後味の悪い映画を見た。レンタルしてきた自分が悪かった。15本借りてきていた。新作のコーナーに「娼年」というのがあった。原作石田衣良であった。どうせたいしたものではないと思っていたが、ひょっとしてと思って借りた。天才中野裕之監督のピースな映像(私が見た本年度ドキュメンタリー部門NO.1)を見た後は、心が清められ洗われた。万葉集を生んだ日本の風景は、どれほど美しかったのだろうかと思った。「娼年」はこのまるで逆であった。正常な人が見るとウソ、ホントヘンタイ(?)と言うだろう。主人公(松坂桃李)は夜BARでバイトをしている。客の中に中年の女性がいる。この女性は見た目のいい若い男を見つけ登録しては訳ありの人や女性たちに売る。娼婦ではなく「娼年」として。渋谷、新宿、赤坂、鶯谷のラブホテル街のローキー(暗い)な映像の中で、松坂桃李が変態のお客の相手をする。若い女性や中年女性から老人女性まで、映画の半分くらいは松坂桃李のプリプリの全裸のヒップが激しく動く。動きすぎるくらい動く。お客の反応がいいとランクが上がり、ギャラも上がる。言葉が話せない娘をよろこばせてと頼む親、自分は不能となったから妻を思い切りイジメてしてくれ、それをビデオで撮ると言う夫。少女の頃好きな少年の前でじっと我慢していたら、おもらしをした。そのトラウマで、人におもらしをするのを見てもらわないとダメというインテリ中年女性等々。大文豪谷崎潤一郎も変態だったらしいが、それを文学まで極めた。が、石田衣良はとても及ばない。文学性、芸術性が会話の中にない。松坂桃李はよくこの映画の仕事を受けたと思う。 CMに彼を起用している会社にとって、決して気持ちいいものではないだろう。文豪と言われた人はほぼ正常でない。異常性こそが文学である。芸術とは、異常を表現したもののことを言う。ただ美しい、ただ精密、ただ見たものを描くのは、ただの技術に過ぎない。 友人の写真家が過日、団鬼六がやっていたような、女性の裸体を太い縄で縛り上げ、吊るし上げ、ローソクの火をつけ、ムチで叩くなどの
写真を撮る仕事を頼まれて撮影してきた。写真家は縛られている女性が、本当に快楽に涙している姿に、感動したと言った。たくさん入った観客は真剣であったと言う。見ますかと言うから、いいよ、そういうのはイメージしている方がいいので、現実は見たくないと言って断った。作家永井荷風は、毎日のように浅草のストリップ小屋に通った。女性たちの生態を見たくて。女性たちのいる部屋の隣の部屋を借り、壁に穴を開けてずっと覗き見していたのは有名である。そしてそれを至高の文学にした。 三島由紀夫、川端康成、室生犀星、みんな変な趣味があったと言う。(あるいは小説を書くためのものとか)映画は「娼年」松坂桃李の激動のヒップショーだった。(文中敬称略)