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2014年3月3日月曜日

「ゴマスリ」


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ジンジ、ジンジ、ジンジ。
この季節いちばんうるさく鳴く鳥の声です。

のし上がった者、蹴落とされた者、サセン、サセンと左遷されて恨み骨髄と飛ばされて行く者。
せっせとゴマをすっていたのに裏切られたという者。
まさか、まさか、まっさかさまの人事に愕然とする者。
何でよぉ〜、俺があいつの下で働かなきゃならねんだよぉー、冗談じゃねえよ、何であの人が部長であの人が飛ばされたの、何考えてんだよぉマッタク、やっぱりゴマスリが勝つんだよな人事は。
何であんな阿呆の倅が役員になるんだよ、一族経営の見本じゃんか、会社の一族化は許せないわ。
ヤダヤダ、あたしとあの娘とどっちが仕事が出来るか、みんな分かっているでしょ、なのにあの娘の方があたしの上になるなんて。
知ってる、あの人とあの人出来てたのよ、よくやるわよね、体張ってまでなりたかっただなんて、見かけによんないわよマッタク。
あ〜あ、これでうちの省は終わりだね、あの人が局長だなんて。
だって知ってんだろ、バカで、アホで、ノンベで、スケベで、カラオケしか能が無いんだから。

憎悪、嫉妬、怨念、絶望、失望、絶句、噂大好きの廊下トンビは有る事無い事、無い事有る事に、様々な独自の解釈を加えて梅の花が春風で飛んで行く様に、今日はあそこに、明日はあっちにと酒席を回り続けるのだ。
人事の失敗は組織の失敗と言われる。

二月二十八日新橋発小田原行き、十一時五十七分発東海道線最終列車は、中央線高尾−中野間人身事故(合掌)の影響で運休、その為に東海道線にも影響、ホームに立った時は二月であったが、動き出した時は三月であった。

ギューギューの満員列車となっていた(グリーン車もギュー詰め、私は藤沢まで立ちっ放し、モミクチャ状態)。グラグラ、ベロベロ、ヘロヘロ、メタメタ、グニャグニャ、ヨレヨレの酔っぱらいばかり、東京駅から座ってきている組織に組みする人間たちの話は、ジンジン人事の話であり嫌でも耳に入って来た。

早い話、不平、不満、不信、それを正面切って言えない根性なしというか、自己保身の人間たち、愚痴と能書きと噂話に生きる、使えない、ロクでもない人間たちが組織の殆どを占めているのだ。

「ちらつかす」という言葉が多いのに気が付いた。
ストリップ劇場では「ちらつかす」が観客の目を奪う様だが、組織では「ちらつかす」が心を奪う有力な手段の様だ。
あの人◯×をちらつかしてやったらしいわよ、とか、あいつ□△をちらつかしてやりやがったとかしましい。

満員列車がやっとこ駅に着く度にドア口に立っていた私はホームに降りた。
酸欠になりそうなので停車駅ホームで深呼吸をした。
よくもこんなに乗っていたなと思うほど人間が途切れる事なく湧き出て来た。
列車の中の話では、どうやら「ゴマスリ」という「スリ」がいちばん多いらしい。
ただこのスリは警察には捕まらない。

ちなみに会話は座っている人間たちの顔付きや出で立ちからかなり想像している。

2014年2月28日金曜日

「江戸むらさき」




三寒四温、一雨ずつの暖かさ。
今も昔も季節の営みは大きく変わらなかったのだろう。
ただ人間たちが異常に文明を進化させてしまったために、異常気象は当然の様に起きている。

しかし大筋では日本ほど春夏秋冬を楽しめる国はないだろう。
万葉集を生むほどの美しさはどんなであっただろうか。
出来る事なら一度タイムスリップしてみたいと思う。

明日から三月である。
二月はなんとなくじっと屈み込んでいるみたいだが、三月と聞くと気分は一気に春模様となる。

二十七日訳あって江ノ島神社へ行った。
その帰り、江ノ島駅から藤沢駅まで小田急線に乗ることにした。
丁度電車が出た後で、十数分ホーム入り口で待つ事とした。
両手にストックを持った六十代から七十代の人が五人居た。
男三人、女性二人。午後一時を過ぎた頃だ。

ストックは杖替りなのだろう。きっと江ノ電巡りをしていたのだ。
「ぶらり途中下車の旅」という長寿番組があるが、江ノ電は人気路線の一つであるらしい。こ

の日は前日と違い、朝からどんよりしていた。
天気予報では夕方から雨が降るとの事だった。灰色の江ノ島というのも中々良い風景だ。

ホームの上で女性二人が一枚700円もする大きな海老せんべいをボリボリ齧り始めた。
顔より大きいせんべいを上から下へバリバリ、ボリボリ、ボリバリ、バリボリ齧り続ける。恥ずかしいという心をとっくに忘れている。
せんべいの真ん中に大きな赤い海老が焼き付けてあるのだが、たちまちその半分を齧り尽くす。

一人は泉ピン子風で、一人は樹木希林風だ。
やおら私の顔を見てニタッと二人は笑った。
オバチャン春だねと言ったら、あらやだ未だ二月よと言ってガハハハと笑った。情緒感がありそうもないのでそれ以上声を掛けなかった。
遅いわねあの人、いつもノロノロしてんのよと言った。
どうやら友人を待っているらしい。一人の男が放っとけばいいよ、先に行こうと言った。

私は小田急、ご一行は江ノ電だ。
海老せんべいはあと3分の1位になっていた。大きな笑い声が遠のいていった。

かつて江ノ島神社には橋がなく、引き潮の時に歩いて渡った。
粋な男とぞっとする様な美人が手と手を取り合って島に渡る。アラッこんな美しい貝がなんて言っていたのだろう、ホラッ今日は富士山が北斎の絵の様だなんて言っていたかもしれない(そんな風景図があるのだよ)。

その日相変わらず島では、サザエの壺焼、イカの丸焼きや蛤みたいな大きな貝を焼くお醤油のいい香りがしていた。ただゾッとするほどストックを持ったご一行が多く居た。
三月から四月、鎌倉あたりの花見の季節になると、江ノ島の旅館に泊まりバスで鎌倉に向かうのが大人気なのだ(中国人も多く来るらしい)。

顔なじみのシラスコロッケを売っているオジサンに元気かいと声をかけたら元気なんかねぇーよと言った。いつも愛想のないオヤジだ。

夜になると予報通り雨が降って来た。一雨ずつ暖かくなる。
どんなに懐が寒くてもちゃんと季節は暖かくなる。

いつも懐の暖かい人ほど、季節の移り変わりに鈍感だという。
つまり感受性が貧しいのだ。
長屋の江戸っ子や浪花っ子は最も感受性と感情が豊かであった。
いつも金欠だが底抜けに明るく人情味ある主人公の落語はそこから生まれたのだ。

何はなくとも「江戸むらさき」というから、岩海苔を一瓶買って帰ろう。
今夜のディナーはそれだけとするか。そんな思いをした二月の終わりであった。

2014年2月27日木曜日

「誰だ!」

アンネの日記



二月二十一日夕刊にこんな記事があった。
アウシュビッツ元看守三人拘束。独当局発表。
一人は八十八歳、一人は九十二歳、一人は九十四歳。
ナチスホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台となった収容所の人間であった。
現在はドイツ南西部バーデン・ヴュルテンベルクの捜査当局の監視下に置かれている。

二月二十五日朝刊には、ナチス・ドイツ強制収容所の最高齢生存者であった百十歳のアリス・ヘルツゾマーさんがロンドンの病院で死亡したという記事があった。
凄まじい生命力だった。

連日「アンネの日記」が図書館で破損されてるという報道がある。
その数三百冊以上。アウシュビッツに関連する複数の書籍も破られているという。
「アンネの日記」はナチスのユダヤ人狩りから逃れようとずっと隠れていた少女の日記である。少女はやがて悲しい最期を迎える。誰が、何故(?)。

ただ人を殺したかったと、人間に向かってアクセルを踏む男。
ただ人を刺したかったと少女に刃物を突き刺す男。
バイト先で知り合った女性を追い回した後に拳銃を打ち込んで殺めた男(自分も同じ様にして死亡)。
ネットで知り合った後にストーカーをする男の犯罪が後を絶たない。

アウシュビッツの殺し屋たちをずっと追い続ける国家の執念に終わりはない。
第二次世界大戦は未だ終わってはいないのだ。
私はこれから第三次世界大戦が始まると思っている。
それはネット社会が目には見えない軍事行動を起こすのだ。

先日敬愛する中野裕之監督と会う機会があった。
地球の未来とか、人類の未来とか、国家の未来とか、日本人の現在と未来とか、それはそれは詳しい話で、怖ろしい話でもあった。
その内容を一度聞きたい人は中野裕之監督の作品を見て下さい。
最新作を買って下さい。

科学、医学が生む目に見えぬウイルスや細菌の話には引きずり込まれた。
何しろ中野さんの頭の中には広大な宇宙があるのです。
人間とは一体何物なのでしょうか。誰が何のために創ったのでしょうか。
これ以上進化したら何になって行くのでしょうか。
人間は死ねなくなるかもしれません。極楽に行けないのです。
遺伝子医学で内臓は再生出来る筈だから。

お前幾つになった、えっ俺か185歳だよ、ところで君は、来月で192歳だよ、なんて会話が現実になるのです。で、国家は何をするかは明白です。
人を生ませない、増殖させない。アウシュビッツの様に大量に命を奪うのです。
但しガス室ではありません。今現在、既に私たちは収容所の中にいるのです。
人体実験をされているのです。
国家というストーカーは世界を支配する巨大な財閥によって育てられているのです。

いつもの私のホラではありません。中野裕之監督が言っていたのだから。
疑う事なしなのです。女性たちの予防ワクチン等には十分気をつけて下さい。
安易にしない方がいい様です。男と男の関係から生まれるとい怖ろしい病気の話にもビックリする様な秘密がある様です。

私たちはミステリーゾーンにいるのですよ。
「アンネの日記」を破る人間は近々あぶり出されるでしょう。
アウシュビッツの看守たちの様に。

2014年2月26日水曜日

「若者よ」


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何のために一生懸命働いてきたか。
酒量が減った現在はさておいて、若い頃は死ぬ程働いて死ぬ程酒を飲んだ。
正直何度も死にそうになった。

ガード下のヤキトリ屋、道路脇の屋台のおでん屋、居酒屋からスナックバー、ミラーボールの回るキャバレー、小料理屋から会員制のBAR、お寿司屋さんから大箱のクラブへ。働いた分稼ぎも増え、飲む場所も一段一段格上げになっていった。

オイ!杯一(パイイチ)行くかとなれば、ヨシ!早く仕事をやっつけて行くべしと頑張った。先輩から声を掛けられたら断る事はなかった。
また後輩にオイ!行くぞ今夜はとなれば、待ってましたとなって銀座→赤坂→六本木が決まりだった。神宮のプール一杯分は飲んだかもしれない(?)
「酒は学校」だと思っていたから人間を知るためにはお酒の力は欠かせない。

さて、昨今はといえば、上司とは飲みたくない(分かる気がする、どうせワンパターンの自慢話と昔話し、私も十分反省してます)、先輩とも飲みたくない。
出来れば友人、同僚とだって飲みたくないという若者が増えている。
誰と飲むかとの調査に対し、一人でが40%、友人35%、同僚20%を超えて第一位。
取引先とはわずか2%。元々飲まないが何と28%。
飲む人の酒量も25%が以前より減ったと数字は語る。

主に何処で飲むかと言えば、自宅が70%、居酒屋飲食店が27%であった。
宴会や飲み会は45%減ったとある。やはり私が思っていた通りの数字だった。

若者は少しでも自分の時間がほしい(よく分かる)、少しでも早く家に帰ってメールやラインやフェイスブックに精を出し、インターネットのスケベ画像相手に自家発電に励みたい(?)。20代男子の70%近くに恋人がいない。
60%近くが童貞だというではないか。

なんだなんだ若者よ、お酒を飲まなきゃいかんぜよだ。
女性を好きにならねばあかんぜよだ。恋愛は面倒臭いなんて悲しい事を言わないでチョーダイだ。

そういえば銀座、赤坂のBARに若者の姿は殆どない、オッサンみたいな立ち飲み屋がブーム中。25日の給料日、頂いた給料をそっくり一晩で使ってしまう、そんな見所のある若者が居ないのはこの国の将来のためにマズイと思う。

給料の前借りをする若者がいないのもツマンナイと思う。
目一杯頑張ってあの店の、あの娘に会いたい。そんな正直な気持ちが活力を生むのだから。

何!飲む金が勿体ないだと。何!お前の話はもう飽きただと。
分かった、分かった。だったらせめて友達と恋愛論に花を咲かせてくれや。
少し位なら飲み代出すからね。

そんな事よりまた、また、またダイオウイカが生け捕りされた。
幻のイカがフツーのイカちゃんになって来た。
海底で何が起きているのか、不気味ではないか。
イカ刺しを肴に酒を飲んでいる場合じゃないかもな。

2014年2月25日火曜日

「一戸広臣さん」

一戸広臣さん





縄文人来たる。
二月二十一日(金)午後五時過ぎだった。

身長は180センチを超える。体重は85キロ位だろうか。
顔は見事な髭を誇っている。赤の薄手のコートの上にもう一枚ダークグレーのコートを着ていた。二枚のコートを脱ぐと、珍しい柄のジャケットを着ていた。

お洒落である。
何十何百の糸の柄がまるで畳の目の様に織られている。
その人の名は青森で活躍する「しきろ庵」の主である陶芸作家、「一戸広臣」さんだ。

珍しい柄の服は「裂織(さきおり)」であった。直ぐに調べてもらった。
木綿生地の古着を割いて横糸に織り込むリサイクル布地。先駆的な循環技術なのだ。
綿花の栽培が出来なかった北国では木綿は貴重品だった。
保湿性が高く着心地のよい木綿は憧れだった。
江戸時代になると余った古着や古布が売られる商売が始まった。
麻と木綿などの強い糸を縦糸に、古着を割いて紐状にした布を横糸代わりに使って織物にするのだ。

保湿性がよく、布地の目が詰まり丈夫で、風雨を防ぐ作業着としても適している。
バッグやタペストリー、帯などにも使われ人気を得ている、青森の織物と書いてあった。

一枚の上着には、一家の歴史が織られている。
おじいちゃんの使っていた物から、おばあちゃんの使っていた物、古くはひいじいちゃん、ひいばあちゃんの使っていた物から一本一本糸が選ばれ、抜き出され、組み合わされ、鮮やかに落ち着き、また複雑で繊細な柄を紡ぎ出す。

実にいい柄だ。
アイヌの織物もいいが、青森の裂織も日本の風土が生んだ逸品だ。
で、友人の縄文人は、縄文の文様を独特の手法で陶芸作品とする。
広大な青森の田畑の側に、ご夫婦の住居があり、窯と工房とショールームがある。
そして外には縄文時代の住居、竪穴住居がそっくりそのまま作られていて、そこで魚を焼き、奥さんがお料理を出してくれる。一戸さんがお酒をたっぷり持って来てくれる。

縄文時代は人と人が実に仲良くて、戦争なんてなかったんだよね、と一戸さんは言う。
縄文人たちが竪穴住居を作って定住をしたのは隣同士が争いをしなかったからなのだろう。縄文人は質素を旨として平和に生き続けた。

青森の裂織には大雪や猛吹雪、極寒から身を守るために、変色してしまった一枚の布切れも、先祖代々着古して来た衣服の一本一本の糸も決して粗雑に扱う事が許されなかった。一着の衣服に無数の色が点描の様に見える。

縄文時代の集落のリーダーの様な一戸広臣さんのガッシリした顔にある、二つのクリクリした目は実にやさしい目だ。争いをしていない人の目だ。
一戸さんは一週間奈良に行って来た帰りに寄ってくれた。
神社仏閣を回り、国宝の仏像や名も無き仏像を見て来たそうだ。
大好物の奈良漬けを頂き、更に写真葉書を二セット十六枚も頂いてしまった。

青森の大地の中にポツンとある工房にいると情報に飢えてしまうのだと言った。
うんざりする程の情報の中にいる私とは真逆なのだ。
生きている奈良の大仏さんの様な一戸広臣さんは現代人が失ってしまった大切なものを教えてくれる。

私の下手な絵と一戸さんの縄文焼きを是非一緒に展覧会にしませんかと言ったら、大きな体、大きな顔、大きな目を輝かせた。裂織のジャケットがユサユサと揺れた。
立派な髭が笑った。

家に帰り国宝法隆寺のハガキ入れを見ると、そこには「法隆寺の茶店に憩ひて」「柿食へば鐘がなる法隆寺 子規」と書いてあった。その夜の酒のおつまみが仏像たちと、絶品の奈良漬けであったのは言うまでもない。

ちなみに100万円位出すと何でも作れる広大な畑が買えるらしい。
竪穴住居の作り方は、一戸広臣さんご夫婦が教えてくれる筈だ。

ある調査によると、一家の主の収入(お金)が法定外あるいは予想外に増殖すると、一族の妬みを買い、夫婦愛に支障をきたし、親と子の関係にヒビが入り、兄弟関係は他人同様となり、仲よき友達は離れ始めるという。
逆に近づいて来るのはヨイショ人間と相場は決まっている。
無いより有る位が丁度いいなと思う人がいちばん幸せになる。


お金はあるのに心が満たされていないと思っている人は、是非青森の一戸広臣さんの処に行って、竪穴住居を経験するといい。
一匹の焼いた魚の旨い事、一杯の酒の旨い事といったらこの上なしだ。

2014年2月24日月曜日

「反省」




金メダルって何だろうか。
オリンピックを見る度思ってきた。

一番強い(?)一番速い(?)一番高い(?)一番遠い(?)一番失点が少ない(?)一番得点が多い(?)一番技術が凄い(?)一番正確(?)一番強靭(?)、うーん何もかもそのとおりだが、何もかも(?)(?)(?)だなと思う。

金メダルという競争のために余りに多くのものを失っているからだ。
栄光の影に泣いた者、栄光の影で消えた者、栄光の影で全てを奪われた者。

期待に応えられず、すみませんと涙を流す十七歳の少女を見て残酷だなと思った。
少女がジャンプするその体に重い雪の固まりの様な、国民の期待というか重圧がずっしり乗っていた。

金メダルを逸した少女にやさしい言葉を書き残した文章も、期待をかけすぎた反省の言葉も殆ど無きに等しい。今はその名すら口にしない。

愛する母親を失い、傷つき傷んだ心で鬱々とした日々を過ごした、二十三歳の女性スケーターに金メダルという強引な期待をかけた。
その結果ショートプログラム16位であった。
人々はその日、その失敗をあらん限りの言葉で攻め立てた。
そして、もうフリーは期待出来ないと。

次の日、失うものを無くしたと開き直った二十三歳のスケーターは、解き放たれた鳥の様に自由自在に氷の上を飛び自己最高点をあげた。こみ上げる涙と共に歯を食いしばった。口を真一文字にした顔には鬼気が迫っていた。

その日、その次の日、国民は手のひら返す。
そして今、金メダル以上の感動だ。
世界も泣いたと、あらん限りの称賛の言葉をこれでもかという程洪水させている

気がつけば私もその一員であった様で恥じ入る次第だ。
勝負は結果が全てというが本当にそうであろうか。
あーやっとこれで自由になれると思ったスケーターは次のオリンピックに向かう事になるのだろうか。ステキな男性と氷も溶ける様な熱い恋をして、これからひと儲けを企んでいる者共に別れを告げて欲しいと願う。

一人の金メダリストを生むためには邪悪な心を持つ人間が存在する。
オリンピックは人間という生き物がいかに素晴らしく、メダルの色というものがいかに残酷かを教えてくれる。

オリンピック中、何紙もの記事を読んだ。
ニュースで何人もの人間や、キャスターやスポーツ関係者のコメントを聞いた。
残念ながら一人も感動的、教訓的な言葉を残したものに出会えなかった。
誰も彼も、何処もかしこもワンパターンであった。
栄光の持つ残酷さ、非常な影について語る者はいなかった。

パラリンピックが始まる、ハンディキャップと戦う選手たちも、メダルの色をつける日が続く。スポーツを出来る様になったその姿はみんな金メダルなのだ。

二月二十四日午前十二時四十九分五十一秒、少し濃い目のスイスキーハイボールをグラスの中に作る。クールダウンだ。そして私なりの反省をする。

2014年2月21日金曜日

「デコポン」

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「戦争と平和」、軍隊と警察に厳重に守られた中で行われているロシアのソチ・オリンピック、これは一応平和の祭典といわれている。

その近くの国ウクライナの首都キエフではまるで戦争状態となっている。
現大統領がロシアの舎弟分になる方向を示したからだ。
反大統領派はEUを兄弟分にと思っていたから両者の対立となった。
ロシアにとってウクライナは重要な国なのだ。

狡賢い国の代表といっていい国がロシアだ。
日本には日露戦争で負けているので、ノモンハンでは徹底的に日本を打ち負かした。
太平洋戦争の最終場面で一気に参戦し、戦勝国の仲間入りをした。


米国とは表面上手を握っているが、永遠に相入れない両国である。
米国にとって、親露、親中に向かう日本政府はことごとく潰しきた。
右へ、右へ、右へと進む安倍晋三総理は米国にとって許しがたき存在となってきた。

驕る平家は久しからず、盛者必衰の理をあらわす。
欠けない満月はなく、桂馬は高転ぶ。
強大な権力がいとも簡単に滅びて行くのは、蟻の一穴からと歴史は教える。
靖国参拝、特定秘密保護法、慰安婦問題、尖閣問題、普天間問題、TPP交渉、国家権力の教育現場への介入、公共放送NHKの人事におけるお粗末な現状、首相補佐官たちの無知を極める発言の数々、恩師であり政治の師匠でもある小泉純一郎との決定的対立。
原発、復興問題。官高党低による不満のマグマ。

官房長官の仕事は今や毎日失言、放言、暴言、迷言の火消しである。
これほど火消しをする官房長官は珍しい。何もかもお友達人事のツケといえる。
株価だけで持っている支持率だから、官邸にあるスクリーンで株価に一喜一憂するという。それ故言葉だけは勇ましくならざるを得ない。
このまま後三年近く持つ事はあり得ない。

一国を授かる真のリーダーはどーんと構えていないと国が治まらない。
私が、私が、私がというたびに、人が、人が、人が離れていく。

「空樽の音は高い」という(私の事)。
戦争か平和かなどという言葉が気がつくと身近になってきた。
富国強兵などという死語が息を吹き返してきた。
愛国心という教育が押し付けられようとしてきた。

消費税を二年にわたってUPするという。
その先にある恐怖が人間を強気にしているにすぎない。
四月にオバマ大統領が来る時、日本国は完全に経済政策で屈服する。
今はみんなで頭を抱えて国民に対する言い訳を考えているのだろう。

米国の通商代表フロマンは名うてのタフネゴシエーター、日本代表たちとでは大人と子どもほどの差がある。病で体力を弱めている人間には余りに過酷な役といえるだろう。
やはりお友達人事で内閣法制局のトップに起用した人物は長期入院しているのだが、病院から引きずり出されるやもしれない。

官房長官菅義偉がプッツンした瞬間に安倍政権は音を立てて崩れて行く。
蟻の一穴どころではなく、そこいら中穴だらけとなった。

今週末は政治に少し目を向けてみよう。
大マスコミはすっかり翼賛体制に組み込まれてしまっている。
今や正しい情報は夕刊紙の日刊ゲンダイにしかない(?)。

ヒトゴトではない事がゴトゴトと、ファナティックなヒトたちによって起きている。
コラァー!オレに関係ない、ワタシに関係ない、なんてデコポンばかっかり食べてんじゃいの。安倍晋三さんは気さくでいい人なんだよ、取り巻きがイケナイんだよと知人は言う。頂き物の長崎産のデコポンは実にうまい!(敬称略)

2014年2月20日木曜日

「特攻服とトライアスロン」


山本良介選手



それでも僕は走り続ける。
濃紺のカッターシャツ、グレーのベスト、黒いウェリントン型の眼鏡、手入れの行き届いた長い髪、清々しい顔、穏やかな語り口。
ひと目見た人はきっとIT関係の若き経営者か、大学の新進教授みたいだと思うだろう。

山本良介(34)日本のトライアスロンの五輪代表選手だ。
といっても二月二十日(木)午前十二時過ぎに初めて知った名前だ。

私が長い間お世話になっている会社に一人の女性がいる。
ずっと仕事させて頂いていたのだが、その女性がトライアスロンをやっている事を最近知った(えーあの女性が、とそれを聞いた時絶句した)。
スリムな体は鍛え抜いた肉体だったのだ。どうりで会社まで自転車で通っている訳だ。
以前骨折したのもトライアスロンだったのだ。

トライアスロンは全く縁の遠いスポーツだった。
余りに過酷だから私には出来る訳がない。水泳1.5km、自転車40kmそしてマラソンを一気にやるのだから。テレビ東京で「will」という番組をやっていたのだ。
ソチ・オリンピック一色なので何か他の番組はないかとテレビ欄を見てトライアスロンの文字が目に入ったのだ。

山本良介選手は、京都の暴走族の総長であった。
幼い頃両親が離婚、母親一人に育てられた。子どもの頃水泳教室に通っていた。
が、中学・高校生となった頃から喧嘩に明け暮れ、やがて暴走族となり特攻服が制服となっていった。母親は警察に相談に行った。

何をしていいか分からなかった若者は暴走しながらも水泳をしに行っていた。
片親だからグレてしまったと思われるのが辛かったと母親は語るが、その顔は苦悩から開放されたアスリートの母親、五輪代表選手の母親の顔だった。暴走族をやめて母親へ恩返しをしたいと決意したのだろう、子どもの頃から敗けず嫌いだった性格に火が付いたのだ。

それからは厳しい、激しい、途方も無い練習の日が続く。
鍛え抜く体は一日休んだら肉体はヤワになってしまう。泳ぎ、走り、ペダルを漕ぐ。
一心不乱という言葉がピッタリの姿だ。トライアスロンは五輪のスポーツの中で一番過酷といっても過言ではないだろう。
そしてジュニア選手権優勝、五輪選考会優勝とその名を高めていった。

だがしかし世界の壁はとてつもなく高く厚い。超人的なアスリートが何十人もいる。
山本良介選手は挫折を繰り返しながら次の五輪を目指す。
トライアスロン普及の為に指導をする姿は心打たれる。

私も母に育てられた、片親と言われた。
横道に走って行ったが母の愛は私を正してくれた。十九歳で横道とオサラバした。
山本良介選手も同じ様であった。母親の愛ほど人生のコーチはいないと私は思う。


今、目の前にグレたり、ヨタったり、親不孝を重ねる若者がいたら決して諦めずに見守ってあげよう。何かのキッカケできっと正しい道を歩き出し、走り出す。

トライアスロン人口は35万人を超え、今大きなブームを呼んでいる。
ビジネスマンや若い経営者たちが増えているとか。一度会ってみたいアスリートだ。
母親への愛を固く誓った人間のオーラを浴びてみたい、何かきっと教えてくれる筈だ。
必ず会いに行く、そしてずっと応援する。
日々修行する若者ほど美しいものはないからだ。

























2014年2月19日水曜日

「一茶を目指す」


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この世でいちばん残酷な凶器とは何であろうか。
結論を急げばそれは「時間」だ。人間は生きている限り過去には帰れない。

黒々とした髪は灰色となり、白髪となる。
人によっては、日々毛は抜け落ちやがて無毛地帯となる。
若々しかった肉体は見るも無惨に変わり果てる。
二段、三段跳びで駆け上がった階段も一段一段注意深く上がる。
一撃で相手を倒したパンチは空を切り、しからば足蹴りをと足を出せば肉離れを起こすやもしれない。

チクショウこうなればと自慢の頭突きをと思えばいともたやすくかわされるだろう。
逃げる相手を追う走力も予想を超えて遅い筈だ。

時間という凶器は一日一日人間の誇りと、尊敬を切り刻み、人間の心の奥までその刃を好き勝手に突き立てる。

 ならばと思い私は、手の拳だけで人の命を奪える術を、正しくは人の命を守る体術を極めんとする。五本の指を自在に操り相手に対せる様に。
時間という凶器に勝った者は人類史上一人もいない。人は生きそして必ず死ぬ。
この絶対的掟からは逃げられない。出来る事をやる。
愛するものを守るために、日々出来る事をやるしかない。

感性の翼を閉じてはいけない。五感を鍛えれば頭の中まで凶器は及ばない筈だ。
そのためには過去を捨て、目の前の出来事に感性を働かそう。

画家の奥村土牛、片岡球子、小倉遊亀。
百歳に近づく程、殺気と情念と繊細を極めていた。

大雪の中にも春は来ている。梅の木にポツポツと花が咲き。
千両万両の赤い味を食べに緑色の小鳥たちが集まり、牡丹の木にはしたたかに花の蕾が育っている。森羅万象等しく時間という凶器と戦っているのだ。
何かを捨てる勇気を持てば、何かを得る為の勇気が生まれる。
人間がずっと人間でいられる術は、絵を描く事か、言葉を綴る事、何かを作る事だと私は思っている。

ある学校の教師であったある人は、体操の授業中に事故に遭い全身麻痺となった。
絶望の中で知ったのは、口が動く事だった。想像を絶する時間と闘った。
そしていつか絵筆を口にくわえ、水彩の極致を極めるまでになった。
懸命に精進する人間のみ時間は味方になってくれる事がある。

キリスト七つの大罪の一つに「怠惰」がある。
何もしない、何にも感動しない。怒りを忘れてしまった人間に時間はいつか鉄槌を下すだろう。

さあ、工具箱を開けよう。
一本の鉛筆を、一本のフィルムを、一本の絵の具を手にしよう。
一行の言葉を書き続けよう。時間が味方してくれる様に。

オリンピックの時間は残酷だ。
懸命の努力の果てに、0.001秒差でメダルを逃す選手もいる。
ヤバイ、気がつけば一番自分が「怠惰」ではないか。
明日のために今日何かやらねばならない。

そうだ!先ずはグラスに氷を入れてウィスキーを注ごう。
そしてじっくり考える事にしよう。
バレンタインデーでもらったチョコレートやクッキーを楽しみながら。
「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」この境地になりたいものだ。

2014年2月18日火曜日

「似て非なるもの」

闇金ウシジマくん


私は天邪鬼だから人々が興奮するほど冷静(?)になる。
それでも日本人なのかと言われる言葉を発してはヒンシュクを買ってしまう。

冬の五輪大会(オリンピック)なんて変てこだぜ、だって南米大陸とかアフリカ大陸の国なんて全くと言っていいか、殆ど参加してないではないか。
ジャマイカがボブスレーに参加(映画クールランニングには感動した)。

そもそも冬のスポーツをする習慣なんてないのだから。
ユーラシア大陸からは少し参加していたかもしれない(?)
つまり五輪ではなく「三輪大会」なのだ。

冬のスポーツといえば、スキー、スケート、スノボー、ボブスレー、スキージャンプ、アイスホッケー、カーリングなどだが、これはみんなお金持ちのスポーツだ。
いい方を変えればお金のかかるスポーツだった(子どもの頃スキー教室にお金が無くて行けなかった)。

冬のスポーツで貧乏人が出来るのは雪合戦位だった。
体育館かなんかの床掃除みたいな事をしながら、沢庵石に取っ手を付けてギャーギャーやっている。オハジキみたいのなんてスポーツなのかゲームなのかよく分からない。

夏のスポーツは私の様な貧乏人の子どもでも出来た。
原っぱや路地での野球、校庭にあった鉄棒、サッカーにバレーボールやバスケット、走るだけでいい短・長距離走。
太い棒きれや竹竿で出来た棒高跳び、砂場に走って踏んだ走り幅跳びや三段跳び。
海や川で泳いだ水泳など、みんな日頃の遊びの延長だった。

最も北の国の人々にとっては大違いかもしれない。
スキーやスケートは生活の手段や数少ない遊びだったのだから。
まあ、冬のスポーツが全く出来ない私のたわ言と思って頂きたい。
痛いのなんの、大雪の日何回も滑って転んだ(そのせいもあるかも)。

 男子のフィギュアで紅顔の美少年が金メダル、スバラシイオメデトウ、きっと新宿2丁目のゲイボーイやニューハーフが大喚声をあげて大喜びだろうなと言ったら、何言ってんの、信じられないという顔をされてしまった。

愚妻は午前四時過ぎまで起きて応援していたとか。
四十一歳葛西紀明選手銀メダル、オメデトウ凄い執念の男だ。

オリンピックを見ずに、深夜「闇金ウシジマ君」を見ながらグラスを握った。
山田孝之はハマリ役だなと思った。いい役者になってきた。
金メダルと金貸し業、あまり関係はないと思うが、明日は金メダルを取らねばならないという重圧と、明日は金を返さねばならないという重圧は似ているかもしれない。
ともあれガンバレニッポン!