日本文化を伝えていくのは誰か、それは名人、達人、狂人たちだが、出版人という根気の塊のような人がいる。
丹念を極める取材と資料の読み込みは、難解な裁判に挑む法律家以上ともいえる。
この国にある伝統文化をなんとしても書き残す、満々たる気骨がなければ成し得ない。
高級車に乗り、高級ワインを飲み、高級料理を食べながら作家を口説き、女性を口説くのとは違う。ひたすら歩く、ひたすら聴く、そして書く。
地酒をチビチビしながら、漬物をつまみに名人、達人、狂人の神髄に迫る。
私が仙台で会った地元の出版社名は「笹氣出版」という。
「雄勝硯」に命をかけている硯職人、遠藤盛行・弘行父子の本(会いに行った)をはじめ陶芸、漆、和紙、錺金具(かざりかなぐ)、刀鍛冶、刷匠の本など名本を残す。
忘れてはいけない人がいる、心にとどめておきたい言葉がある。
笹氣出版「文化伝承叢書」既刊のご案内にそう書かれている。
15日夜6時過ぎ、井上英子編集長が仙台のおでんはここが一番よと「おでん三吉」というお店で会った。この店について書くのはこのブログの目的ではない。
一度行くべし、信じられない味が信じられない値段で食すことができる。
東京から新幹線で約90分で行ける。但し6時で既に広く大きい一階は超満員、二階は予約しないときっとダメだろう。
井上英子編集長は秋田出身である店主の一代記を本にしたとか、それ故すこぶる顔が利いていた。三吉を出た後ここが仙台牛タンの発祥の店よと「太助」という店ののれんをくぐって入った。
午後9時をちょっと過ぎたばかりだったが、残念なことに終わりであった。
ご主人が出てきてくれて名刺を交換した。
仙台の夜は活気に溢れていた。
定禅寺通りには美しいイルミネーションが輝いていた。
井上英子編集長は街のボスみたいであった。
次の日、その次の日、仙台の活気とは全く別の世界を見る。
仙台が光なら、雄勝、女川、鮎川、松島、塩釜と続く震災地は影であった。
先日「アナザースカイ」というテレビ番組に、幻冬舎の見城徹氏が出ていた。
不動産屋にもなっている。次の金儲けのためだといっていた。
どんなに出版不況でも本は出し続けるとか、会社の中に5着のスーツがありそれを自慢気に出して見せた。裏地は全てアロハ模様だった。
アロハ好きの私は吐き気を感じた。
悪魔といわれたロックフェラーが死ぬ間際に、ナチスドイツを支援した自動車王フォードにこういったという、「いずれ天国で会おう」フォードはこう応えたという、「あなたが天国に行けるならばね」と。
戦争を生み、冨を築いた二人の大富豪はきっと地獄で再会したはずである。
スポーツジムで走っていた見城徹氏の向かう先は果たして天国か、それとも地獄か。