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2016年1月14日木曜日

「子と親」



少年院で成人式「自分に正直に」久里浜
昨日朝日新聞朝刊に一段2分の1の記事があった。
35人が成人式を迎え家族や院生、職員らに祝ってもらった。
140人が出席、三村知彦院長が式辞で「試練を乗り越える強さを身につけ、自分を磨くたゆまぬ努力を続けてほしい」と励ました(式辞原文ママ)。
新成人の代表が「自分に正直に、ウソを付かず、自分と向き合って乗り越えていく」と誓いの言葉を述べた。
同少年院には1620歳前後の少年約90人が社会復帰を目指している。

何故この記事のことを書くか、それは私がかつて日本テレビの番組で横浜少年院を二日間にわかってレポートしたことがあるからだ。
番組のタイトルは「聞け非行少年たちの声」であった。
高校一年の時同級生だった正義感の塊のような男が、日本テレビのドキュメンタリー番組のプロデューサーをしていて私にレポーターをやれとなった。
起床から就寝までを密着レポートした。

少年院にはランクがある。初等、中等、特別である。
東京近郊では、千葉の印旛沼、八街にもある。久里浜は特別少年院である。
退院すれば不良少年の間では超エリートとなる。
本人がまじめに生きて行こうとしても、社会はすんなり受け入れない。
特少(トクショウ)を出ているからヤクザ社会は放っておかない。
鉄より固い意志がないと誘惑に負けてしまう。
私は社会の愛を求めたい。受け入れる愛を求めたい。
好きで非行少年になった者は余程の者でない限りいない。

故羽仁進監督は久里浜特別少年院に初めてカメラを入れてドキュメンタリー映画の名作「非行少年」を生んだ。上映された年のNo.1となった映画である。
TSUTAYAで現在リマスターされてレンタルしている。
貧困と孤独、放任と無関心。
愛情に飢えた少年たちはやがて仲間となり連携し、特別な少年となって行く。

35人の成人した男たちの前途には、世の中の冷たい荒波が待っているが、あたたかく愛情豊かな人々も山ほどいる。私たちは乗り越えて行くために協力をしてあげねばならない。小さな記事を読んで横浜少年院をレポートした時を思い出した。

テレビのニュースで三歳の女の子が親に正座させられている。
熱湯をかけられ、殴られ蹴られ小さな命は消えた。悲しくて涙が止まらなかった。
子は親を選ぶことができない。隣人は関わり合うことをしない。何もかも知っていても。


2016年1月13日水曜日

「期待外れのスタート」



三谷幸喜という人とはまったく付き合いがない。相当な才人であったと思う。

過去形で書くのは、現在その才を持て余したのか使い切ったのか、もともとこんなもんだったのかと思うほど飛び切りのドタバタばかりを作っている。

名も無く、貧しく、美しくの頃は低予算の作品を作っていた。
ドラマや舞台しかり、映画しかり「ラヂオの時間」という映画を観た時に、三谷幸喜という脚本、監督に大拍手を送った。
低予算を逆手に取りアイデアで勝負していた。
言葉がイキイキとしていた。
人間貧乏な時ほどアイデアは出る。

この国は一本ヒットを飛ばすと一気に仕事は増える、ドッバーと来る。
貧乏の頃いつか見ていろと思いながら、決して陽の目を見ない脚本を書き続ける。
売れっ子でないから時間はある。つまり学ぶ時間がある。
人を見る、商店街を見る。海に行き、山に行き、河に行く。
少ない稼ぎを見る、聞く、触るに注ぎ込む、安酒を飲み、青臭い映画、演劇論を語り、音楽のことや歴史を夜が明けるまで語り合う。
実に贅沢なのである。

が、どーんと売れると、次々続々と仕事が押し寄せる。
二度と貧乏は嫌だ、低予算は嫌だと思い、次々続々と仕事を受ける。
インプットよりアウトプットが多くなる。
贅沢な時間を失い、頭の中は出がらしのお茶のようになる。
色味は薄れてやがて色を失う。

一月十日NHKの大河ドラマはずる賢い戦略家の父真田昌幸と、その息子でアイデアのある戦術家の真田幸村の話なので久々に期待をしていた。
だが、三谷幸喜の脚本は全然つまらない。
演出が全然下手くそ、まるでお正月のかくし芸大会を見ているようであった。
歴史物をバラエティ化すると酷いことになる。
「清須会議」という作品も酷かった。

ワガママは全て通り、予算が山ほどあるので使いたい役者や義理のある役者、恩義のある役者やその一族郎党を好きなように起用できる。
脚本はバラバラとなり主題が不明となる。
演出家は三谷幸喜の脚本に忠実たらんとしてザ・コメディ歴史物の共犯者となる。
ドラマの途中にやたらと地図などの説明CGが入るから、社会科の授業みたいである。

大河ドラマからドラマをを引くと、大河だけ。
その大河にすっかり才を失った名ばかりの花が流れて行く。
今後オンタイムで見ることは殆どないだろう。先が見えている。ドタバタの劇が。

それにしても時代考証、美術、衣裳、殺陣は泣きたくなるほど酷い。
撮影、照明も酷い。全て現代劇風である。人間やっぱり貧乏がいちばんだと思った。
ある人が言った。離婚した小林聡美は良きアドバイザーだった、その人を失った三谷幸喜の脚本は輝きを失った。

楽しみにしていた真田幸村は、ヒョーキンな半沢直樹になっていた。
バーロー、三谷幸喜脚本を見なおせだ。文句あったらぜひご連絡をだ。
最後にこの国は、こいつはもう終わったとされると、これでもかというほど見放される。「真田丸」第一話の視聴率は19.9%これからずっと低下すると私は思っている。
(文中敬称略)

2016年1月12日火曜日

「第一ラウンドは反省から」



平成二十八年一月十二日、「400字のリング」のゴングが鳴った。
一年経つと壁にへばりつけた時計は二分遅れている。
テレビ画面の下に置いてある時計は三分遅れている。
正しく時を教えてくれているのはJ-COMのデジタルな数字だ。
このまま行くべえと決めた。直すのが面倒くさいと思い、また遅れた時間と付き合うのもいいなと思った。電池が切れればそこで直すとする。


新橋演舞場の前に喫茶店がある。
一月八日、午後四時頃新春歌舞伎を観るお客さんで超満員であった。
レジ前には何人もが並んでいた。原因は一人の中年女性が珈琲一杯分の勘定を払うのに、大きな鞄の中をガサゴソ、ガサゴソ財布を探し続けている。
混んでいるのだから席にいる時に用意しておけば早い、みんなそうしていた。
何やってんのヨォとか、何やってんだヨォと言いたげな人がガサゴソを見続けた。
で、私はみんなの代わりに言ってしまった。何やってんだヨォ、と。

やっとこさ財布を引き出し1000円でお釣りをもらったその女性は、今度は自動扉の前にずっと立ったまま。押すことをしないからだ。
自動扉には押して下さいと書いてある。また、みんな何やってんのヨォ、何やってんだヨォ、と言いたそうであったから私が代わりに言った。何をやってんの、ソコ押すの、と。

中年女性は振り返って言った、“ウルサイ”と。
マズイ、今年こそこういう事は言うまいと心に決めていたのに。
だがしかし私が後を振り返ると、よくぞ言ったという顔をみんなしていた。

一月四日国会が始まった。安倍晋三総理大臣が、挑戦、挑戦、挑戦を2425回(新聞によって違う)連発した。この国も挑戦するのか、北朝鮮が一発水爆実験をやった。
否、水爆じゃないとか、あーだこーだと、お決まりの軍事評論家や北朝鮮専門家(?)があっちこっちのニュースに出まくっていた。
誰も何も予想していなかったのだから大した専門家たちではない。
北朝鮮は今年中に重大事が発生するだろう。
中国が金正恩の兄貴の金正男を大事にしていた策が表面化するだろう。

政府官邸は衆参同日選挙を考えている。
が、私は大反対!と自民党の実力者二階俊博総務会長が九日のぶら下がり記者会見で言った。権力闘争がついに表面化した。
オセロは腹心のイアーゴーのひと言で嫉妬の炎を燃やし、やがて破滅する。
あちこちの記事で菅官房長官が次の総理かと書きだした(官邸の誰かが書かしているはずだ)。影にいるべき人間が光あたる人間になった事、気がつけば敵ばかりだ。
沖縄の宜野湾市長選で敗けたら、アメリカから使えないとの烙印を押される。
やり過ぎたツケは大きい。

分裂した山口組は神戸山口組勢が押し気味だとか、神戸県警と愛知県警の戦いでもあるようだ。◯☓界、◯☓団体、◯☓協会、◯☓教、◯☓組、人間が生んだ組織や団体は、人事と金の問題でガタゴトになる。
1945年ヒトラーが自殺する直前に秘書に語ったという言葉があるらしい。
100年後にナチスみたいなファシズムが台頭するだろうと。
予言通りだとあと30年後になる。
ドイツではヒトラーの「わが闘争」が注釈付きで出版されるとか。

報道ステーションの古舘伊知郎、クローズアップ現代の国谷裕子が三月で降板する。
次はNEWS23の岸井成格となるだろう。言論は自由でなくなった。
どーでもいい事だが、ベッキーという人気タレントが“ゲスの極み乙女”という変な名のミュージシャングループのメンバーと不倫してゴメンナサイ、スミマセンと謝っていた。
“私以外私じゃないの”不倫相手が生んだヒット曲だ(天才的だな)。
快楽と絶望、愛とは罪つくりな行為のことなのだ。

日経平均株価が戦後初めて大発会から連続で大暴落。
アベノミクスという経済学上成功するはずのない一手は、将棋でいうところの悪手であった。同志社大学の「浜矩子教授」のいう通りアホノミクスとなった。
将棋でいえば、王様は詰んでいる、勝負でいえば負けである。
とはいえ私たちは生きて行かねばならない。

「人生はずっと、学生だ」今年はこの言葉を胸に勉強をして行きたいと思っている。
人の心の中がいちばんの学校だ。それ故新橋演舞場前喫茶店でのふた言を反省している。
「400字のリング」第一ラウンドは長くなってしまった。

2015年12月24日木曜日

「今年の終わりに」




去る年あれば、来る年がある。あったものが、なくなる。
そこにいた人が、そこにいなくなっている。世の常とはいえ無常感を持つ。
年の終わりは慌ただしく過ぎて行く。

我が家の側のファミレスデニーズは更地になり、ココスが回転寿司に変わり、小僧寿しは格安クリーニング屋さんに。イタリアンレストラン、マルデナポリは年末で閉店となる。人一倍健康に気をつけていた人があっという間に亡くなり、丸太ん棒のような筋肉を持っていた人はか細い身体となり、闘病の果て旅立った。

青春時代最強のコンビだった男は、声が出なくなり、歩けなくなりついに車椅子となった。183センチ85キロの鍛えられた身体は20キロ以上減り、もう立つことはない。
新しい年を家族みんなで迎えられることを祈っている。

もしもし俺だ、分かるかと言っても息遣いしか聞こえない。365日ずっと一緒だった。
無敗のコンビだった。ベラボーに強かった。
クリスマスも、正月も私の家にいた。高校一年の時に知り合ってからずっと一緒だった。草野球のチームも一緒だった。喧嘩して留置されるのも一緒だった。
デパートの配達のバイトも、日本通運の引越しのバイトも、小さな電気部品の工場のバイトも一緒だった。
パチンコの台があんまり出ないと、体当りしてガタガタにさせ店の用心棒に連れだされたが、パチンコ屋の横の路地でぶっ倒れたのは用心棒の方だった。

気が優しいのでみんなから◯ちゃん、◯ちゃんと愛された。
私のいうことには絶対に従ってくれた。オー分かったよ、が口癖だった。
去ってほしくない。ダメージがあまりに大きい。
知識の先生、大磯の大親友を失ったダメージからも未だ立ち直っていない。


資生堂の「花椿」という有名な企業文化誌が年内で終わる。
1937年から続いた上質のPR誌だ。デザインやコピー、写真、ファッション、イラストレーション、エディトリアルなどを目指す人々の憧れのPR誌だった。
時代の流れとはいえ、活字文化は引き潮のごとく去って行く。

随分と仕事をさせてもらった東芝が酷いことになり12000人以上がリストラとか、三洋電機は消え、すごくいい会社だったビクターもケンウッドに吸収された。
私を育ててくれたキリンホールディングスが上場以来の赤字となった。
品質本位、決して他と争わず王道を行く。
そういっていたガリバーキリンが慣れないMAをやって損失を出した。
かつて、どういうわけかキリンといわれていたのに、どういうわけなのキリンとなってしまった。
盛者は必衰し、猛き者はついには滅びるのが世の常だが、悔しくて、悲しくて身が震える。

我が日本国もローマ帝国のようになってきた。
ローマ帝国はパンとサーカスによって滅びたと教えられた。
つまりはポピュリズムとバラマキだ。まったく今の日本だ。
選挙目当ての人気取りとバラマキだ。
シーザーは元老院によって追い込まれ、腹心ブルータスの裏切りによって命を落とした。今の日本、さしずめ元老院は官邸のいじめにあった老政治家たちと財務省、ブルータスは今や権力第一といっても過言でない菅義偉官房長官か。
お神輿を担いでいた者が、ふと勘違いをして自分がお神輿に乗ると思った時、事は起きる。歴史とは繰り返しだ。それにしても野党民主党のその存在のあまりの軽さよだ。

今年のブログはこれにて終了となります。
来年はきっと同日選挙、橋下徹氏が再び絶叫するでしょう。
だが心ある人間はいつまでも羊のままではいない。若者たちにも期待したい。
新年110日頃から再開する。みなさんどうか良いお年を迎えて下さい。
おっとその前にメリークリスマス。神よ、いつも沈黙ばかりしないで下さい。
世界中の弱者はあなたを信じて待っているのですから。

小さな庭にある寒椿がやっと一つ二つと咲き始めた。
蠟梅の木に黄色い蕾がしっかりとついている。来年は多く咲きそうだ。
千両の赤い実を食べに鳥たちが来ている。