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2009年12月26日土曜日

人間市場 奥多摩市篇



少年の頃、林間学校で行ってから好きなのである。
紅葉も盛りになった12月初旬、御嶽山に行った。性懲りもなくある夢を形にすべくイメージを求めて登った。
山の神霊を祀る修験の聖地、武蔵の国魂の天降る山。坂東平野の農業を守る神の山。
又はヤマトタケルを祀る武神の山として古式を残す。

この山に伝わる「太占祭」(ふとまにという)がある。毎年一月三日の早朝に行う。
鹿の肩甲骨を斎火で焙り、出来た割れ目の位置で様々な農作物の出来、不出来を占う。
厳冬の冷気の中で太古の様式を大切にして行う。ある本でこの占いの事を知った。その本の主人公は赤いダイヤといわれる大豆の相場師であった。その年の運気と勝負を占う為に太占祭に来る。

いつ頃からこの神社で始まったのかは不明だが、天保年頃には行われていたのではという文献がある。霊感が人一倍強い私は、長い長い石段を登る。左右には寄進された石塔が隙間無く建ち並ぶ。ひんやりとした空気の中に霊を感じる。人間の死霊ではなく動物の霊を感じる。

白い犬が元気よく石段を登って行く。一匹、二匹、三匹と犬たちは振り返り笑っている。決して吠えない。私の愛犬も真っ白い犬であった。雑種で紀州犬の血が少し入っていた。十三年苦楽を共にした、名はブッチであった。石段を登りながら思わずブッチ、ブッチと声を出した。

奥多摩の上流は素晴らしい流れだ。力強く、そして速い。水は深い青緑である。カヌーの川下りが盛んな所である。その川の辺りの大きな石に座ってじっくりと川の表情を見る。川の音と語る。頭の中の老いた脳ミソがどんどん若返って行く気がする。

この川は美男であり美女であり、知性と野性が流れの中で一体となる。均整のとれたスポーツマンとスポーツウーマンが激しいセックスを終わりなくしている様である。大きな石に一つの白い影。思わずブッチと言ってしまった。東京から車で二時間で魂の流れに出会える。錆びてギシギシになっていた頭の蝶番が強力な潤滑油を差してもらった様に一気に機能化する。正常な人間に環れるのである。都会の汚れた川に流れる病葉(わくらば)の様な体を引きずっていた自分を捨てられる。

自然とセックスする程気持ちいい行為はない。かなりの構想が浮かんで形になった。一月三日又この地に立つ。

時代小説が好きな人は読んだはずの中里介山の大長篇小説「大菩薩峠」の名場面、御嶽神社の奉納試合、主人公の机竜之介が地ずり青眼の構えで相手を負かす、その地がここである。とんでもなく長い小説だった。中学時代不良をしつつも必死に読んだ。確か全十三巻だった。

イワナの塩焼きにキリンクラシックラガー。奥多摩は格別だ。

1 件のコメント:

sakon さんのコメント...

東本さんはやはり霊感も鋭いんですね。きっとブッチは喜んでいますよ。自然とのセックスという表現がすごいと思いました。