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2010年12月24日金曜日

湘南の嵐便り 「水天宮のジュース」


目尻を治して、小ジワを消して、唇の乾きを消して、シミやソバカスを消して、耳のうぶ毛を消して、体のホクロを消して、陰毛を整えて、おへその周りのシワは全部消して、すべすべに、おへそをキレイに凹ませて、爪の割れを直して、いかり肩を治して等々20代を過ぎた女優やタレントから次々と注文がくるらしい。


友人が写真の修正会社をやっていて大変苦労しているらしい。
毎夜ふしだらな生活をしている売れっ子は特に修正が大事でありついにはCG(コンピューターグラフィック)で直し、シワ一つ、シミ一つないツルツルの顔になってしまう(化粧品のポスターみたい)


先夜ある仕事で主役を張っている20代、30代の女性と友人四人でブリシャブ、マグロシャブ、カワハギシャブを食べた。
仕事を離れた女性はストレスから解放されメイクも落としすこぶる美しく魅力的である。


今男性の四割近くが結婚せず実家にパラサイトとなっているらしい。又、女性も三割以上が結婚しない。ウエディングを迎えるのは約三割のデキちゃった結婚であるというではないか。

※写真はイメージです


デキちゃったなんてほとんど酒の席の後の間違いである。

実は大嫌いな男女がすっかり酔っ払って気が付くと全裸になりラブホテルに一緒に寝ている。女性は明け方痛い頭を擦りながらカーテンのこぼれ陽の中に異様な男のヨダレ顔を見る。キャー、ギャー、イヤー。慌てて友人にメールする。
友人も又どこかで同じ様になっている。エー、ウソー、ホントー。

※写真はイメージです


そのままだったのか分からない、でもそうみたい気持ち悪い、毛深い、クサイ、ダサイ、サイテー、もう死にたいウワーと叫ぶが前夜一発心中、貴重な命が宿ってしまった。
堕ろすに堕ろせないと迷っている内に五ヶ月、つわりは酷く会社は休みが多くなっていく。いよいよお腹が出て来た。そして退職だ。


あーあなんて事、よりによって目やにはあるわ、歯は汚いわ、服はダサイは爪はいつも伸びてる、靴はなんとクラリーノ、服はコナカか青山、ブランド志向の私が何でと頭を抱えるがお腹の中の小さな命は確実に命を育んでいる。お風呂で動く、乳房は大きくなり、乳首は黒ずんでくる。そして母性は目覚めてくる。私の赤ちゃんだ。

でもあの男に似ているかもとゾッとする。


男がガラガラを買って来たり、竹細工の小さなロッキングベッドや何やからを毎夜毎夜買って帰ってくる。小さな毛糸の靴下、ベビーパウダー、赤ちゃん読本、いつしかプライドの高い女性の心は開き始め、区役所に行き母子手帳を貰うと思わず涙ぐむ。

あの合コンの一夜、もっとも嫌いだった男の知らない間の一夜。ベッドの下に脱ぎ捨てられた黒のショーツと黒のブラジャー、本当はあの人のための勝負下着だったのに。


コンビニのTシャツとコンビニのパンツの男。
何のために国大の文学部まで出たのかと思い未だ一度しかないSEXの恐さを知る。


二人の親と水天宮にお参りし帯を貰う。不思議にカメラを持つあの男にいいようもない愛しい思いが湧いてくる。何故か分からない、ただとてもいい人に思えて来た。
二人でピースサインを作って写真を撮った。ジュースを買って来てくれた。これが結婚なのかと思った。


今夜はクリスマスイブ、又忘年会の最後のヤマ場アルコールが入る夜、ビックリするような朝をとんでもない姿で迎えない様に気を付けて下さい。


今年のブログは今日にておしまいとさせて頂きます。来年111日より始めます。どうか皆様良い年を迎えて下さい。

2010年12月22日水曜日

湘南の嵐便り 「ノーベルは終わり」


ノーベル

ノーベル賞はノーベル本人がダイナマイトを作り本人の意志と違って戦争の道具になってしまったので、しまったこんな筈ではなかったと自身の賞を作った。
そこまではいいとして今のノーベル賞はまるでアカデミー映画賞の如くである。


科学者や物理学者はともかくなんで平和賞、文学賞があるのに映画賞や陶芸や建築や彫刻や絵画賞がないのか。何もかも不可思議になってしまった。


ノーベルの残した資金は様々に投資されたりして維持されている。
例えは悪いがかつて戦争反対をして命を掛けた日本共産党が何で自民や民主より遙かに多い250億近いお金を持っているのか。

エスカレーター付きの党本部にいる事が出来るのか、どこが貧乏人の味方なのか90歳頃まで赤旗を配っていた亡き母になんと説明出来るのか。戦争反対を叫び治安維持法に反対し続け投獄を繰り返した貧乏弁護士の亡き父になんと説明出来るのか。

ノーベル賞の晩餐会
ノーベル賞の途方もない晩餐会のパーティーを見ると心からこれでいいのかノーベル賞と思った。まるでドイツのヒトラーやかつてのソ連の共産党が豪華なパーティーをしている様であった。ノーベル賞は確かに素晴らしい才能と人類への貢献である。
科学と物理と医学、この三つだけで十分なのであると思う。


モンドセレクション金賞なんて受賞しない方が難しい賞であり金を払って参加すれば殆ど受賞できるというではないか。

日本人ほど賞の好きな人間はいない。もらう事ばかり考えないで、建築工芸と(宮大工)とか庭師とか屏風絵師とか左官とか石工とかに世界中に参加させる賞を作り世界をリードすればいい。


私がそもそも不公平で気に入らないノーベル賞は生きていないと受賞出来ない事だ。
徳川家康が弱虫で疑い深い人間だから70数年長生きした事に歴史的意味が生まれた。ならば長生きし天下国家を動かす人間に徳川家康賞を作ればいい。
キリシタン大名で最後までイエスキリストを信仰しその最後をフィリピンで迎えた戦国大名高山右近にイエス大賞を作ればいい。人々の心の平和を願った法然、蓮如、親鸞賞を作ればいい。
だがしかし世界中では誰も知らない。


タキシードに老妻を従えもう早く帰りたいと言った科学者がいた事が救いであった。
もうノーベル賞の役目は終わった。アカデミー賞を作ってアメリカ映画が衰退した様に確実にノーベル賞によって物理、科学、医学は商業化が進み進歩が歪んでしまう。
文学賞とか平和賞とかまるで意味が無い。


ならばイエスキリスト、チャーチル、スターリン、毛沢東、周恩来、ルーズベルト、ドゴールはノーベル平和賞だろうか。宮本顕治はノーベル平和賞だろか。すでに政治利用されている。小さく静かに音も無く食べ物もなく一杯のワインかペリエ等で乾杯、勿論自腹でいいのである。


名もなく苦しく、悲しく、切なく家族と国を思い捕虜となり平和のために骨と皮になり死んで行った平和愛好者は数知れない。



名浪曲師三波春夫は捕虜収容所の中で明るく歌って勇気を与えたという、これこそなんと心得るかを論じろと言いたい。
あんなとんでもない豪華な晩餐会で飲むシャンパンや料理が美味かったなんて言ったらその人はお終いである。

2010年12月21日火曜日

湘南の嵐便り 「世界のオザワと魚久の粕漬け」


岩城宏之さんという指揮者が亡くなって四年になる。
亡くなる前だったと思うがその年の暮れにベートーベンの第九を約十時間位にわたって指揮をした。第一、第二、第三と進めながら控え室で酸素ボンベから酸素補給をし続けていた。命懸けであったのだ。

そしていよいよ第九、合唱付き「歓喜の歌」だ。人みな歓喜を迎えよとクライマックスとなる。


その岩城宏之さんがある人との対談で子供達からオーケストラの指揮者って何でいるんですかと聞かれて言葉を失ったという。
私も実はある年までそう思って来た。沢山演奏者が居るが誰も見てないし、例え居なくても問題ないんじゃないのと思っていたのだ。


指揮者が変われば同じ曲も全然違ってしまうという意味が分かっていなかった。
指揮者が作曲の中にある心をどう理解するかでオーケストラの演奏は一変する。仮に100人の演奏者の内一人の奏者が音を外すと指揮者は直ぐに分かる絶対音感を持つ。
リハーサル中その人を指さす、外しちゃ駄目よと。バーンとシンバルを鳴らすと違う違うそんなに強く叩いちゃ駄目、何故なら戦いに破れた様な気持ちなんだからと。


もっと静かに部屋の中に幽霊が忍び込む様にだよ、人の心の妖しさなんだから等々ひとつひとつの音符を指揮者なりに理解、発展、進化、変化させたり、新しい解釈を加えたりするのだと知った。

奥村土牛の富士
富士山を100人描いたら100人違うのと同じだ。奥村土牛の富士、横山大観の富士、梅原龍三郎の富士、中川一政の富士、片岡球子の富士それぞれ全く違う。
私も富士をよく描く。自分の富士が一番だと不届きにも思っている。
片岡球子の富士


食道癌を手術した小澤征爾がNYカーネギーホールで40分間ブラームスの交響曲第一番をサイトウキネンオーケストラで指揮した。
その姿に死を覚悟した武士の姿を感じた、テレビのニュースを見て涙が止まらなかった。
丁度知人から頂いた「魚久」の京粕漬けの鮭とイカを食べていた。大好物の上手さに涙も出たがしばしテレビに釘付けとなった。



目の前の愚妻はあなた泣いてんの?WHY何故?みたいな顔をして無言で箸をすすめていた。「感動を知らない奴」だなというと何でも感動しすぎよとつれなく言い放った。
ついさっきまで魚久は最高だ最高だといって感動してたじゃない。



無礼者、粕漬けと小澤征爾を一緒にすんなこのボケカスと言って会話はお終い。
生きる目的を持っている人間の凄さを世界は見た。サザンオールスターズの桑田佳祐が再起したらもう涙の大洪水となるかもしれない。深夜一人桑田さんの一人紅白歌合戦のDVDを観る事とする。一人で何と紅白に出る全員の歌を唄った三時間以上のDVDだ。

2010年12月20日月曜日

湘南の嵐便り 「三行半」



必要ないモノ要らないモノはすっぱり捨ててしまう「断捨離」というのが女性の中で流行っている。「新・片付け術」ともいうらしい。
想い出の机、想い出のタンス、想い出の椅子、想い出の夫婦茶碗、想い出のベッド、そんなものをどんどん捨ててしまってスッキリさせるのだ。


今、「メール離婚」という行動が行われ始めたという。
ある日会社や仕事で働いている者に、あるいは競馬場やパチンコに興じている者のメールに「もう別れたいの、もうやっていけない、もう我慢も限界」。30代妻の三分の一が「メール離婚」で行動を起こすのだ。

かつては「愛してる」なんてやりとりをしていたメールに、「あなたはもう要らない×」とか入ってオジャンとなる。
大体実家とか友人宅や旅先から送るらしい。これを現代の三行半というらしい。

昔の三行半

「三行半」とは、離縁の際に夫が妻の家族に出した離別状の事。
離婚を決めたという宣言と妻の再婚許可が三行半にまとめられたからそう表現された。やっとこさ60年で定年、これからゆっくり自分の好きな事をやるぞと思い公園でブランコなどに揺られていると「あなたと第二の人生まで一緒にいたくはありません」などとメールが入りブランコから放り出されるのだ。

60を過ぎた女性の6割以上が離婚を考えるという。
その逆に6割以上の男は妻に側にいてほしいという。結婚は目利きの問題である。



私はテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」が好きである。目利きを頼まれた人達は二ヶ月以上時間をかけて真贋を見極めるらしい。茶の湯の世界では二種類の目利きが存在するという。

良い道具をコレクションする数奇者と道具の売買で収集を仲介する道具商だ。
目利き40年の中島誠之助の著書に「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」というのがある。
世の中はニセモノだらけ。8割から9割はニセモノ、ネットオークションに出回る物はゲテモノ。目利きの骨董商は実は優れた贋作師であるという。
骨董の世界では「ひっかける、ひっかかる」という言葉があるという。


「断捨離」の思いも、「メール離婚」ももとはといえば選ぶ相手や選んだ者の目利き違い。
あの日引っかけたら上手く引っかかって来た、その結果なのかもしれないのだ。


ちなみに千利休は目利きだったかという問いに千利休は自ら美の創造をしたのだから目利きは重要ではなく、利を得る手段だったのだろうという答えをしている人がいた。

結婚もただのモノとモノとの出会い位に考えておいた方が何とか上手くいくものなのだろう。相性具合が良ければ終生離れないかもしれない。
暮れの大掃除のついでに捨てられませんよ。

2010年12月17日金曜日

湘南の嵐便り 「星はなんでも知っている」


誤解なき様に願いたいと思う、決して差別語として言うのではなく過去の歴史として書く。


戦前戦中日本人は中国人を「チャンコロ」、韓国人を「チョンコウ」、ロシア人を「ロスケ」と言っていた。中国人、韓国人に与えた差別と苦悩とそれが生んだ日本人への激烈な怒りは永遠に消えずそして忘れられる事はない。
何故か広島長崎に原爆を落とした米国人に日本人は怒りを感じていない。


かつて日清、日露に勝って軍国主義に走った日本は中国、ロシア、韓国に勝った勝ったと日の丸を振った。喧嘩の結果は最後にどっちが勝っているかでその歴史が定まる。
最高の戦い方は戦わずして勝つだが、次に退却しながら勝つというのがある。
ヒットアンドアウェイだ。


ある調査によると今米国への留学生の一番はダントツに中国であり、次にインド、韓国、カナダ、台湾と続く。日本は13万人近い中国の6分の125千人ほどでありずっと減り続けているという。東京大学などは世界ランクで言えば25位辺りを彷徨いている。

何が言いたいかと言えば日本はあらゆる分野で圧倒的に中国や韓国に負けているのである。やがてインドやオーストラリア、サウジアラビアやメキシコ、トルコにも抜かれて行くだろう。

かつて明治維新を起こしたのは各藩が優秀な人材をどんどん海外に留学させた事から始まった。日本ほど教育熱心な国は世界中でなかった。
特に各大名が作った藩校は素晴らしいシステムだった。
藩士の個性を活かし、なけなしの金を出し合ってでも人材を発掘育成したのだ。


今、この国では絵画、陶芸、彫刻、建築、鍛造、染織、漆芸等およそ芸と名の付くものは食べていけない。まして私が愛する映画などは以ての外間違っても食べていけない映画屋の妻は売春に風俗に、愛人はコールガールに、女は人身売買をやってもらわないと映画は作れない。愛と芸術は昔から背中合わせなのだ。


私の体なんてどうなってもいいのよ、あなたが作りたい映画を作ってくれるなら、あなたと一緒に死ねるなら一緒に死にましょ、それであなたの文学に役に立つなら。私が人のおもちゃになればいいんでしょそれであなたがいい絵を描いてくれるなら。
なんて物語が真実あったのだ。


形は違うが誠に教育の行き届いた女性教育があったのだ。
身を粉にして愛した男に尽くす、例えその男の体中に刺青だらけ、指は何本かなくても。私が知っているいい女は男に体を張っている女だ。



「なめたらいかんぜよ」といった映画があったが男の人生で女にあんたのためなら「死んでもいいぜよ」と言わせたら万感胸に迫り笑って死んで行ってやれるものである。器量のある女と器量のない女の教育の差は勉強や学歴や家柄でなく静かなる愛の戦いである。あなたと生きている間は絶対笑わないわ、しっかり死んだらきっと笑ってあげる。
私が生涯惚れた男は強かったと確認したらね。


そんな女が少なくなった。日本女性程世界に誇れる健気で気高い女性はいなかった。
がしかしその面影は消えていっている。教育の再生には最低でも50年はかかる。かつてお乳を触られただけで舌を噛み、唇を奪われただけで吊り橋から身を投げた日本女性の姿はない。


保険金をかけて次々と男を殺す女の姿はぶっとくしぶとい。ああ男はなんと弱気生き物になったか。枕元に鉈を持っている女の夢を見て飛び起きた。それは誰であったかはいえない。



「星は何でも知っている、夕べあの子が泣いたのもかわいいあの子のつぶらなー」なんて歌が夢の中に流れていた。初めてのキッスの夢だったんだなんて。

2010年12月15日水曜日

湘南の嵐便り 「しりとり」


あほ、ほも、もだえ、えごいすと、とんま、まんこ、こじき、きもい、いじめ、めろめろ、ろんぱり、りんびょう、うすのろ、ろくでなし、しがらみ、みからでたさび、びじんはくめい、いろきちがい、いくときはいって、てんぱっている、るいじんえんなみ、みじめ、めんくい、いくじなし、しみったれ、れいぎしらず、ずぼら、らくしょう、うんこ、こけ、けじらみ、みすぼらしい、いんきくさい、いいきもち、ちぶさ、さっきまでかこ、こんどうむ、ぶうたれる、もう止めようつまんない。



なんて変なしりとり会話をしていのはある日の電車の中の若い女の子。
二人ともお化粧をしながらだ。


しりとりのルールは食べ物とか動物でなく気持ちの問題とか。
一人は無かったまゆ毛がかき出され、一人は無かったまつ毛がパッチリしていた。
膝元にお化粧道具だらけ。

どーもでーすと携帯で話し始める。
ゴメンス、今日はオッケース、よろしくでーす、と言葉の終わりは必ず「す」か「ス」で終わる。


段々我慢も限界に近づいて来た。いいじゃん、いいじゃんと大笑いをしている阿呆ヅラを見ていたら頭の中でプッツンと音がした。


オイ、電車の中で化粧したり電話をするんじゃないぞと言ったら、えー何それ何怒ってんの、コワーイスねと言われた。何だか自分の方が寒い気分になってしまった。
オジサンゴメンスと言って二人は品川で降りて行った。プーンと化粧の臭いがした。


オジサンか、そうだ俺はあの子達から見れば信じられない感覚のオジサンなのだ。
孫達と動物や食べ物のしりとりを楽しんでいるオジサンなんだ。

新橋に着いて階段を下りて行く足取りが妙に重たい気になった。
そうだ佐渡出身の名物オバサンに靴を磨いてもらおう、そう思って靴のお化粧をしてもらった。オバサンの最後の仕上げはシームレスストッキングだ。


それでグイグイ磨いてくれると靴がピッカピカに若返った。500円を払って又ねと言ってオバサンと別れた。官庁が終わったら今年も終わり、お正月は久々墓参りがてら佐渡に帰ると言っていた。そしてその日は始まった。

※写真は全てイメージです

先日東本映画のお問い合わせを頂いた方へ

ブログ上で失礼いたします。
頂いたメールに返信しましたところ、送信エラーになってしまいお送り出来ない状態です。


このポストを見ましたら一度ご連絡いただけたらと思います。




宜しくお願いいたします。
担当 上原

2010年12月14日火曜日

湘南の嵐便り 「心の戦争」


三年がかりで放送するNHKの「坂の上の雲」が始まり二年目を迎えた。



まさかNHKは今日の政治情勢を考えられなかったのだろう。
日本と中国、日本とロシアはかなりデンジャラスになって来た。
あっという間の中国の台頭も読めなかった。


私は司馬遼太郎ファンである、特に「街道を行く」のファンである。
正直「坂の上の雲」は好きでない。司馬遼太郎は市井の民の悲嘆や哀切な恋愛や弱き人間の苦悩は書かない。英雄や成功者を題材にしたものが多い。
どちらかというと講談的活劇作家である。(エッセイ、紀行文は最高だ)


具合が悪いことにNHKのニュースでアジアの危機を語った後に日清戦争や日露戦争を主題にした「坂の上の雲」が流れる。戦争賛歌の如く明治の英雄?達がどんどん登場する。“杉野はいずこ”の広瀬武夫、皇国の興廃この一戦在りの秋山真之。
戦場で馬上盃を楽しむ秋山好古(司馬遼太郎はこの人物が坂本龍馬と同じ位好きだったとか)二百三高地で失敗を続けた乃木希典(司馬遼太郎は大嫌いであった様だ)。
戦略戦術の天才川上操六や児玉源太郎、西郷隆盛の血を引く大山巌。次から次にテレビに出てくるのを見ていると何だか時代錯誤を感じてしまう。そう思っているのは私だけだろうか。莫大な予算と時間をかけて今何故東郷平八郎なのか、山本権兵衛なのか、本当に日本の夜明けだったのか。

伊藤博文

坂の上に待っていたのは悲惨な戦争を生んだ軍国主義の全盛であった。
日清戦争は伊藤博文(大の女好き)の女遊び代稼ぎという説もある位だ。
日露戦争は山縣有朋の庭作りのための荒稼ぎ説や井上馨の遊び代の説もある。
今年も残り一ヶ月を切った。今年程日本中がハチャメチャ、グシャグシャ、デタラメ、そして信じられない心の戦争時代はなかった。


民主党の議員中国の要人九人がゴルフコンペをやってプレー代を中国が支払ったなんて司馬先生が生きていたらきっと怒り心頭になってしまっただろう事が起きている。
北朝鮮にはハニートラップ(デヴィ・スカルノと同じ世界の要人が来ると夜を楽しませる)のリストや海外要人が楽しんだ証拠写真がたっぷりあるという。


世界中の秘密情報がバシャバシャネット上に流れる、この流れはどうにも止められない。我々一人一人も国家から監視されデータ化されている。ブログもメールもみんなキャッチされているのだ。私はそれが分かった上で行動している。

シェークスピア曰く「人生は選抜の連続である」自分の意志で自分の在りかたを選択しようと日々務めているのだが悩みは尽きない。才能がついて来てくれない。だがしかし自ら戦いを選択していくのだ。


来年も「坂の上の雲」をやるというが来年この国がどんな形をしているか分からない。
坂の上には想像を超えた地獄が待っているかもしれない。



酷いニュース、あまりに情けないニュースが洪水の様に毎日流れる。
韓国映画「黒く濁る村」を観た。そのコンセプトは「人がほしいままに隣人を襲い、策略を巡らせた場合、この者を私の祭壇のところにでも連れ出して殺さなければならない」(出エジプト記)隣に居る人は果たして善人か、自分は果たしてどうであろうか。人間は恐い。
性の快楽道具として扱った女の果たした目的とは。凄い映画であった。
その夜の「坂の上の雲」のなんと呑気な事か。

2010年12月13日月曜日

湘南の嵐便り 「先生とフェロモン」


業界の大先輩であり日本を代表する高名なデザイナーの方から電話があった。
久し振りに会って顔を見たいんだよ、時間あるかなと息子さんが私の会社に居た時、結婚の仲人をした、私達は先生と呼ぶ。

先生は英国仕込みですこぶるダンディである。
逗子に英国風洋館を持ち、駅前にビルを持ちジャガーに乗っていた。
先生は決してお金儲けに興味が無いがバブルが弾け悪いファンドマネジャーや銀行等にダマされあっという間に全財産を失い自己破産をした。
以来先生の心身はすっかり抑うつ状態になってしまった。


電話の声は私が同じ様な気分になっていた時以上に暗く重かったので不吉な予感がして直ぐ次の日の夜食事でもしましょうという事にした。

先生はダンディであったが元気なく、いやー久し振りと約束通り夜六時半に来た。
先生何食べましょうかという事になり、久々に銀座のお多幸でおでんでもいかがですかと言うと、先生はいいねおでんと言い並木通りのお多幸に行った。



カウンターのある一階は満杯で二階に案内された。二階もほぼ満杯であった。
とりあえずお刺身の盛り合わせ、串カツとイカフライ、マグロのぬたそして仕上げにおでん盛り合わせを頼んだ。先生はウィスキーの水割り、私はお酒を頼んだ。



先生はいやー大変な世の中になったねと言った。
かつては世界中から仕事が来ていた人である、しかし不景気と共に仕事は激減した。
老人介護とか老人施設とかかなりネガティブな話で始まったが私の大風呂敷を広げたハッタリのある話に少しずつ元気が出て来た様であった。


九時少し前にお多幸を出てタクシー乗り場に向かって歩き出して約五分、こんな時代でも銀座のクラブの中では元気のいい店の前に居た。
新作の映画はその店のオーナーの義姉を主役に使って1211日渋谷で完成試写会をやるので先生最近若い女の子の居る処で遊びましたかと聞くと、全然ないよという。

※イメージです

だったら若くてピチピチした女の子と飲めば元気になりますよと言って店に入った。
身内同然の様な店(私の兄弟分の店)なので入ったらワァー、キャーとなりすごい美人ですごいボイン、早稲田の学生、元ヤクザの女性(今度オールヌードの写真集を作る予定)が先生を取り囲んだ。20代の女性の威力はやはり凄い。

先生は無口だがみるみる元気が出た様であった。
やはり男は女性のフェロモンが一番だ。気が付くと11時を過ぎていた。

店を出て銀座四丁目まで先生と歩いた。
いやー今日は楽しかったよ、何だかヤル気が出たよと言ってくれた。
気が滅入ったらいつでも又お会いしましょうと先生に一つお願いをしてお別れした。



おでんと美女達でお世話になった人が元気になってくれればいい夜だ。
その夜銀座は殊の外暖かであった。


完成試写会には美女軍団もスッピンで来るという。素顔の付き合いこそ本当なのだ。
未だ声がガラガラしていたが65歳でジーンズの上下、ブルーのショール、渋い声でいい感じなんておだてられて恐い請求書を待つ事になる。
男から遊びを取っては生きていけないのだ。
「抑うつ」に一番の良薬は若い女性といい女のフェロモンだ。

2010年12月10日金曜日

湘南の嵐便り 「うんざりの中に宝」


私の事愛してる、うん死ぬ程愛しているよ。人に殺されても、うん勿論、どんな掟を破っても。うん、それじゃ一度殺されてみてというテーマを映画にしてみた。



一万円札大好き小銭大嫌い、ブランド大好きそんな心貧しき万札主義者の哀しさを映画にした。身の丈に合わない人生を歩む先には不幸しか待っていない。
どんなに背伸びしても血筋は争えない。一万円が120円に及ばない事を映画化した。


東大、京大、一橋大、早稲田大、慶應大、学習院大、上智大、青学、えっそんな連中がという連中が我々小さな会社にゴマンと面接に来る。

地方の国大とか名も知らぬ大学はうんざりする程来る。
だがしかし真の人材はこのうんざりの中にいるものなのだ。それを発掘するのが面接だ。

※イメージです

一万円札と120円どっちがいいかと言えば勿論みんな一万円札というだろう、しかし自動販売機のお札の所が故障、120円ないと飲料にありつけないとなると場面はどんと変わるのだ。

学歴優秀、家柄優秀、だけどなんで会社に入れないのというとまず書類でそして次は面接で落ちる。ドアを開けて入った瞬間に分かる。まずオーラが出てないと第一、第二志望の会社には入れない。で、私どもの様な場末の会社にまで来る。しかし全然まるでオーラがない。一銭の金を出す価値が見えない。志がなく人生の目的も夢もロマンもなく、酒も飲まず女遊びもしないという。
文学に暗く、絵画に疎く、当然陶芸や染色まして映画もレンタルで時々観るしかない。AVを見て手コキを毎日毎日する。



東大なんて半端な気持ちで入ってしまったばかりすっかり駄目になり、上智などでナンパを覚え(ちなみに学校から下へのグランドに行く坂をサック坂などという)まあ青姦坂だ。
聖イグナチオ教会はどんな悪さをしても悔い改めれば許されるというクリスチャン程都合のいい教えはないといえる。(上智の学生がいいました)


その昔隠れキリシタンに私は心から感動し涙を流し長崎や天草に行って無宗教ながらその意志力、信仰力に敬意を表した。




遠藤周作の「沈黙」「深い河」に人の心の在りかを探したものだ。

君、最近どんな女の子と寝たかと聞くとビックリし、どの小説でオナニーしたかと聞くと言葉を失い、どの映画で殺意を感じたかと聞くと動揺を露わにし、最近博打で幾ら負けたかと聞くと口を閉じる。ところで君はどこの大学を何のために出たのと聞くと言葉を失う。

学歴なんか関係ねえよ、遊んだ人間しかうちは入れないと言うと汗びっしょりで帰って行く。多分携帯でパパ、ママ、ジジ、ババ、サイテーの会社だったよ僕は凄く傷ついたよ、とこんな子は永遠に志望の会社に入れない。突き出せ、放っぽり出せだ。

一人で暮らし、一人でメシを食べ一人で生きていく逞しさを持たねばこれから世の中は絶対生き抜いて行けない。
いい年をして親の家に住み着いているのは単なるパラサイト、共生虫だ。
親が退治するしかない。

あっという間に30になり40になってしまう。
ジ・エンドだ。まず女の子にはモテナイ事間違いない。放り出せだ。
それが一番の親の愛情だ。


万札より120円を大事にする人間になって欲しい。
お父さんお母さんは一生懸命ストレスと戦っているのだから。