋へ、残る二羽は天寿を全うしたとの事でした。娘と息子にその事を伝えると、えっ食べられちゃったの?食べちゃったの?信じられない、ヒドイ、可哀想なんて言われました。

クリスマスになると思い出すのです。私を悩ましたコッコちゃんたちを。

ログハウスを建てたい人は進藤博行君夫婦をご紹介します。最高の夫婦です。

2009年12月24日木曜日

人間市場 キョロキョロ市篇

親父の目が止まる事はない。
11時半にオープンして4時半位に終わるまで、大きな目はキョロキョロ、キョロキョロ。
そして時には睨みつける。カウンターに10人位、小さな座敷に4つの小さなテーブル。ここは親子連れ用である。カウンターに子供は座らせてもらえない。どこか、私が育った町のとあるラーメン屋にその雰囲気は似ている。店の名前はサッポロ軒という。メニューは極めてシンプルである。

ここも私の育った名物店と似ている。違いといえばワンタンメンがここには無い位だ。ラーメン周辺のメニューだけである。味噌と醤油味のみである。親父の目はキョロコロ、キョロコロしている。奥さんとパートのおばさんの、計3人で働いている。

 人気があり11時頃から店の前に人が並んでいる。小さなお子様はお断りと貼紙がしてある。どこまでが小さな子なのか判らないので一度聞いた事がある、その時の親父のセリフは、自分でちゃんと食べれる子です。そうでないといつまでも席が空きませんから。小さめの体に大きな目である。魚でいうとメバルに近い。奥さんは中々見栄えが良く、愛想がいい。その日の定数が終わったら食べ止め終了、閉店である。私の嫁に行った娘や息子夫婦、又義姉の息子夫婦などは、わざわざ東京から車で食べに来る。親父と話をする客は滅多にいない。
 

ある日私と愚妻、娘と息子とで店に行った。どうも最近奥さんの姿が見えない。パートのおばさんとバイトのお兄さんの布陣である。親父はイライラしていた。
「親父さん、奥さんどうしたの最近見かけないけど」
店に置いてあるスポニチを読みながら言った。ギョロッとした目が私を見据えた。
「もうこんな仕事やだっつって店に出ないの。疲れたって。こっちだって腰のコルセット外したら立ってられないんだから。それでも我慢してやってんのに勝手なもんだよ。太極拳だが、ヨガだかしんないけど、そんなもんやったり温泉旅行ばっかり行ってるよ」


親父の話に、店の中にいたお客は初めての経験だったのかじっと耳を立てながら麺をすすっていた。スープを飲む音がいつもより皆強く感じた。親父さんもういいじゃないの。残すだけ残したんだから。私は、私が育った町の有名なラーメン店を思い出した。雑誌フォーカスに載った。現金5千万が畳の下にびっしり隠されていた店である。総額1億円以上の脱税だった。その事を思い出した。
「親父さん、サッポロ軒って言うんだからやっぱ札幌出身?」
「違います」「へぇそうなんだ」
そこへ頼んだチャーシューメンマラーメンが出来上がった。この間テレビの取材が来たから断ったよしつこい奴等だねまったく、独り言の様に言っていた。年の頃は私より4,5歳若く見えた。息子がいないからね俺の代で終わり、そう言いながら煙草を一本うまそうに吸っていた。ハイライトであった。店の中に立って待つ事は許されない。外で待つこれが掟だ。


あ~あ、俺も終わりにしたいなと言った。店内に異様な空気が流れた。
その日から2ヶ月後、お店は開かなくなった。通常、閉店するなら閉店と貼り紙が貼られるはずである。しかし、都合により暫く休業という貼り紙がされていた。皆、暫くの辛抱だと諦めた。


その頃親父は何をしていたか。湘南シーサイドカントリーの芝の目をキョロコロ見ていたのだ。何しろゴルフが趣味で、それで腰を痛めたのだという。町のタクシーの運ちゃんが、色々教えてくれた。もう毎日の様に行ってるよ、メンバーだから、他にもレインボーと平塚富士見も持ってるんだ。他にマンションを2軒、車はなんとジャガーだという。とにかくゴルフ好きなんだよ。そんな話を聞いてから、暫くでなくず~っと店は開かなかった。今は、昔いた若い衆(?)が同じ様な味を出して結構人気を保っている。
親父はゴルフ三昧、奥さんはヨガ三昧との事である(?)。フックかスライスか、親父の目はキョロコロ、キョロキョロしているのだろう。入ればきっとパーだろう。

2009年12月23日水曜日

人間市場 龍と竜市篇

坂本龍馬は司馬遼太郎先生によって、坂本竜馬になった。
「龍」から「竜」へ。
何故、この事に関しては諸説色々と書いている人がいる。

事実を見た人は今この世にいない、それぞれの人間像を描くといい。
司馬先生は竜馬にする事でより自分の思いを主人公に託したのであろうと思う。司馬先生は快男児が好きでした。私も龍馬ではなく「竜馬がゆく」に新しい日本人像を見て胸を躍らせた。

龍馬はかなり商業的プロデューサーであった様だ。自ら作った海援隊なる組織、亀山社中は正に商社であった。ある時、紀州藩の船と自分たちの船がぶつかり沈没させられた。相手の方が何倍も大きい。
紀州は徳川御三家すっかりシカトを決め込んで弁償しない。龍馬は国際公法を持ち出し、金を払わないならシカトを決め込むなら国を貰う、なんて言って交渉する。こんな所がスーパー英雄化される。
犬猿の仲の薩長に片方には銃を片方には米を、それぞれ交換させ尚かつ手を結ばせ、自分は仲介料をゴッソリと手にする。長い間の日本に欠けていたのはこの交渉術である。日本人は外人に対してつい遠慮してしまう島国の習性国民性である。
しっかりせねばいかんぜよ。腹をすえてガンバレニッポンじゃけん。相手にナメられたらいかんぜよぉ〜。

日本中米国の基地、未だ占領下である。ハイ、どっちもどっちもと盆ござの上の様にあっちがいいこっちがいいと、さぁどうするどうする、丁か半かとかしましい。何も米国の言う通りにする必要は何もない。たっぷりと思いやりをして来たのだからたっぷりと時間を掛ければいいのだ。交渉とは時間と覚悟だ。
必死と決死、剛と柔だ。「龍」の政治性と「竜」の少年性を使い分けねばならない。司馬先生が存命ならきっとそう言うのではないかと思った。勝海舟は外交とは術なんだい、先にこっちの手を見せたら負けってことよ、と言っていたとか。

来年の大河ドラマは「龍馬伝」だ。龍馬は他力を利用する名人であった、ゼネラルプロデューサーである。プロデューサーの最大の才能と仕事はどこからかお金を引き出すこと、資金を集めること。
人間たらしに優れているか、嘘つきか大ボラ吹きかである。一歩間違うと詐欺師となり御用となる。


今年、何人もの映画プロデューサーがどこかに「フケ」た、つまり逃げた。逃げられた人は出来上がった映画を手にボー然としている。どこの映画館にもかかる予定は無い。タダのフィルムである(お蔵入りという)。

さて龍馬をお蔵入りさせた暗殺の下手人は、
(一)、幕府見廻り組説 

(一)、土佐の仲間、後藤象二郎説(協力、岩崎弥太郎) 
(一)、薩摩の西郷隆盛説 等々諸説ある。古来より裏切り者はユダの如く一番近い処にいる。
おっと、危ない。あいつ、まさか俺をである。疑ったらキリがないので私は人を疑ったりはあまりしない。それはとても疲れるから。人を見たらドロボーと思え、人を見たら裏切り者のユダと思え、人を見たらカモと思え。


ある不動産会社の社長が朝礼でガナってました。その会社の社長が先日、裏切られ追放されました。当然、一番に裏切ったのは一番信頼していた人間です。

2009年12月22日火曜日

人間市場 心付け市篇

「冗談じゃないわ、三千円よ。あ~だ、こ~だと、うるさいこと言って、三千円よ。以前に親子で合わせに来た時。何時間もかけて、あれやこれや、あれとこれと、それとあっちと、こっちとそっちと。なに着たって似合うわけないじゃない。元が悪いんだから」

中年の女性はせんべいをボリボリ囓りながらぼやくことしきりです。

「まあ、私が予想するところ長くは持たないわね、あのお母さん。何様のつもりだか知らないけれど、いけ好かないったらないわ。なんでも試食会で、それはそれはうるさかったらしいわ」

三枚目のせんべいを囓る頃、女性の差し歯が少し動いた気がした。

「堅いわね、これ。ゲンコツですもんね、堅いわこれで止めとこ」

お年玉を入れるような小さな紅白の袋(ポチ袋)に、千円札が三枚畳んで入っている。新券はないがヨレヨレでもない。ここはあるホテルの結婚式場の着付け室である。着付けの際の心付け。その相場は判らないがたいていは一万円か五千円だろうと推察する。そして新券が礼儀である。絢爛豪華に着飾ってお色直し二度となると、心付けが三千円ではぶんむくれである。

「私の人生滅茶苦茶よ。今日は安く見積もって一万、ひょっとすると二万と思っていたのに。白無垢角隠し、次はウエディングドレス、そしてカクテルドレス。それにしてもパッとしないわね、今日の花嫁。こう言っちゃなんだけど、泉ピン子に久本雅美の出っ歯くっつけてさ、ホラ、いるじゃない、あの人、あの人、そうそう弘田美枝子。かわいそうね。何であ~なっちゃったのかしら。あんなに美人だったのに。」

気がつくと式の残り物のケーキを食べていた。

「泉、久本、弘田。その三人をカクテルしたみたいよね、ガハハ、ウハハハハハ」

例に出したお三方、ご勘弁を。本当に耳にした実話なのです。

「あなた、ローストビーフ持って変えるでしょ。あたしはチキンを持って帰るわ、子供が好きなの。五組ね、今日は。後、二組か。どっちもこっちもあんまし感じ良くなかったわ。でも三千円は無いと思うけど、一組はお嫁さんバツイチらしいわ」

その頃になるとヨックモックをボロボロこぼしながら、グチをこぼしてました。五千円だとここまでグチりません。一万円だと花嫁さん、何を来てもお美しい事。二万円ともなるともう、おだてる言葉が見当たりません。大言海、広辞苑、現代用語辞典が必要です。ヨックモックしている場合じゃありません。差し歯が浮いて外れる程の美辞麗句を連ねます。

何てお美しい、何て、何て、何てです。

心付けとは恐ろしいものです。人の心はお金で買えちゃうのです。定価無し、時価無し、相場有り、です。私の娘が結婚した時、そして息子が結婚した時も、家で心付けのポチ袋に一万円を入れていました。まあ、二人として二万か。そこへ無口な妻が来て言いました。

「五千円でいいのよ、十分なのよ。あなたは直ぐ人にいい顔するんだから」

「何だそのセリフは、いつ俺がいい顔したっていうんだ」

めでたき結婚式当日の朝であります。そう言われてみれば私の人生は人にいい顔するポチみたいなものでありました。

「嫌な顔するより、いい顔だろうが」

無口な妻は言います。

「お金じゃないのよ、人間なんて欲張りに付き合ったらキリが無いんだから」

「お前、滅多に口をきかないけど、たまにはいい事言うじゃない。そうだよな今日この日を迎えるまで、芸者みたいな人生だからな。そろそろ迎えの車が来るってか。それじゃ五千円でいいんだな、後は知らねえぞ嫌がらせされたって。ひどい奴はウエディングドレスなんかに針をわざと置き忘れたりするっていうからな。いいんだな」

そう念を押して家を出たのであります。

ある日、知人の病気平癒のお守りを貰おうと、江の島神社の階段を登り出しました。私の前にでっかいお尻のおばさんがフーフーしながら登っていました。ちょうど処暑を過ぎた頃です。厳しい残暑でした。お互いやっとこさ階段を登りました。おばさんに遅れること、約25歩お手水の所で目と目が合いました。

「あら、その節はどうもおめでとうございました」

汗だらけの満面の笑みです。「お綺麗でしたね、お嫁さんご立派でしたね息子さん」等々、その人は礼の言葉を連発です。「いや~、こちらこそ、それにしても暑いですね」と手を水に浸す。やっぱり五千円じゃなく、一万円にしといて正解だな。こうしてここで会うのも何かの縁だ。御守りにご利益がつけばいいな、お賽銭は千円にすっか。いや二千円か(?)

2009年12月21日月曜日

人間市場 アタリメ市篇

烏賊がスルメになってアタリメになる。

一杯の烏賊の人生も千変万化である。烏賊のままで魚屋に出ると、旨そうだな煮て食べるか。

お、烏賊のソーメンもある、ビールのつまみに絶好だな。そうだ、子供は烏賊リング揚げが大好きだったな。フライよし縁日の丸焼き最高。家じゃちょっとイマイチだな。あれはやっぱり寒川さんとか、海の家とか江の島で食べるから旨いんだな。イエス イット イズだ。新島のアカ烏賊なんか泣けるほど旨いな。知人から頂いたがああいうのには一切手を加えちゃ無礼なんだな。生身のまま頂く、これが礼儀だ。烏賊もイカした事やるじゃない。頭に来たら真っ黒い墨ぶっかけるなんて。駄洒落てる場合じゃない。


隅に置けないといったらスルメになった頃からか。平べったい板みたいになり、白い粉をふいて化粧したあたりから何故か夜の町でアタリメになって、それに何故かマヨネーズがつく(小皿に唐辛子)。おでんにカラシ、板わさにワサビ、カレーライスに赤い福神漬け、オムライスにケチャップ。いわば法律に近い関係になっている。

七輪に品川練炭を入れ、その上に網をのせてスルメを焼く。アチチ、アチチとどんどん丸くなっていく。まあ火あぶりの拷問に近い。これを又アッチチと言いながら引き裂いて、醤油、マヨネーズと少しの唐辛子を付けて食べる。秋刀魚と同じくもうその焼いている時の香りといったら日本の香りである。大衆、一位の民の宝である。大邸宅から秋刀魚とかスルメの香りが流れているのを嗅いだ事はない。まあ、お金持ちだから何か特別な装置を付けて食べておるのでしょう。しかし家で食べている時はスルメであり安っぽいもんである。

ところがこれが銀座、赤坂、六本木の夜になると、平べったくなったスルメの様子が俄然変わる。

夜の世界では乾き物である。捕られた時は瑞々しくピチピチしていても乾き物である。どこか不貞腐れた感じもする。セットで出る店は仲間に塩豆かエンドウ豆、品川巻き、ピーナツがほぼ決まりである。このセットの値段もクラブやバーによってはしたたかである。クラブ活動に慣れてない人はお通しだと思う。つまりタダだと思う。世の中タダより高い物はない。後で伝票を見ると、おつまみとは絶対書いてない。セット5000円とか書いてある。正確には判らないが、ピーナツ25個、品川巻き17個位、スルメ(ここではまだスルメ)細切り20本位である。ここで怒っては夜の街に出る事は出来ない。何しろ1本千円くらいの「いいちこ」が7千5百円~1万2千円しちゃうんだから。え、ブスがいて、何も喋らないでこっちが一生懸命笑わせて何でだろう、何でだろだよ。こう言っていてはやはり夜の街ではイケマセン。新宿のボッタクリバーじゃないんです。一応銀座、赤坂、六本木。ちょっと足をのばして飯倉、西麻布、代官山。

伝票が出る、ドキッとする。しかし、間違っても伝票なんかじ~っと見ていたらおしまいです。いくらいいスーツを着てたって、その日の内に店中の女の子にサイテーな客ね、です。基本的に伝票は見ない、金額を聞く直ぐ払う。これが夜の鉄則。私は初めての店でもまずカードで支払う事も、現金で支払う事もありません。鉄則です、法律です、全てツケです、私の飲食歴の決まりです。むしろツケの方が必ず割高ですが、ガマ口出してお札を一枚財布から金を出して飲み屋で払った事は一度もありません。気合いです、その代わり直ぐ振り込みます。それじゃこれでよろしくと名刺を出す。

スルメも一品料理で注文するとアタリメに昇格です。一品となるとマヨネーズに七味唐辛子なんかがついてきます。堂々たる一品様です。アタリメよです。スルメがアタリメになった瞬間、プライスアップ、ど~んです。銀座のちょっとした店で8千円~1万5千円の値がつきます。マヨネーズと唐辛子の露払いと太刀持ちかなり値が張ります。大体アタリメは

1本食べるのに数分間はかかります。顎がかなり疲れます。いいとこ3~5本で終わりです。ちなみにスルメはスルから縁起が悪い。アタリメはアタリだから縁起がいい、そういう事です。夜の世界は中々に洒落ているのです。高い月謝を払って憶えたのです。

2009年12月20日日曜日

人間市場 水明館市篇

石原軍団の幹部、館ひろしが岐阜県の下呂温泉は水明館でディナーショーを行ったとスポーツ新聞で見ました。
懐かしいな水明館。館ひろしの歌はどうでもいいんです。凄い下手ですから、人間はいい男、礼儀正しく育ちのいい男。
一度、渡哲也主演、館ひろし共演のテレビドラマのタイトルを付けてくれと石原プロにいた友人から頼まれ、タイトルを付けました。「代表取締役刑事」です。家に電話が入ったので、直ぐに作りFAXをした処、一発でOKをもらいました。番組の試写会場で、渡哲也さんからいい声渋い声で、いいタイトルありがとうございました、と丁寧に挨拶されました。煙草を口にするとサッと館ひろしがライターで火を付けました。昔は石原裕次郎が煙草を口にしたらサッと渡哲也が火を付けたのです。


で、水明館の思い出、名古屋から高山本線に乗って窓の外から美しい川の流れを見て、山峡の色彩の変化に見とれつつ、竜鉄也の奥飛騨慕情を歌いながら行きました。何故、それは名門水明館のグランドオープンの仕事を頼まれたからです。岩下志麻さんに出演をお願いしました。今から二十年位前です。それはそれは綺麗なる事楊貴妃の如し。ホテルオークラで打合わせした時、その姿を見た人がみんなボー然としてました(着物でした)。自分の家に帰って家の者と比べた時、その違いに愕然としたのです。水明館は名高き滝一族の経営です。

確か次男の方、滝秀行さんとは今でも年賀状の交わりをさせて頂いています。腰の低いとても気持ちのいいお方でした。益々のご発展を祈るばかりです。
岩下志麻さんのディナーショーが終わり、大きな風呂にみんなで入りました。洗い場に一人でちょんぼり体を洗っている人がいました。お尻がかなりシワシワになっているのが印象的でした。煮込み(後ろ姿です)過ぎたおでんのはんぺんみたいでした。ゴルフに行っていた頃、プレイをした後風呂に入る。そこで見る中年男のお尻。ほとんどみんなはんぺん状態です。
嫌だねぇ。ああいうお尻にはなりたくないな、あれは男の色気がないよと思いその後色々鍛錬して、私のお尻は今でもパチンパチンです。

男が洗い終わり、ある個所をタオルで隠しながらお風呂に近づいて来ました。あれえ~と大声、田中邦衛さんでした。何で何でとなったのです。奥飛騨浴場でした。水明館いいところです。
高山本線は素晴らしいです。

2009年12月19日土曜日

人間市場 ズル市篇

正直に告白します。ズルとウソを重ねて来ました。
いつか告白しないといけないと思っていました。どんなご批判も受けます。

ゴルフの話です。

崖の下、誰も見ていない、球はぬかるみの中、そっと出しました。
ボールは300ヤードは飛んでいる、しかし白杭のわずか数センチ外、中に入れました。
バンカーの中、クラブが土に触りました。木の根っ子の上のボールを横に出しました。
林の中で空振りしました。でもバックレました。実は色々やりました。
あんまり数打って判らなくなると、人のスコアをしっかり見て、勘定している友人によって違うと注意されました。ゴルフ程精神的に疲れるものはありません。自分がレフリーですから、特に一緒に行ったお客さんのウソや、ごまかしを見たり知った時は、自分の事を棚上げして裏切られた気になって重い一日となりました。

ゴルフを止めて二十年。その間一度だけもう一度やるかとキャラウェイのフルセットを買い込みました。ある年、湘南シーサイドのメンバーになりました。(結果エライ大損しました)知人、友人といざスタート、酷い事もう今世紀中には家には帰れないのではと思う程のスコアでした。
無口な愚妻が言いました。釣りから帰るといい顔してるけど、ゴルフをして帰ってくるとぐったりしてると。300ヤード以上飛ばして人よりグリーンに近くに、しかし上がってみると一番スコアが悪い。そんな事ばかりでした。
そうか、Tウッズだってかなり過少申告してるんじゃない。(愛人の事も)ズルもウソもOBも大嫌いだったウッズが、より大好きになりました。人間的に感じました。人の子だったのです。ちょっと好き過ぎですが、力が有り余っているのです。あれだけのプレッシャーの中のプレイいいじゃないのと言いたい。なんか積年の反省が晴らされたみたいだ。

石川遼選手もやがてグリーン以外のグリーンに乗らねばならない。大ファンの不動裕里さんは恋人が出来てすっかり下半身のためが無くなった。18歳の賞金王をやっつけるのはどうやら見えて来た。くの一だ。俺だけなのかなズルしたのは。もうゴルフはやりません。


そうそう、セコムの仕事を一緒にしていた私の知人が、ミスター長嶋のゴルフ友達だった。世界中どこでも一緒だったその人から聞きました。ミスターは負けず嫌いで、直ぐズルをするんですよ。球がデイポットに入っていると足でチョコット出す。あ、又やったと言うと、やってないやってないと言うんです。その他にも色々と。
いいですねーミスター。可愛いですね。ミスターはだから大好き何んです。許せるんです。ウソのない人間はウソつきです。
ズルしてますか。セコムしてますか。

2009年12月18日金曜日

人間市場 命のやりとり市篇

襖に太い楊枝を刺すとプス~と入る。

赤いトマトに同じようにすると、プス~と入る。人を刺すというのはそんな感じ、刺されるのも同じ。

アチイ、火傷した様に熱い。22口径で撃たれると熱い火箸を当てられた感じで、38口径や45口径は経験が無い。ほぼ一発で砕けてジ・エンドでしょう。

こんな馬鹿な事を一時期して来た命、人生の4コーナーを回り、何となくストーリーが見えて来た。この命どう使って捨てるかだ。車がはねた小さな石ころが額に当たって死ぬ命もあれば、ジャンボ機が落ちても生きてる命もある。この世から消した方がいい命と、何としてでも守ってあげたい尊い命がある、生と死を誰が決めているか判らない。人生とは不公平なもの、平らな道でもつまづくものと言う。

好事魔多し、良い事がある方が怖いもの男の人生はリスクを背負った方がいい。

外車、クルーザー、別荘、馬主、女遊び(?)、ドンペリ、豪邸、株、相場、競輪、競馬、競艇、オート、麻雀、博打、これ転落の述語です。私は全てなし、全てしないのです。凄いでしょ。完璧です。

実の所、博打や酒(?)は二十歳までに人の何十倍もやり尽くし飽きてしまったのです。遊ぶなら若い内、三十過ぎて遊びを覚えると仕末が悪いですから。

リスクは夢や浪漫です。見果てぬ物、決して手に入らぬ物と判っていても追うのです。頭の中で夢を追うのはタダです、原稿用紙に書くなら一冊268円、ボールペン一本120円です。

中学三年の時、先生に将来何になりたいと聞かれた事がある。

私は即座に、三州吉良の常吉の様になりたいと言った。不勉強な教師は何だそりゃと言った。尾崎士郎の名作「人生劇場」に出て来る侠客ですよと言った。教師はキョトンです。

村田英雄がラジオドラマで歌っていたでしょ、「やると思えば、どこまでやるさ、それが男の魂じゃないか、義理が廃ればこの世は闇だ。俺も行きたきゃ仁吉の様に義理と人情のこの世界」って歌ですよ。ヤクザか、違います侠客です。話は全然かみ合いません。尾崎士郎はあの恋愛武士道の宇野千代と愛し合った。恋多き千代が一番愛したのは尾崎士郎ではという説がある。ライバルは東郷青児、いや他にも沢山かな。

千代さんはとにかく男から愛され、愛した。


話がそれたがこの世は今や義理も人情もすっかり無くなってしまった。

手のつけれない不良少年は母親に連れられて江戸川のレイスポーツジムに入った。ジム創設十五年。

遂に一人の東洋太平洋チャンピオンが生まれた。その統一戦があった。育ててもらった選手は会長やスタッフから受けた恩と義理を体で返すためにリングに立つ。会長やスタッフは、何とか世界チャンピオンにさせたいと愛情を注ぎ続ける。

ボクシングが聖なるスポーツと言われるのはこのためだ。世界チャンピオンにならなければ食べていけない世界。わずかなファイトマネーでボコボコになるのだ。一歩間違うと人生が終わる。これも命だ。12月8日、後楽園ホール。四角いジャングルの中に私の応援するボクサーがいた。太平洋ライトフライ級暫定チャンピオン家住勝彦選手だ。前回の試合は二度のダウンの応酬、8ラウンドTKO勝ちだった。ベストマッチで表彰された。相手はそのまま救急車で運ばれそして引退した。ボクシングは一種の殺人ゲーム。相手を殺しても罰せられる事はない。神聖なジャングルだ。引き金の代わりに、刀の代わりにパンチを出す。12ラウンド打ち合うと八百~千発位パンチを受ける。もらうギャラと一発ずつ受けるパンチの値段を単位にするとこれ程割の合わない職業はない。決められた体重に落とすために、何も食べず何も飲まない生活をする。飽食の時代に逆行する。客は倒せ、倒せと皇帝ネロの様に絶叫する。目は切れ、鼻はつぶれ、顔はシリコンを入れた様に膨らむ。冷静に考えるといったい何が好きでと思うだろう。

ボクサーは水を断っても乾いた花では無いのだ。極めてウエットなのである。相手が向かって来る、恐いからパンチを出す、倒れたら立つなと祈る。そういった最強のチャンピオンがいた。


応援した選手は一ラウンド二度のダウンを奪ったが、流石にあいても正規チャンピオン、統一戦に相応しい好試合であった。結果は家住選手の判定勝ちであった。両選手の試合後のマナーが素晴らしかった。

帰りにみんなで水道橋のひなびた中華屋さんに入った。ラストオーダー十時半でいいですか?とオバサン。それぞれ、餃子、パーコーメン、塩焼きそば、キュウリとミミガーの千切り、カニ玉、麻婆豆腐、タンメン、ビール、焼酎をじゃんじゃんオーダー(安そうな店だったので。でも高かったな。)で、乾杯、良かったなと。帰りのタクシーの中で「やると思えば、どこまでやるさ、それが男の魂じゃないか。義理がすたればこの夜は闇さ」と人生劇場の歌を心の中で歌ったのです。


2009年12月17日木曜日

人間市場 若者市篇

友人のピート小林君の紹介で三人の若い写真家が来た。

ピート氏はかつてジャガーやアップルやサントリーの仕事で幾多の広告賞を受けた。高名な文章家であり英会話読本の著者であり、日本中の桜を撮る写真家である。近頃は日本中の案山子の写真を撮っている。

先日TBSの夜の番組V6が出演しているクマグスに、案山子クマグスで出演した。超マニアックな番組で私も必ずモニターで録ってもらって見る。


若者は二人が男、一人が女性であった。久々に志を持つ若者たちであった。(歳は三十前後)新鮮な二時間のやり取りであった。話は彼等がリーダーシップを発揮している写真家のイベント、若い感性のサミットの審査員をして欲しいという趣旨であった。私は基本的にあらゆる審査はお断りしている。

一度だけやってこりごりした。人それぞれ苦労した作品をとても選ぶ事が出来なかった。それ以来してない。

持ってきたパソコンで前回のイベントを見てくれと言われた。パッと見た瞬間、それ以上見るのを止めた。その後話を進めると、一人のリーダー格の若者がイベントも見もしないで失礼じゃ無いですかと言った。九州男児、ステキな顔立ちに怒りがわなわなと出ていた。それでいいんだ。怒る事が一番の創造になるのを知っている。外人の様な顔立ちの女性、黒いベレー帽風に黒い革の上着を着た男。三人の目をじっと見続けた。三人ともイノセント、純粋であった。私にとっての出会いは、その人達の過去ではなくこれからである。この先に何かエキサイティングな展開が生まれるか、自分の目が頼りである。ジャズでいうセッションであり、アドリブであり、舞台でいえば即興であり、ロックで言えばビートとフレーズの交差である。

過去を見てしまうと先入観が入りすぎてしまうからかえって危険だ。若者にあるのは感覚のヒダの数だ。脳しょうの騒々しさだ。残念ながら私にはその若さがもう無い。だから若さは羨ましい。小さくなって欲しくない。オリジナルを追求して欲しい。写真家は写真を撮ってもらえば一切の言葉が無くともその撮り手の明日が見える。


近々一人のとんでもなくユニークなミュージシャンの写真を撮ってもらう事にした。UCKという29歳の若者だ。彼の放つ言葉は、言葉の自叙伝、音楽の懺悔と叫び、生きる事へのメッセンジャーだ。分かりやすく言えば一人の元ギャングが妻と子と別れた。悪の道に入るか、入らないか迷っている少年少女に自分の体に示した無数の刺青を通してメッセージを送るのだ。彼は泣きそして叫ぶ。新しい音楽のジャンルを切り拓くだろう。

三人と会った次の日、友人の個展が勝どきの倉庫の中であった。そこに着物を着た美しい外人がいた。笑って近づいて着たその女性は前の日に来た写真家だった。私が帰った後、他の二人も来てくれたという。私に会えず残念だったと言い残してくれた。

UCKと三人の若き写真家。どんな作品が生まれるだろうか。とても楽しみだ。

若い感性を励ます、それが私の使命だと思っている。でもやっぱり負けねえぞ。まだまだだ。