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2012年1月17日火曜日

「映画三昧」




この十日間ひたすら映画を観た。レンタルDVD14本、映画館で3本だ。

韓国映画「哀しき獣」は見終わった後に、ドッドッと疲れが出る程もの凄い暴力のノンストップムービー、撮影3005000カットを編集したそのパワーに脱帽した。

中国映画「無言歌」見終わった後しばし呆然とし、一気に食欲が消える。
1人を殺せば殺人者だが100万人を殺せば英雄と云う。毛沢東が行った思想弾圧で四千万人近くがゴビ砂漠等の劣悪な穴の中で餓死させられた(何しろ1日250gだけ)、飽食肥満に悩んでいる人は是非観て下さい。

カナダ映画「灼熱の魂」映画の舞台はとある中近東。親子の断絶に悩む人、兄弟は他人の始まりだと思っている人、自分の血を憎んでいる人に是非お勧めしたい。囚人番号72番、アダ名は「歌う女」その女性の魂の物語とは。
1+1=1」の数式の答えとは、3本で3000円、十分すぎるお年玉を貰った。

で、その帰り横浜新道の高台にあるハングリータイガーで86分待たされた食べてハンバーグはえらく旨かった。
が、熱い鉄板に触れてしまい、アッヂーと悲鳴を上げてしまった。 
100席満員の人々、待合室の人々、店のスタッフの人々の冷たい視線を一身に受けてしまった。
いい映画を観た後はどえらい熱いのだ。

2012年1月16日月曜日

「さまよう眼鏡」




ある時はホテルの洗面所、ある時は出版社のトイレの中、ある時は料理屋さんの炬燵の中、ある時はタクシーの座席の上(3回)、ある時は東海道線の窓際(その後平塚警察へ)とまあ転々とした眼鏡がある。

その持ち主は当然私です。何しろ忘れ物が多いのです。

一本10002000円位の眼鏡を何本も持っているのだが安価な品はすぐ壊れるから大切にしないのであっちこっちに忘れて来た。だが気に入っているウェリントン型の黒縁の品は私にしては大枚をはたいた眼鏡、なんと38400円もしたのだ。物には一切執着しないが、眼鏡は別、活字が読めない。だから忘れると必死に探す。
今度こそ出て来ないかと思い、駄目もとで電話するとちゃんと出て来てくれるのだ。

出版社では外人さんがピックアップしてくれた。
で、落花生の詰め合わせを御礼に持って行った(サンキュープリーズジャパニーズピーナツ?と)、タクシーの人には710円しか乗っていないのに2000円の御礼。運ちゃんはにっこりした。

料理屋さんには今何を持って行くか考えている(116日の夜、友人3人との新年会で忘れた)。
という事はこのブログを書くために掛けている眼鏡は、江ノ島にある1000円ショップで買った品なのです。
その内きっと命をどこかに忘れて来るはずだわと愚妻はいった。
その時はちゃんと御礼をしろよと私はいった。さて何処で?

2012年1月13日金曜日

「木枯らし」


写真はイメージです


「海に出て、木枯らし帰るとこなし」
 
確かこの様な一句だった。記憶違いかもしれない。
山口誓子であった気がするが確かでない。私は句才が全くない。
といって他に才があるかと問われれば正しくまるでなしと答えられる。

この一句に出会った年、私の心の中に木枯らしが吹いていた。
寒く冷たく鋭く針で刺される様な風であった。

自分で自分を励ましそして叱咤した。
こうなったのも自業自得なんだ、私は木枯らしに許しを願った。木枯らしはいう、これが最後の機会だ、もし約束を守らなければ次の年は北国の海辺の石にしてしまう。そして容赦なくお前をいじめ抜くだろう。

何故石にというのか、石は意志と同じ硬い心を生む象徴だ。
人間は石なのだ。
海辺の石は人間の意志なのだ。

木枯らしはヒューヒューと訳の分からない事をいって消えた。
私は海辺の石に打ち寄せた水で意志と書いて置いた。強く激しく打ち寄せた波が来た。
一度目の波で海に引き寄せられ、二度目の波で石は海に吸い込まれていった。もう帰るとこはない。

正月の海を歩いていて一個の石を拾って帰った。そして一つの意志を固めた。

2012年1月12日木曜日

「会社は誰のもの」



写真はイメージです

年の瀬こんな会話を交わした。

会社は誰の物か。
私の答えは社員の物、社員が全員辞めたら役員と社長、会長しか残らない。すると何も生産できない。
オーナーレストランは誰の物か。私の答えは、スタッフの物。全員辞めたらオーナーだけで何も作れない。
大相撲の部屋は誰の物か。私の答えは、弟子の物。全員辞めたら親方だけでは何も出来ない。
スポーツチームは誰の物か。私の答えは、選手の物。全員辞めたら試合が出来ない。

日本社会はずっと縦割り社会に慣らされて来た。
上から下への上意下達、とりあえず上の言う通りやっていればという気持ちと、給料払うのは勿体ないけど仕方ない、使ってやるかの気持ち。

両方には利害関係しかない。
殿様と家来の関係の続きなのだ。もっと怒れよといいたい。
大阪などは市長のケツに府知事が金魚のフンみたいにくっついて歩く、珍現象が起きている、これが正しいかどうかは我々が決める事だ。社員の後に社長がくっついて歩く。

これでいいのだ。

2012年1月11日水曜日

「今年の決意」




「錆びたナイフでも闇は切れる」

今年の年賀状に書いたひと言だ。
もう何年になるだろうか、年賀状にひと言を書き出したのは。

「いつも待っています」とか「毎年ファイルしています」とか、「気合いをもらってます」とかいただいた年賀状に添え書きがしてあると生来調子者であるため今日まで続いている。

今年は東北の大災害もありどうするか悩んだのだがこんな時こそひと言を書く決意をした。

4コーナーを回ってゴールテープもクッキリ見えて来た身にはたっぷりと錆がついてしまった。
若さが羨ましくなって来たらもうお終いと老先輩からいわれた。
ならばその錆付いた身を研ぎ、感性を武器にし、この世の闇に一太刀を浴びせようと決めた。
政治、経済、文学、絵画、教育、家庭、スポーツまで闇となった。人間達、社会に潜む闇に少しでも切り込んで行くのだ。

アートという武器で立ち向かう。
名作、「長距離ランナーの孤独」ではマラソンランナーはゴールテープを切っても走り続けて行った。
私も1人になれば孤独なランナーなのだ。ゴールテープは錆びたナイフで切ってやる。

2012年1月10日火曜日

「又and又」

「又」訓読みで「また」と読む。

この意味を辞書で引くと、「その上」「あるいわ」「ふたたび」「さらに」とある。
英語ではand(アンド)である。この一文字程その先が変化する字はないのではと思う。

例えていうなら普段メガネを掛けている人が、メガネを掛けた時はクッキリと見え、メガネを外すと薄ボンヤリとしか見えない。そんな感じだろうか。
又来るからなとか、又逢いたいわとか、又一緒になとか、又頑張ろうぜとかであれば次々にいいシーンが見えてくる。
その逆に、又来たのとか、又やらかしたのとか、又振られたよとか、又メールしつこいの嫌いとかになってしまうと辛いシーンが現れる。

又、新しい年が来たのかとなると前途はため息まじりとなるが、又来たな今年こそやるぞとなれば決意も新たになる。
12/311/1までの24時間はいつもと同じ24時間なのに昨年の12/31はまるで違って感じた。
又地震が、又大津波が、又放射能が、又、又、又、あんな事がとなってしまったのだ。
なんだか来て欲しくもない気がしたものだ。だが「又」という字はそもそも前向きなのだ。

それで辞書に書いてあった順にその意味を入れてみた。
新しい年はきっと思っている「その上」を行くいい事がある。
とても心配していた「あるいわ」の事が思い過ごしで終わる。
「さらに」おみくじで引いた“大吉通りいい事が起きる。

早速正月の商店街で多角形のグルグル回しのくじ引きでポトンと大当たりの赤い玉が出た。
and” 私の大事なスタッフの奥さんに赤ちゃんが出来るのだ(1/20が予定日とか)。
何と48才の初産だ。何度も何度も挑戦してすっかり忘れていたらご懐妊したのだ。
赤ちゃんは赤い玉の様にポトンとは出ない。苦痛の分だけ喜びは大きいのだ。

「又」駄目とか諦めたら何も生まれない。
又やるぞ、この一年そんな気で「又」の一文字を大事にしたり。
アレッ、今年は節酒と思っていたが、又、又、又、飲んでしまった。
又、意志薄弱の始まりなのだ。

2011年12月28日水曜日

「年の終わりに」


激烈、激動、激変、激震、激波、もう何ぼでも激がつけられる一年もこのまま無事に行けば終わりとなる。

「生きてるだけで丸儲け」といったのは明石家さんまだ。
「人生とは心ひとつの置き処」といったのは中村天風。
「人生は死ぬまでの暇潰し」といったのは何人かいた。
そして1月1日となると「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」これは確か一休和尚。

今年も又、浅知恵をひけらかし、馬鹿よ阿呆よと自嘲しつつもホラを吹き、嘘八百をつき、大風呂敷を広げ、見得と虚飾の上着と、少しばかりの魂の炎で染め上げたジーンズを履き、小石に躓き鼻血を出し、小枝に目を突かれ暗闇の中に入り。
階段で弁慶の泣き所をぶつけて悲鳴を上げる様な一年であった。

引き出しの無い、ただ一メートル四方の薄っぺたい木机と友から借りた椅子を仕事場に。
家に帰れば四畳半の中に使わなくなった健康器具と大恩ある寝具会社の社長さんからいただいたロッキングチェアとヲットマン。30㎝位のテレビと子供が使う様なCDカセット。
一枚のマットレスの上に頂いた寝具をのせ、その上でふぅ〜とため息をつき、チクショウと顔を両手で打ち、ヨシッと立ち上がりトイレに向かうのです。

おトイレの先に何があるのか。
それは幸運か、不運か。
今年一年ブログを読んでくれた皆々様に“耕運機じゃない“高運気が来ます様何卒良き年を迎えて下さい。

被災地の皆様へ一筋二筋、いや何筋もの光がありますことを節に願っています。
新しき年私のありったけの力を振り絞り被災地の皆様を悼む心を形にしたいと思っております。
(来年は110日よりブログを再開します)

2011年12月27日火曜日

「隣の教え」




御仏壇があるとする。
リンゴとミカンとバナナが一個ずつあるとする。
その仏壇に三つの果物の中から一つだけお供え物を選んでいうと人は何を選ぶか。

そうです、当たりです。10人に聞くとほぼ全員一位リンゴ、二位ミカン、三位バナナでした。
何故だろう、何故かしらとずっと思いず続けていた。いままで誰もこれはという答えを教えてはくれなかった。
リンゴにとってマンゴーもキウイもブドウも敵ではない。御仏壇の主役はずっとリンゴであったのだ。

ある夜なる程という答えを言ってくれた人がいた。

それはヨオ、リンゴは再生の歌、復活の歌なんだよ。
敗戦後「リンゴの唄」というのが傷ついた人々の心を癒したでしょ。
「紅いリンゴに唇寄せて・・・リンゴ可愛いや可愛いやリンゴ」っていう歌。
リンゴをミカンやバナナやスイカに置き換えてごらん、黄色いミカンに唇寄せとか黄色いバナナに唇寄せてになってしまうじゃんヨオ他の果実じゃダメなんだヨォとオジサンは教えてくれました。

確かにブドウ可愛いや可愛いやブドウじゃダメなんです。
オジサンは誰かって?隣で飲んでいたただの酔っ払いです。みんな歌いましょう「リンゴの唄」を。再生の歌を。

2011年12月26日月曜日

「渡り鳥はキャバレーへ」



いつも行く店、行く処、いつも乗るタクシーの運ちゃん、白タクの運ちゃん、占いのお姉さん、磯辺焼きのオッサン、花束売るオバチャン、みんな口を揃えて十一月は酷くヒマだった。

十二月になればと思ったけどやっぱりチョボチョボだという。
あれだけの災害の年だから余程の神経の持ち主でないと盛り上がらないのだろう。


過日2人の親愛なる兄弟分と飲み会をした。
赤坂の和食屋さんから銀座へ、そして六本木へ。午前2時頃歌が始まった。

イエーイ、1人は日本コピーライター級チャンピオン、ご存知「兄弟船」を熱唱、もう一人は日本キャスティング級チャンピオン、いつも矢沢永吉なのに(レパートリーが多いのだが)小林旭の「ギターを抱いた渡り鳥」だ。
オカマ?のマスターはやさしくていいおじさん。同じ年位なのですっかり昔話で盛り上がり、お客さんは我々三人だけ。

イイネ、仕事の話や、お金の話は一切なし。
ただひたすら食えなかった頃の話、三畳間とか四畳半とか、洗面器で豚肉のすき焼きとか。
イイネ、イイネこんな夜はと別れたのでした。
何しろキャバレーに何の根拠もなくギターを持った渡り鳥が来る時代の話なんだから。

2011年12月22日木曜日

「一度じゃつまんない?」




ソンナニミンナモテナイノォー。
何で日本人は婚活なんかしてまで結婚するのかヨクワカンナーイ、ボンジョール、セボンなんていいながらステキなフランス男女はワインを飲みながらいった。


フランスでは「事実婚」が当たり前、二婚三婚オスマンサンコーンらしい。
だって姓は別々なので印鑑や運転免許証、パスポートだってそのまんま戸籍だってそのまんま。別れても「バツイチ」にならない。


ダイチネエなんでたった一度の人生、1人の人とずーっと一緒にいなけりゃいけないのォー楽しくナイジャン、気持ちよくナイジャンとナイナイ尽くし。で、私が、オイラが、俺がいった。1人より2人の方が無駄がないって昔偉い学者がいった。

電気やガスやお風呂の湯、ヤカンの水、ご飯だって、おかずだって1人じゃ無駄が大発生なんだヨォーン。
俺なんか生きているだけで無駄者だからといった。

タシカァーニ分かる気がするとフランス人は酔いが醒めた様だ。
でも世界一グルメにしてグルマン、そしてスケベな国の人たち、やっぱり色んな人と何回も一緒になって「新鮮な愛」を味わいたいのだと。

渡辺淳一がいち早く「事実婚」の本を出した。目先の利く人なのだ。