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2011年1月12日水曜日

湘南の嵐便り 「正月に想う」


正月観たテレビは主に箱根駅伝とラグビーだけであった。
勿論ニュースは見たがこれは楽しむためのものではない。今やテレビはその役目を終えようとしている。本格的地デジ化となるとただの電視箱となる。


どのチャンネルをだしてもまとめてドンみたいにお笑いやオカマやニューハーフやフグの巨大化した男だか女だか分からない生き物がペリカンの膨らんだ口、顎袋みたいな顔から毒を出す。バラエティという名の異様な番組。


もう馬鹿を通り越して大馬鹿になるように仕掛けられたチンドン屋さんには失礼だが(この人達は立派な芸人)家の中に土足で入り込んで来たチンドン屋系の悲しくも哀れな芸人の集団である。

世の中はネット帝国という見えない帝国に確実に犯されている。
そしてこの帝国は決して滅亡する事のない世界史上初の帝国である。歴史は創った者によって滅びるという格言が正しければ間違いなく人間社会、地球社会はネット帝国によって滅亡させられる。誰も信じられない、何も信じられない。

かつてピーター・ドラッカーが云った「断絶の時代」が変形して形となってしまった。
恐ろしい社会の中に我々は入った。テーマパークのお化け屋敷の何十倍も恐い社会だ。汝隣人を愛せではなく、汝隣人を疑えなのだ。


そして巨大な隣国中国は日本中の山と水を買い占め始めている。見えない処で動いている社会の現実。それはテレビ、新聞等で見られ読まれている世界と情報ギャップは大きく恐怖を通り越して処刑を待つ死刑囚の如くである。

※写真はイメージです
徹夜して福袋を買うために行列して飛びつくオバサン達を見るといよいよこの国の終わりを感じる。元々20004000円のカニを10000円位に値付けして、さあ2000円だ持ってけドロボーみたいに売り込む人間達。分かっちゃいるけど止められない人間。


で、まあ、そんなこんなうんざりしあきれ返りながらTSUTAYAに行って鬼平犯科帳をごっそり借りて来てずっと観ていた。このドラマには一話ずつ教えがある、人情がある、食がある。善と悪に対する意志がある、物事に対するケジメがある。


私はこれからの社会は「逆化」すると思っている。「男と女」「善と悪」「高と安」「大と小」「旧と新」「街と村」「富と貧」「強と弱」「常識と非常識」すべてが逆化し始めるだろう。既に「テレビとネット」は逆化した。「男と女」も逆化した。値下げ競争をしている企業は滅び始める。新たな「逆化価値社会」が生まれ始める。

かつて栄華を極めたカタカナ産業はワーキングプアとなり、医者になるなら歯医者が一番といわれた歯科医は続々と医院を閉めている。信じられない「歯医者復活戦」である。

(※ちなみに私が通院している銀座鳩居堂裏の「深水歯科」は先生もスタッフも最高でオススメです)


「小児科」も同じである。中でもジゴロ的ジャーナリスト、たかり的ジャーナリストなどはネット帝国の出現でただのスケこましとなり果てている。


新しき年、まず一人一人が自分を見直すしかない。
自分のオナラは人のお尻からは決して出ないのだから。

2011年1月11日火曜日

湘南の嵐便り 「つもり人間」


新年明けましておめでとうございます。本年もこのブログを宜しくお願いいたします。


賀状を出すつもりだった、ちゃんと作るつもりだった、御礼をするつもりだった、お詫びするつもりだった、読むつもりだった、見にいくつもりだった、手紙を出すつもりだった、お見舞に行くつもりだった、会いに行くつもりだった、励ますつもりだった。

世の中大概の人はつもりだった人間だ(私も勿論そうだが)。

水嶋ヒロ(本名齊藤智裕)がポプラ社の大賞を獲り、賞金2000万円を辞退した。
いいではないか、何か文句あるのかといいたい。書くつもりだったのを実行した事が素晴らしい。100万部売れている、素晴らしいではないか。



ゴーストライターがいるのではとか編集者が書いたのではとかやかましい。
今、世の中に出ている新人作家なんて出版社に持って行けばみんなボツ。ちょっと面白いぞと編集者が見抜けば(氏素姓、人生の歩き方に対して等だが)後は編集者が段取りをつけ書き手を用意してくれる。本人の書いた元の原稿なんて真っ赤っか、空の雲の上の様に朱が入り元の原稿がほぼなくなる。誰でも始めは新人である。


ただ優秀な編集者?がたった一行に、わずかな状況描写に、人物や人生や死生観や体験に興味を示すモノがあればいいのだ。だからモノ書きになりたいという志を持ったらまず「書くつもり」ではなく恥を承知で書いて書いて恥をかいてかきまくるのだ。

猿のなんとかみたいに頭がボー然となり思考回路が変わり果てる迄、指にタコが出来るまで書きまくる。何もしない者共は批判ばかりする野次馬、暇人達だ。
せいぜいテレビの前にかじりつきお茶を飲みながら煎餅などをかじり、お尻をぼりぼり掻きまくっている。私だって書けるわとか、下手くそだなどうせ誰かが書いたのだろう俺だって書けば書けるさなんて言う「カゲロウ」の様な人間達なのだ。


文藝評論家ほど(なんとなく小林秀雄、江藤淳、奥野健男あたりは別として)いい加減な連中はいない、斜め読みで終わり。出版社から概要をFAXかなんかで送ってもらってから読むだけ。で。出版社書評は褒めるのけなすのなんて指示を受ける。
モノ書きになれなかった「つもり人間」の成りの果てだ。


本なんて読んだ人が面白いと思えば面白い、つまらないといえばつまらない。ためになったし少し物知りになった。若い女性と恋愛したくなった。
古女房(駄目亭主)でも今夜はするか、そんな思いを読者が持ってくれればそれでいいのだ。難解な本は難解な人に読んでもらってしまう事だ。


誰だって小説家になれるのだ。書くつもりでなく一行でも二行でも書けばいいのだ。
水嶋ヒロがあんまりカッコよすぎてジェラシーを感じている悲しき人々よ、今日からせめて日記に一行でも書きなさい。ずっと続ければ積もり積もって立派な本が生まれるはずだから。歴史小説とか戦争小説とか宗教とか哲学とかに挑戦するには山ほど資料を読まねばならないが「私小説」は紙と鉛筆一本あれば十分なのだから。

この頃純文学、私小説が生まれない。近々私は挑戦しようかな思っている「つもり」である。
先日、近所の開高健記念館に行ったら既に大先生より十年近く年を食っている事に気付いた。何たる才無き人生、何たるナマケ者であったかを思い知った。
「明日世界が滅びるとしても今日あなたはリンゴの木を植える」そんな教えを書いた葉書を100円で買った。

今年こそ「つもり人間」から自覚して何か行動を始めましょう。

2010年12月24日金曜日

湘南の嵐便り 「水天宮のジュース」


目尻を治して、小ジワを消して、唇の乾きを消して、シミやソバカスを消して、耳のうぶ毛を消して、体のホクロを消して、陰毛を整えて、おへその周りのシワは全部消して、すべすべに、おへそをキレイに凹ませて、爪の割れを直して、いかり肩を治して等々20代を過ぎた女優やタレントから次々と注文がくるらしい。


友人が写真の修正会社をやっていて大変苦労しているらしい。
毎夜ふしだらな生活をしている売れっ子は特に修正が大事でありついにはCG(コンピューターグラフィック)で直し、シワ一つ、シミ一つないツルツルの顔になってしまう(化粧品のポスターみたい)


先夜ある仕事で主役を張っている20代、30代の女性と友人四人でブリシャブ、マグロシャブ、カワハギシャブを食べた。
仕事を離れた女性はストレスから解放されメイクも落としすこぶる美しく魅力的である。


今男性の四割近くが結婚せず実家にパラサイトとなっているらしい。又、女性も三割以上が結婚しない。ウエディングを迎えるのは約三割のデキちゃった結婚であるというではないか。

※写真はイメージです


デキちゃったなんてほとんど酒の席の後の間違いである。

実は大嫌いな男女がすっかり酔っ払って気が付くと全裸になりラブホテルに一緒に寝ている。女性は明け方痛い頭を擦りながらカーテンのこぼれ陽の中に異様な男のヨダレ顔を見る。キャー、ギャー、イヤー。慌てて友人にメールする。
友人も又どこかで同じ様になっている。エー、ウソー、ホントー。

※写真はイメージです


そのままだったのか分からない、でもそうみたい気持ち悪い、毛深い、クサイ、ダサイ、サイテー、もう死にたいウワーと叫ぶが前夜一発心中、貴重な命が宿ってしまった。
堕ろすに堕ろせないと迷っている内に五ヶ月、つわりは酷く会社は休みが多くなっていく。いよいよお腹が出て来た。そして退職だ。


あーあなんて事、よりによって目やにはあるわ、歯は汚いわ、服はダサイは爪はいつも伸びてる、靴はなんとクラリーノ、服はコナカか青山、ブランド志向の私が何でと頭を抱えるがお腹の中の小さな命は確実に命を育んでいる。お風呂で動く、乳房は大きくなり、乳首は黒ずんでくる。そして母性は目覚めてくる。私の赤ちゃんだ。

でもあの男に似ているかもとゾッとする。


男がガラガラを買って来たり、竹細工の小さなロッキングベッドや何やからを毎夜毎夜買って帰ってくる。小さな毛糸の靴下、ベビーパウダー、赤ちゃん読本、いつしかプライドの高い女性の心は開き始め、区役所に行き母子手帳を貰うと思わず涙ぐむ。

あの合コンの一夜、もっとも嫌いだった男の知らない間の一夜。ベッドの下に脱ぎ捨てられた黒のショーツと黒のブラジャー、本当はあの人のための勝負下着だったのに。


コンビニのTシャツとコンビニのパンツの男。
何のために国大の文学部まで出たのかと思い未だ一度しかないSEXの恐さを知る。


二人の親と水天宮にお参りし帯を貰う。不思議にカメラを持つあの男にいいようもない愛しい思いが湧いてくる。何故か分からない、ただとてもいい人に思えて来た。
二人でピースサインを作って写真を撮った。ジュースを買って来てくれた。これが結婚なのかと思った。


今夜はクリスマスイブ、又忘年会の最後のヤマ場アルコールが入る夜、ビックリするような朝をとんでもない姿で迎えない様に気を付けて下さい。


今年のブログは今日にておしまいとさせて頂きます。来年111日より始めます。どうか皆様良い年を迎えて下さい。

2010年12月22日水曜日

湘南の嵐便り 「ノーベルは終わり」


ノーベル

ノーベル賞はノーベル本人がダイナマイトを作り本人の意志と違って戦争の道具になってしまったので、しまったこんな筈ではなかったと自身の賞を作った。
そこまではいいとして今のノーベル賞はまるでアカデミー映画賞の如くである。


科学者や物理学者はともかくなんで平和賞、文学賞があるのに映画賞や陶芸や建築や彫刻や絵画賞がないのか。何もかも不可思議になってしまった。


ノーベルの残した資金は様々に投資されたりして維持されている。
例えは悪いがかつて戦争反対をして命を掛けた日本共産党が何で自民や民主より遙かに多い250億近いお金を持っているのか。

エスカレーター付きの党本部にいる事が出来るのか、どこが貧乏人の味方なのか90歳頃まで赤旗を配っていた亡き母になんと説明出来るのか。戦争反対を叫び治安維持法に反対し続け投獄を繰り返した貧乏弁護士の亡き父になんと説明出来るのか。

ノーベル賞の晩餐会
ノーベル賞の途方もない晩餐会のパーティーを見ると心からこれでいいのかノーベル賞と思った。まるでドイツのヒトラーやかつてのソ連の共産党が豪華なパーティーをしている様であった。ノーベル賞は確かに素晴らしい才能と人類への貢献である。
科学と物理と医学、この三つだけで十分なのであると思う。


モンドセレクション金賞なんて受賞しない方が難しい賞であり金を払って参加すれば殆ど受賞できるというではないか。

日本人ほど賞の好きな人間はいない。もらう事ばかり考えないで、建築工芸と(宮大工)とか庭師とか屏風絵師とか左官とか石工とかに世界中に参加させる賞を作り世界をリードすればいい。


私がそもそも不公平で気に入らないノーベル賞は生きていないと受賞出来ない事だ。
徳川家康が弱虫で疑い深い人間だから70数年長生きした事に歴史的意味が生まれた。ならば長生きし天下国家を動かす人間に徳川家康賞を作ればいい。
キリシタン大名で最後までイエスキリストを信仰しその最後をフィリピンで迎えた戦国大名高山右近にイエス大賞を作ればいい。人々の心の平和を願った法然、蓮如、親鸞賞を作ればいい。
だがしかし世界中では誰も知らない。


タキシードに老妻を従えもう早く帰りたいと言った科学者がいた事が救いであった。
もうノーベル賞の役目は終わった。アカデミー賞を作ってアメリカ映画が衰退した様に確実にノーベル賞によって物理、科学、医学は商業化が進み進歩が歪んでしまう。
文学賞とか平和賞とかまるで意味が無い。


ならばイエスキリスト、チャーチル、スターリン、毛沢東、周恩来、ルーズベルト、ドゴールはノーベル平和賞だろうか。宮本顕治はノーベル平和賞だろか。すでに政治利用されている。小さく静かに音も無く食べ物もなく一杯のワインかペリエ等で乾杯、勿論自腹でいいのである。


名もなく苦しく、悲しく、切なく家族と国を思い捕虜となり平和のために骨と皮になり死んで行った平和愛好者は数知れない。



名浪曲師三波春夫は捕虜収容所の中で明るく歌って勇気を与えたという、これこそなんと心得るかを論じろと言いたい。
あんなとんでもない豪華な晩餐会で飲むシャンパンや料理が美味かったなんて言ったらその人はお終いである。

2010年12月21日火曜日

湘南の嵐便り 「世界のオザワと魚久の粕漬け」


岩城宏之さんという指揮者が亡くなって四年になる。
亡くなる前だったと思うがその年の暮れにベートーベンの第九を約十時間位にわたって指揮をした。第一、第二、第三と進めながら控え室で酸素ボンベから酸素補給をし続けていた。命懸けであったのだ。

そしていよいよ第九、合唱付き「歓喜の歌」だ。人みな歓喜を迎えよとクライマックスとなる。


その岩城宏之さんがある人との対談で子供達からオーケストラの指揮者って何でいるんですかと聞かれて言葉を失ったという。
私も実はある年までそう思って来た。沢山演奏者が居るが誰も見てないし、例え居なくても問題ないんじゃないのと思っていたのだ。


指揮者が変われば同じ曲も全然違ってしまうという意味が分かっていなかった。
指揮者が作曲の中にある心をどう理解するかでオーケストラの演奏は一変する。仮に100人の演奏者の内一人の奏者が音を外すと指揮者は直ぐに分かる絶対音感を持つ。
リハーサル中その人を指さす、外しちゃ駄目よと。バーンとシンバルを鳴らすと違う違うそんなに強く叩いちゃ駄目、何故なら戦いに破れた様な気持ちなんだからと。


もっと静かに部屋の中に幽霊が忍び込む様にだよ、人の心の妖しさなんだから等々ひとつひとつの音符を指揮者なりに理解、発展、進化、変化させたり、新しい解釈を加えたりするのだと知った。

奥村土牛の富士
富士山を100人描いたら100人違うのと同じだ。奥村土牛の富士、横山大観の富士、梅原龍三郎の富士、中川一政の富士、片岡球子の富士それぞれ全く違う。
私も富士をよく描く。自分の富士が一番だと不届きにも思っている。
片岡球子の富士


食道癌を手術した小澤征爾がNYカーネギーホールで40分間ブラームスの交響曲第一番をサイトウキネンオーケストラで指揮した。
その姿に死を覚悟した武士の姿を感じた、テレビのニュースを見て涙が止まらなかった。
丁度知人から頂いた「魚久」の京粕漬けの鮭とイカを食べていた。大好物の上手さに涙も出たがしばしテレビに釘付けとなった。



目の前の愚妻はあなた泣いてんの?WHY何故?みたいな顔をして無言で箸をすすめていた。「感動を知らない奴」だなというと何でも感動しすぎよとつれなく言い放った。
ついさっきまで魚久は最高だ最高だといって感動してたじゃない。



無礼者、粕漬けと小澤征爾を一緒にすんなこのボケカスと言って会話はお終い。
生きる目的を持っている人間の凄さを世界は見た。サザンオールスターズの桑田佳祐が再起したらもう涙の大洪水となるかもしれない。深夜一人桑田さんの一人紅白歌合戦のDVDを観る事とする。一人で何と紅白に出る全員の歌を唄った三時間以上のDVDだ。

2010年12月20日月曜日

湘南の嵐便り 「三行半」



必要ないモノ要らないモノはすっぱり捨ててしまう「断捨離」というのが女性の中で流行っている。「新・片付け術」ともいうらしい。
想い出の机、想い出のタンス、想い出の椅子、想い出の夫婦茶碗、想い出のベッド、そんなものをどんどん捨ててしまってスッキリさせるのだ。


今、「メール離婚」という行動が行われ始めたという。
ある日会社や仕事で働いている者に、あるいは競馬場やパチンコに興じている者のメールに「もう別れたいの、もうやっていけない、もう我慢も限界」。30代妻の三分の一が「メール離婚」で行動を起こすのだ。

かつては「愛してる」なんてやりとりをしていたメールに、「あなたはもう要らない×」とか入ってオジャンとなる。
大体実家とか友人宅や旅先から送るらしい。これを現代の三行半というらしい。

昔の三行半

「三行半」とは、離縁の際に夫が妻の家族に出した離別状の事。
離婚を決めたという宣言と妻の再婚許可が三行半にまとめられたからそう表現された。やっとこさ60年で定年、これからゆっくり自分の好きな事をやるぞと思い公園でブランコなどに揺られていると「あなたと第二の人生まで一緒にいたくはありません」などとメールが入りブランコから放り出されるのだ。

60を過ぎた女性の6割以上が離婚を考えるという。
その逆に6割以上の男は妻に側にいてほしいという。結婚は目利きの問題である。



私はテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」が好きである。目利きを頼まれた人達は二ヶ月以上時間をかけて真贋を見極めるらしい。茶の湯の世界では二種類の目利きが存在するという。

良い道具をコレクションする数奇者と道具の売買で収集を仲介する道具商だ。
目利き40年の中島誠之助の著書に「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」というのがある。
世の中はニセモノだらけ。8割から9割はニセモノ、ネットオークションに出回る物はゲテモノ。目利きの骨董商は実は優れた贋作師であるという。
骨董の世界では「ひっかける、ひっかかる」という言葉があるという。


「断捨離」の思いも、「メール離婚」ももとはといえば選ぶ相手や選んだ者の目利き違い。
あの日引っかけたら上手く引っかかって来た、その結果なのかもしれないのだ。


ちなみに千利休は目利きだったかという問いに千利休は自ら美の創造をしたのだから目利きは重要ではなく、利を得る手段だったのだろうという答えをしている人がいた。

結婚もただのモノとモノとの出会い位に考えておいた方が何とか上手くいくものなのだろう。相性具合が良ければ終生離れないかもしれない。
暮れの大掃除のついでに捨てられませんよ。

2010年12月17日金曜日

湘南の嵐便り 「星はなんでも知っている」


誤解なき様に願いたいと思う、決して差別語として言うのではなく過去の歴史として書く。


戦前戦中日本人は中国人を「チャンコロ」、韓国人を「チョンコウ」、ロシア人を「ロスケ」と言っていた。中国人、韓国人に与えた差別と苦悩とそれが生んだ日本人への激烈な怒りは永遠に消えずそして忘れられる事はない。
何故か広島長崎に原爆を落とした米国人に日本人は怒りを感じていない。


かつて日清、日露に勝って軍国主義に走った日本は中国、ロシア、韓国に勝った勝ったと日の丸を振った。喧嘩の結果は最後にどっちが勝っているかでその歴史が定まる。
最高の戦い方は戦わずして勝つだが、次に退却しながら勝つというのがある。
ヒットアンドアウェイだ。


ある調査によると今米国への留学生の一番はダントツに中国であり、次にインド、韓国、カナダ、台湾と続く。日本は13万人近い中国の6分の125千人ほどでありずっと減り続けているという。東京大学などは世界ランクで言えば25位辺りを彷徨いている。

何が言いたいかと言えば日本はあらゆる分野で圧倒的に中国や韓国に負けているのである。やがてインドやオーストラリア、サウジアラビアやメキシコ、トルコにも抜かれて行くだろう。

かつて明治維新を起こしたのは各藩が優秀な人材をどんどん海外に留学させた事から始まった。日本ほど教育熱心な国は世界中でなかった。
特に各大名が作った藩校は素晴らしいシステムだった。
藩士の個性を活かし、なけなしの金を出し合ってでも人材を発掘育成したのだ。


今、この国では絵画、陶芸、彫刻、建築、鍛造、染織、漆芸等およそ芸と名の付くものは食べていけない。まして私が愛する映画などは以ての外間違っても食べていけない映画屋の妻は売春に風俗に、愛人はコールガールに、女は人身売買をやってもらわないと映画は作れない。愛と芸術は昔から背中合わせなのだ。


私の体なんてどうなってもいいのよ、あなたが作りたい映画を作ってくれるなら、あなたと一緒に死ねるなら一緒に死にましょ、それであなたの文学に役に立つなら。私が人のおもちゃになればいいんでしょそれであなたがいい絵を描いてくれるなら。
なんて物語が真実あったのだ。


形は違うが誠に教育の行き届いた女性教育があったのだ。
身を粉にして愛した男に尽くす、例えその男の体中に刺青だらけ、指は何本かなくても。私が知っているいい女は男に体を張っている女だ。



「なめたらいかんぜよ」といった映画があったが男の人生で女にあんたのためなら「死んでもいいぜよ」と言わせたら万感胸に迫り笑って死んで行ってやれるものである。器量のある女と器量のない女の教育の差は勉強や学歴や家柄でなく静かなる愛の戦いである。あなたと生きている間は絶対笑わないわ、しっかり死んだらきっと笑ってあげる。
私が生涯惚れた男は強かったと確認したらね。


そんな女が少なくなった。日本女性程世界に誇れる健気で気高い女性はいなかった。
がしかしその面影は消えていっている。教育の再生には最低でも50年はかかる。かつてお乳を触られただけで舌を噛み、唇を奪われただけで吊り橋から身を投げた日本女性の姿はない。


保険金をかけて次々と男を殺す女の姿はぶっとくしぶとい。ああ男はなんと弱気生き物になったか。枕元に鉈を持っている女の夢を見て飛び起きた。それは誰であったかはいえない。



「星は何でも知っている、夕べあの子が泣いたのもかわいいあの子のつぶらなー」なんて歌が夢の中に流れていた。初めてのキッスの夢だったんだなんて。

2010年12月15日水曜日

湘南の嵐便り 「しりとり」


あほ、ほも、もだえ、えごいすと、とんま、まんこ、こじき、きもい、いじめ、めろめろ、ろんぱり、りんびょう、うすのろ、ろくでなし、しがらみ、みからでたさび、びじんはくめい、いろきちがい、いくときはいって、てんぱっている、るいじんえんなみ、みじめ、めんくい、いくじなし、しみったれ、れいぎしらず、ずぼら、らくしょう、うんこ、こけ、けじらみ、みすぼらしい、いんきくさい、いいきもち、ちぶさ、さっきまでかこ、こんどうむ、ぶうたれる、もう止めようつまんない。



なんて変なしりとり会話をしていのはある日の電車の中の若い女の子。
二人ともお化粧をしながらだ。


しりとりのルールは食べ物とか動物でなく気持ちの問題とか。
一人は無かったまゆ毛がかき出され、一人は無かったまつ毛がパッチリしていた。
膝元にお化粧道具だらけ。

どーもでーすと携帯で話し始める。
ゴメンス、今日はオッケース、よろしくでーす、と言葉の終わりは必ず「す」か「ス」で終わる。


段々我慢も限界に近づいて来た。いいじゃん、いいじゃんと大笑いをしている阿呆ヅラを見ていたら頭の中でプッツンと音がした。


オイ、電車の中で化粧したり電話をするんじゃないぞと言ったら、えー何それ何怒ってんの、コワーイスねと言われた。何だか自分の方が寒い気分になってしまった。
オジサンゴメンスと言って二人は品川で降りて行った。プーンと化粧の臭いがした。


オジサンか、そうだ俺はあの子達から見れば信じられない感覚のオジサンなのだ。
孫達と動物や食べ物のしりとりを楽しんでいるオジサンなんだ。

新橋に着いて階段を下りて行く足取りが妙に重たい気になった。
そうだ佐渡出身の名物オバサンに靴を磨いてもらおう、そう思って靴のお化粧をしてもらった。オバサンの最後の仕上げはシームレスストッキングだ。


それでグイグイ磨いてくれると靴がピッカピカに若返った。500円を払って又ねと言ってオバサンと別れた。官庁が終わったら今年も終わり、お正月は久々墓参りがてら佐渡に帰ると言っていた。そしてその日は始まった。

※写真は全てイメージです

先日東本映画のお問い合わせを頂いた方へ

ブログ上で失礼いたします。
頂いたメールに返信しましたところ、送信エラーになってしまいお送り出来ない状態です。


このポストを見ましたら一度ご連絡いただけたらと思います。




宜しくお願いいたします。
担当 上原

2010年12月14日火曜日

湘南の嵐便り 「心の戦争」


三年がかりで放送するNHKの「坂の上の雲」が始まり二年目を迎えた。



まさかNHKは今日の政治情勢を考えられなかったのだろう。
日本と中国、日本とロシアはかなりデンジャラスになって来た。
あっという間の中国の台頭も読めなかった。


私は司馬遼太郎ファンである、特に「街道を行く」のファンである。
正直「坂の上の雲」は好きでない。司馬遼太郎は市井の民の悲嘆や哀切な恋愛や弱き人間の苦悩は書かない。英雄や成功者を題材にしたものが多い。
どちらかというと講談的活劇作家である。(エッセイ、紀行文は最高だ)


具合が悪いことにNHKのニュースでアジアの危機を語った後に日清戦争や日露戦争を主題にした「坂の上の雲」が流れる。戦争賛歌の如く明治の英雄?達がどんどん登場する。“杉野はいずこ”の広瀬武夫、皇国の興廃この一戦在りの秋山真之。
戦場で馬上盃を楽しむ秋山好古(司馬遼太郎はこの人物が坂本龍馬と同じ位好きだったとか)二百三高地で失敗を続けた乃木希典(司馬遼太郎は大嫌いであった様だ)。
戦略戦術の天才川上操六や児玉源太郎、西郷隆盛の血を引く大山巌。次から次にテレビに出てくるのを見ていると何だか時代錯誤を感じてしまう。そう思っているのは私だけだろうか。莫大な予算と時間をかけて今何故東郷平八郎なのか、山本権兵衛なのか、本当に日本の夜明けだったのか。

伊藤博文

坂の上に待っていたのは悲惨な戦争を生んだ軍国主義の全盛であった。
日清戦争は伊藤博文(大の女好き)の女遊び代稼ぎという説もある位だ。
日露戦争は山縣有朋の庭作りのための荒稼ぎ説や井上馨の遊び代の説もある。
今年も残り一ヶ月を切った。今年程日本中がハチャメチャ、グシャグシャ、デタラメ、そして信じられない心の戦争時代はなかった。


民主党の議員中国の要人九人がゴルフコンペをやってプレー代を中国が支払ったなんて司馬先生が生きていたらきっと怒り心頭になってしまっただろう事が起きている。
北朝鮮にはハニートラップ(デヴィ・スカルノと同じ世界の要人が来ると夜を楽しませる)のリストや海外要人が楽しんだ証拠写真がたっぷりあるという。


世界中の秘密情報がバシャバシャネット上に流れる、この流れはどうにも止められない。我々一人一人も国家から監視されデータ化されている。ブログもメールもみんなキャッチされているのだ。私はそれが分かった上で行動している。

シェークスピア曰く「人生は選抜の連続である」自分の意志で自分の在りかたを選択しようと日々務めているのだが悩みは尽きない。才能がついて来てくれない。だがしかし自ら戦いを選択していくのだ。


来年も「坂の上の雲」をやるというが来年この国がどんな形をしているか分からない。
坂の上には想像を超えた地獄が待っているかもしれない。



酷いニュース、あまりに情けないニュースが洪水の様に毎日流れる。
韓国映画「黒く濁る村」を観た。そのコンセプトは「人がほしいままに隣人を襲い、策略を巡らせた場合、この者を私の祭壇のところにでも連れ出して殺さなければならない」(出エジプト記)隣に居る人は果たして善人か、自分は果たしてどうであろうか。人間は恐い。
性の快楽道具として扱った女の果たした目的とは。凄い映画であった。
その夜の「坂の上の雲」のなんと呑気な事か。