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2018年2月20日火曜日

「木材店と梅ジャム」

木曽路はみんな山の中。
こんな書き出しで始まる小説があった。(書き出しではなく文中かもしれない)
この短い言葉に日本という国が森林大国であることをイメージした。
少年の頃住んでいた東京都杉並区天沼三丁目には木材店があった。その頃どの町にも木材店があった。木材の香りは町の香りでもあった。四角い木材はやや斜めに店の前に並んでいた。店の中では何人かのやけに強そうな男の人がカンナで木材を削っていた。男の人の足もとにはカンナくずがクルクル巻きになって落ちていた。男の人は時々カンナを目の前にして刃の出具合いを見てトンカチでカンナの後を叩いた。
材店の中の香りが大好きで私はよく行った。
確か隣りには浜名屋という日本そば屋さんがあり、魚藤という魚屋さんがあった。
その前には大橋豆腐店があり、三州屋という酒屋さんがあった。三原という八百屋さんもあった。
木材店の名だけが今思い出せない。何故だろうか。木材の香りと独特の臭いは憶えているのに。貧しき家でのお使いは、魚藤で魚のアラを買い。大橋豆腐店でおからを買い、三州屋でお醤油を買う。
更に浜名屋でうどん玉を買い、三原で白菜、人参、大根などを買った。
少年の手にはかなり重い。下宿屋みたいに二階の一部を食事付で貸していた。
お金があった頃はお手伝いさんが住んでいたという離れがあり、そこも人に貸していた。
兄姉六人と母、それに下宿人二人分を買った。楽しみは木材店に寄ってカンナくずをもらう事だった。
当時は電動ノコギリはない。腕のいい職人さんたちが削ったカンナくずは、薄く、長く、カール(クルクル)が大きい。食べてしまいたいほどで、まるで上質のカツオ節みたいだった。
カンナくずはたき火おこしに最適であり、ガキ同士が集まってたき火をしてはヤキイモを作った。
日本は世界一の森林国なのに外国から木材を輸入する、特に新建材が輸入されるようになって、木材店は町から姿をなくしはじめた。国の政策がトンチンカンだったのだ。
月六日日経新聞の記事を読むと、林業従事者は4万5千人、25年前の10万人から半減した。
しかも担い手の4人に1人が65歳以上だとあった。
木は成長しすぎれば倒木の危険があり、加工して流通してもコストがかさむ、森林の6割以上は伐採期を迎えているが利用されていない。倒木が進む。
大洪水の時無数の倒木が流れて未曾有の大被害が出ているのは、山を大切にせずに放っておいた無策のせいだ。地方創生というが、その第一は森林創生にあると言っても過言ではない。
いい山は、いい川を生みいい海を育てる。いい海にはいい魚たちが集まる。
いいことばかりなのに何をやってんだと言いたい。かつて木材の下りの勇壮な姿があった。
激流の中、屈強な山の男たちが筏の上に乗り川を下った。今、町には香りがない、風情は何もない。
コンビニだけが異様にある。天沼税務署前にノコギリ屋さんがあった。
オジサンは両足先でノコギリをはさみ、職人さんから頼まれたノコギリの刃の手入れをしていた。舐石屋さんというオジさんが来て、木材店のカンナや、魚藤さんの包丁を研いでいた。
ガキの頃のお使いは重かったが楽しい日々でもあった。
お駄賃の10円を持ってお菓子屋さんで、ソースせんべいや梅ジャムせんべいを買って食べた。
日本で唯一の梅ジャムを作っていた一人のオジサンが16才から始めて70年、遂に引退することを昨日帰宅して知った。レシピは未公開、自分で作り始めたものは、自分と共に終る。
そんな意味のことを梅ジャム生みの親は語っていた。
木材の香り、梅ジャムの味、この国はどんどん大切なものを失って行く。





2018年2月19日月曜日

「男の嫉妬」

この歌を知っている人は、相当に歌謡曲に詳しい。
♪勤王佐幕揺れ動く 空に火を吹く桜島 今に見ていろ イモ侍が……。新川二郎(生死不明)が唄った歌(題名が思い出せない)だ。イモ侍とは薩摩イモを食って育った侍のこと。
歌の主人公は、中村半次郎のちの陸軍少将桐野利秋である。
明治維新(あるいは明治革命)150年を迎えるにあたり、書店もテレビも、明治維新ブームである。書店にはズラリ、ズラズラ西郷隆盛の本が並ぶ。
又、その関係本が並ぶ。私はずっとこんな自論を亡き友と語り合って来た。
明治維新はホモセクショナル的愛情と、憎悪、そして男の嫉妬が生んだと。
佐賀に生まれた「葉隠」の思想と、中国の思想家「王陽明」が生んだ”陽明学”がそのもとである。陽明学とは思想と行動の一体にある。
この思想は男社会にありえる。
葉隠は男子たる者は、朝起きたらその日死ぬことを覚悟せよ、そのために朝カラダを清め、日々洗ったものを身につける。
髪の乱れなども許さないほど美意識を大切にした。
死んだ時のことを思ってのことであった。陽明学は吉田松陰たちを動かした。
高杉晋作、木戸考充たちもその中から生まれた。
薩摩藩には郷中教育という独特の地域教育制度があった。
その中のリーダーが西郷隆盛であり、イモを食った仲が、大久保利通である。
その独特な関係は、親の血を引く兄弟よりも、固い契りの義兄弟というヤクザ者の結束と同じくする。
新選組の近藤勇と土方歳三たちも近い。(思想はなかったが)
三島由紀夫の”楯の会”などは、その典型であろう。男と男の結束は何を生むか、それはある意味男と女の愛情を超えた、ホモセクシャル的なものである。
イモ侍の中に人斬り半次郎と言われた中村半次郎がいた。
後に陸軍少将となり西南戦争を起こす。
又、別府晋介、辺見十太郎とか西郷隆盛大好き人間たちが集結する。郷中教育の中の大好きな兄貴分西郷を、大久保利通は誰よりも愛していたはずだ。
維新を成し遂げたのは西郷と自分だと思っていた。
男の嫉妬は女性のそれよりはるかに恐い。
(近親憎悪)その嫉妬心がやがて西南戦争を生み、(大久保の策略で)西郷大好き結束団を滅ぼした。
桐野自身が西郷を撃ったという説もある。
西郷どんは、誰にも渡さない、オイのもんだと。明治維新ほど男と男の愛情が絡み合った出来事はないだろう。そして公家たちの保身。そのためには、裏切り、寝返りなんでも有り。
岩倉具視は陰謀政治の原型を生んだ。
親分のためなら命を捨てる。兄貴分のためなら命はいらない。
男と男の社会は世界史、日本史の中であらゆる戦争の大因なのである。
その巨大な典型が、ナチスドイツである。陽明学は現在も脈々と生きている。思想とは行動であるとして。
ところで新川二郎の歌の題名は(?)生きていればと願う。
男と女は結合しても、決して結束はしない。
いかなる手段を持ってしても、男が女に勝つことがないのは、男は結束を求めすぎるからだろう。結束は嫉妬によって粉々に碎け散る。週末「流罪の日本史」というのを読んだ。
島流しはどう生まれたか。これから世の会社は人事の季節。思わぬ人が思いもよらぬ所に島流し(左遷)となる。その秘めたる原因が、男の嫉妬にあるのは言うまでもない。
渡邊大門著「流罪の日本史」ちくま新書860円+税。
そう言えば「愛の流行地」なるスケベな男と女の本があった。
渡邊淳一先生の大ベストセラーだった。
ふと思った司馬遼太郎の中にホモセクショナル的なものが色濃くあるのを。
大先生がこよなく愛した小説の主人公たちは、男と男、そして結束と美しき滅びであった。
何もかも自論であり推論である。(文中敬称略)



2018年2月16日金曜日

「映画と信玄餅」



ある会社の新プロジェクトのために、10分位のコンセプトイメージ映像をつくるために、三日三晩三十本ほどの映像を見た。資料探しなのでストーリーは追わない。
確かあの映画のあのシーン、あのカット、あのファッションに、あのメーク、あのタイトルに、あのワインの飲み方、などなど記憶を頼りに思い出し、早送り、停止、メモ、早送り、停止、メモを繰り返す。
0.5秒くらいのカットや、3秒のシーン、5秒の動き、0,8秒の仕草、1.5秒の歩き、4秒のハサミ使いやトルソーに掛けた仮繕い服へのピンワーク。
パンクロックや、R&B、ラップ、テクノサウンドのPV(プロモーションビデオ)やライヴフィルも見た。秒単位を選び出しアタマの中で編集した。
で、昨日演出家にゴッソリ説明をして終えた。
その間「マリス博士の奇想天外の人生」/福岡伸一訳330ページを読んだ。
この企画にいきることを願って。’93にDNAの断片を増幅するPCRを開発して「ノーベル化学賞」を受賞した天才だ。
現在のDNA捜査を画期的に生んだようだ。
(PCRに関しては私のような浅学の徒にはチンプンカンプンである)福岡伸一教授(青山学院大生物学)の文章は何だか分からないことでも、何だか分かったように読ませてくれる。
マリス博士の趣味はサーフィン、数度の離婚と結婚、森の中で聞くフクロウの鳴き声を聞くことも楽しむ。
恋人とデート中にパッパッとヒラメイたビックアイデア。
何でも試してみようとLSD体験。受賞当時「サーファーがノーベル賞受賞」と大々的ニュースとなった。
久々に「プラダを着た悪魔」を見た。アメリカのファッション雑誌の編集長、スーパーブランドブームはこの映画から始まったと言っても過言ではない。
「バレエカンパニー」「ブルゴーニュの森にこんにちは」、「暗黒街」「レディガガ」「マドンナ」「ザ・ヘヴィー」「サーマン・マンソン」「現金に手を出すな」「さよならベートーベン」「ココ・シャネル」アタマの中がまるで、コインランドリーの中でグルグル回るいろんな服のように大回転した。
その結果いい歳をしているが記憶力は未だソコソコ大丈夫だなと思った。
(日常生活においては周りの人々に迷惑をかけ放しだ)つくづく思ったのは外国人たちの編集の上手さだ。
日本の映画界では編集を重く見ていないが。外国では編集がいかにすぐれているかが重要だ。日本の映画界は、アニメ世代、ゲーム世代が映画を手がけるのが多くなった。CG全盛時代なので全てがCG頼り、天才中野裕之さんはじめ何人かの監督は編集が上手い。
「プラダを着た悪魔」は編集を学ぶのには教科書みたいに見事だ。
(映画の内容はともかく)私はやはり旧作の中に映画を感じる。フランスの名優ジャン・ギャバンは最高だった。「現金に手を出すな」の中のレストランシーンは本当にいい、コート姿も。そして主題歌(原題でもある)グリスビーブルースは最高であった。山梨出身のアジアン雑貨のオーナーがお土産で持って来てくれた。
名物の「信玄餅」を食べながら見ていたら、着ていた服にきな粉がボロボロ、ボロボロと落ちた。
でも旨い。このお菓子の包装の手の込みようは、最上の編集に近い作品だ。


※画像はイメージです。


2018年2月13日火曜日

「オーバーコート」



銀座の泰明小学校制服に、ジョルジオ・アルマーニをと、校長が言って物議を呼んでいる。泰明小学校の今を知っているヒトは知っているだろう。
外から見ると廃校のようである。すぐ前にコリドー街、レストランBar、古い飲食街には私が時々行く、「青葉屋」という、スキヤキ・しゃぶしゃぶの店があり、その隣りには故立川談志さんとその一家が通ったBar「美弥」があった。その前の泰明庵というそば屋さんは有名である。小学校の隣りにはBarなどが並ぶ、つまるところ、銀座の片隅の飲食街の突き当たりである。ジョルジオ・アルマーニなんかとても似合うロケーションでない。何しろ狭くて暗いからだ。他のブランドに断られてアルマーニが作ってくれるという結果らしいが、「服育」という言葉には共感する。貧しき家庭に育った私は、兄姉たちが着古したニットを集めて近所の「セーター編みます」の張り紙の家に行って、色とりどりの毛糸で編んだセーターを作ってもらって着た。今ならかなりオシャレだ。又、兄姉が着古した服の切れはしを集めて、「洋服作り直します」の張り紙のある家に行ってパッチワークのような服を作ってもらった。
今なら相当オシャレである。当時は恥ずかしかった。しかし母親の深い愛情を感じた。つまり「服育」であった。一枚の布に穴をあけポンチョみたいにしてデビューしたのが、イッセイ・ミヤケであり、野良着や東北地方に伝わる裂織を生かしてファッション界に新風を呼んだのもイッセイ・ミヤケである。修道院で育った貧しい女の子が、やがて黒い服(修道院で着る服)をオートクチュールとして世界のファッション界にデビューした。葬式に着る服だと酷評を浴びたが、今ではスーパーブランドの中のスーパーブランド、「シャネル」である。古い物を新しくがイッセイ・ミヤケであり、暗い服を斬新にしたのが、ココ・シャネルである。これも又、「服育」であろう。
校長がどこまで分かって服育を語ったかは定かではないが、アッチコチのブランドに断られた末のジョルジオ・アルマーニだとしたら、それはアルマーニに失礼である。
私など下々には手の出ない高価なブランドである。
エンポニオ・アルマーニとか、アルマーニ・エクスチェンジとか、少しがんばれば手の届くファミリーブランドはあるが、ジョルジオとなると別格である。
私の近しい友人は、服はジョルジオ・アルマーニとか、ベルサーチ、時計はフランクミュラー、靴は不明。仕事柄ハリウッドのスターや、それを仕切るマフィア、又日本のトップクラスの芸能人と接する仕事なので、着ている服身につけている品でナメられたら交渉がスムーズに行かない。そのために投資しているのだろう。過日仕事場のハンガーに黒いオーバーコートを私と友人が掛けていた。
渋谷で打ち合わせがあり私は急いでオーバーコートを着て向かった。打ち合わせ先の事務所はまるでホテルのようであり、入り口には厳しいチェックをする受け付けがある。
暗証番号を打ち込まないと鍵は開かない。売れっ子のアートディレクターだけのことはある。そこに電話が入った。もしもし、兄弟、オレのオーバー着て行っているだろう、えっ、と思い脱いだ黒いオーバーのタッグを見ると、ジョルジオ・アルマーニであった。改めて触れてみると、すばらしいカシミアであった。やわらかで軽い。私のオーバーコートの10倍はするだろう。ワルイ、ワルイ急いで間違ってしまった。と言って詫びた。仕事場に帰る時は着ないで手に持って帰った。私は銀座泰明小学校から出て来た、ジョルジオ・アルマーニの制服を着たガキに出会ったら、きっと何かするだろう。(愛情を込めて?)

2018年2月7日水曜日

「店の主人が、店のお客」

昨夜九時半頃、海風が南から北へ向って少しだけ吹いていた。
その風は腹が減ったなと思っていた私の鼻に、ヤキトリを焼くあの独特の香りを乗せていた。万有引力の法則は、男と女が引き合うよりも強く私をヤキトリ屋に引き寄せた。
駅から徒歩約5分。
もうずい分と来ていないなと思いながら、ヤキトリの煙の中に入った。カウンターの右隅に若い会社員、四人掛のテーブル席に少しファンキーな若い男と女性。
二人は並んで座り天井のやや下にとりつけられている小さなテレビを見ていた。マツコデラックスがコーヒー通の男と何やらコーヒー選び談議をしているようだ。
私はカウンター(六人位座れる)の右から三番目に座った。
つまり若い会社員は席を一つ空けたところにいる。一つ空いた左の席を見ると、アレ、アレ、いつもヤキトリを焼いている店の主人が、ベロン、ベロンに酔っているではないか。
薄茶のチノパンに、青と赤のチェックのブルゾン(?)白いダウンのベスト。
メガネのツルが耳から外れている。オジサンどうしたの、はじめてだな主人がお客になって飲んでいるのを見るのは、と言いつつマフラーを外し、オーバーコートを脱いだ。
ヒィック、ヒィックしながら、オスサシビリ(多分お久しぶり)中ジョッキの中には、レモンの切ったものしかない。テーブルの上に一万円札が二枚。
オコラリシャテンノ(多分怒られちゃってんの)ビューインニキョウエッテケタノ、オカネハラウカラナ、(多分今日は病院に行って来た、飲んだ分はちゃんと払う)夕方からずっとヤキトリを焼いていたであろう。
顔中に脂汗を浮き出した奥さんが、無言で私の頼んだレバー、ハツ、ボンジリ、カワ、タン(これだけ塩)を焼いてくれていた。
オジサンはカウンターにうつ伏せになり、すっかり眠っていた。
メガネがズリ落ちて鼻先きに引っかかっていた。
若いバイト風の店員がラストオーダーをと言った。
多分お手伝いのオバサンが若い男から3860円を受け取っていた。私の右横にいた若い会社員(多分)は、すいません、あとコブクロをと言った。
私が煮込みはと言ったら、もう終りましたとオバサンが言った。
オジサンはイビキをかいていた。
二枚の一万円札を左手でしっかりと押さえていた。
オジサンはきっと病院に行って検査結果を聞いて、全然大丈夫と言われてすっかりうれしくなり、絶っていた大好きなショーチューのレモンサワーを一杯、二杯と飲んだのだろう、と推測したのであった。
ヒゲをキレイに剃った顔が青白く、目のまわりがマルマルと赤かった。
オジサンの足もとにモロキュウ(キュウリ)が二本落ちていた。
オジサン良かったな。身長152、3センチ位の小柄なオジサンは、今夜はヤキトリをバタバタと焼いているだろう。
丸顔の奥さんはひらすら無口である。


※画像はイメージです。


2018年2月6日火曜日

「間違ってない人生とは」

奴雁(どがん)この言葉を知ったのは年が明けてからである。
小さな庭にスーパーで売れ残ったリンゴを置いてあげる。冬になると冬の鳥たちが来て、朝早くからリンゴを突っつきまくる。鳥たちはすこぶる用心深く、疑い深く首をキョロキョロと動かす。雁の群れが餌をついばむ時に、仲間が外敵に襲われないように、首を高くして周囲を警戒する。
この姿を奴雁というらしい。冬に来た鳥たちがこの頃一羽だけになってしまった。
毎朝一羽ずつ交代にリンゴを突っついていたのに。一羽の鳥はとても孤独感がある。こんな詩があった。「孤独の鳥の五つの条件」一つ、孤独な鳥は高く飛ぶ。二つ、孤独な鳥は、仲間を求めない。
三つ、孤独な鳥は、嘴(くちばし)を天空に向ける。四つ、孤独な鳥は、決まった色を持たない。
五つ、孤独な鳥は、しずかに歌う。♪~夜が又来る 思い出連れて 俺を泣かせに 足音もなく 何をいまさら つらくはないが 旅の灯りが 遠く遠くうるむよ。
小林旭の「さすらい」口ずさみながら孤独な自分を味わう。
どんなに人にまみれて生きていても、人間は等しく孤独である。
ある大学の精神科医の診察室を訪れる若者は、こんなことを言う。「つらいんです」どういう風にですか(?)と聞いても、「つらいってことです」そして「この感じがとれる薬をください」と。医師は言う、大学生たちと接していると「『私』をどこかに預けている感じがする」、「自分の弱さと向き合うのはとても苦しいことだから、でしょう」これは大学生だけの話ではない。昨日深夜、廣木隆一監督(原作)の「彼女の人生は間違いじゃない」という映画を見た。その後重なり合った新聞を整理しながら、奴雁のこと、孤独の鳥や、ある精神科医の話をつまみ読みした。映画は廣木隆一の世界がヒシヒシと伝わる。
福島県いわき市、原発事故で無人化した町の外。仮設住宅で父と暮らす娘は、生きている存在を失っている。こころの孤独をいやすためなのだろうか、夜行バスに乗って東京へ行く。
目的はデリヘル嬢になるためだ。金が目当てではない。
性的快感でもない。3、11で母を失い、生活を失った虚脱感が全裸の姿に現れる、恋人はいたがすでにいやされない。デリヘル嬢をしている時、よろこぶ男を見て自分の存在価値が、自分の体で分かるのだろう。廣木隆一はこの手の映画を作らせると天下一品である。
かつて「ヴァイブレーター」という名作を生んでいる。
長距離トラックの運転手の孤独と快楽。確かNO.1であった。
小さな庭に置いたリンゴは未だ半分残っていた。
一羽でなく、二羽、三羽と来るのを私は待っている。
小さな池の12匹の赤い金魚はじっとして動かない。
金魚たちも鳥が来るのを待っている。赤い寒椿が見事に咲いた。
植物たちはしたたかに生きていく。地球が隕石で滅びても、わずかな植物は生き残るらしい。


2018年2月5日月曜日

「少年と少女」

「ライオン」という文字を見れば、100人が100人「百獣の王」を連想するだろう。私もレンタルビデオのタイトルを見てそう思った。準新作7泊8日とシールが貼ってある。
文字がよく見えないからメガネを出してよく見てニコール・キッドマンが出ているオーストラリア映画、これは真実の物語というのを知った。130分。他に8本借りた。
二日深夜にその「ライオン」を見た。結論を言う。100点満点で100点の映画であった。本当に泣けた。兄弟、姉妹は他人の始まりという世の中でこんな兄弟、妹がいた。インドの中でも極貧の村に住む、三人の兄弟、長男、次男と妹、父はいない。
母は石を運んで少しばかり賃金を得ている。
兄と弟は石炭を運ぶ列車に乗って、石炭を盗む。布袋に入れてそれを売り、小さなビニール袋に入った牛乳二つと交換して、母のところに持ち帰る。兄はいつも五才の弟を抱きかかえかわいがる。
弟は、兄ちゃん、兄ちゃんと兄に付き従う。盗む、追われる、逃げる、逃げる。この子役が実にいい。懸命に走る姿がいいのだ。ある日駅のホームで兄は弟のために何か食べる物を求めて、ここで待っていな、すぐ戻るからと言って駅を離れる。弟はベンチに横になり、疲れて寝てしまう。
気がつくと兄はいない。兄ちゃん、兄ちゃんと探す。
停まっていた列車の中に乗り、兄ちゃんと叫んで探す。その列車は回送列車であった。空腹の少年は食べ残りのリンゴを見つけてそれを食べる。そして列車は1600キロも離れた駅に着く。物語はこうして始まり、その少年はやがて施設に送られる。その後オーストラリアに住む、金持ちの夫婦にもらわれて行くのを描く。
少年は養子として25年間育てられる。真実の物語だから最後にすべての真実を見せる。本物の夫婦、本物の少年時代と25年経った今、当時の新聞記事やテレビのニュース映像。2018年現在は34、5才になっている。青年となった少年は兄ちゃん、母ちゃんを思い出す。そしてまい日パソコンに向かいグーグルマップで、兄ちゃんと走り回った山道を探す。兄ちゃんと離れた駅の給水機を思い出して探す。石を拾っている、母ちゃんのいた山を探す。インドは広い、インドは深い、インドのほとんどは貧しい。そしてある日遂にグーグルマップで給水機を見つける。山道を見つける。少年の名がインド名で「ライオン」の意味であることを最後に知る。
涙がボロボロと流れた。土曜日息子が来たので一緒にもう一度見た。
映画好きの息子がすばらしい、自分の息子に見せると言った。感動を忘れた人に、ぜひおススメだ。兄が呼ぶ、少年の名は(?)これが劇的である。キャスティング、シナリオ、撮影、文句なし、特に編集はパーフェクトであった。ニコール・キッドマンが実に抑えられた演技で養子を夫と共に育てる役を演じていた。芥川龍之介の小説(10ページ位)に、「蜜」というのがある。
小説家本人とおぼしき男がある日列車に乗っていると、一人の少女が隣の席に座る。小説では小娘。少女の手には網の中に入ったいくつかの蜜柑が入っていた。
男はいぶかしく思った。列車が動き出し、しばらくすると少女が列車の窓を開けた。少女は柑を手にして窓から外へ投げた。畑のようなところに三人の弟たちがいて手を振っていた。
少女はきっと弟たちのために働きに出るのだろう。私は柑を見るとこの小説を思い出す。人間は貧しい方が純粋でいられる。そう思いながら柑を手にした。
(記憶が定かではない)
兄弟、姉妹、みんな同じ母親が生んでくれたのだ。




2018年2月2日金曜日

「僕の好きな先生」

私はブキッチョ(不器用)を極める。その私がキミはブキッチョだねと言った男がいる。
「成城石井」の男である。「成城石井」といえば高級スーパーの見本であり、紀伊国屋と並び称された。
だが八十八店舗あった絶頂期から転げ落ち、2011年に投資ファンドである丸の内キャピタルに買収された。投資ファンドにとって買収した会社は、いわば商品と同じ、すっかり染みついていた汚れを取り、気取りを取り、プライドを取り除き、見栄えをよくして転売する。
リサイクルされた「成城石井」を買ったのはローソンであった。
2014年のことである。業界の大先輩へ人を紹介してくれた御礼に行く途中、青山にある「成城石井」に立ち寄った。スコッチを一本買った。広い店内に見たところスタッフは女性二人とズングリ太った男が白い前掛けをしてレジ側にいた。商品のディスプレイは、辻堂の激安スーパーOKに近いと思うほど乱れている(OKはドンキと同じでそれが戦略である)お客が手にして動かしたのがそのままなのだ。
入り口に果物を高く積み上げていて入店のジャマをしている。
むかしの「成城石井」のスタッフが見たら気を失うだろう。
で、ウィスキーを包装してくれと頼むと、太った前掛け男が包装紙に細長い箱を包もうとしていた。
が、何度やってもキレイに包めない。
とっても気の長い(?)私は本性をムキ出しにして、ブキッチョだな、何回やってんだよ、と言った。
男はすでに一枚、二枚、三枚と失敗をし、手がブルブルと震えている。「成城石井」は人手不足なのであった。
年配のオバサンが私がやりますとピンチヒッター、男はスミマセンと謝ってレジのオバサンと交代、このオバサンが又、やたらセロハンテープを使って包装紙に貼りまくる。
上手な人なら多くて三カ所で十分だ。気の長い(?)私は気の短い男のように、「成城石井」もすっかりダメだね。品川駅の階段下と同じだよと言った。
ウィスキーにはチーズをと思いチーズ売り場に行くと、これが又、バランバラ。
人手不足は私たちも同じなので同情するが、至るところでパートやバイト頼みとなっている。いっそその昔青山通りにあった人気スーパー、ユアーズみたいに過剰な包装をせず、外国みたいに茶袋にバンバン入れて、袋の上を開け放しにしていた方がスタイリッシュである。袋は安い素材でもそれがオシャレだった。
女性たちがその茶袋を抱きかかえていた。袋からバゲットかセロリなんかが二本ばかり出ていた。
VANジャケットの袋も茶袋であり、そこにオシャレなロゴタイプが印字されていた。人手不足は本当に”新国劇”だ。私の家の近くのコンビニ、ファミリーマートに店員バイト募集中の張り紙がある。
バイト代時給980円、それでも人手不足だとなじみのオーナーは言った。
昨夜ピンクと白とグリーンの三色串ダンゴワンパック(三本入)と、杏仁豆腐を買って帰った
ダンゴは父と母、親友二人、兄の写真の前に供えた。杏仁豆腐はその夜お世話になっている会社のオーナーと会食(ごちそうになった)した時、この映画見ておいてと言われた。
86分のドキュメンタリー映画を見終わったら食べようと思った。
広島県因島出身の東北芸術工科大学の先生(教授)「瀬島匠」さんの創作活動を追った作品である。
この作家の作品は”創作活動そのものが作品でもある。
すばらしい、生き方がとにかく明るい。
”が、RUNNERと必ず作品に印すその意味を最後に知った時、杏仁豆腐を食べる気を失った。詳細はいずれ書きたい。
人間は明るくふるまって長く生きるほど、つらいものはない。故忌野清志郎の「僕の好きな先生」がタイトルソングであった。彼も絵が大好きであった。


瀬島匠さんの作品はこちらで見れます。
http://takumi141.exblog.jp


2018年2月1日木曜日

「飛騨高山にて」



辻堂→小田原→名古屋→飛騨高山(打合せ)―高山にてチャーシュウメンをごちそうになり、→名古屋→新横浜→東神奈川→横浜→辻堂。早朝は小田原駅で待合室、大好きな駅弁、”デラックスこゆるぎ”を食した。
「旅芸人の記録」という名画があったが、私も、そのようなものである。
飛騨高山はとにかくラーメン屋さんが多い。今回はここがおススメと調べていただいていた。
「桔梗」という味のある店名のラーメン屋さんであった。
老夫婦と息子とおぼしき男の人が一人、年の頃は三十六・七才であろうか。
L字の形のカウンターに8人程座れる。小上りがあり、4人が座れるテーブルが三つあった。
建築家の先生、建築会社の人二人。広告代理店の人二人、施主の人二人、私の合計八人であった。
カウンターに五人、小上りに私と三人。午後一時少し前。店内は私たちだけで満員のようになった。
それぞれ大きな鞄とオーバーコートやダウンジャケットを脱いで、空いたところに置いたからだ。ラーメンが出来上がる前の話題に、私が待ち時間があった時、前日ある造幣局にテレビが取材に入ったのを見た話をした。新札の一万円がここで一年間に何枚造られるか。輪転機は猛スピードで印刷する。
そして断裁機でズドン、ズバッと断裁されて、刷り立ての一万札のぶ厚いブロックみたいなのができる。
ニセ札ができない工夫のところはボカされる。
勿論カメラが入るには、いくつもの鉄柵のようなところにつけられた厳重な鍵を開けなければならない。
さて、一年間に一万円の新札はいくらかと、造幣局の人に取材者は問われる。
想像もつかない。それじゃ教えます。一年間で12兆8千億円です。
へえ~、うへえ~となった。
私は直感的にソフトバンクの有利子負債14兆5千億円位を思い出した。
つまりソフトバンクは一年間に刷られる新札の一万円札12兆8千億より、2兆円近く多く借金し、利子だけで年間約数千億円を支払っている訳だ。
ラーメンは薄い醤油味、魚系のスープ。
麺は細目のちぢれ系、ラーメンの基本中の基本のようなものであり、ひと口スープを口に入れると旨い。チャーシュウが5枚でこれが実に旨い。
シンプル・イズ・ベストであった。
高山は水がいいので銘酒もたくさんあり、食べ物が美味しい。
飛騨牛店とみたらし団子店が多い。
朝市で有名な川にかかる橋の入り口で、これ以上小さな店は不可能という程小さなみたらし団子屋さんがある、おばさんが一人しか入れない宝くじ屋さんがあるが、それにほぼ近い。
三人でタクシーに乗って運転手さんに、あの店ずーと昔からあるねと言ったら、あの店でビルを建てましたよと言った。
へえ~そうなんだ。
高山の名物店である。
残念ながら団子は食べる時間がなかった。
雨が多い高山は幸い晴天であった。観光客の多くは外国人。
特にアジア系が多い。
最早日本国は中国、台湾、韓国、そしてアジア系を敵に回したら、経済は成り立たない。高山のラーメンに近いなと思ったのは、喜多方ラーメンであった。
天領でもあったから、格式は高い。
プライドもすこぶる高い。京都に近いところがある。
何の仕事で打合せをして来たかは、後日にする。
一人のカリスマと、一人の天才と、大巨匠をプロデュースしている。家に帰って深夜アンジェイ・ワイダの遺作「残像」を見た。いい映画はアタマの中をクリーニングしてくれるのだ。
「芸術とは卓越性だ」と主人公の画家は言った。
「人のやった事をいくらなぞっても、それは技術でしかない」


※画像はイメージです。


2018年1月29日月曜日

「楽するべからず」

「引くな、引くなバカヤロー」オシリを竹刀でバシンバシン、バケツの水をドヴァーとぶっかける。
「引くな、押せ、押せ、引くなバカヤロー」私の仕事場は遠い昔両国であった。
目の前はある相撲部屋であった。仕事でほぼまい日徹夜に近い日を送っていた。
午前四時頃には下の力士たちの朝ゲイコが始まる。親方はとにかく引き技を怒る。
楽して勝つなという事である。
私が相撲をこよなく愛するのは、実にここにある。
楽をするな引くな、逃げるなが私の生き方の手本だった。
私たちは例え何度も競合プレゼンに負けても、着る服や、履く靴やシューズまで変えさせられることはない。ただあいつに頼んでもプレゼンに勝てないとなると、新たな仕事はこなくなる。
私たちは芸を売っているので、お座敷の声がかからないと枕芸者みたいになる。
しばらくぶりにお声がかかった時、受話器に向ってハイ、ハイ、ありがとうございます、としきりに頭を下げている先輩の姿を見て、絶対にそうなるものかと心に決めて来た。
仕事で受けた恩は仕事で返す。
受話器、今なら携帯だろうか、それに向って最敬礼はしない、自分が駄目になってしまうからだ。
ジョージア出身の栃ノ心が平幕優勝をした。
かつて大怪我をして十両へ、そして幕下まで番付を落としたが、消してあきらめずがんばって、幕下、十両で優勝を重ねて幕内に復帰した。
この力士は引き技を使うことがない。
前へ、前へ、なのだ。十両は毎月100万円近く給料などが出るが、幕下は無給、二ヶ月ごとに15万円位の力士養成費が部屋に支払われる。
十両以上は関取といわれるが、幕下に下がるとちゃんこ番(メシがかり)となる。相撲部屋では関取を”米びつ”と言う。つまり部屋が生き残っていくためのメシの糧なのである。メシのことを留置所、拘置所、刑務所では、”バクシャリ”とか”モッソウメシ”と言う。
では学校ではなんと言うかそれは”給食”と言う。
一月二十八日(日)朝日朝刊31面湘南版にかなしい記事があった。見出しに、「給食寂しく 食材高騰に泣く」読めば小学校の給食のメニューの番付(品数)がどんどん減っている。
政府や日銀は景気回復順調と言っているが、国の宝である子どもに食べさせる給食への援助は情けない。2011年、みそ汁と「アジの開き」が出ていたが、アジの値上がりで、14年度は「ししゃもの素揚げ」に。17年度には、みそ汁を豚汁もどきにして、主菜は「ちくわの磯辺揚げ」に。
11年度6分の1カットだったデザートのメロンは17年度は12分の1カットに。
そしてデザートの回数も減る。人気のカレーライスの豚肉は、1人あたり50グラムから40グラムへ。
福神漬けは13年度8回だったが、16年度は1回のみ。神奈川県内の16年度の小学校給食費用は月額平均4,062円、一食あたり243円だった。消費者物価が上がってよろこんでいるのは、政府と日銀だけ。小学校の給食での鉄分や食物繊維は基準を下回っている。
たんぱく質はギリギリとか。各市によって違いがあるが、大差はないようだ。
食い物のウラミは恐い。ママたちを怒らせると恐い。案外こんなことが原因で内閣の支持率は引いて、引いて、どん引きとなる。
留置所とか拘置所、刑務所の方が余程いい食事をしている。だからわざと法を犯して中に入る人間が続出している。
茅ヶ崎出身の序の口力士、「服部桜」は7連敗で入内以来1勝だ。
引くな、引くな、楽をするなだ。
木曜日までは出たり、入ったり、都合により休筆となる。



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