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2014年2月25日火曜日

「一戸広臣さん」

一戸広臣さん





縄文人来たる。
二月二十一日(金)午後五時過ぎだった。

身長は180センチを超える。体重は85キロ位だろうか。
顔は見事な髭を誇っている。赤の薄手のコートの上にもう一枚ダークグレーのコートを着ていた。二枚のコートを脱ぐと、珍しい柄のジャケットを着ていた。

お洒落である。
何十何百の糸の柄がまるで畳の目の様に織られている。
その人の名は青森で活躍する「しきろ庵」の主である陶芸作家、「一戸広臣」さんだ。

珍しい柄の服は「裂織(さきおり)」であった。直ぐに調べてもらった。
木綿生地の古着を割いて横糸に織り込むリサイクル布地。先駆的な循環技術なのだ。
綿花の栽培が出来なかった北国では木綿は貴重品だった。
保湿性が高く着心地のよい木綿は憧れだった。
江戸時代になると余った古着や古布が売られる商売が始まった。
麻と木綿などの強い糸を縦糸に、古着を割いて紐状にした布を横糸代わりに使って織物にするのだ。

保湿性がよく、布地の目が詰まり丈夫で、風雨を防ぐ作業着としても適している。
バッグやタペストリー、帯などにも使われ人気を得ている、青森の織物と書いてあった。

一枚の上着には、一家の歴史が織られている。
おじいちゃんの使っていた物から、おばあちゃんの使っていた物、古くはひいじいちゃん、ひいばあちゃんの使っていた物から一本一本糸が選ばれ、抜き出され、組み合わされ、鮮やかに落ち着き、また複雑で繊細な柄を紡ぎ出す。

実にいい柄だ。
アイヌの織物もいいが、青森の裂織も日本の風土が生んだ逸品だ。
で、友人の縄文人は、縄文の文様を独特の手法で陶芸作品とする。
広大な青森の田畑の側に、ご夫婦の住居があり、窯と工房とショールームがある。
そして外には縄文時代の住居、竪穴住居がそっくりそのまま作られていて、そこで魚を焼き、奥さんがお料理を出してくれる。一戸さんがお酒をたっぷり持って来てくれる。

縄文時代は人と人が実に仲良くて、戦争なんてなかったんだよね、と一戸さんは言う。
縄文人たちが竪穴住居を作って定住をしたのは隣同士が争いをしなかったからなのだろう。縄文人は質素を旨として平和に生き続けた。

青森の裂織には大雪や猛吹雪、極寒から身を守るために、変色してしまった一枚の布切れも、先祖代々着古して来た衣服の一本一本の糸も決して粗雑に扱う事が許されなかった。一着の衣服に無数の色が点描の様に見える。

縄文時代の集落のリーダーの様な一戸広臣さんのガッシリした顔にある、二つのクリクリした目は実にやさしい目だ。争いをしていない人の目だ。
一戸さんは一週間奈良に行って来た帰りに寄ってくれた。
神社仏閣を回り、国宝の仏像や名も無き仏像を見て来たそうだ。
大好物の奈良漬けを頂き、更に写真葉書を二セット十六枚も頂いてしまった。

青森の大地の中にポツンとある工房にいると情報に飢えてしまうのだと言った。
うんざりする程の情報の中にいる私とは真逆なのだ。
生きている奈良の大仏さんの様な一戸広臣さんは現代人が失ってしまった大切なものを教えてくれる。

私の下手な絵と一戸さんの縄文焼きを是非一緒に展覧会にしませんかと言ったら、大きな体、大きな顔、大きな目を輝かせた。裂織のジャケットがユサユサと揺れた。
立派な髭が笑った。

家に帰り国宝法隆寺のハガキ入れを見ると、そこには「法隆寺の茶店に憩ひて」「柿食へば鐘がなる法隆寺 子規」と書いてあった。その夜の酒のおつまみが仏像たちと、絶品の奈良漬けであったのは言うまでもない。

ちなみに100万円位出すと何でも作れる広大な畑が買えるらしい。
竪穴住居の作り方は、一戸広臣さんご夫婦が教えてくれる筈だ。

ある調査によると、一家の主の収入(お金)が法定外あるいは予想外に増殖すると、一族の妬みを買い、夫婦愛に支障をきたし、親と子の関係にヒビが入り、兄弟関係は他人同様となり、仲よき友達は離れ始めるという。
逆に近づいて来るのはヨイショ人間と相場は決まっている。
無いより有る位が丁度いいなと思う人がいちばん幸せになる。


お金はあるのに心が満たされていないと思っている人は、是非青森の一戸広臣さんの処に行って、竪穴住居を経験するといい。
一匹の焼いた魚の旨い事、一杯の酒の旨い事といったらこの上なしだ。

1 件のコメント:

しきろ庵 さんのコメント...

敬愛する東本さんのこのブログに小生取り上げて頂き 感謝に堪えません。ぜひ2人で展示会やりましょう。今回の奈良行 もう一つの嬉しい収穫でした。またぜひお会いいたしましょう