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2016年2月1日月曜日

「二月一日、月曜の朝」




その花に名はない。無名の花である。
しいて言えば雑草の花である。
物差しで測ってみると3ミリであった。
その黄色い花は満開であった。

十年ほど前に植木職人のご夫婦がどんぶり位の大きさの植木鉢を持って来てくれた。
小指ほどの太さの一直線の木が一本植えられていた。
櫨(はぜ)の木だと教えてくれた。40センチ位であった。
秋になると美しい紅葉となり、床に落葉した。
指で土の部分を触って固くなりそうだったら、水を少しあげるようにと教わった。
面倒な事はしない私だが、その木に水をあげ続けた。

数年前に植木屋さんが亡くなったが、その木は生き続けた。
私はその木を小林さんと名付けた。植木屋さんの名字である。
昨年その木は枯れて折れた。植木鉢の中に折れた残りがあったのできっと根があるのだと思い、捨てずに水をあげていた。小林さんと別れるのがつらかったからだ。

その鉢に雑草の葉が出てくるようになった。
手で触るとザラザラとした葉であった。
ガラス戸の近く陽の当たる場所に置いて水をあげた。
それを怠けると葉はぺしゃんこになり、水をあげると葉は広がった。

昨日の朝、水をあげようとすると、ポツンと黄色い花が咲いているのを見つけた。
ルーペで見ると野菊のような花弁であった。健気で美しいではないか。
こんな時、接写レンズをつけられるカメラを持っていたらと思ったが、使い捨てカメラしか持っていないので仕方なしであった。

一個100円のリンゴを五個買ってきて、一日一個を四分割にして小さな庭に置いておくと、野鳥やら小鳥やらが来てキョロキョロし、ツンツンと口ばしでリンゴを刺しては果肉をほじくっている。チュン、チュン、キュン、キュン鳴いて仲間を呼ぶ。
ここにリンゴがあるぞと。
図太くてずる賢いカラスと違って、小鳥たちはとにかく用心深くキョロキョロする。
少し突っついては飛び立ち、そしてまた来る。
小さな池の中の金魚たちは寒いのが嫌いで殆ど動かかない。
大・中・小、十二匹がじっとしている。一月は日曜で終わった。

今日から二月、月曜の朝が来た。
午前十時三十分、神奈川県大和市にある大和斎場で大変恩義のある会社(株)ザンターの会長の告別式があった。
日本初の南極観測隊やマナスル登山隊に羽毛服や羽毛シュラフ(寝袋)などを提供した会社だ。東洋羽毛工業(株)とは親戚関係である。

東京銀座一丁目oluha(オルハ)ショップの中にもザンターブランドの商品がある。
羽毛寝具も羽毛服も人間の命を守ってくれる暖かさがある。
ネットでザンターを検索してぜひお買い求めください。
東洋羽毛工業(株)は、羽毛製品のパイオニアなのです。

二月一日、恩人に心よりの感謝と御礼を込めてお別れの合掌をする。
3ミリの黄色い花はしぼんでいた。四分割のリンゴはきれいになくなっていた。
そこに小さな鳥の羽根があった。
鹿児島県出水市で鶴たちが北帰行をしたと朝のニュースで知った。
恩人の命も飛び立った。

2016年1月29日金曜日

「ある推論」

安土桃山城
大江教会※天草宝島観光協会より




これは推論である。
浅学な私の書くことだから学問的根拠は何もない。
九州長崎県の離島について少々調べることがあり、資料の写真を見ていた。

そこには教会の写真が多くあった。
建築のことなど全く分からないのだが教会の造りに特徴があることに気がついた。
どの教会も天空に向かっている。ロマネスク様式というらしい。

何かに似ていると思った。そうだ、織田信長が建造させたという安土桃山城だ。
日本の城で初めて天守閣を造った城だ。
通説によると信長は天守閣の下に広間を造り、そこに天皇を招き入れることとし、自らは神となりその上の天守閣に立つという説だ。

ここから私の推論となる。
織田信長は実はキリスト教を布教しようと思っていたのではなかったかだ。
信長が何故比叡山延暦寺をはじめ仏教徒を殺したか、老若男女を焼殺したか。
通説では天下布武のためにならない。自分に屈服しない。
仏門にいながら酒池肉林をしていて許せないという説だ。

信長はその頃すでに伴天連(バテレン)と言われた外国人たちを招き入れ、世界の動きを知っていた。
いずれ世界に出て行くには、仏教ではなくキリスト教である、そう思った。
つまり安土桃山城は信長が造った教会であったのだ。
天守閣は天に向かっている世界のロマネスク様式の教会とソックリに見える。
新しきもの好きの信長、旧態を嫌う信長、世界布武をと思っていた信長は仏教に興味なくキリスト教に興味を持ったのではないだろうか。
信長は自分自身こそが外国人たちが言う、全能の神であると思ったのだ。

信長の死後豊臣秀吉や徳川家康は徹底的にキリスト教を弾圧した。
それは織田信長の遺したものに対する恐怖ではなかったのか、そう思うといろんな歴史上のことに合点がいくのだ。
隠れキリシタンを題材に書いた、遠藤周作の「沈黙」の中にあるキリシタン弾圧の凄さは想像を絶する。
神を信じるとは、イエス様とは、マリア様とは、いい加減な私には何も分からない。
四月頃に長崎から五島列島を訪ねてみようと思っている。
その時長崎ちゃんぽんと皿うどんも食べてくる。あー全くだめな私なのだ。
歴史の推論は誰でも自由である。

2016年1月27日水曜日

「中退の夜」





昨夜は言葉に興奮し、言葉に酔った。
午後四時四十分、世界をぶっ壊すというキャッチフレーズの映画、「STRAIGHT OUTTA COMPTON(ストレイト・アウタ・コンプトン)」を見始める。

1986年アメリカ屈指の危険な街カルフォルニア州コンプトン、その街から生まれた五人のヒップホップグループの成功と挫折の物語だ。実話を基に作られた。
出演者は全員オーディションで選ばれたと宣伝物に書いてあった。
実は次があったので成功の部分しか観られなかった。

次とは「志の輔らくご」のチケットが奇跡的に一枚手に入ったのだ。
ラップと落語のはしごを可能にしたのは、ラップが渋谷PARCOパート38F、落語がその隣のPARCO劇場だったからだ。立川志の輔さんの落語はまず手に入らない。
親しくさせてもらっているPARCOの文化部長と先日会った時に、志の輔さん聞きたいなぁ〜と言ったら、一枚キャンセルが入ったと連絡してきてくれた。
ヤッホー、であった。

PARCO劇場で志の輔らくごは今年で20年目、一日三つの噺を一ヶ月続ける。
PARCOが建て直しのため今年がラストであるから、キャンセルが出るなんて奇跡なのだった。創作、古典、なんでもござれの名人だ。

ラップの最後が観れなかったが、落語の最後も聞けなかった。
仕事場に戻らねばならないことになり、残念ながらきっと日本落語史に残る感動的なラストシーンを目撃できなかった。
ラップ中退、落語中退、まるで自分の学歴のようであった(高校中退)。

黒人社会でのし上がって行くための最大の武器は才能と音楽だった。
全米興行収入驚異の3週連続No.1を記録、社会現象を起こした映画だ。
私はラップのリズムは大好きだがラップに詳しくはない。
続々と出てくる言葉は銃撃の弾だ。放送禁止用語の連発なので書けない。超重低音、スーパーウーハー、ウーハー、ウーハー、ウーハー、☓☓、☓☓、☓☓、☓☓、人種差別、反権力、ドラッグ、SEX、怒りの暴発、☓☓、☓☓、☓☓のジュータン爆撃であった。

ところ変わると、舞台に一枚の座布団、小さなマイク、空間は薄茶色のシンプルな座敷をデザイン。ラップとは違うお囃子で志の輔師匠のご登場だ。
上手い、声がいい、調子がいい、仕草がいい。本当に上手い、貫禄十分、すでに大名人だ。超満員のPARCO劇場は笑いの鳴門海峡(渦です)、私の頭の中はというと麻雀の3色状態。

ラップのビートが3分の1残っており、落語の笑いが3分の1を占め、残りの3分の1は仕事場に帰らなくちゃで、くちゃくちゃであった。
何しろ明日生きている保証がないので、見るべきもの、聞くべきものは見逃せない。
だがしかし、やっぱり中退はダメだなと思った。
何か超時空体験をしたような、四時四十分〜八時二十分であった。
ラップは今月で終わり、志の輔さんのPARCOは二十六日で終わり。
今度志の輔さんと会えるのは、NHKの「ためしてガッテン」だ。

言葉というのは凄まじく、そして機知に富み、人情深い。
立川一門、円楽一門が定席寄席から追い出されて二十数年、まったく寄せやい、コチコチ頭の落語協会。

2016年1月26日火曜日

「がぶり寄り」



で、何をしたいのと聞くと、うーん、ウーム…。
と黙ってしまう、そんな学生さんが多いという。

大学生の内定率が85%位だと先日新聞に載っていた。大学のセンター試験の問題を見てみると、大学生とは凄い人たちなんだと感心する。
難しくて全然できなかった。
その試験を通過して、大学に四年間もいて将来何をやりたいのか見つかっていない。
とりあえず内定がほしいと思って面接に行くのだが、これをやりたいという熱い心と押しの強さがないと相手に伝わらない。

一月二十四日の朝日新聞に、朝日求人「仕事力」・「文化の力を炸裂させよう」大里洋吉が語る仕事①が載っていた。
4回シリーズの第1回目、毎回勉強になるので読んでいる。
誰もやらなかった分野や、誰もやらなかったことをして世に名を出し、新たな分野の鍵をこじ開けた人々が、仕事を探している人に貴重な体験を語る。決してこうしなさいなどとは書かない。

今回は(株)アミューズの代表取締役会長である。
プロフィールを抜粋すると1946年青森県生まれ、立教大学文学部卒、69年に大手芸能プロダクション(株)渡辺プロダクション入社、マネージャー、プロデューサーなどを経て78年にアミューズを設立、サザンオールスターズや福山雅治を始め多くのアーティスト、タレントを育てると書いてあった。
大里洋吉さんは小学校から映画ばっかり見ていたとか、青森市街の真ん中に洋画館や東映、東宝、松竹などの映画館が歩いて5分圏内にあったという。

中学、高校、18歳まで映画、映画、映画漬けだったようだ。東京の大学に入っても映画ばかり、その経験が後年生きて行く。エンターテイメントの世界以外に気持ちが動かなかったとか。

特にミュージカルが大好き。
いつかブロードウェイに行ってミュージカルをやりたいと思い、9年1ヶ月勤めた会社を退社した。
アミューズの社名は、ニューヨークで見上げた自由の女神からとか
やりたいこと、やれる会社を生み育てるのは並大抵のことではないが、やはり始めの一歩は何をやりたいかなのだ。

面接する人がム、ム、ム、こいつには何かある。
ビ、ビ、ビっと来るものがある。
よくぞまあこんなに映画の話ができるな、音楽の話が、落語や浪曲や相撲の話、日本の風景や農家の話が、漁業や森林の話、キツネやクマや鳥たちの話、海や山や河の話、君、キミ、もういい、分かった、君の好きなことはよく分かった。
なんとか会社に入れるからもう帰りなさい!なんてことにはならないと思うけど。もしかするかもしれない。

20社ダメなら30社、それでもダメなら自分で会社をつくればいい。
私は今日から会社を作った社長ですと宣言すればOKだ。


大里洋吉さんの「洋吉」と名前をつけた人はハイセンスだと思う。
「洋」と「吉」なんて洋画と日本映画が一つになったみたいだ。
名付け親は生まれて来た子の将来がクッキリ見えていたのだろう。

頭で人生を組み立てるより、自分を動かしているものを見て欲しいよね、と第1回を締めくくっていた。

偶然とか、突然とか、信じられない出会いの中に、いい就職先がある。
そのために動け、動けだ。

前回のブログで琴奨菊を高知県土佐出身と書いてしまったが、高知県の明徳義塾出身と書くつもりだった。直ちに訂正をした。
大関琴奨菊は福岡県柳川市出身、出身高校が明徳義塾高校とするのが正しかった(反省)。
来場所は九勝六敗以下だろうと予想を書いた(宴会漬けになる)が、こうなりゃ全勝して横綱だ。

ほっぺにチューした4ヶ国語を話せる飛び切りの和服美人の新妻のために。
明日からの祝宴を断って、稽古、稽古だ。ドスコイ、ドスコイ。
でも困ったなあ、私の予想はかなり当たってしまうのだ。愛と白星と就職先は“がぶり寄り”だ。

2016年1月25日月曜日

「バサラ」



「八金(ハチキン)」高知県土佐では男勝りの逞しい女性をそう呼ぶと聞いた。
その意味はというと、男には金玉なるものが二つある、ハチキンとは2×4=8、つまり男四人分位逞しいということなのだ。
土佐の男は酒好きで働かない、女性たちがその分働くという。
坂本龍馬の姉、乙女(オトメ)さんもこの八金だったのだろう。

土曜日の夜、土佐四万十出身の映画大好き男二人と会い映画談義をした。
二人は第一回四万十映画祭を成功させた実績がある。
だが第二回となると相変わらずのパターンでお役所の役人たちが、あーだこーだと言っては非協力的となる。お役人は自らの手柄になると思えば加勢してくれる。
いつの世も変わらない習性なのだ。
ヨシ、そんならこうして、あーして、こうすればと話し合い、こうしよう、あーしようと盛り上がった。酒は土佐の名酒“酔鯨”だ。肴は当然カツオのタタキであった。

高知の明徳義塾出身の琴奨菊が見事141敗の好成績で優勝をした。
飛び切りの和服美人と場所後に結婚する、お目出度続きだ。
昔の仕事仲間、大相撲好きの土佐出身者、岩崎友太郎も狂喜しているだろう。
飲まなあいけんぜよぉ、飲まなあいかんぜよぉと、鯨の如く飲みまくったはずだ。
10年振りの日本人力士の優勝を全く予想してなかった。
解説の元横綱北の富士も声を失っていた。

着物といえば土曜日の午後五時〜六時半、両国にある国際ファッションセンターで、第七回温故知新、着物が世界と融合する日本発信のファッションショーを見た。
創作着物作家、矢作千鶴子さんが自在に反物を使ってユーラシア大陸の民族衣装にする。民謡、津軽三味線、サックス、そしてフラダンスなど音楽とも融合する。
矢作千鶴子さんはもう少しで六十歳、五人の母親とか。
長身で美人、マイクを手に自信満々に着物を通して世界平和を願うと語る姿は、新興宗教の教祖か着物を着たアウンサン・スーチーさんのようであった。
会場には若い男女もたくさん来ていて満員であった。

今、使わなくなった着物を使って、様々な服やシャツに生まれ変わらせることが静かなブームとなっている(外国人の間でも)。
近江の戦国大名に、佐々木道誉という風流な大名がいた。
常識破りの着物の組み合わせをして人を驚かせた。“婆沙羅大名”といわれた。
いわゆる傾き者(かぶきもの)である。
歌舞伎役者が戦国大名となったと思えばそれが“バサラ”なのだ。

私は佐々木道誉の影響を受けて、スーツにアロハを好んで着ていてヒンシュクを買っていた。サラバ、バサラ。この頃はあまりバサラファッションをしないが時々楽しんでいる。ヨォードスコイ、ドスコイ、週末から日曜日は土佐と着物でバサラった。
寒波大襲来、今週は真冬にアロハを着てみようと思う。

2016年1月22日金曜日

「あまりのこと」




目の前に二人の男、右に一人の男、その隣りに私、男たちとは何の関係もない。
東海道線の四人掛けに座った状態だ。
三人は同じ会社の人間であった。三十歳前後であった。
この三人はお上品なのか缶ビールも、缶チューハイも、サキイカも柿ピーも持っていない、持っていたのは会社の人事話だ。午後十一時過ぎなのに三人はシラフであった。
会社員なのに駄目じゃない一杯飲んで帰らなきゃと思ったが、三人の話を小さく畳んだ新聞を読みながら聞くとはなしに聞いた。

○△さんヤバイスヨネ、この間大阪から帰ったばかりなのに今度は金沢だって、いいじゃん金沢、新幹線が走ってるし料理うまいし、美人が多いし。
○△さんもう駄目かもね、10年間で三回転勤だもんね、やっぱあの副社長に嫌われたのがマズかったよね、だよね、あの人あの出版社の丸抱えだったもんね、そりゃーもうズブズブだったよな、○△さん正義感強いし、あの出版社嫌いだったし、でもあそこまでやっちゃなあ~、だよなあ。

とまあこんな会話があったが、すいませんと私の右にいた男が川崎で降りた、じゃなあと二人と別れて。
私はハイどうぞと立ってあげた。
そこいいですかと、立っていた若い男が座った。

オメエやけにでけえなと思うほど体がでかい。それ故キュークツである。
耳にイヤホンを入れていてキンキン音が聞こえる。
黒いジーンズにウエスタンブーツ、頭には細い毛糸の正ちゃん帽、太い毛糸のマフラー、ハーフコートのようなカーキ色の不思議なカットの服(ペンギンみたい)で、
やけに長くて太い、コッペパンの親方みたいなものにベーコンやら、トマトやらモッツァレラチーズやらを二分割の中にしこたま入れたものを、長方形の紙箱から取り出して食べ始めた。

目の前の二人の男は無言でスマホを見ていた。
右耳にキンキン音が入って来る。
ウエスタンブーツでリズムをとっている、太いパンにかじりついている。

あ~だめだ、何か言いそうな自分を制御する。
マズイ、ウルセ~なんて言いそうだ。
ガツガツすんじゃねえなんて言いそうだ。

列車は横浜に着いた。
どっと人が降りた、左側の席が空いたので移動しようと思って立ち上がろうとすると、アレッ、何だよと思った。
私のオーバーコートの隅っこに男のケツがあって引っ張られているのだ。

その後どうなったかは想像におまかせする。


昨日、琴奨菊と日馬富士は必ず琴奨菊が勝つと書いたがその通りとなった。
モンゴル出身の横綱が三人共同じように敗けた。おすもうさんはやさしいのだ。
場所後の結婚を祝ってあげた(?)。
春場所は又、9勝6敗以下だろう。

甘利明大臣があまりに露骨な賄賂を手にしていた、この首を取れなければ野党は無党を証明することになる。
サアー、ドスコイ、ドスコイ。


1月24日(日)午前10時〜TV朝日「極上!旅のススメ」に私の友人が経営する伊豆稲取の名旅館「石花海(せのうみ)」が紹介されます。是非見て下さい。