ページ

2017年11月28日火曜日

「一杯のクリームシチューとあゝ、荒野」


十一月二十六日(日)~二十七日(月)広島へ行って来た。
少しばかりお手伝いをした。「ひろしま さとやま未来博」の最終日のイベントを見るためにである。
いろいろがんばってくれた後輩のアートディレクター三宅宇太郎君と共に。
日曜日眠らずにフランス対日本のラグビーの試合をテレビの生中継で見てから、シャワーを浴び朝刊をバックに入れて茅ヶ崎駅へ、小田原まで東海道線に乗る。
予定より三十分近く早く着いたので、名物の駅弁「こゆるぎ」を買っておく980円。
朝食を食べる習慣がないが何故か駅弁には心が動く。

午後一時二十分頃に、ソトコト編集長「指出一正」さんと、地域発展のためのプロデューサーで有名な「山崎亮」さんのトークショーがある。
それに間に合わせるためにいざ出発だ。
名古屋で乗り換えて広島へ。三宅君は新横浜から乗って来るので広島駅で待ち合わせ。
四十分ほど私の方が早く着いた。
駅構内のコーヒー店で待つ。で、二人揃って会場の広い広い公園へ。
入り口に制作した三点のポスターがイーゼルに大切にのせられて迎えてくれた。
ポスターの前で記念写真を撮っている人がいる。
うれしいね、このために寝ないで来たとも言える。
「横浪修」さんの写真のピュアさが外で見ると余計にgoodだ。
ソトコトの大石女史が笑顔で近寄って来る。
ドーモドーモとしていると、やはりソトコトのスタッフ、スティーブさんがカメラを持ってニコニコ笑って来た。

出店がいっぱい出ていて親子でたくさんの人出。
大きなステージの前はギッシリの男たち、AKBみたいな女子13歳~19歳の人気者が一曲唄うとか。
ステージに少女たちが現れ自己紹介するたびに異様な大声援であった。

ラーメン、お好み焼き、イワナ(?)の塩焼き、何十種類の出店があったが、夜にカキを食べようと決めていたのですべてパス。
やけに寒いのでビールもパス。
日本酒を探したが見つからなかった。

少女たちのコーラスの前、ステージに大拍手と共に指出さんと山崎さん、さすがに現代の日本を代表する二人のトークショーはとても勉強になる話であった。
後に人気者が控えているのでトークショーは予定時間ピタリで終った。指出さんが山崎さんを紹介してくれた。いつか一緒に仕事がしたい人だ。
酒も飲み交わしたい。

三宅君が寒いからこれどうぞと一杯100円のクリームシチュー。
加計××高校の女子生徒たちがつくっていて人気絶頂、行列ができていた。
列車の中でずっとウトウトしていたが、グッスリとはいかなかった。がクリームシチューで体がホコホコして来たら、一気に眠気が襲って来て危うく椅子から倒れて落ちそうになった。

今夜はどこに泊まるのと聞いたら、あそこのAPAホテルですと三宅君は言った。
これが新築で一泊一人キングサイズベットで5500円とチョイと、ビンゴであった。次の日朝、私はすぐに帰途についたが、三宅君は宮島まで行き、厳島神社に参りとても良かったと東京に着いてから電話をくれた。
いい仕事を文句も言わずによくやってくれた御礼だ。
地元の有名店の生カキ、カキフライ、カキのどて鍋より、100円のクリームシチューが美味しかった。

夕方四時頃帰宅し十一時頃まであるプレゼン用映像のシナリオを書き。
その後レンタルして来た、寺山修司原作の映画「ゝ、荒野」を一気に見た。
寺山修司が愛したボクシングを通しての人間ドラマ。
前、後編で約五時半の力作であった。「菅田将暉」という役者は間違いなく稀有の天才だ。
「でんでん」と「ユースケ・サンタマリア」も抜群によかった。
監督岸善幸この人もすばらしい。

気がつくとすっかり夜が明けていた。

ボクシングはウラミもツラミもない相手を、殺してやると思った方が勝つ。
合法的に殴り殺せるスポーツなのだ。
それ故キング・オブ・スポーツと言われる。アノヤローブチ殺してやる。
そんな奴がいる。
だが私の拳にグローブはついてない。
勿論私のことをブチ殺したいと思っている人は多い。


2017年11月24日金曜日

「がんばれ新人」



昨日の勤労感謝の日は、雨がバシャバシャであった。
小さな池の中の赤い金魚12匹は、雨が大好きなのでみんなハシャギまくって狭い水の中を泳いでいた。その前日人身事故があり九時半発(二十一時三十分発)湘南ライナーは運転中止、東海道線も横須賀線もストップしていた。九時頃起きたので当分動きませんとの放送。こればかりは仕方ない。
それにしても人身事故が多いのが辛い。買ったキップを清算してもらって外へ出た。八重州中央口である。仕事仲間と赤坂のそば屋で打ち合わせをした時、赤貝のぬたと湯豆腐少々、玉子焼き一切れと日本酒を二合飲んで、シメにざるそばをすすった。この日の昼はお客さんと鍋焼きうどんであったので、そば屋さんDAYであった。
で、八重洲口交差点を渡り、赤堤灯の中へ入った。すぐに寿し屋さんがあったのでここでいいやとなり、入った。一貫100円とか150円とか200円と親切に書いた看板が目の前にズラリとあった。

腹はそれほど減っていない、四十歳位のイキのいい寿し職人が、あたたかいおしぼりを出しながら、何をいきやしょ、とか言ったので、コハダ、ヒモを軍艦で、イカのゲソも軍艦と行き、白身のブリを頼んだ。次にこんな珍事が起きた。私は、お茶とお椀を頼んだ。
二十代ソコソコ位の若い衆は、お盆にお茶と黒いお椀を持って来て、ヘイとばかりその二つを置いた。私は何を疑うことなくまずお茶をグイッと飲んだ。
お椀を見ると黒いので、これは海苔の入ったお椀だなと思い、ジッとそれを見ると、中身が何も入っていない。
確かにお椀だが、入れ物だけ、四十代にヨオッ中身がないぞと言ったら、お椀だけを見て、オ、オ、オイ何やってんだ。と言いながらス、ス、スイマセンと腹を抱えて笑い出し、それが止まらずしゃがみ込んでしまった。
それを見た隣の寿し職人が、もらい笑いをして止まらなくなった。お客まで笑い出した。若い衆がスイマセンとシジミ汁を持って来たので、大丈夫キミは大物になる、間違いなく一流になるよと言って励ました。長い間日本中の寿し屋さんに入ったが、初めての経験であった。勘定を払い、がんばれよと手を振って店を出た。四十代の職人はまだ笑っていた。列車は動き始めただろうかと駅に向かったのだが。
来週月曜日は出張のため休筆します。


※写真はイメージです。


2017年11月22日水曜日

「オルハショップ」


映画を観る(映画館で)又は見る(レンタルDVDで)その楽しみは映像を追うのは当然だが、やはりそのセリフにある。どんな映画の中にもいいセリフがある。
翻訳家の腕の見せどころだ。この映画は全然ヒットしなかったが、このワンフレーズは教訓としている。2016年米英合作、「ベストセラー編集者パーキンズに捧ぐ」主演ニコール・キッドマン、ジュードロウ。
世界恐慌時代1930年代、一人の敏腕編集者が無名の作家に目を留める。契約して出版すると、読み通りベストセラーとなる。次回作が持ち込まれると一部が気に入らず削除を指示する、ベストセラー作家となり天狗となった作家は激しく抵抗する。が渋々修正した本は、更にベストセラーとなる。
こうなるともうやりたい放題となり、遊びまくりとなる。
(日本人作家にも多い)美人の妻を放ったらかして黒人の娼婦とも遊ぶ。
妻はんでやるとなる。傲慢を極め遂には文豪スコット・フィッツジェルランドを愚弄する。
その時スコット・フィッツジェラルドが戒めた言葉がよかった。「いつかは成功に見放される、そうなると道は長いぞ」本作品は実話を基にしている。
昨夜遅く帰宅し駅で買った愛読紙「日刊ゲンダイ」にこの映画が紹介されていた。このブログはかなり引用している。イラスト/文=クロキタダユキさんであった。
劇中の好きなフレーズを書いたノートを探しその中にやっぱり書いてあった。
そこには教訓にすべしとも書いてあった。2016年の頃敬愛する小学校時代の学友が、E・ヘミングウェイとスコット・フィッツジェラルドを研究しており、二人の友情あふれる書簡を翻訳したものを送ってくれたからだ。
それまでは、エラ・フィッツジェラルドという黒人女性歌手の名しか知らなかった。それから始めて「華麗なるギャッツビー」の原作者であることを知った。
レンタルDVDで見た時に、オッ、スコット・フィッツジェラルドが出たと思いその中で戒めのフレーズを見て、リモコンをストップしてメモをし、後日ノートに書き移した。成功の下に長くとどまるべからずという。人間成功したと思ったらオシマイ。日々挑戦をし失敗をしていれば、いつか成功に会える。今日はどうヒマツブシをするか、定期預金に残はたんまりある。もう働きたくない。人間関係にうんざりだと決め込むと、不幸が音を立てて襲って来る。そもそも不幸に立ち向かっていれば、不幸は気にならない。
人は私にこう言う、いい歳してがんばっているのは何で(?)人に迷惑をかなりかけてんだぞと。
私は応えるそれは生き残るため、そしてもっと四苦八苦して成功者を生むんだと。一度しかない人生なんだから、楽して生きようなどとは絶対に思わない。
11月26日は「ひろしまさとやま未来博」の最終イベントの日、がんばって日帰りだ。キラリト・ギンザ三階「オルハショップ」の売り場が魅力的になっている。
ぜひ行ってみて下さい。ある相乗効果に出会えます。
冬はやっぱりグースダウンなのだ。「睡眠負債」を抱えると、ボケてビョーキになる。
美人は不美人になる。


2017年11月21日火曜日

「退化」


進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利、進化、便利。何を聞いても分からない。知ろうとしないからもっと分からない。
過ぎたるは及ばざるがごとしだ。
ネット社会は人間を急速に退化させている。
私はこれを「退化の改新」と言う。人間は全然進歩していないのに気付かなければならない。ネットが進化しているだけなのだ。勿論それを行っているのは人間だが、進化、便利の先にあるのは、人間崩壊なのは間違いない。人間と人間は信じ合わなくなる。家族間は不信の渦となる。
最も大事な教育の現場は、日々の重労働でストレスをためた教師たちの墓場となる。私は思うメカの進化は真空管がトランジスタに大変化した位で止めておければよかったと。
天才中野裕之監督クラスだけが使って行けばいいのだと。
安ホテルの一室で次の日(本日朝)のために、私は自分のアタマで誰も考えなかったことを考えている。進化と便利。何とかホドホドにならないだろうか。
バク天するロボットの映像を見てヒトの終わりを感じた。
生活の進化と人間性の退化が、これからの国家の在り方を決めて行く。男と女の秘め事は文学におけるいちばんのモチーフだったが、それはもうありえない。かくして文学は退化してしまった。
失楽園は生まれず、“後楽怨となる。やけに腹が減ったのでコンビニに行って、イクラとシャケのおにぎりを買って来て食べた。



※写真はイメージです。

2017年11月20日月曜日

「ジャングルの中」

週末から月曜日午後十時四十八分〇三秒まで、急ぎの仕事を家に持ち帰りその企画書作りをした。
と言っても映画や、取り寄せておいた見落とし番組のDVDや、テレビを見ながらである。見ながらとか落語を聴きながらとかであるから極めて能率は悪い、が考えながら次々と思考を変えれる。
手もとにリモコンを置いて、オッと思うところは停止させたり、もう一度見直すために前へ戻るができる。
つまらないからと思うと、気に入ったCDで音楽を聴く。
基本的にはせっかく借りて来たものは最後まで見る。
英語の言葉を考え出したくてコンサイス英和辞典をめくると、まずこの紙の薄さと強さのすごさに改めてオドロク、そして英語の試験でいつも100点をとっていた人たちが、この辞書を丸暗記していたんだなとオドロク。
世の中には、二カ国語なんか当たり前で三ヶ国や五カ国を平気で話す人がいるというから、人間の脳は無限だ。
ただし才能は人を選ぶので、私は日本語もよく分からない。
つまり選ばれし者ではなかった。英米文学、仏文学、中国やロシア文学者、原書で読んでいる人はきっとキャラメルなめたり、グミかなんか食べながら平然としているのだろう。
一度ギリシャ神話の原書(でかくてぶ厚くて持てない)を読んでいる老人を神田のブックcaféで見たが、別にどうってことない人で、頭の大きさも私なんかよりずっと小さかった。
中味が違うのだな、中味が。見た中の映画で「彷徨える河」というのが最高によかった。コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチンの合作映画だ。
南米のコロンビアかペルーだかのジャングルに二人の白人学者が、別々に現地人をガイドに雇って、聖なる植物を求めてカヌーで河を彷徨する。
モノクロームの写真はどのショットもたまらなく美しくてすばらしい。ケータイも、スマホも、パソコンも、ゲームもない。あるのは古代からの教えだ。三人の現地人が話す言葉は一言一言が哲学的である。現代人はこのジャングルの中でゴムの木を見つけ、やがて農場主たちが現地人たちをこき使い、そして殺してしまった。ゴムで財を成した人間たちの残酷な原点がこの河とジャングルにある。現地人三人は神々しい。レビー・ストローフの名著「悲しき熱帯」の世界がここにあった。一つの人類がやがて習性を変え、言語を変え、宗教やシャーマニズムを生み、それらがさまざまな部族となり、縄張りを生み、それが国家となって行ったのが見てとれる。人類を分類したのは、自然環境と食物の確保であった。分類された各国家が人類としてもう一度一つになることは無い。アメリカの元副大統領ゴアが、「不都合な真実2」を世に出した。
彼が大統領になっていたら今世界はどうなっていただろうか。ジャングルの蛇はバックに。トラは毛皮に、鰐はサイフに、胴体は胃袋の中に、人間はどん欲に生き物を商品化食物化する。生きるためなら何でも食べ尽くして行く。空を真っ黒にして稲を食べ尽くすイナゴのように。現地人にとって聖なる食べ物は人間であったのは言うまでもない。私たちは現代というジャングルにいる。

2017年11月17日金曜日

「笑わなくなった日本人」


生きているのだが生きた心地がない。大好きだった力士の日馬富士が同じモンゴル出身の力士貴ノ岩をビール瓶で頭を叩き割ったニュースのせいだろうか。九人の人間を殺しバラバラにしてアイスボックスに入れていた。その驚くべきニュースもすでに忘れかけている。籠池理事長夫婦はもう話題にもならない。小池百合子なるミドリノタヌキが希望を口にしてさあ大変というニュースは、最早遠い昔の話だ。
ハリウッドの大物プロデューサーが、ハリウッドからこのスケベと追放されるや、ケベン・スペーシーはゲイだとか、(芸は身を助ける)とも言う。ダスティン・ホフマンやスピーブン・セガルたちも実はスケベだったと続々のニュースでうんざりだ。
いずれハリウッドから男優がいなくなる。この流れは必ず日本の芸能界に伝染するはずだ。男は皆スケベである。むしろそうでないほうが不自然であると私は思う。神は男にボッキするイチモツを持たせたのだから。で、話を日馬富士に戻す、現貴乃花(元貴乃花親方&相撲協会理事&地方巡業部長)の不気味さが不気味なファッションと共に何を考えているのかを分からなくする。私の生まれた岡山の加計孝太郎なる利権教育業者がずっと身をかくしている。堂々としろと言いたい。この大問題もうやむやになりつつある。バランバランの野党の追及は、自分たちの足で取材してないから全然ヒョロヒョロ玉だ。
ワイドショーにはいつものメンバーが。いつもの与太話。MCがパネルにバカバカに書いたものをかくすペーパーを、めくりめくるのを見ては、更に与太話となる。テレビ局は制作費削減のため極力取材せず、新聞、雑誌、ネット上の話をいただいてパネル化する。基本的にテレビをつけ放しにしているので私も日々バカバカ化している。仲間を裏切って小池百合子なるミドリノタヌキに急接近してありえない結末となった人間から一通の手紙が来たが破って捨てた。恩知らずの裏切り者は落ちるところまで落ちる。私は一度別離を決めた人間とは永久にサヨナラする。と、まあ生きているようで生きた心地がしていないのは、笑ってないからだと思った。最近、心から笑ったのはいつだったかと思ってしまう。悲劇が多く喜劇がないのだ。午前二時頃から映画を二本見た。降旗康男監督、木村大作撮影の「追憶」主演岡田準一と小栗旬であった。いきなりドッチラケとなった。子どもの頃に人を殺した過去を持つ主人公が、な、なんと刑事になって登場した。ガックリ度100パーセント。
もう一本は「ある天文学者の恋文」これが又教授と教え子とのワンパターンものであった。自らの死から逆算してやたらとメールして指示を送る教授。天文学と無理矢理結び付けて話を複雑にしたもので、やはりガックリ度100パーセント、週末は喜劇の映画を借りて来て笑いたい。
腹を抱えて笑ったことは今年記憶にない。朝刊を読みながらいつものグラスに、「いいちこ20度」を入れた。時計を見ると午前五時二十七分十九秒であった。みなさん大きく笑う週末を。ダビンチの絵が510億円で落札とか、多分ニセモノ。私には本物の熊谷守一の一匹の猫の絵の方が、510億円以上にいい作品に思える。
現在七時五十一分四十八秒、一時間半位は眠ったようだ。


2017年11月16日木曜日

「友より本二冊」


友人から二冊の本が送られてきた。
一冊は一ヶ月前に頂いたのだが、あっち、こっち行く機会があり申し訳ないことに直ぐ読めなかった。
私は列車の中で本を読むことができない。文字に集中できないからだ。まして隣とか視界の中に、柿ピーとか、イカサキとか、うずら燻製とかでビールや缶チューハイをやられたら即アウトだ。
一冊は書き下ろしである、吉村喜彦氏著、愛妻の吉村有美子氏のプロデュースによるハルキ文庫からのシリーズ二作目である。バー・リバーサイド2「二子玉川物語」著者はかつてサントリーの宣伝部で活躍したクリエイターである。京都大学卒業だが、どこか国士舘とか拓殖大学系の武骨感がある。
私は洋酒系、カクテル系は全然無知である。
又、Barのマナーやルール、バーテンダーの奥深い知識もない、著者はラジオのパーソナリティーもやっている、いい話をしながらいい音楽をリスナーに届ける。
武骨感というのは、正義に燃えて悪を叩く根性があること、サントリー時代にたくさんの武勇伝を持つ、嫌いな奴は嫌いと実にハッキリとしている。
愛妻といえばファッションリーダーの如くで、私の表現力では書けない。しいて表現すると、インカのファッション、メキシコのファッション、アジアからユーラシア大陸が重ね着され、シャーマンのような装飾類がキラキラ感を演出する。とにかく仲が良いのだ。定期的に会って、他の個性的友人三人と飲み会をする。
ちょっとBarの知識をと思ったらこの一冊は必読だ。
本の内容は五話形式で構成されている。二子玉川にある大人の隠れ家のいい話と、いい酒と旨そうな食べ物の話。本体540円。もう一冊は一昨日に届いた。
敬愛するグラフィックデザイナー&タイポグラファー&絵画&イラストレーション、そしてクリエイティブディレクター&アートディレクター、日本を代表する人たちを代表する、人間国宝ともいえる葛西薫さんからの本だ。
私の指を目いっぱい広げた大きさ(ほぼ20センチ位)の四角形の本。袋を開けた瞬間に葛西薫氏の香りが薫る。三本露風賞を受賞した、島根の詩人、佐々木寿信氏の詩と葛西薫氏の絵が絶妙に出会っている。手紙には20年来の付き合いでいつかきっとを、ついにやっと世に出したとあった。葛西薫氏の活字、文字の大きさその位置、行がえの空間、全体を通し、ハラハラと風が舞うような、ユラユラと草木や空が揺れるような、この世の森羅万象が、サワサワと愚かな現代人を癒してくれる。
単純に図形化された絵の色づかいはやさしいヒトの心とでも言えようか。葛西薫氏はこの詩人にずっと励まされたと買いてあった。
辻堂~小田原~名古屋~飛騨高山へ総勢六人で日帰りで訪れて、ヘトヘトであったが、家に帰り本に救われた。葛西薫氏から届いた本は「遅日の記」詩佐々木寿信、画、葛西薫とあった。
ADPより出版、定価2,500円。ぜひオススメしたい。




2017年11月13日月曜日

「Tバック」

「ごちゃごちゃした時は、原点に帰れ」私の敬愛する兄弟分が書いてくれた名キャッチフレーズだ。
世の中がごじゃごじゃになっている。
何もかもだ。
大企業はしこたま内部留保金を貯めて数百兆円、なのに国民一人当たりの借金は八百五十万円以上、株価が上がってもハゲタカが荒稼ぎしているだけ。
金持ちがもっと金持ちになっているだけ。
我々零細中・小企業は実質債金はマイナス続き、人間の心は荒れてすさんで、やけのやんぱち。

おぞましい事件は小説より奇なり。
それ以上であり続ける。
このところ日本推理作家協会のいろんな賞は江戸川乱歩賞(賞金1000万円)をはじめ受賞者なしだ。
SNS社会、書き込み社会、ゲーム社会が子どもの時から精神を根底から破壊する。
正面切ってものが言えない。
無責任で根性なし。
陰湿で最低なネット人間たちが炎上とかいうのを楽しんでいる。
バカ者め表へ出て来いと言いたい。

男女平等と言いながら、オッ今日はかわいいねとか、ヘアースタイルいいねとか、いい胸して色っぽいねとか、いいヒップラインだねなんて言ったら即アウト、それじゃパックリ胸の谷間を見せる服を着るなって言いたい。
派手なメイクをするなと言いたい。
パツンパツンのパンツファッションとかするなと言いたい。
足を組んだら下着が見えるような短いスカートをはくなと言いたい。
かわいいのをかわいいと言えない。
きっとモテるだろうねとも言えない。
目のまわりにクマを作っているから昨夜は大変だったねおつかれさんも言えない。
まったくバカヤローな社会だ。
逆に女性から男へ、いいオシリですねとか、いい胸板、筋肉ムキムキがステキとか、スキンヘッドまるでメロンみたいでなめたい位、なんて言ったって何ともない。
すっごく嬉しい仕事がとれて思わずハグして
ホッペにキスしたら即アウト。
男女は不平等である。

明日は早朝より出張のためブログは休筆です。


♪~今は黙して行かん 何を又語るべき…。
「北帰行」である。昨日大相撲九州場所の初日、裸姿のおすもうさんは、いい胸いいおしり、花道を行くおすもうさんの体をオシリを、若い女性がその筋の女性がパチンパチン触っている。
Tバックのおすもうさんにセクハラはない。

人間の原点とは何か。
冗談が自由に言えて、嬉しい時は抱き合える。
貧しくとも笑顔あふれる日常だ。

落語の世界なのだ。
                 写真はイメージです。

2017年11月10日金曜日

「八十歳の新人賞を」




すばらしいポスターを制作して「憲法ポスター展」金賞を受賞したのは、横浜市在住の中川浩之さん八十歳だ。
キャッチコピーも中川浩之さんである。「子どもの頃の夢が、叶わなくて、よかった。」この憲法があったから。
日本国憲法施行70年・日本弁護士連合会が企画し一般募集をした。
ポスターに写るのは、一枚の古びた写真を掲げる現在の中川さん。写真は4歳の頃のもの、鉄かぶとをかぶり、おもちゃの軍刀を手にしてニッコリと笑っている。
当時の男の子としては当然のように兵隊になりたかった。
日本大学芸術学部で写真を学び、広告制作をしてきた中川さん、知人からポスター展のことを聞いたが、難しそうなテーマだと感じた。すぐ応募する気になれなかったが、この頃の当時の流れに一石を投じたかったのだと言う。戦争は二度としてはいけない。
戦後七十二年、現在の平和は、憲法九条があったからこそのものだ。自分が軍人にならなくて良かった。
その気持ちを見事な発想とキャッチフレーズでメッセージ性の強いポスターを生んだ。
中川さんは「終活」のアルバム整理で写真を見つけたという。デザインが何よりすばらしいのは、一枚の写真で口をふさいだことだ。
それが無言の訴えとしてポスターをより強いものとした。
子どもの夢は叶えたいものだが、叶わなくて、良かった。もし軍人になっていたらきっと人を殺したり、人に殺されたりしていたはずだ。
近頃見たポスターでこれほど心を打たれた作品はない。八十歳の感性に心より敬意を表したい。
十一月十四日(土)東京新聞夕刊一面で紹介されていた。いい広告とはワッと驚かすものでなく、ハッとさせるものを言う。東京コピーライターズクラブの新人賞部門に応募すれば、きっと八十歳の最高新人賞に選ばれるだろう。なんてすばらしいことではないか。


2017年11月9日木曜日

「忘れた笑顔」


昨日は終日茅ヶ崎でシコシコと原稿を書いていた。
午後一時を回った頃、いつも行くそば屋さんに新聞二紙を持って行った、とりあえず酒を一本頼み”マグロのぬた”を頼んだ。
隣に七十三、四歳の男がいて、もりそばを二枚重ねて食していた。
そばはつゆに二、三割たらして、一気に音を立てて食すのがルールだと、亡き友から教わった、わさびはつゆに入れたらダメ、そばの上にわさびを点々とのせる。
ネギはつゆに入れたらダメ、最後にそばつゆで飲む時に、ネギをハラハラと加える。
そばはいくら音を出していいが、うどんは音を出したらダメである。
私はすっとルールを破っている。職人風の老人は実に小気味よく、そばをちょびっとつゆにつけ、一気にズルッとすする。かなり粋であった。
オ~オマエラもっと頼めという姿がなかなかであった。
うどんをつゆの中にたっぷり入れて飲み込むような若い衆には、キレイに食えと注意した。
新聞を読みながら、日本酒一合を楽しんだ。先日、友人たちと飲んだ時、この頃の日本人は心から笑わないねという話になった。バラエティ番組で無理やり笑わされているが、これは真底の笑いではない。
つまり良い事がなくなって来ているのだ。腹の底から笑う、うれしい事がないのだ。日本人は落語を生んだ国だから市井の民は笑いを生み育てて来たのだ。
私はバカが大好き、(本当は頭がいい)バカに憧れる。
江頭2:50や坂田利夫師匠などは、これ以上なく愛する。
ケーシー高峰もいい。落語にもいいのが出て来た。でもあと20年以上はかかる。
あるホールのトイレで弟子に連れられて、やっとこさトイレを済ませていた木久扇師匠を見ていて凄味を感じた。その前、四十分以上の話を堂々とつとめていた。歌丸しかり、芸人はその生き様がいい。友人たちと心から笑える日が来て欲しいなと願った。何もいらない。
みんなの笑顔に会いたいのだ。
おっ、出し巻き玉子と焼き海苔が出て来た。
オッと思えば、あちらのお客さん高低差のある夫婦で有名な先生、ご婦人175センチ位(元モデル)、ご主人153センチ位である。
すぐにあいさつに行った。
いや~、久し振りです、相変わらず仲良しですねと言った。
実は退院して始めてここに来たんだ、久々のそばなんだよと言った。
キミの声はでかいし、態度も大きいからすぐに分かったよと言った。
大御所に深くごあいさつをした。
どこかにカレーうどんを食べて大失敗している人がいないかと思ったが、残念ながらいなかった。
酒をチビと飲み終わり、あたたかい花巻そばとせいろを一枚頼んだ。
最近腹の底から笑ってない、あなたは笑ってますか(?)。