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2011年12月28日水曜日

「年の終わりに」


激烈、激動、激変、激震、激波、もう何ぼでも激がつけられる一年もこのまま無事に行けば終わりとなる。

「生きてるだけで丸儲け」といったのは明石家さんまだ。
「人生とは心ひとつの置き処」といったのは中村天風。
「人生は死ぬまでの暇潰し」といったのは何人かいた。
そして1月1日となると「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」これは確か一休和尚。

今年も又、浅知恵をひけらかし、馬鹿よ阿呆よと自嘲しつつもホラを吹き、嘘八百をつき、大風呂敷を広げ、見得と虚飾の上着と、少しばかりの魂の炎で染め上げたジーンズを履き、小石に躓き鼻血を出し、小枝に目を突かれ暗闇の中に入り。
階段で弁慶の泣き所をぶつけて悲鳴を上げる様な一年であった。

引き出しの無い、ただ一メートル四方の薄っぺたい木机と友から借りた椅子を仕事場に。
家に帰れば四畳半の中に使わなくなった健康器具と大恩ある寝具会社の社長さんからいただいたロッキングチェアとヲットマン。30㎝位のテレビと子供が使う様なCDカセット。
一枚のマットレスの上に頂いた寝具をのせ、その上でふぅ〜とため息をつき、チクショウと顔を両手で打ち、ヨシッと立ち上がりトイレに向かうのです。

おトイレの先に何があるのか。
それは幸運か、不運か。
今年一年ブログを読んでくれた皆々様に“耕運機じゃない“高運気が来ます様何卒良き年を迎えて下さい。

被災地の皆様へ一筋二筋、いや何筋もの光がありますことを節に願っています。
新しき年私のありったけの力を振り絞り被災地の皆様を悼む心を形にしたいと思っております。
(来年は110日よりブログを再開します)

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