猪瀬社長の作る眼鏡 |
吹き矢、弓矢、仕込み杖、機関砲(モデルガン)、手巻きの蓄音機からは♪ウスクダラの曲、CDプレイヤーからはオペラが流れる。一階、二階、三階、四階、五階と歩いて登る階段も各部屋の中はまるで博物館。
明治天皇、吉田松陰、大村益次郎の書や、肖像画、ハイパーアート、中国掛軸、インドの陶器、現代アート、もう一階から五階まで驚きの連続だ。一階ショールーム、二階(会議室だったか)、三階仕事場、四階(ミーティングルーム)、五階(パラダイスルーム)奥さん、お弟子さん、一人、二人、三人目は中国の若い女性
長い間人生をやっているともの凄い職人さんと出会える。
白いTシャツをめくると体に川の字に長く深い傷三本。聞いてはいたが凄かった。
ある仕事の相談に福井県鯖江の眼鏡会社社長と行った。
九月四日には私とデザイナーの後輩と行った。第一回目でぶっ飛んで第二回目で心が通い合った気がした。
仕事場には大小のダイアモンドがゴロゴロ置いてある。
で、この名人職人の名は猪瀬彰則さん。
一級貴金属装具製作技能士、一本1000万、2000万の眼鏡を作る名人だ。眼鏡の世界では知らない人はいないとか。
この人に出来ない事はない。鯖江の社長は最大級の敬意を持って私に紹介してくれた。
何故だか紹介されて直ぐに親分とか、親方とかいわれた。
名人はグルグル蓄音機を回した。そこから流れてきたのは「愛染かつら」だった。
♪〜花も嵐も踏み越えて行くが乙女のぉ〜と名人は歌う。キャーとかいってこれ凄いでしょ、本物の“金の玉”だよといって金の名作を見せてくれた。とに角いい人、明るい人、面白い人、凄い人。名人の会社(イノン)の目の前は板橋警察署だった。留置されている人はいい曲を聴いてるかもしれない。
相談の件は名人でも難しそうだったが、親分のために一肌脱いでみるよといってくれた。
名人はアメリカで買い求めたというインディアンの弓矢を数本肩から斜めにかけ(革袋入り)、手には大きな弓矢を持っていた。電話がかかって来た。えーホント買えたのスゲエー、良かったと大声を発した。
念願の温泉付の住まいを熱海で見つけたという。
海を身ながら細工物を作りたいんだ、ネッ、ネッいいでしょうといって煙草を喫いに出て行った。
気遣いの名人でもあった。新作発表のため忙しいんだという中、二時間程相談にのってくれた。
帰る時、奥さんとお弟子さんと三人でずっと、ずっと手を振ってくれていた。まるで夢の様な人だ。