安土桃山城
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これは推論である。
浅学な私の書くことだから学問的根拠は何もない。
九州長崎県の離島について少々調べることがあり、資料の写真を見ていた。
そこには教会の写真が多くあった。
建築のことなど全く分からないのだが教会の造りに特徴があることに気がついた。
どの教会も天空に向かっている。ロマネスク様式というらしい。
何かに似ていると思った。そうだ、織田信長が建造させたという安土桃山城だ。
日本の城で初めて天守閣を造った城だ。
通説によると信長は天守閣の下に広間を造り、そこに天皇を招き入れることとし、自らは神となりその上の天守閣に立つという説だ。
ここから私の推論となる。
織田信長は実はキリスト教を布教しようと思っていたのではなかったかだ。
信長が何故比叡山延暦寺をはじめ仏教徒を殺したか、老若男女を焼殺したか。
通説では天下布武のためにならない。自分に屈服しない。
仏門にいながら酒池肉林をしていて許せないという説だ。
信長はその頃すでに伴天連(バテレン)と言われた外国人たちを招き入れ、世界の動きを知っていた。
いずれ世界に出て行くには、仏教ではなくキリスト教である、そう思った。
つまり安土桃山城は信長が造った教会であったのだ。
天守閣は天に向かっている世界のロマネスク様式の教会とソックリに見える。
新しきもの好きの信長、旧態を嫌う信長、世界布武をと思っていた信長は仏教に興味なくキリスト教に興味を持ったのではないだろうか。
信長は自分自身こそが外国人たちが言う、全能の神であると思ったのだ。
信長の死後豊臣秀吉や徳川家康は徹底的にキリスト教を弾圧した。
それは織田信長の遺したものに対する恐怖ではなかったのか、そう思うといろんな歴史上のことに合点がいくのだ。
隠れキリシタンを題材に書いた、遠藤周作の「沈黙」の中にあるキリシタン弾圧の凄さは想像を絶する。
神を信じるとは、イエス様とは、マリア様とは、いい加減な私には何も分からない。
四月頃に長崎から五島列島を訪ねてみようと思っている。
その時長崎ちゃんぽんと皿うどんも食べてくる。あー全くだめな私なのだ。
歴史の推論は誰でも自由である。