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2012年4月9日月曜日

「いよ、日本一」




46日(土)午後京橋で友人のスケッチ展を観る。
ご夫婦共芸術家、最終日なのでお子さん、お孫さんも来た。とてもいい風景だ。

その後歩行者天国を歩き、TDC展を観る。
国内外のタイポグラフィーの作品が並ぶ、デザインの善し悪しは文字である事を改めて知る。

その後「フェルメール光の王国展」を観る、既に三度観ているが何度観てもフェルメールはいい。
宮沢りえと小林薫の音声ガイドが又いい。企画者の一人である生物学者福岡伸一先生の本は上質な推理小説の如くでありその文章は一級品だ。展覧会場はいっぱいであった。

そしていよいよこの日のメインイベント明治座へ、お世話になっている広告代理店の社長大泉勉さんと「石川さゆり」の公演へ、第一部は「貞奴」日本で最初の女優と言われた川上貞奴の劇、第二部が「歌日和」だ。
715分“津軽海峡冬景色で始まる。前から7列目、いい席だ。私の直ぐ後のおじさんは「日本一!」を連発する。
「ウィスキーがお好きでしょ」を初めて生で聞いた。どえらいエカッタ。歌はすすみ軽妙なお喋り、その上手さに思わず拍手、そしていよいよ待望の“風の恋盆唄”“天城越え”のラストへと向かったのだ。エカッタ度100%であった。

この頃すっかり演歌ばなれをしていたのだが久々にやっぱり演歌もいいではないかと思った。
美空ひばり亡き後、石川さゆりは演歌の女王なのだろう、風格も十分にあった。13歳でデビューして今年で40年とか。
又、明治座は今年で140年である事を知った。川上貞奴が生きていれば140歳とか。夫であった川上音二郎は“オッペケペ、オッペケペ”で世情を風刺し一世を風靡した。この頃すっかり世相を風刺する芸人が出て来ない。
世の中はまるでヘトヘト、ヘロヘロ、どアホウ状態。そのネタには事欠かないのに。よし風刺ソングを書いてみる事とする。

2012年4月6日金曜日

「日本繁昌大展覧会」


新宿伊勢丹ウィンドウ


世の中は人には好かれる人と、人に嫌われる人とに大別される。
我々の業界で悪口を一度も聞いた事のない人がいる。

その人の名は浅葉克己さんという人だ。
 とにかく全てに素晴らしい人なのだ。スーパークリエイター&アーティスト&書家&卓球六段である。

浅葉さんの広告デザインは日本の広告史といってもいい。
東へ西へそしてあの国、あの山の中、あの湖、あの砂漠、あの氷の上と、あの、あのづくしである。
その間卓球の試合をアチコチでこなしていく。その姿に全てのクリエイターは最大級の尊敬の念を表す。

その浅葉さんが実行委員長になって44日〜49日(月)まで新宿伊勢丹本館7Fとウィンドウ、日本橋三越本店ウィンドウ、銀座三越ウィンドウで「元気な未来を広告から」のスローガンのもと「日本繁昌大展覧会」を行っている。
北原照久さんの広告コレクションやおもしろい懐かしい様々なコレクションが見れる。
 日本を代表するスーパークリエイター20人が、日本を代表するスーパーキャラクターをモチーフに、ポスターをはじめTシャツやグッズを製作。その収益を東北の被災地に送るというチャリティイベントだ。一人でも多くの方々に見てほしいと思うのです。

ちなみに私はキャッチフレーズ「猫の手も借りたい」&コピーを担当させていただきました。
浅葉さんの為なら例え火の中、水の中なのです。

さて人に嫌われるNO.1といえばやはり私でしょう。
東西南北、天地左右、前から後から嫌われるのです。もともと「嫌いで結構好かれちゃ困る」主義で決して日和見、八方美人にならず好き勝手に言いたい放題でしたから。私の仕事はとにかく人を育てて力のついた人間、あるいわ一本立ちを望む人間を世に出す事なのです。

私の理想はみんなが一本立ちした後、私一人ひっそりと森の中の小さなツリーハウスの中なんかで。
フクロウの様になりたいのです。

2012年4月5日木曜日

「今日から作詞家」




好き18,326件、信じて10,326件、愛して8,107件、抱きしめて6,683件、一緒に6,106件、奇跡3,759件、扉3,287件、大丈夫3,011件、目を閉じて2,879件、翼2,869件、会いたい2,568件、切ない2,266件、そばにいて1,833件、ありのまま1,347件、歩き出す1,093件、手を伸ばし1,063件、空の向こう412件、どこにいるの337件、君らしく253件。

このフレーズと件数は43日現在の「歌ネット」検索ヒット数だ。
このフレーズをミキサーに入れてセロリやニンジンやバナナやパイナップルを入れてしまえば新鮮出来たてのフレッシュラブジュースソングが出来上がる。誰でも今日から作詞家の仲間入りが出来るのだ。

ポイントは決して恥じない、鼻をつままないととても書けないクサイフレーズを平気で使う事だ。
芸術は恥知らずの形ともいえるのだから、早速コクヨのノオトを買って来て今思っている言葉を書いて下さい。
間違ってもスーパーのチラシの裏なんかに書いてはいけません。
挽肉、粗挽き、ロース、フィレ、サーロインなどはどうやってもラブソングにはなりませんので。

2012年4月4日水曜日

「猫まっしぐら」


猫に小判


猫は何で走るのか。
本来猫は炬燵で丸くなり、跳びはね、ひっかき、魚を見つけるとあっという間に口にくわえて逃げ去る。
猫なで声を出して美人のひざ枕の上で一休みする。そして「我が輩は猫である」などとイバッテいる。
猫は大体家の中か、その近辺で行動するだけなのだ。

ところが猫ひろしは凄いぞ42.195㎞のフルマラソンでロンドンオリンピックに行く。
その大きな夢に向かって走る、走る、走るのだ。ある時宇宙に何かしらの天変地異が起きて人間がこの地球に生まれた。
その人間の祖先たちは、その日の食べ物を求めて生き物を追って走った。
又、大きな生き物達に食べられない様に逃げ足早く走ったという。

生存競争の中で人間はランナーとなって行ったのだ。
 腹が減っては走り、のんびりしていては追いかけられたのだ。現代社会も同じだ。

猫ひろし、本名瀧﨑邦明。お笑い芸人とはもはやいえない。
真剣人間なのだ。暗い話ばかり、嫌な話が多いこの頃、とんでもなく嬉しいニュースであった。
ひょっとしてロンドンで猫に小判ならぬ、猫に金メダルだ。

2012年4月3日火曜日

「水とんでおわり」



東京西麻布に凄腕のマタギがいる。
その名は大島衛さん68歳。

自分で撃って仕留めた熊、猪、鹿、鳥類を刺身にし、網焼きにし、鍋にして食べる店を出している。
店の名もズバリ「マタギ」だ。又、漁船を持ち相模湾で漁をし新鮮な魚も出す。
長方形のテーブルの真ん中には灰を入れてあり、そこに炭を置く。又、個室式のコーナーもある。かなり広く30人は入れるだろう。横綱もチャンピオンんもアスリート達もここに来てパワーをつける。

その味絶妙、その効果絶大にして闘志漲る。元気のない人間も鼻血がブーと出る程だという。
どの肉も臭味はまるでない。柔らかく脂身がない、その力は深く広く体中に野性を呼び起こす、その味はたっぷりと内蔵に染み込む、北海道の熊などは松阪牛も飛騨牛も佐賀牛も束になってもかなわない。
ゴボウとの相性抜群で鍋は泣けるほど旨い。その後仕上げは水とんだ。味噌味に又、又、泣ける。

大島さんが我々の処に来た。白髪、筋肉降々、身長は175㎝位だ。
目が鋭く200mから300m以内ならほぼ外さないという。

330日(金)夜6時、5人で集まった。映画製作の打合せだ。
マタギ上がりの殺し屋と漁師上がりの殺し屋が主役、一人は九州出身の元不良グループ?のリーダ、今は劇団を主宰し銀座でBarを経営している指宿豪氏(通称レッツゴー)、その後輩というか役者仲間、現役のムエタイの世界チャンピオン、リヨン樺澤氏、群馬でジムを持っている。前橋から来てくれた。見るからに強烈だ。黒の革のスーツ上下。
 それと180㎝以上ある監督の寺尾学ぶ氏、黒い革ジャンのプロデューサー、ヤクザ者よりヤクザっぽいキャスティングディレクターの江原立太氏だ。その四人と私だから知らない人は100%ヤクザ者の集まりと思ったであろう。
まずは顔合わせという場であった。

我々の場にマタギの大島さんが登場するともう大島氏の独壇場、その話はまるでマタギ小説そのもの。撃つ、殺す、解体する、手なずけた猟犬の話になるともう絶好調!なんでも紀州犬との交配から生まれた犬が最速、最強だと。
もうヤクザ風の怪しい五人組もたじたじ。最後の仕上げに水とん食べてウメーなどといって可愛く喜ぶのだ。

今度は肉食系ダイエットの人たちと、又デスクの女性と映画製作に多大な理解を持ってくれている広告界の売れっ子赤城廣治君と行こうと思う。鹿肉はいくら食べても、太らずその力を頼りに美しさが売り物の芸能人達がこぞって来るらしい。

830分すっかりお客さんでいっぱいになっていた。
超、超、超低予算の自主映画にしては豪華な味であった。映画ほど極上の獲物はない。

2012年4月2日月曜日

「安い男」

 


私の大嫌いな正義漢ぶった古館伊知朗とそっくりなユニクロの柳井正が日本人の資産家NO.1,その額8800億円だとフォーブス誌が発表、だからなんだといいたい。 

8800億持ったって、世のため人の為に使わない男だ。
1020億なんて被災地に送ったって砂漠に水をまく位なもの。
どーんと8799億円送れといいたい。それでも一億残るでしょ。

アジアの人たちを安い工賃で使い、安物を高い物らしく売っているだけだ。
ユニクロを5兆円企業にすると言っているだからその先はなんだといいたい。
シャネルは米粒にしてもシャネルブランドだが、ユニクロは巨大な虫眼鏡で拡大してもユニクロにすぎない。
間違っても銀座百店に載せてもらえない。

ダイエーの中内功、西武の堤義明、武富士の武井保雄など金で支配した独裁者の後を追う運命。
多分そんなに長生きしない顔をしている、しっかり世の中の為に使う様遺言を残して欲しいものだ。

ちなみに第2位はサントリーの社長佐治信忠、第3位はソフトバンクの社長孫正義とか。
お願いします。お金持ちの人、たった一億でいいんです映画に出資して下さい。

2012年3月30日金曜日

「パラサイト」


就活デモ

大学は出れる、だがしかし会社には入れない。
十社、二十社、三十社、何社も落ちた、就活に失敗して自殺する若者が激増しているという。
 警察庁の調べで明らかになった。

髪の手入れが悪い、靴が汚れている、爪が伸びたまま、話せば満足に喋れずドギマギし目は泳ぐ。
字を書かせれば小学生、会社を何で選んだかも定かでない。
ただ内定が欲しいという心が見え見え、面接力のない人間はまず入社出来ない世の中だ。

親のスネをかじり続けパラサイトと化して来た人間を正社員に入社させる会社はない。
お母さんごはんわとか、お母さん洗濯しといてとか、お母さん必ず朝起こしてよとか、お母さんお風呂わとか、着替えはとか言って家から離れない人間は世の中が必要としていないのだ。

若者よ夢を持て志を持てそして家を出ろ自分で生きよといいたい。
会社なんか入れなくても仕事をする気になれば幾らでもある。二十代を過ぎたらあっという間に三十代、そして四十代。
パラサイトが一年を取るのは早い。パラサイトはまず女性に、あるいは男性にもてない。だから余計に家が恋人になってしまう。

気持ち悪いゾッとする、そんな人間はゲーマーとなりAKB48を追い、パソコンを恋人にしやがて沈んで行く。親に頼るな、会社なんかどうって事ないんだ。もっと人に会え。若い内から安定なんて目指すな。

もっと旅をしろ、もっともっと苦い経験をしろ。
家にパラサイトを抱えている人達はその気色悪い寄生虫を外に放り出しなさい。面接力は育った様にしか生まれない。
二流、三流、名も無き大学の学歴なぞは無きに等しいと思い開き直る事だ。
就活に失敗した人間がデモをしている姿なんてマンガより仕未悪いんだ。大学出たらいきなり一人で社長になりゃいいんだよ。

お父さん、お母さん我が子の自慢話なんかしているととんでもない結果が待っているのです。就活に失敗したから死を選ぶなんて絶対に駄目、自分を鍛えれば必ず生きて行ける。

2012年3月29日木曜日

「WAKOにて」


WAKOの黒米のサラダ


銀座4丁目の交差点といえば服部時計店(セイコー)の時計台、その売り場はWAKOという。

その隣にWAKOの食品売り場がある。その二階にカフェレストランがある。 
4人掛けの丸テーブルが6つ、四人掛けのテーブル(ソファ+椅子)が7つある。
全てお客さんが入れば24+28=52人となる。 

329日(木)午後1時〜220分まで出版社の編集長と、230分〜4時迄中野裕之監督と打合せをした。
客席は全ていっぱい、ウエイティングの椅子にも数人いた。お客さんはほぼ8割は女性、ほぼおばさんであった。

私の様な人相の悪いのが隅っこにいて悪い目付きでいるのが場違いなのであった。
人と打合せしたい時WAKOが一番間違いないのでよく利用する。携帯を持たない身なので待ち合わせ場所には苦労する。

亡き友市川準が「亭主元気で留守がいい」というCMを作ったが正にオバサン達はよく食べ、よく喋り合うのだ。
久々にゆっくり話ができた中野監督の言葉は、冴えに冴えていて脳内のモヤモヤが流れる雲の如く消えていった。
そしてイマジネーションが入道雲の様にモクモクと浮かんで来た。才能ある人との時間は一分一秒価値がある。

その頃きっとおじさん達は「ババア病気で死ぬがいい」WAKOの裏通りにあるルノアールかなんかで喋り合っているのである。

2012年3月28日水曜日

「怪物一人」

松永安左エ門


色の道こそ男をつくる。
あらゆるものの根源はバイタリティにある。
その根源は性欲だ。間男、姦通当たり前、時として強姦も辞さず。 

97歳でこの世を去るまで女性を楽しみ続けた男。
人はこの男を「電力の鬼」という。その名は松永安左エ門。
宮本武蔵が日本一の剣豪と伝えられるならさしずめ日本一の性豪といえる。100年程前電力会社は全国に690社程あった。
その中で東邦電燈という会社が東京に乗り込んで来た。松永安左エ門48歳の時である。

そして次々とライバルを屈服させ弱小電力会社を買収、吸収、政財界を取り込み官僚達にむかって「きみたちは人間のクズだ」と言い放ったという。という事で現在まで東京電力のDNAは松永安左エ門なのである。

「電気料金を安く」をスローガンに生まれた東京電力がいつからか高い電力料金をの会社になってしまった。
値下げに反対したらスイッチを切って真っ暗にしてしまうぞという会社になってしまった。

松永安左エ門は晩年世間から離脱すべく「耳庵(じあん)」という庵を伊豆堂ヶ島につくる。62間であった。
浮き世の事は耳に入れるなという意味らしい。茶道を愛し、国宝級の蒐集品を集め楽しんだ。

強欲にして括淡、吝嗇にして豪奢。全てが二極化していた怪物であったと記憶され語り継がれている。
埼玉県新座市にある禅寺の中に高さ80㎝の墓石がある。
戒名はなし「耳庵居士 松永安左エ門」と横書きにされ生死の月日、97歳とだけ刻まれている。簡素の極みとか。

2012年3月27日火曜日

「アリラン」




私が大好きな、というよりその才能に恐怖を感じる監督がいる。
その名をキム・ギドクという。
現在52歳、その経歴は貧困との戦い、学歴との戦い、絵画との戦い、宗教との戦い、哲学との戦い、軍隊での戦い。
全て戦いの半人生であった様だ。

カンヌ、ベネチア、ベルリン等各映画祭でグランプリ等を受賞、キム・ギドクの作品は圧倒的な支持を得て来た。
今渋谷のイメージフォーラムで「アリラン」という映画を上映している。
自分との戦い、社会との戦い、仲間との戦い、映画界との戦いに疲れ切ったキム・ギドクは山小屋の中に一人籠もる。

一年、二年、三年そしてキム・ギドクは一台の小型カメラに向かって独白を始める。
その凄いのなんの狂気と殺気と正気と怒気がカメラに向けられる。この映画は製作、監督、脚本、撮影、美術、音楽、何もかもキム・ギドク一人である。出演者も本人だけ。

かつて観た映画「ゆきゆきて神軍」を思い出した。 
NO.1になった原一男の映画だ。自分に悩んでいる人はぜひ観て欲しい。
ただしキム・ギドクの用意したラストシーンを選んではいけない。アーティストやクリエイターはその一秒、その寸分まで戦いなのだ。人生とは全ての人間の戦いの歴史なのだ。決してあきらめるな。

「アリラン」とはそれは韓国の名曲の題名、人生の題名だ。