強風烈風、大雪乱舞する。
1月14日成人式は若者達の前途を純白に歓迎する。
やがて大人社会の絶望的景色の一木一草となる。
悩め苦しめ、人を愛し人に裏切られ自己を研磨せよ。
一寸先の闇の中に希望の光を見つけるには深手の傷を心に刻み込まねばならない。
美しき女性に恋し、純真らしき男子に愛を捧げ、微笑の裏にある悪を知り、誠実の裏にある邪心を知らねばならない。
純白の路は処女の白肌の如くであるが翌日は見るも無惨な泥の路と化す。
年末見られずに取り寄せていたDVDを三本見る。
1、開高健の「漂えども、沈まず」、二時間。
2、N響の第九、やはり第九は12月末に聞かないとダメだ、一月だと第一であった。約一時間。
3、日曜美術館「葛飾北斎」約45分。
その後映画を見続けたので録画してもらったTVを見た。
1月13日NHK Eテレの「北一輝と大川周明」昭和維新についてが抜群に面白かった。
Eテレの“日本人は何を考えてきたか”シリーズである。
この手のドキュメントはNHKにどこもかなわない。
本屋に行っても読みたい小説が全くない。
文学自体が息をしていない。心肺停止状態だ。
親殺し、子殺し、イジメ、復讐、不倫、実際に起きている事件にねじ伏せられる犯罪小説の山、警察の内部告発、権力者の荒廃、進歩しない経済学の通説、御用学者たちの提灯本、視点が全く変わらない歴史本、最初の一ページをパラリとめくって一行読んだだけで終わりの小説もどきばかりだ。
一冊だけ買って読んだのが、今谷明著の「天皇と戦争と歴史家」、立花隆の巨著「天皇と東大」とはまるで比較にならないが3200円も支払ったので最後まで読んだ。
平泉澄(きよし)という狂信的自己陶酔学者(東大教授史上最も嫌忌された教授という)についての話であった。
学者たちは学閥の中から突き出る事が出来ない生き物である事を知るにはまあ35点という事だ。
小説家は100人いれば100の小説を書く、ただ一つ共通しているのは、「助けてくれという叫びだ」と開高健大先生は語った。
“小説家は自殺するかわりに旅に出る”という。
TVのチャンネルを変えると芥川賞作家の西村賢太がクイズ番組に出ていた。
受賞作は純文学「苦役列車」であるが、今や預金通帳にお金が振り込まれるのとTVに出るのがうれしいという間抜けなタレントになってしまった。
大雪の中行った文教堂はガランガランであった。
顔なじみの店員さんに本売れていると聞いたら、全然という返事であった。
文学の再生を願わずにはいられない。
過日、村上春樹は純文学かという論議になったが、さすが私の仲間、全員あれはアメリカ文学をパクった、ただの大衆小説だよという事で一致した。
成人した若者たちよ、純文学の主人公たれ、「魔性」の恋愛をせよ。
そして沈殿せよ。